(3)深夜の侵入者に襲われる(その2)
公爵邸の使用人の夕食は、厨房の横に大食堂があって、そこで、仕事の都合の付いた者から自由に食べることになっていた。
今日は、私たちが早めにいったら、使用人が全員集まれるくらいの広い食堂なんだけれど、まだ数人の人たちがいるだけである。
公爵さま方の食事に比べたら質素な食事、つまり賄いなんだけれども、食べるとこれがなかなか美味しいのであった。
「毎日これが食べられるのはうれしいな。アリサは自宅だったけど、私は魔道院付属のあの寄宿舎だったから……」
「剣士学校のも似たようなものよ」
「はあ、そうなの」
「どんな状況でも生き延びられるようにってことらしいけどね」とイオナ。
「そうそう」とウィーネ。
「ふーん」
剣士学校と魔道院付属の寄宿舎ってどんな食事だったのかしら?
「ねえ、アリサ、このパン……」
とイオナが言った。
「家のパンかな?パンはいろんなお店から納品されてるし、公爵邸でも焼いてるはずよ」
と私が答える。
「アリサんちのパンよ。字が書いてある」
「は?」
イオナに言われて手元のパンを良く見ると、表面に「今日からみなさんよろしく アリサ父」と書いてあった。
ああ、父さん、やってくれたわね。
ちょうどその時、ぞろぞろと衛士の一群が食堂に入ってきた。で、食事の乗ったお盆を受け取る時に、パンの表面の文字に早々と気がついた人がいたようだった。
「なんだ?このパンは?」
「よろしくだって」
衛士一群が、なんだかざわざわしている。
仕方がない。私は立ち上がって、食堂にいる人たちに事情を説明することにした。
「あのーみなさん、すいません。今日のパンは私の家のパンなのです。私の家は昔からパン屋をやっていまして、実はこのお屋敷にも昔から納めさせてもらっています。今日は、娘の初仕事ということで、父が張り切って、こんなパンを焼いたんじゃないかと思うんです。色々と書いてありますが、味はいつも通りみたいなので、気にせず食べてください。まったく、本当に、お騒がせしてすいません。馬鹿な父ですけど、これからも家のパンをよろしくお願いします」
みんな、これで納得してくれるかしら?
衛士の中から声がした。
「アリサくんの家のパンは、いつも美味しくいただいてるよ。なかなか良いお父さんじゃないか。でもだな、俺のパンには『宜しく頼む ハルバード』ってあるんだが……これは騎兵隊のハルバード隊長だろ……」
楽しそうに話すのは、ラガリオさんではないですか。
ウィーネがびっくりして立ちあがって言った。
「そんなパンもあるんですか」
「おう。ウィーネを俺によろしくってことだな……わはははは」とラガリオさん。
ウィーネが私の横で恥ずかしそうに立っていると、別の方から声がかかる。
「じゃあ、こっちの『よろしくね マリン』ってのは、イオナくんの母上のマリン元課長なのかね」
イオナも仕方なく立ちあがって、3人そろってお辞儀をするはめとなりました。
「というわけで、みなさん、今日からよろしくお願いします」
まったく、向こう三軒両隣でなにを企んでるんだか。困った親たちだわ。
「みんなに、あきれられちゃったわね」
私が2人に囁くとイオナが答えた。
「大丈夫。ちゃんと笑いは取れてるわ」
ウィーネも頷く。
「うん、うけてるみたい」
確かにみんな和やかな雰囲気で笑ってるわ。
うーむ……娘は滑ったのに……さすがおとうさん、と言った所なのかしらね。
食堂にはまだパンが山積みで、これから食事にくる人たちがあのパンを食べるのかと思うと本当に恥ずかしいわ。
厨房の係りの人に、私たち3人のことをみなさんによろしく伝えてもらうように頼んで、そそくさと食堂を後にした。
部屋に戻って、いろいろとおしゃべりしながら荷物の整理をしていると、すぐに消灯の時間がやってきた。
「初日から訓練で疲れた」
「私も……」
と言って、ウィーネとイオナはすぐ眠ってしまった。
ベッドで横になった途端に眠っちゃう人って初めてみたわ、それも二人も。
シロニャンもすぐイオナの掛け布団の下に潜って出てこない。
でも、私は、今日はいろいろと説明を受けただけで仕事を全然してないから身体は全然疲れてないし、いろいろなことがあってなんだか興奮しちゃって、全然眠れないのよね。
窓から射しこむ月の光が明るい夜だ。
ベッドから起きて窓の外を眺めると、満月の下に庭園が綺麗に見える。月夜の庭園を散歩なんて素敵かも……なんて、ちょっと思ったけれど、この時間は戸締りがされているはずなので、建物の外には出れないわ。
仕方ないので、トイレに行くってことにして、少し建物の中を散歩してこようかしら。
イオナとウィーネのふたりはよく眠っているから起こさないように、忍び足で廊下に出る。とりあえずトイレまで行こうかしら。私たちの部屋は2階の隅なのでトイレまでは遠いのよね。
蝋燭のランタンを点けて持って出たけれど、廊下の片側の窓から月の明かりが射し込んで意外と明るいのでいらなかったかも、とか思いながらゆっくり廊下を進んでいくと、廊下の突き当たり、窓の途切れた先にある暗い廊下を横切る4つの黒い影が見えた。
「あら?」
いったいなんだろう。
黒服の4人の男が尋常ではない凄いスピードで、一瞬のうちに廊下を横切っていったのだが、真っ黒な衣装はまるで泥棒とかそんな感じで、頭に頭巾をかぶって顔も隠していたみたいだった。
なんだか怪しい4人組だ、と思って廊下の奥を眺めていたら、突然と黒服がひとり、廊下の角から現れて、こちらに向かって突進してきた。凄いスピードなのに足音が全然しない。
その黒服が腰に構えた剣が、窓からの月の光の下でキラリと光った。
黒服は私を刺そうしている。
だめだ、逃げなきゃ。
その時だった。
背後から私の両肩に手が置かれた。
力強い大きな手だった。
私は身動きできなくなった。
剣を私に向けた黒服の男がどんどん近づいてくるのに、私は動けない。
「ひいい……」
振り返ると、両手を私の肩に置いている大男が見えた。
大男はボサボサの長い前髪の奥にある冷酷な目で私を見つめ、黄色い歯をむき出した下衆な笑いを私に向けていた。
私は、剣で刺された時の痛みと、その後の死を覚悟して、両目を閉じた。