東京なんてクソッタレだ
◇
昔の夢をヴェインは見た。遠い昔の悪夢だった。それは、ルキナを失った心の傷が、記憶の奥底から呼び覚まされたのかもしれない。
のどかな村だった。山奥にあるヴェインの村は、東京のような刺激はないが、皆が穏やかに過ごしていた。
「俺も父さんや勇者パーティーの人たちみたいに強くなれるかな、魔王を倒せる助けになれるかな?」
「えぇ、きっとなれるわ。でも、魔王を倒すのは難しいかも」
彼女の言葉は、若きヴェインの言葉を否定するものだった。少年にとっては失格の烙印のようで、酷く表情に影を落とす。
そんな若きヴェインの様子を見て、彼女は優しく彼の頭を撫でた。
「だって魔王は勇者様が倒してしまうのだもの、でもそうだな、もし君が大人になって立派になったら、お姉さんを守ってほしいな?」
彼女はそう言って微笑んだ。それは、慈愛に満ちた聖母のような微笑み。愛しいものを守る、揺るぎない決意を秘めた微笑みだった。
「う、うん!分かった!なるよ絶対に!みんなを守れるように強くなる!」
少年は誓った。彼女を守るための力を、いつか肩を並べるその時までに。そんな夢を。
『我が名はフィアレス、魔王フィアレス。この世界の、混沌を統べし恐怖そのものである』
そんな、淡い夢を───。
◇
ルキナの葬儀は終わり、ヴェインはルキナの父親であるサウロの家で一晩を過ごした。
「おはようヴェインくん、気分は落ち着いたかな」
そう言ってサウロはヴェインにコーヒーを差し出す。
「サウロさん……俺は今回の事件について告訴するつもりです。ルキナは殺された。事故?冗談でしょう、あれは事故なんかじゃない。殺されたんだ!ルキナは」
「ヴェインくん、落ち着いて」
興奮するヴェインを、サウロは静かに諭す。
「気分転換でもしようか、ほらテレビでバラエティー番組でも見よう」
サウロはテレビのリモコンを操作する。バラエティー番組がテレビ画面に映った。
『テラケインさんは七星天の一人ですが、透明になれるチート能力をお持ちなんですよね』
『正確には透明になるのではなく肉体を変化させて光の反射を……まぁ小難しいことは無粋かな?ほら!このとおり』
『凄い!私は初めて見ましたが本当に透明なんですね!しかしということは完全に透明になるには……』
『ハハハ、当然全裸にならないとダメだね!でも大丈夫、カメラの前じゃあ決して見せないよ。もっとも……キミと二人きりの時ならいつでも』
ピッ
サウロはテレビのチャンネルを変える。ニュース番組へと変わり、天気予報を報じていた。
七星天のテラケインは此度の事件とは関係がない。ただ、今のヴェインにとっては、ニューロードだけでなく他の全てが憎くて仕方ないように見えたからだ。
「娘のことを本当に残念に思ってる。それに娘の死をこんなに悲しんでる人がいる。娘は幸せだったと思うよ、君に巡り会えて」
「それだけですか……?ルキナだけじゃない、ルキナは妊娠してたんだ!俺の子供を!それをあいつは、あいつは……!」
「だから落ち着くんだヴェインくん。ニューロードは七星天だぞ?きっと何か事情があったんだ」
そんな話をしていると、ニュース番組が丁度ルキナの事件について報道を始めた。サウロはテレビの電源を切ろうとしたが、ヴェインはそれを静止する。
ヴェインは食い入るような目でテレビを見た。
『ニューロードさん!今回は事件の捜査中に一般市民を誤って殺してしまったとか……』
『その件については本当に悔しいと思っている、俺がもっと注意していれば……彼女は突然車道に出てきたんだ、あまりにも突然のことでブレーキができなかった。大いなる力には責任が伴う……うっ、本当に残念に思うよ……』
「ふざけるな!!!!」
画面に映るニューロードの姿。その偽善的な言葉に、ヴェインは怒りを爆発させる。机を叩きつけ、立ち上がる。
「ヴェインくん、落ち着くんだ」
「ルキナはあの時、車道になんて出ていなかった!!こいつが突然ルキナを殺したんだ!!もっと注意していればだと!?お前は!!何一つ注意なんてしてなかった!!大いなる力には責任だと!!?だったら被害者面してないで……」
「ヴェインッ!!」
サウロの怒鳴り声が、部屋に響き渡る。温厚な彼が声を荒げるのは、珍しいことだった。
「七星天はこの世界を、私たちの社会に平穏をもたらした英雄だ、彼らの言うことを悪く言ってはいけない」
サウロの言葉は、ヴェインの耳には届かない。
「社会っていうのは!異世界転生者とかいう意味のわからない連中に好きなように作られた世界のことか!?俺たちは家畜か!?連中に良いように利用される路傍の石ころか!?嫌だ、俺は認めない!ルキナはいたんだ!確かにここに!まだ俺の右手には彼女の温もりが残ってるんだ!この悲しみが!この胸から湧く熱い感情がッ!怒りがッ!!間違いだというのなら、俺は間違いで良い!!」
