異世界転生者なんて全員クズだ
◇
車は夜の帳が降りた街を縫うように走り、数十分が経過した頃、唐突に停止した。降りるように促され、ヴェインは重たい体を引きずり出す。そこは、ネオンの光が妖しく揺らめく繁華街の裏通り。昼間でさえ人通りがまばらなこの場所は、夜ともなれば犯罪の温床と化す、街の暗部だった。
「こっちだ、来い」
レティシアの言葉に促され、ヴェインは不安な足取りで彼女の後を追う。人気のない路地裏へと進むにつれ、不安は増幅していく。暗闇に潜む影、どこからともなく聞こえてくる物音。この近辺の悪評は、ヴェインの心に暗い影を落としていた。
「こんな場所で置き去りにされたら…」
弱気な思いが頭をよぎる。しかし、他に頼る術もなく、ヴェインはレティシアの後ろ姿を必死に追いかけるしかなかった。
やがて、レティシアは古びた建物の前に立ち止まった。コンコン、とノック音が静寂を切り裂き、小さな覗き窓から男の顔が現れる。その顔に、ヴェインは言い知れぬ不安を覚えた。
「よう、入れてくれよ。顔パスだろ?」
レティシアの言葉に、男はぶつぶつと文句を言いながら、重たい鉄の扉を開けた。まるで、古びた城門を開くかのような、そんな錯覚を覚える。
「またお前かよ!ふざけんなこの不良騎士が!」
男の言葉は荒々しく、レティシアに不満げな怒りの視線を送る。レティシアは、そんな男の言葉を気にも留めず、慣れた様子で建物の中へと足を踏み入れる。
「どうした?来いよ、この中だ」
ヴェインは、レティシアに促されるまま、薄暗い建物の中へと足を踏み入れた。足元は覚束なく、まるで底なし沼に足を踏み入れるような不安定さを感じる。鼻腔をくすぐるのは、アロマと酒が混じり合った、何とも言えない香り。それは、この場所が持つ独特の雰囲気を、より一層際立たせていた。
「ヴェイン、ここから先はしばらく何があっても口を開くなよ?質問は後で個室についたら受け付ける」
レティシアはそう告げると、進んだ先にある重厚な扉をゆっくりと押し開けた。
次の瞬間、ヴェインの目に飛び込んできたのは、煌びやかな光に照らされた、華やかで猥雑な空間だった。薄暗い通路との対比が、その衝撃をさらに増幅させる。ステージの上では、扇情的な衣装を纏ったエルフのダンサーたちが、妖艶な踊りを披露していた。官能的な音楽と、ダンサーたちの挑発的な視線に、ヴェインは思わず息を呑む。
「はぁい、お客さん、こちらサービスドリンクです」
バニーガール姿のエルフが、愛らしい笑顔でヴェインに近づいてくる。その姿は、先ほどのダンサーたちとは対照的に、無邪気で純粋な少女のようにも見える。
「はぇ!?あ、はい」
突然の出来事に、ヴェインは思わず挙動不審な態度をとってしまう。戸惑うヴェインの目に映るものすべてが、非日常的で、まるで夢の中にいるような錯覚を覚える。
エルフ───。
それは、この世界において、美の象徴として崇められる存在。男女を問わず、その容姿は人々を魅了し、かつては森の民として敬われていた。しかし、時の流れは残酷であり、今や彼らは迫害の対象となり、人間の欲望を満たすための商品として扱われることが常であった。
「ここは……一体」
ヴェインの問いかけに、レティシアは静かに答える。
「異世界転生者たちの羽休めに使う秘密クラブのバーだよ、きょろきょろするな?」
薄暗い店内を見渡すと、確かにバーの雰囲気が漂っている。カウンター席には、様々な種族の人々が酒を傾け、談笑している。しかし、どこか陰鬱な空気が漂い、安らぎとは程遠い。
「え、あれってピースボーイ?」
ヴェインの視線の先には、見覚えのある男の姿があった。ピースボーイ。異世界転生者の一人で、子供たちの救済を掲げ、清廉潔白なイメージで人々の支持を集めていた人物だ。
しかし、今の彼は、少年娼婦たちに囲まれ、酒を飲み、猥雑な笑みを浮かべている。その姿は、ヴェインの知るピースボーイとはかけ離れており、まるで別人のようだった。
理想と現実の乖離。それは、ヴェインの心に深い衝撃を与えた。
「子供たちの英雄はまさかのロリコン、この世界じゃよくある話さ」
「嘘だろ……」
憧憬の念を抱いていた異世界転生者たち。彼らが、このような卑劣な場所に身を置き、堕落した姿を見せているなど、ヴェインには到底信じられなかった。
「落ち着けよー?ピースボーイはマシな方だぞ?なんだかんだであの野郎は相手の嫌がることはしないからな?」
レティシアは、ヴェインの苦虫を噛み潰したような表情を見て、彼の心中を察したのだろう。軽く肩を叩きながら、奥へと進んでいく。
ヴェインにとって、いいや、この世界の人気者として知られていた異世界転生者たちの醜い姿を目の当たりにし、彼の心は激しく揺り動かされる。
