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ムイミニマニモ  作者: そあ
9/12

9.モンキーマジック

「刺激が足りないわ。葛西、暇つぶしに臓器を賭けてじゃんけんでもしない?」


 能天気な青空に愚痴のひとつでも言ってやりたくなる真夏のある日。美音先輩はあくび交じりに酔狂な提案を投げかけてきた。朔耶は『インフルエンザとおたふく風邪とマラリアを併発した』と言って早々に部室を去った(サボリたいならもう少しマシな言い訳をした方がいいと思う)ので、部室は俺と美音先輩のふたりきりだった。


「じゃんけんなんかで臓器を失いたくないですよ」


「じゃんけんだからこそ面白いのよ。知能の介在する余地をそぎ落とした先に、本当のギャンブルがあるの。頭を使って勝てるのであれば、それは投資になってしまうわ」


「興味ねーっすよ先輩。俺はやりませんからね」


「そう。つまらない男ね」


「安い挑発には乗りませんよ」


「そう。昨日テレビで見た芸人の真似事をするような男ね」


「先輩の『つまらない』の価値観は知りませんよ」


「後輩に一発ギャグを強要して笑いものにするような男ね」


「だから知りませんって」


「ノリが良くて明るいだけなのに自分のことを面白いと思っている男ね」


「体育会系が嫌いなんですか?」


「ネットスラングを多用して狭いコミュニティで気持ちよくなっている男ね」


「対義語がオタクなのかは知らないですけど、そっちも殴るんですね」


「クラスの隅にいるだけの男ね」


「男が嫌いなんですか?」


「変顔とテンションで生き抜いている女ね」


「ただ嫌いなものを羅列する時間じゃないですよ~」


「急に大声で饒舌になって、周囲の迷惑にかけないと自分の好きをアピールできない女ね」


「美音先輩のこと嫌いになっちゃおうかな」


「金持ちの寂しいおじさんに消費されているだけなのに、そこで人生経験を得たと勘違いしている女ね」


「じゃあ先輩が面白いと思うのって、どんな人なんですか」


「臓器じゃんけんをしてくれる人」


「可哀想な人……」


「なによ、可哀想な人を見るような目で見ないで」


「見てるし、言ってます」


 美音先輩はふっと息を吐くと、スクールバッグからペットボトルの紅茶を取り出して飲み始めた。好き勝手に喋って、自分が飽きたら話はおしまいらしい。


「そういえば先輩、スクールバッグ使ってるんですね」


「なにかおかしい?」


「鼻につくタイプの金持ちなんだから、学校なのにブランド物のバッグを持ってきたりしないのかなって」


「しっかり悪口を差し込んでくるわね……。べつに、バッグなんてまとまった現金と借用書、それに朱肉が入れられたらなんだっていいわ」


「そんなもの持ってきてるんですか……」


「そうよ。生徒を集めてギャンブルをやるときに必要でしょう」


「そんなことする必要はないと思いますけど」


「わたしはこれをどこでも胴元セットと呼んでいるわ」


「知りませんけど。あと取り仕切る側なんですね」


「プレイヤーとして参加する方が刺激は強いけれど、胴元として賭博者たちを観察するのも悪くないわ。教室では人間のフリをしていた生徒たちが、猿みたいに本能をむき出しにしてギャンブルに熱中している様を見ながら飲む紅茶の味は格別よ」


「最低です。もう1回言います。最低です」


 興奮してほんのりと頬を染めた美音先輩は、俺の言葉など聞こえていないかのように話を続けた。


「特に、金を貸し付けるときなんかは最高ね。負けが込んで真っ青な顔をしている子に金を貸してあげるって言うと、すごく素敵な反応をしてくれるの。さっきまでこの世の終わりみたいな顔をしていたのに、借用書に拇印を押すころには口元から笑みがこぼれるのを抑えきれなくなっている。とっても滑稽で、どこまでも愛らしいと思わない?」