ヴェインは、怒り狂い、サウロの家を飛び出した。許せない。愛する人の喪失だけではない。その死さえも、世論は侮辱し、加害者であるニューロードが被害者のようにふるまい、そして世論も同情しているということに。
七星天はこの世界の人気者。ヴェインの言葉など、誰も気にもとめない。
狂っていた。いいや、狂わされたのだ。この世界は異世界転生者たちに。
『そうだ狂ってるんだ小僧!ハハハ!我は見てるぞ、怯えながら、無様をさらす貴様をな!』
「うるさい!!」
ルキナの死と同時にヴェインは昔よく起こしていた妄想癖も再発していた。魔王フィアレスの妄想。彼の恐怖はヴェインを蝕み、悪夢として悩まされていた。
オールマンが魔王を倒しても、その悪夢は消えなかった。ルキナと出会って、ようやく心の平穏を取り戻しつつあったのに……。
「俺だって……七星天が世界の英雄だって……分かってるんだ」
その妄想が、皮肉にもニューロードへの、七星天への怒りを押しとどめていた。しかし、それでも許せない。相手が英雄だからといって、すべてが許されるわけではない。
法律相談所を検索するスマホの画面。ニューロードを訴える。法の裁きを受けさせる。正しき報いを与えるのだ。スマホを操作しながら、ヴェインは帰路につく。
ヴェインは東京のアパートに住んでいる。家賃の割に狭いワンルームだった。田舎から出てきたヴェインにとって、部屋に住むという概念は衝撃的だったが、今ではすっかり慣れてしまった。
「ん……?」
見知らぬ男が、部屋の前に立っている。男はヴェインに気づくと、軽く会釈し、笑顔を浮かべた。
「はじめましてヴェイン様。わたくし、こういったものになります」
男は名刺を取り出し、丁寧に挨拶をする。名刺には、株式会社ジェネシス、所属弁護士、ロビンと書かれていた───。
◇
「それで説明のとおり、我々ジェネシスは此度の事件、本当に痛ましく思っております。特に目の前で恋人を失ったヴェイン様の心中、それはとても想像に及ばない深いものでしょう」
ロビンは、要するに此度の事件についてジェネシスから派遣されてきた弁護士だった。ジェネシスには異世界転生者たちをサポートするために様々なエキスパートがいる。ロビンはその法律知識で、異世界転生者たちを支えていた。
「ヴェイン様はルキナ様とは恋人。婚姻関係ではないと聞いてます。それは事実ですね?」
「ああ……そうだ、でもいずれはするつもりだった」
「そうでしょうね……ですがヴェイン様、法的にはルキナ様と貴方様は他人です。そこはご理解頂けますね?なので本来ジェネシスは貴方に対して法的責任は一切ありません。ですが、先ほどから申していますとおり、我々ひどく事件について心を痛めています。謝罪の証として、ヴェイン様にも本来支払う義務はない慰謝料を支払いたいと思っています」
「いしゃ料……?治療費ってことか?」
ヴェインにとって聞き慣れない言葉だった。医者料のことだと思った。
「謝罪の形としてお金を支払う、ということです。その金額は2000万円。これは慰謝料の相場としては破格です。こちらにサインしてくださればすぐにお支払いできます」
ヴェインの前に契約書のような紙切れが置かれる。そしてロビンからペンを差し出される。
『金で解決!ハハハ、なんというクズどもだ』
魔王の幻覚が見える。ロビンの後ろに立つ彼は、ヴェインを嘲笑う。ヴェインはそれを無視した。
「金で解決……ってことかよ……」
「そういう意味ではありません!謝罪の形です。誠意の形なのです。口先だけではなく、本当に我々は心痛めているという意味合いでの支払いです」
「だったら、この注意書きはなんだよ!」
細かく記された書類の注意書き。それはサインすることでその内容に同意するものだった。その中で、ヴェインはどうしても許せないものがあった。
「この事件については以後、他言せず関わりませんって……ジェネシスはルキナの死を隠蔽したいんじゃないのか!?」
「い、いえそういうつもりでは……これは形式的なものでして……」
「帰れよ!くそっ!!帰ってくれ!!金なんていらない!!」
溢れ出る怒りが、悲しみが、憎しみが、ヴェインの心を満たしていた。
「あ~、ヴェイン様!名刺には私の連絡先があります!いつでも連絡待っていますので、どうかご検討してください!」
ヴェインに追い出されながらロビンは、そう言い残して部屋から立ち去っていった。
『いいぞ小僧!その情けない顔!そうだとも、その表情こそ我は……』
部屋で一人、ヴェインは「畜生」と呟き、ただ虚空を見ていた。