まるで、光り輝く偶像が、泥の中へと堕ちていくのを見るような、そんな絶望感に襲われるヴェインだった。
「■■■■!!■■■■■■■!!!!」
奥へ進むにつれて、耳を塞ぎたくなるような声が、ヴェインの鼓膜を容赦なく叩く。それは、人間の理性を失わせるような、獣の咆哮にも似た呻き声。何が起きているのか、想像することさえ恐ろしい。
この場所は、ヴェインにとってあまりにも刺激が強すぎた。視覚、聴覚、嗅覚、あらゆる感覚が、彼の精神を蝕んでいく。嫌悪感、そして、言い知れぬ恐怖。ヴェインは、一刻も早くこの場を離れたいという衝動に駆られる。
ようやくレティシアに案内された個室は、先ほどの喧騒とは打って変わって静寂に包まれていた。しかし、ヴェインの心はすでに疲弊しきっており、安堵感よりも、深い虚無感が広がっていく。
まるで、悪夢から覚めた後のような、そんな感覚だった。
「素敵な場所だろ?感想は?」
レティシアは、いたずらっぽく笑みを浮かべながら、ヴェインに問いかける。
「最悪だよ、何なんだここは」
『最高だろ?』
違う。ヴェインは聞こえた幻聴に対してそう心の内で強く否定する。
「言っただろ?くそったれの異世界転生者どもが羽休めに使う数少ないオアシス」
「異世界転生者たちはみんなこうなのか!?オールマンも!?」
「オールマンは別だ、異世界転生者たちの中じゃ反吐が出るくらい聖人。ま、全員がクズじゃないってことかな」
この薄汚れたバーは、異世界転生者たちが、仮面の下に隠したどす黒い本性を解放する、秘密の隠れ家だった。ジェネシスの管理下で、英雄として祭り上げられ、華やかな舞台で活躍する彼ら。しかし、その内面には、抑圧された欲望、鬱積した不満が渦巻いていた。
ヴェインは、頭を抱えた。テレビで見てきた輝かしい世界。異世界転生者たちは、希望の象徴であり、憧れの存在だったはずだ。恋人であるニューロードを彼らに殺されたとしても、その事実は揺るがなかった。
なのに、ここで見た景色はあまりにも酷すぎた。
「ヴェイン、こっちに来い、ほらこれを見ろ。今日、君に見せたかったのはこれだよ」
レティシアの声に導かれるまま、ヴェインは薄暗い部屋の奥へと足を踏み入れた。そこには、壁一面に設置された無数のモニターが、異様な光を放っている。冷たく光る画面には、先ほどまで自分がいた空間、猥雑なバーの様子が映し出されていた。
「防犯カメラ……?」
ヴェインの呟きに、レティシアは頷き、傍らに立つ男に指示を出す。
「そういうこと、おい動画を少し戻せ」
男は舌打ちをしながらも、器用に画面を操作する。
「これでいいかよ、このクソ女、地獄に堕ちやがれ」
「良いね、地獄の底、大歓迎じゃないか。あーそこだそこ、ほらヴェインよーく見ろ、君にはこれを知る権利があるはずだ」
レティシアは、ヴェインの肩を抱き寄せ、モニターへと近づける。不意の接近に、ヴェインの心は一瞬揺らぐ。しかし、次の瞬間、モニターに映し出された人物を見て、その動揺は氷解した。
そこにいたのは、紛れもなく、ニューロードだった。
まるで、悪夢と再会したかのような、そんな衝撃がヴェインを襲う。
画面の中のニューロードは、仲間たちと酒を酌み交わしながら、軽薄な言葉を吐き捨てていた。
『しかし大変だったなニューロード、一般人の巻き込み事故?マスコミも一時期殺到してた』
『あー本当に最悪だったよマジで。ジェネシスの法務部からも弁護士が用意した台詞以外喋るなとさ?俺ちゃんこう見えて弁論は立つ方なのにな?』
仲間たちの言葉に、ニューロードは薄ら笑いを浮かべる。その表情は、ヴェインの記憶の中の、正義感に溢れた英雄とは程遠いものだった。
『はっ!言えてるぜ、この間街で声かけた女……誰だっけ?バカみたいについてやつ?かーっ羨ましいねぇ人気者異世界転生者様は』
『ばっか、ただの異世界転生者じゃダメだ、チート能力があるからこそだぜ?あーしかし……万能ってわけじゃねぇんだよな、くそっ思い出したら気持ち悪くなってきた』
『どうした?女に性病でもうつされたとか?』
『クハッ!似たようなもんかもな!ほらさっき言ってた一般人の巻き込み事故……女だったらしいけどよ?まじできもいの感覚が?どんな感覚だと思う?』
『さぁ?知らね』
『気分よくオープンカーでドライブしてたら鳥のフンが落ちてきて顔面直撃!どうよ?』
『あ、それわかる!ブハハ!そりゃ気持ちわりぃわ』
『だよなぁ!いやマジできしょいの!ギャハハ!!』
仲間たちの哄笑が、ヴェインの耳に突き刺さる。それは、まるで嘲笑のようにも聞こえた。
