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私たちの馴れ初め

作者: 村崎羯諦

 運命の相手だった。


 家と会社を往復するだけの退屈な毎日。目的も向上心もなく、家に帰ってもスマホをいじるだけでただ時間を過ぎていく。死ぬ勇気はないが、別に明日死んだってなんの後悔もしない。当時の俺はそんなふうに日々を送っていた。


 だけど、あの運命の日。偶然公園を通りかかった俺は、ベンチで項垂れていた若い女性に目が留まった。美人だったけど、洋服はぼろくて、全身から陰鬱な雰囲気を出していた。もちろん俺は見知らぬ女性に声をかけられるような性格じゃない。だけど、その日だけはなぜか、何かが俺の背中を押してくれて、無意識のうちにどうしたんですか?と話しかけていた。


 彼女は初め、怯えた表情を浮かべていた。それでも、俺は心配になって声をかけたことを説明し、話しているうちに彼女がお金に困っていることを聞き出すことができた。俺はすぐさま近所のコンビニでお金をおろしてきて、彼女にそれを渡した。こんなお金受け取れないという彼女を強引に説き伏せて、連絡先だけ渡してその場から去った。


 下心がなかったわけではない。それでも、お金は本気であげるつもりだったし、あれっきりもう二度と会うことがなかったとしても、俺は別に後悔はしなかっただろう。もしそうなっても、可哀想な人にお金を恵んであげただけなのだから。だから、彼女からお金を返したいと連絡がきた時、俺は意外に思うと共に、彼女との出会いに運命的なものを感じざるを得なかった。


 それをきっかけに俺と彼女の交流が始まった。最初はお金を貸すだけの関係だったけれど、次第に恋人のようにデートに行くこともあったし、家賃を払えない彼女のために同棲だって始めた。彼女は貧しくて、暴力を振るう父親がいる地獄のような家庭で生まれたのだと教えてくれた。命の危険を感じ、数年前に父親から逃れるように家を飛び出してからは、誰にも頼らずにたった一人で生きてきたらしい。


 俺はそんな彼女の境遇に同情した。そして、そんな不幸な彼女を幸せにしてみせると心に強く誓った。今までは目的もなく働いていた俺は、彼女を幸せにするために仕事に打ち込むようになった。家に帰れば愛する彼女がいた。何気ない冗談を言い合って笑うこと、身体をくっつけ合うこと。こんな幸せが存在するなんて、俺は今まで全く知らなかった。


 そして、俺は彼女にプロポーズをし、籍を入れ、可愛い子供が二人生まれた。仕事は辛いし、嫌なこともたくさんあるけれど、それでも家族のためだと思えば頑張れた。そして、彼女の誕生日。俺はテーブルでお酒を飲みながら、愛する子供たち、手の込んだ料理を作ってくれている彼女を見て、ふと「幸せだな」とつぶやく。俺は彼女に微笑みかける。彼女もまた、キッチンからこちらを向いて、穏やかに微笑み返してくれる。


 俺は出会った日を思い出す。それから目を瞑り、今の幸せをしみじみと噛み締めるのだった。






*****






 誰でも良かった。


 あの日。地獄だった家を飛び出してから、三年。なけなしの貯金も尽き、公園で一人ベンチに座り、このまま死んでしまおうかと本気で考えていた。だから、見知らぬ男が私に声をかけてきた時だって、初めはもちろん恐怖を感じたけれど、その一方で、もうどうにでもなれという投げやりの気持ちもあった。


 彼は悪い人ではないんだろうなとは思った。だけど、良い人でもないんだろうなとも思った。下心はいくら隠そうとしていても隠しきれていなかったし、無自覚ではあるだろうけれど、行き場のない私なら強く出れるという卑怯さも感じ取れた。


 それでも、卑怯なのは私も同じだった。だから、彼が無邪気な奉仕行為を私はそのまま受け取った。彼は本当に困っている人を助けているんじゃなくて、困っている女性を助けて、優越感と征服欲を満たそうとしていることもわかっていた。でも、私もそれ以上に嫌な人間だったから、そのことをわかった上で、彼の気持ちを利用することに決めた。


 彼のことは好きにはなれなかった。それでも、彼から見捨てられることは私にとっては恐怖以外の何者でもなかったし、初めて身体を求められた時だって、私は湧き上がる嫌悪感を、今まで彼にしてもらった義理と恩で無理やり押さえ込んで、それを受け入れた。それからズルズルと交際が続き、そのまま流されるように結婚した。家庭にいいイメージがなかったから子供は欲しくないと初め彼には伝えたけど、どうしても子供が欲しいと言って彼は避妊に協力してくれなかった。


「誰のおかげでこうして生活できてると思ってるんだ?」


 意見がぶつかった時、彼はよくそんなことを言った。私はそのセリフを言われるたびに傷つくけれど、彼の言う通りだったからこそ、何も言えなくなってしまう。もし私が裕福じゃなくても、もっと普通の家に生まれていたらどんな人生を送っていたんだろう。私は部屋で一人、泣き止まない子供の相手をしながら何度もそんなことを考えた。


 彼のことは好きにはなれないけれど、彼には感謝しているし、あの日の恩を返さなければいけないということもわかっている。地獄のような家庭に生まれた自分が、人並みに夢を見たり、わがままを言ったりする資格がないことも自覚している。


 だけどふと、自然な出会いで結ばれたカップルを見るたび、私の胸は強く締め付けられた。もっと対等で、恩とか借りとか考える必要もなくて、ただただお互いに好きだからという理由で一緒にいる人たち。そういう人たちを見ると、私はどうしようもない怒りと虚無感を覚えてしまう。


「幸せだな」


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()時、何もせずにリビングでお酒を飲んでいた彼が不意にそう呟いた。それから彼は私に同意を求めるようにこちらを向く。私はその言葉に少しだけ胸に痛みを覚える。それでも、目が合った以上聞こえないふりもできなかったから、私は頑張って微笑み返す。


 私は出会った日を思い出す。それから目を瞑り、あの地獄よりはマシだと、自分に言い聞かせるように心の中でつぶやくのだった。

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