8.納涼!納涼!納涼!
夏の風物詩なんてものはポケモンくらい数があるが、怪談もその最たる例だろう。ジェットコースターのように緊張感を高めていき、その頂点から恐怖の奈落に叩き落とされたときの快楽は代え難いものだ。
「なぁ、怪談1個くれよ」
昨日の晩に怪談番組の見たせいか、怪談欲が高ぶったまま引かず、隣に座る朔耶に話しかけた。
「フリスクみたいに言うね。生憎と僕はそこまで怖い話に精通しているタイプではないよ」
「そうか。じゃあコンビニ行ってくるわ。なんか欲しいもんある?」
「フリスクみたいに言うね。ただまぁ、コンビニに行けば500円くらいで胡散臭い怪談本でも買えるんじゃないか」
「なぁ知ってるか。マックのハンバーガーってミミズの肉を――」
「化石みたいな安くて怖い話をするな。それといきなり怪談から逸れるな」
「あそこの空き地にコーラを売ってくれるおじさんがいてさ」
「あったけどね。中毒性のあるコーラを売ってくれるおじさんの怖い話。もう高校生なんだから、もう少しまともなものに興味を持ちなよ」
「なんかないのか。怖い体験のひとつやふたつ、生きていれば体験するもんだろ」
「千景先輩が出てくる話ならたらふく持っているが、要るかい?」
「いちばん怖くはあるんだけどな」
朔耶は人さし指を顎の下に当てて、中空に視線を漂わせた。わずかに膨らんだ頬が整った顔立ちに少年のような愛らしさを与えている。梱包材で複雑に包装された小型家電を開封するくらいの間が空いたあと、朔耶はわずかな笑みを含ませながら話し始めた。
「ひとつあったよ。怖い話」
「お、ほんとか。聞かせてくれ」
「これは日本が 倭国の頃の話なんだけど」
「昔すぎる。僕が子供の頃の、みたいなテンションで言うな」
「ああごめんごめん。これは僕は『あれ? サンタって本当は……』と疑い始めた頃の話なんだけど」
「タイミングは人によるだろ」
「つまり昨日の話なんだけどさ」
「だいぶ遅かった! なんかわかんないけどご両親に愛されてそうでいいわね!」
「ちょっと話が逸れるんだけど実際どう思う? サンタのパブリックイメージはサンタ的機関が正体を隠すために拵えた偶像なんじゃないか、ってところまでは辿り着いたんだけど」
「まだ気づいてないのか……」
「なんて冗談はさておき」
「よう、ゴキゲンだな」
「これは僕が『火山、マゼラン、シャンハイ、マラリア♪ってイかれた歌詞だなぁ』って思ってた頃の話なんだけど」
朔耶がワンフレーズ歌ったそれは妙に聞き覚えのあるメロディだった。
「え、それってパフィーの?」
「2番ね」
「知るかっ。2番なんて誰も聞いたことねぇよ!」
「恭司ってさ、ときどきすごい偏見押し付けてくるよね」
「偏見じゃなくて真実だ。……じゃなくて、いったいいつの話なんだよ」
「これは僕が小学校6年生のときの話なんだけどね」
「お、ようやく前進した」
「近所に昼は公園、夜はお墓っていうスタイルのお店があったんだけど」
「そんなカフェバーみたいな場所があるか」
「え?でも鬼ごっことかしてたよ」
「墓で遊んでただけだろ。ばち当たりな子だよまったく」
「真夏の暑い日でね。習い事で帰りが遅くなってさ、近道だったからそこを通って帰ろうと思ったんだ」
「ほう」
「あたりは薄暗くて静かだった。当時は『死ぬこと意外はかすり傷』って思ってたはずなんだけど、やっぱり怖かった」
「鼻に付く座右の銘を出すな」
「しばらく歩いていると、少し先にぼんやり人影が見えたんだ」
「お、いいね」
「ぱっと立ち止まって目を凝らしたら、髪の長い男が墓石の前に座っているのがわかったんだ」