「微塵も同意できないです」


「あなたって変わってるのね」


「先輩って終わってるんすね」


「やめてよ。照れるじゃない」


「……。というか、そうやってギャンブルに熱中している人を蔑んでますけど、先輩もプレイヤーになったら、その人たちと同じってことでしょう」


「そうよ」


「それって、自分自身も悪く言っていることになりますけど」


「……私、本当は猿になりたいの」


「は?」


 フレッシュレモンになりたい、くらい突飛な願望に言葉を失う。そもそも発言が質問の回答になっていなかった。


「ひとつ質問をするけど、子どもの頃に好きだった遊びってなにかしら」


「ええと……。ベタに鬼ごっことかですかね」


「たとえば今鬼ごっこをしたとして、当時と同じように楽しむことができると思う?」


「それはできないでしょう。そんなに大人になった気もしないですけど、流石に小学生の頃と同じ感覚は持っていないと思います」


「ただ駆け回るだけの遊びを心底楽しんでいたはずなのに、あなたはもうそれを楽しむことはできない」


「どこに連れて行かれるんですか、俺は」


「本来、娯楽なんてそれくらいシンプルで幼稚なものでいいと思うの。でも私たちは、無邪気に遊びを楽しむことができなくなっていく。それって何故かわかる?」


「もっと楽しい遊びを覚えたからじゃないですか。わ、我ながらすごいポジティブな考え」


「肥大化した意識が無意識を隅に追いやってしまったからよ」


「……まぁ、聞きましょう」


「鬼ごっこで言えば追いかける、逃げるなんていうのはとても動物的な行いでしょう。私たちもかつては捕食者であり被食者でもあったわけだから、それを楽しいと感じる、つまり興奮を覚えるのは当たり前のこと。でも狩りの最中に昨日言われたひどい言葉を思い出すライオンはいないし、追われながら明日の遠足について考えるウサギもいないわ」


「それはまぁ、そうでしょうね」


「もちろんライオンもウサギもまったく何も考えていないわけではないでしょうね。ただ、人間の場合は年を重ねるにつれて意識の占める割合が増加していく。つまり意識がノイズとなって、行為に没頭することができなくなってしまう。ここまでは理解できるかしら」


「ある種の筋は通っているような気がします」


「私は意識なんてくだらないものだと思う。べつに鬼ごっこが楽しめなくなるだけならいいのだけれど、そのうちに生きることにさえ集中力を欠くようになるからよ。今日の糧に困らず、捕食される恐れもないのであれば幸せなはずなのに、どうして『善く生きる』なんてことを考えてしまうのでしょうね」


 はじめのうちは駆け出しの政治家が街頭演説をしているように活き活きとした語り口だったものの、徐々にその熱は失われていった。


「だからギャンブルが好きなの。自分の大切なものをギャンブルの渦に投げ入れているわずかなあいだ、私は人を人たらしめるものを捨てて、限りなく猿に近づくことができるから」


 惨たらしい事件のニュース原稿を読み上げるキャスターのように、美音先輩は静かに言葉を切った。


 人類が歩んできた歴史の最先端にある彼女が猿を夢見るなんて、どうにもやるせない話だと思う。それを真っ向から否定できない自分がいることもまた、きもちが沈んでいく要因のひとつだった。俺にだって漠然とした将来の不安に苛まれ、考えることをやめられたらと、そう考えてしまう夜がある。


「あんまり暗い話しないでくださいよ」と俺は言った。


「……どうしてかしら。こんなに本音をさらけ出すつもりはなかったのだけれど」


「しっかり本心なんですね。参ったな、あんまり茶化せるような雰囲気でもなくなっちゃいました」


「ごめんなさいね。でも、そこまで重く考えてるわけではないわ。それなりに楽しく日々を過ごしているとも思う」


「なら、いいんですけど」


 そうして部室は静まり返ってしまった。美音先輩はきらきらと輝く金髪を弄ったり、腕を組んでなにか考え込むように俯いたりして、気まずい空気を打開する言葉を探しているように見えた。

 

 こんなとき、すぐに空気を変えられるような話術や一芸を持っていればよかったのだけれど、あいにくそんな持ち合わせはなかった。だから俺は抱えている思いをまっすぐにぶつけることにした。


「やりましょうか、臓器じゃんけん」


「葛西? その、あれは冗談で――」


「ただし、賭けるものはここです。」


 俺は自分の胸を拳で叩いて見せた。そしてできるだけふざけた調子で言葉を繋げる。


心臓ハートです。負けた方は、相手に恋しなきゃならない。恋は盲目っていう言葉があるでしょう。きっと、それはごちゃごちゃした考えを全部塗りつぶしてくれるくらい、圧倒的な想いなんですよ」


 ひと息に言い切って、美音先輩を反応を待った。白い肌がみるみるうちに真っ赤に染まり、唇がちいさく震えている。次第にその震えが身体中に広がっていくと、美音先輩は大きな笑い声をあげた。


「ちょっと、あなた、顔真っ赤にしてっ。ダサっ、というかこっちまで恥ずかしいわ」


 先輩にそう言われて、自分の身体がかんかんに火照っているのに気づいた。ばかなこと言わないで的な反応を待っていたが、自分の中にあったほんのひとつまみの下心を無視することはできず、恥ずかしさが爆発してしまう。


「ああ、もうだめ。笑い過ぎて死んでしまうわ……っふふ」


 こちらは恥ずかしすぎて死んでしまいそうだった。たぶん体温が67度くらいある。


心臓ハートです。だって……。ねぇそこだけもう一回言ってくれない?」


「あああ忘れて! もうぜーんぶ忘れてくださいほんとに!」


 なんとか『先輩が笑ってくれたのならよかった』と思おうとしたけれど、湯水のごとく溢れ出してくる羞恥にすべて押し流されてしまう。


 こんな思いをするくらいなら、岩場にへばりついた名も知らない貝にでもなってしまいたい。

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