3.お砂糖たっぷり資本ケーキ
「そういえば他の部員は?」
この場所でなんとかやっていくという、とりあえずの決意を固めてからいくらかの時間が経った。いまのところ部室には2人しかおらず、時計の針は16時を少し過ぎたあたりを指していた。
「ええっと、今日は火曜日だから……」
朔那がぐっと伸びをすると、胸がブラウスを押し上げるのが見えた。もちろん視線はそこに磔にされる。もう何かを隠してもバレそうなので、いっそ臓腑までさらけ出して接してやろうと思った。
「流石にじろじろ見すぎだ」
「そうか? それで、今日は火曜日だから何カップなんだ」
……C? いや、これだけ細身だとぱっと見のサイズ感よりも上、ということもあり得る。
「文脈ドライバーコンテストがあったら、入賞くらいはできるかもね」
「へぇ」
「ええ……、話を聞いてさえいないんだ」
「ああ、ごめん。ちょっとおっぱいに集中してた」
「この短いあいだで、君に何があったのさ」
おっぱいの持ち主が怪訝な表情を浮かべてこちらを見ている。
「『正攻法で戦っても勝てそうにないし、もうどうにでもなーれ♪』そう、思ったんだ。……ところで可愛いワンちゃんですね、撫でてもいいですか?」
「キモい。よくわからないけど強烈にキモいよ恭司」
「んだよ、けちくせぇ」
「これが恐怖……?」
初めての好守逆転に暗い悦びを覚え始めたころ、部室のドアが勢いよく開かれた。
「ごきげんよう」
カツカツと革靴を鳴らして中に入ってきたのは、滝のように圧倒的な金髪を湛えた女の子だった。頭頂部から流れ落ちる大量の髪はあらゆる方向に飛び跳ねていて、近寄りがたい独特な雰囲気を纏っていた。
「やぁ、美音。今日は遅かったじゃないか」と朔那は言った。
美音と呼ばれた少女は、鋭い眼光で朔那を睨みつけると、怒気を露わにしながら深く椅子に座った。
「あなたね、年長者には敬語を使えと何度言ったらわかるの。馬鹿なのかしら。だからこんなところに入れられるのよ」
「だって敬語って面倒くさいだろう。それに、部長は3年生だけど敬語を使わなくても何も言わないよ」
「あの人はもう敬語とかそういうのじゃないのよ。いい? 年長者というのはあくまで人間のなかで年齢が上の者という意味よ。だからこの部活で年長者は私だけ」
「ひどいこと言うなぁ。たしかに部長は人間というよりもっと高次の存在だけど」
「とにかく、敬語を使いなさい。いいわね」
「合点承知の助で候。美音殿、これからもよろしく頼み奉り上げ申す」
「あなたね……! あまり馬鹿にすると、手をあげるわよ」
「美音様ではお勝てになりませんでございますです。大変育ちがよろしいから存外にお常識をお持ちですからおます。小生、ちゃんと金属バットで御頭をフルスイングできるタイプっす。超・敬具」
「この……!」
「ちょっといいか、いいですか」とたまらず俺は口を開いた。
「ああ、あなたが葛西恭司?」
美音先輩はさっきまでのことは何もなかったようにけろりとした表情でこちらに目を向けた。
「そうです。美音先輩」
「あなたね、いきなり名前で呼ぶのは失礼ではなくて? 私は神楽坂美音、神楽坂先輩と呼びなさい」
「すみません、美音先輩」
「……初対面の先輩に向かって、ずいぶんな態度じゃない」
「なんか、直感ですけど押したらいける感じの人なのかなと思いまして」
「…… いい? ただでさえこの部ではナメられているのに、このうえ新参者にまでそんな態度を許すわけにはいかないの!」
立ち上がり、顔を真っ赤にして怒りに震える美音先輩を見て、ざっくりとパーソナリティが掴めてきた。俺とほぼ背丈が変わらないくらいの長身で、溢れるほどの長い髪に西洋の血を感じさせる高貴な顔立ちをしているが、内側から小動物のような愛らしさが滲み出ている。
その姿はコーギーが自分の身を守るために吠えている様を連想させた。牙をむき出しにして威勢よく叫んではいるが、人間からすれば全く脅威を感じない。
「えらいすんません。美音先輩」
美音先輩は長机を拳で思い切り叩いた。それから数秒間に痛みに悶えた。
