兄と妹
姉のようなメイドに何を叱られたのか理解できず考え込む。
そんなクウィルのほうへ、軽やかな足音が近寄ってきた。
「クー兄さま! おかえりなさいませ!」
妹のアデーレである。金の髪を軽く巻いてリボンを飾った姿は、今日の晩餐会に向けたおめかしだろう。しばらく会わないうちに大きくなったものだとクウィルは感心した。成長期の子どもは半年会わないと見違えるようだ。
駆け寄って息を切らすアデーレを、ひょいと抱え上げる。途端、彼女は顔を真っ赤にした。
「わたくし、もうそんな子どもじゃぁないのよ!」
「今年で十歳か。大きくなったなと思って」
「んもぅ! おろしてくださいませっ!」
クウィルが十五のときに産まれたのがアデーレだ。こうも歳が離れているといつまでも幼子のように扱ってしまいがちで、アデーレにはよく怒られる。
「困ったご様子が見えたから心配して走ってきましたのに」
背伸びした口調が面白い。以前には見られなかったおませな一面に、クウィルはつい笑ってしまう。そうすると、アデーレが頬を膨れさせる。やはりまだ幼子だ。
小さなレディを下ろして、頭を軽く撫でる。
「少し考え事をしていただけだ。心配はいらないとも」
「聖女さまと何かあったのですか?」
返事の代わりに、アデーレの乱れた前髪を整えてやる。
妹の目はこちらを気遣うもので、クウィルは苦笑するしかない。縁談を片端からバサバサと切り捨てていた頃も、婚約が決まった今も。クウィルの婚姻問題は家族をおおいに心配させるものらしい。
「誓約錠が高価なもので無いからと、ニコラに叱られてな」
「…………兄さまが何を考えどんなものを贈ったのか、わたくし想像がつきます」
「そうなのか。アデーレは聡いな」
「わたくしじゃなくてもわかります」
ねぇ、とアデーレが後を振り向く。
ちょうど階段を上がってきたばかりの兄、ラルスが楽しそうに笑っていた。
「やめてあげなさいアデーレ。クウィルはきっと、効率やら意義やら節約やらをあれこれと熟考したのだろうから」
そうだろう、とラルスが取り成すように言うが、残念なことにクウィルはうなずけない。確かにそういった点を踏まえはした。しかし、店に入ってぐるりと見回しすぐさま掴んだものを、熟考とは言うまい。
「それにしても、兄さまが聖女さまとご縁があったなんて、ちっとも知りませんでした」
お年頃のアデーレは、兄と聖女の出会いに興味津々の様子だ。
旧派セリエス伯爵家と新派ラングバート伯爵家。家として接点が無く、さらにクウィルは黒騎士だ。品のいい白騎士と違って、実戦が主の黒騎士は上品な上位貴族、特に旧派からは受けが悪い。野蛮だの血なまぐさいだのと、身体を張っている騎士に対して結構な口ぶりである。
そんな黒騎士クウィルと、聖女リネッタ。どんな運命的な出会いによってこの縁談が持ち込まれたのか。アデーレの幼い乙女心は華やかな夢を見ていることだろうが。
「無い」
「何が無いんですか?」
「縁どころか、面識がない」
そう。やはり無かった。
指名を受けたからには、聖女とは知らずに話をするなり、なにか機会があったのだろうと思った。少なくとも向こうはクウィルを認識しているという話なのだから。
しかし、今。部屋に入って婚約者と対峙しても、クウィルには欠片ほども記憶を揺さぶるものがなかった。
色恋に無関心と自他ともに認めるクウィルですら、ひと目で美人と判定した。シルバーブロンドも青の瞳も、アイクラント王国にありふれているとは言い難い特徴だ。
これほどの美人。どこかで出会っていれば、さすがのクウィルでも覚えているだろうに。
「心当たりすらない。何かの間違いじゃないのかと思う。だから、後で彼女に確認を――」
「お願いですから聖女さまにそんなことおっしゃらないでくださいませね! 破談待ったなしです」
「勘違いだったら申し訳ないじゃないか」
「兄さまの瞳を厭わないかたがやっと現れたのに、どうしてそう消極的なのですか!」
「落ち着きなさいアディ」
ラルスがアデーレの口を塞ぎ、ひょいと身体を抱えあげた。
「ここでそんな大声を立てては、リネッタ嬢に聞こえてしまうよ」
アデーレは両手で口をばふっと押さえ、申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「クウィル。リネッタ嬢をお連れしてダイニングへおいで。今夜は皆そろっての晩餐だから。それから、せめて私服に着替えなさい。婚約者との初めての会食に騎士服とは味気ない」
「彼女はそういったことを気にするかたではないと思うが」
「お相手が何か感じるか否かではなく、マナーとして。クウィルから誓約錠を渡したのなら、リネッタ嬢をきちんと迎えて差し上げねばならないよ」
そして、ラルスはアデーレの両耳を軽く押さえ、クウィルに耳打ちした。
「クーが無理だと思うなら断ればいい。家のことは心配せず、自分のことだけ考えなさい」
「我が家は良くとも、義姉上のご生家にまで飛び火しかねない」
「大丈夫だ。ヒルデも同じことを言うよ」
義姉のヒルデは、クウィルにもアデーレにも本当によくしてくれる。兄の言葉に偽りがないからこそ、クウィルは申し訳なくなる。
本当に、夜会避け程度の気持ちで受けた自分が情けない。
「アディにも、兄上にも。心配をかけてすまない。大丈夫だから。自分に縁談が来るとは思わなかったもので、それに……正直、たいへん容姿の優れたご令嬢で。我が身には余るというか、それだけだから」
「兄さま。大丈夫。世の中は兄さまが思うほど美男好きばかりではないのよ」
「うん、アディ。私たちはダイニングで待とう。ね」
ラルスが凍った笑みでアデーレを抱えて去っていく。遠退いていく声が「兄さまだって愛想よくすればいくらかマシに見えるわ」と、いまひとつ慰めになりきらない慰めの言葉をくれた。
廊下の花台に乗った花瓶はよく磨かれていて、クウィルの顔を鏡のように映す。赤目が厭わしくて普段から鏡は避けている。あえて眺めても、褒めるところが見つからない。金髪緑眼の家族の中で、この黒髪も赤目も、クウィルひとりだけを浮き上がらせる。
この容姿は、遠く遡るとアイクラント王国を離れ、ベツィラフトという失われた小国に行きつくのだと。そんな亡国の特徴をクウィルは色濃く継いだ。
今や王都でも黒髪を探すのは難しい。ましてそこに暗赤色の瞳まで同居させた、ありがたくない希少性。それがクウィルである。
珍獣みたいなものだ。
リネッタの生家、セリエス伯爵家はアイクラント建国前から王家に仕えた伝統ある家だ。いかに旧派貴族が勢いを失くしたとはいえ、こんな変わり種に手を出すほど相手探しには困らないだろうに。
王家より上位貴族より珍獣を選ぶとは。物好きにもほどがある。




