08.選ばれなかった令嬢
今、私はアイリーン様と向かい合っている。
鼓動が早い。バクバクしている。決して初めてではないのに、いつもこうなってしまう。
昼下がりのティータイム。
お茶とお菓子の準備を終え、その場から離れようとした時、アイリーン様に呼び止められた。
「マリオン、相手をしてもらっていい?」
(もちろん! 喜んで!)
私は自分の分のお茶を用意し、アイリーン様の向かいの席に座る。
侍女の仕事は、主のお世話はもちろん、こんな風にお話相手になることもある。最初はものすごく緊張して、震えのせいで食器の音をガチャガチャと鳴らしてしまったこともあったけれど、今はさすがにもうそんなことはない。
ただ、緊張はする。緊張というか、胸の高鳴りを抑えられないのだ。うっかりすると叫んでしまいそうになる。
(耐えろ、私!)
「サザランド公爵令息様の、もう一人の婚約者候補を知っている?」
「はい。ダニング侯爵家のシャルロット様、ですよね」
「そうなの……」
少し目線が下がる。
婚約者になりうる人間が自分以外にいるというのは、さぞ不安なことだろう。
私は絶対にアイリーン様が選ばれると信じているけれど、アイリーン様はご自身にそこまで自信があるわけではない。こんなにも素敵なご令嬢なのに、アイリーン様は自己評価が低いのだ。
「シャルロット様は社交界の華とも言われるお方だし、公爵夫人に相応しいわよね」
「アイリーン様も相応しいです!」
力いっぱい断言すると、アイリーン様の目元がふわりと柔らかくなった。
(あああああ! 天使の微笑み、いただきましたーーーーっ!)
「マリオンは、私への贔屓がすごいわ」
「贔屓なんかじゃありません!」
「同じ侯爵家でもオルブライトは筆頭だから、身分的には私、という見方もできるけれど……社交界では、おそらくシャルロット様が選ばれるんじゃないかって言われているそうよ」
「そんな……」
「また、選ばれないのかしらね」
「……っ」
そう言って遠くを見つめるアイリーン様が痛々しい。そして、私は悔しい。
実は、アイリーン様が婚約者候補になるのはこれが初めてではない。昨年までの数年間、第三王子のユーグ殿下の婚約者候補だったのだ。
*
我がギルヴァーナ王国には、三人の王子と一人の王女がいる。
王太子である第一王子は、三大公爵家のうちの一つ、ゴードン公爵家のご令嬢が妃となり、第二王子にはグレゴリー公爵令嬢が。なので、第三王子にはサザランド公爵家が……となるのが順当なのだけれど、サザランド公爵家にご令嬢はいない。だから、筆頭侯爵家であるオルブライト家のご令嬢であるアイリーン様が婚約者となり、いずれ妃となる可能性が高かった。
しかし、ここで他国から第三王子、ユーグ殿下に婚姻の打診が来る。
相手は、ギルヴァーナ王国の東に位置するワイズバーン王国の王女様。我が国は、北の隣国・エルス王国とは敵対しているけれど、ワイズバーン王国とは友好関係を結んでいる。そんな国からの打診だったので、無碍にはできなかった。
それでも、先に打診されていたのはアイリーン様だったので、しばらくの間、アイリーン様とワイズバーン王国の王女様が婚約者候補という形になっていたのだ。候補というよりスペアという意味合いが強い、ある種理不尽な婚約だった。
「ユーグ殿下の時はどうしようもなかったんです。相手は友好国の王女様だったんですもの」
「そう……かもしれないけれど」
アイリーン様とユーグ殿下の間に愛情があったわけではない。でも、友愛や信頼はあった。一時は人生をともにする相手と意識していたのだ。それなのに、結局お二人が婚約することはなかった。
仕方のないことだとしても、アイリーン様の中で落胆の思いがあったことは容易に想像ができる。それに、社交界であることないこと言いふらす輩がいて、心ない言葉に傷つけられてもきた。
『選ばれなかった令嬢』
こんなの、ユーグ殿下の婚約者候補にもなれなかった人たちの僻みでしかない。それがわかっていても、傷つかないわけじゃない。
元々、アイリーン様は前に出るタイプではないし、筆頭侯爵家のご令嬢として完璧であろうとする意識が高い。感情を表には出さず、何があっても冷静に、淑女の微笑みを湛える。少しでも隙を見せれば、噂好きのご夫人、ご令嬢方の餌食になってしまうから。
事情をよく知らない人たちは、悪意があるなしにかかわらず、この話を面白おかしく社交界で噂した。それで、アイリーン様の人見知りはますます悪化し、安全圏である家の中でも感情を表に出せなくなってしまったそうだ。
それはきっと、多くの人間の悪意に晒される恐怖、そして、選ばれなかったことに対する自信の喪失……。
なのに、また婚約者「候補」。旦那様はこれを回避できなかったのだろうか。……できなかったんだろうなぁ。できたら、絶対に回避するはずだもの。