「それで?」
「引き返そうかと、その場ですこし悩んだよ。でも僕の家は門限に厳しくてね」
「厳格な親御さんなんだな」
「でも門限を破ったら首を落とされるから――」
「厳しすぎない?」
「意を決して歩き出したんだ。気づかれないようにゆっくり、ゆっくりね」
「雰囲気出てきた」
「一歩進むたび、その男との距離が縮まっていく。10m、9m、8m、7m……」
真剣な顔つきと話しぶりに惹きこまれる。遠くからエアコンの駆動音がいやにはっきりと聞こえた。
「男はまだこちらに気づいていない。6m、5m、4m……。近づいくにつれて、男はあぐらを組んで墓石の前に座っているのがわかった。3m。2m、1m……。そして男のうしろを通り過ぎようしたそのとき!」
朔耶は目をかっと見開き、一拍間を置いた。
「男は墓石に向かって話し始めた。『親父、来るのが遅くなってごめんな。あんたが死んでから、もう5年も経っちまった』」
「……ん?」
「『俺さ、来月CDを出すんだ。そんなに大きな事務所じゃないんだけど、メジャーデビューだせ。駅前のタワレコにも俺のCDが並ぶんだよ……って、言ってもわかんないか。親父って音楽に興味なかったもんな』……驚きのあまり、僕の足は凍りついてしまった」
「えーっと」
「あまりにはっきりと喋るものだから、最初は人間か幽霊かわからなかった。でもね、仮に人間だったとして、墓石に話しかけるなんて正気じゃないのは確かだ。だって、あんなものただの石だろう?」
「それはそうかもしれないけどさ……」
「『俺が高校辞めてバンドで生きていくって言ったとき、あんたすげー怒ってた。お前なんか勘当だ! なんて言って。……そのことで親父を恨んでなんかいない。でもさ、やっぱり生きているうちに会いたかったよ』次第に、男の声が少しずつ震えはじめた」
「おーん」
「『ようやく、音楽で飯が食えるようになったんだ。それを、伝えたくて……。ああそうだ、親父の好きだったワンカップ、買ってきたよ。俺と一緒に飲むのが夢だったって、お袋から聞いたから。……乾杯、でいいよな』そう言うと、男はカップ酒のフタを開けて口をつけた。」
「ぬぅ」
「その瞬間、あたりに陽気な電子音が鳴り響いた。僕の帰りが遅いのを心配したママからの電話だ。男は勢いよく振り返った! その顔はこの世のものとは思えないくらい真っ赤に染まっていた。そして僕に向かって『いつから見てたのおおおおお!?』と叫び声をあげた!」
「ああ……」
「僕は弾かれたように駆け出して、家まで走り続けた。……あれが人間だったのか、幽霊だったのか、それはいまでもわからない。ちゃんちゃん」
「さいですか」
「どうだい、けっこう怖い話だっただろう?」
「バンドマンの大切な瞬間を台無しにした話、だったな。可哀想に」
「なんだよ。恭司が聞きたいっていうから話したのに」
朔耶はわかりやすく不満げに口をすぼめたあと、けたけたと笑った。
「しかしね、僕もあんな場面に遭遇するとは思わなかったな。君の言う通り、可哀想なことをした」
「本当の体験談だったのかよ」
「ああ。脚色も誇張もない、ひと夏のおもしろおかしい想い出さ」
ほどなくして千景先輩がやって来て、適当な話をしているうちに(千景先輩に怪談をねだる勇気はない18時のチャイムが鳴った。自転車をこぎながら長い坂道をくだっている途中で、ふとあることに気づいた。驚いた拍子に思わず声がでてしまう。
「門限破ったら首を落とされるって話も、本当だったのか?」
ひとくちに怪談といっても、その種類は多岐にわたる。謎が謎のままに残るタイプの怪談もまた怖いものだ。納涼。