画面の中のニューロードは、英雄である七星天の一人ニューロードではなかった。それは、人間の皮を被った、醜悪な化け物だった。
「うっ……うぅ……」
言葉にならない嗚咽が、ヴェインの喉から漏れる。それは、恋人との死別の悲しみ、そして、理想を打ち砕かれた絶望が入り混じった、魂の叫びだった。
ヴェインの視界は、とめどなく溢れ出す涙でぼやけ、モニターの中のニューロードの姿は歪んでいく。それでも、彼の耳には、ニューロードの軽薄な笑い声が、残酷なまでに鮮明に響いていた。
まるで、心の奥底に突き刺さった棘のように、ニューロードの言葉が、ヴェインの心を抉っていく。
『気分よくオープンカーでドライブしてたら鳥のフンが落ちてきて顔面直撃!どうよ?』
その言葉は、ヴェインの心を深く傷つけ、絶望の淵へと突き落とす。それは、単なる侮辱ではなく、人間としての尊厳を否定する、残酷な宣告だった。
ヴェインは、崩れ落ちるようにその場に蹲り、嗚咽を漏らし続けた。
彼の嗚咽が、部屋の静寂に重く響く。それは声にならない慟哭だった。言葉にできぬほど、あまりにも悲しすぎる絶望。
「復讐したいか?」
レティシアは、ヴェインの心の奥底に渦巻く感情を読み取ったかのように、静かに問いかける。それは、ヴェイン自身が、認めたくない、目を背けたいと願う、心の叫びだった。
「お、俺は……」
言葉にならない嗚咽が、ヴェインの口から漏れる。復讐という言葉は、あまりにも重く、残酷で、彼が背負うには大きすぎた。
「ニューロードは七星天だ。何をしてもメディアが奴を持ち上げて、この事件はいずれ忘れ去られる。ニューロードは再び輝かしい舞台に立つ。殺した君の彼女のことなど、頭からとっくに抜け落ちて」
レティシアの言葉は、冷酷な現実を突きつける。それは、ヴェインにとって、あまりにも残酷な真実だった。
「世間は、日陰者の言葉より、人気者の言葉を信じるものさ、そうだろ?」
世界の人気者と、ただの一般人であるヴェイン。誰も彼のことなど相手してくれない。
モニターの中のニューロードは、ルキナのことを、まるでゴミ屑のように扱っていた。笑い飛ばし、侮辱し、あたかも自分が被害者であるかのように振る舞っていた。その姿は、ヴェインの記憶の中の、正義の英雄とはかけ離れた、醜悪な化け物だった。
レティシアは、ヴェインの震える肩に手を置き、静かに、しかし力強く言葉を紡いだ。
「選択は二つだ。一つは今日のことを忘れ、ニューロードを許す。やつのこのいけ好かない笑顔を見て、自分も笑顔で浮かべて、枯れ木のような日々を過ごす。君の恋人も、不注意でニューロードの活躍を邪魔した路傍の虫けらだ」
レティシアの言葉は、氷のように冷たく、ヴェインの心を突き刺した。それは、残酷なまでの現実であり、受け入れるにはあまりにも辛い選択だった。
「違う…………ッ!!」
抑えきれない怒りが、ヴェインの体を突き動かす。気がつけば、彼はレティシアの胸ぐらを掴み、涙を浮かべながら、力強く言葉を吐き出していた。
「ルキナは……!ルキナはそんなじゃない……!虫けらなんかじゃないッ!」
ヴェインの叫びは、部屋中に響き渡り、静寂を切り裂いた。それは、愛する人を侮辱された怒り、そして、理不尽な現実に抗う、魂の叫びだった。
レティシアは、ヴェインの怒りに満ちた瞳を静かに見つめ、そして、告げた。
「なら、もう一つの選択。戦うんだ」
その言葉は、暗闇に光を灯す、希望の言葉だった。
「戦うって……弁護士をつけて、訴えるのか!?」
ヴェインの言葉に、レティシアは静かに首を振る。
「違う、言ったろ?そんな生易しい手段じゃ奴は痛くも痒ゆくもない。私が君の前に出たのは、君の力が必要だからだ。答えなよ、私と手を組むか、それとも」
レティシアの言葉が終わる前に、ヴェインは彼女の手を強く握りしめた。その瞳には、燃え盛る炎のような決意が宿っていた。
レティシアは、一瞬、驚きの表情を見せた。しかし、すぐにそれは、深い理解と信頼を込めた微笑みに変わった。
「契約成立、だな?」
彼女の言葉に、ヴェインは静かに頷く。二人の視線が交錯する。それは、復讐という名の、危険な旅路の始まりを告げる、誓いの儀式だった。
愛する人を奪われた悲しみ、そして、煮え滾る怒り。それらが、ヴェインの心を突き動かし、復讐の道へと導く。たとえ、その道が、いばらに満ちた、険しいものであろうとも。
ヴェインは、心の奥底で、静かに誓いを立てる。
───ルキナ、必ず、復讐を果たす。たとえ、この手が穢れようとも。
たとえ、その果てが君の知らない俺で、あろうとも───。
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