「~~っ! どいつもこいつも、すぐ私のことを虚仮にしてっ!」
「なんか、あんまり言わない方がいいかもしれないんですけど、1個いいですか」
「……それをあなたの遺言にしてあげるわ」
「たぶんですけど、はんぶんくらい怒るのがポーズになってますよね? 勝てないのはわかってるけど、とりあえず怒っとかなきゃ、みたいな。さっきも朔耶にからかわれていたのに、俺が話しかけたら何ともないって顔してましたよ」
「あーもう死ねッ!」
久々に聞いた直接的なワードと共にスクールバッグが飛んできた。とっさに身体をひねって躱すと、背後でまるで窓ガラスが割れたような音が聞こえた。確認するまでもなかったが振り向くと窓ガラスが割れていた。バッグが窓を突き抜けずに足元に落ちていたのが、不幸中の幸いというやつだろうか。
「ちょっと、これはさすがにまずいんじゃ……」
どちらにせよ終身刑を言い渡されている身としては、これ以上のダメージなどないわけだが、それでも15年かけて蓄積されてきた常識が危険信号を告げていた。
しかし美音先輩は平然とした顔つきで椅子に座り直した。
「私のバッグを取ってくれる?」
「ああ、その、はい……」
どの方向にも進めないままエネルギーを持て余した感情を抱えたまま、バッグを手に取って美音先輩に渡した。
「その、大丈夫なんですか?」
「平気よ。窓ガラスの弁償くらいお小遣いの範囲で賄えるわ」
窓ガラスの弁償とお小遣いという2つのワードを結びつけることができず、その場でフリーズしてしまう。そんな俺を見かねてか、朔那が口を開いた。
「美音はこの学園の理事長の孫でね。実質治外法権なんだ」
「そんなこと実際にあるんだってのと怖い言葉……」
私立望月学園は俗にいうお坊ちゃん学校だ。大企業の跡取りや有名人の子息はそう珍しくない。ただここしか受からなかったというだけで進学してきた俺からすれば、クラス内の会話で明らかに自分が浮いていると感じるときがある。その理事長の孫となると、きっとかなりの金持ちなのだろう。
「……あれ?」
頭に疑問が浮かび、俺は思わず声を漏らした。朔那と美音先輩の視線が向けられているのを感じる。
「そうしたら、なんで美音先輩はこんなとこにいるんですか?」
「……あー、うるさいわ」
美音先輩は小さな声でそうつぶやくと、バッグからスマホを取り出した。もう会話をする気がない、という分かりやす過ぎる意思表示だった。
「説明しよう」と朔那
「なんであなたが……、まぁ好きになさい」と美音先輩。
「美音はバリバリのドラ息子、もといドラ娘なんだけど、お父さんはすごく真面目な人でね。このままだと娘の人格が終わってしまうと思って社会貢献部に投獄したんだ。もちろん理事長は反対したんだけど、大太刀回りの末、落としどころとして週2日社会貢献部に参加することなった」
「ちょっとハメを外しただけよ」
「……ちなみに、何したんですか」
「体育祭賭博とか、文化祭カジノとか」
「子どもに金持たせるとやっぱダメなんだなぁ」
「しみじみ言わないで。同級生はもちろん、その父兄までも金に溺れていく様を見るのが楽かっただけ」
「ちゃーんと終わってんだ」
美音先輩は俺の方にずいと身を乗り出して人さし指を立てた。
「でもね、楽しくはあったけど、それはあくまで校内新聞をつくるための布石だったの。負けが込んで債務者になった父兄から、債権と引き換えに特ダネを引っ張って……」美音先輩は瞳をギラギラと輝かせながら続けた。「そうして出来上がったのが校内新聞『Revolve』よ。ああ、元データが抹消されていなければあなたにも見せてあげたかったわ。政界の闇を白日の元に晒す革命的な新聞だった。上流階級の集まるこの学校を利用したからこそ、あれだけのものが作れた。発行するまえに潰されてしまったけれど、世に出ていれば私は命を狙われる身になっていたでしょうね」
「ま、それが収監された一番の原因なんだけどね」と朔那は言った。
「なんていうか……その、もっと人生を平和に楽しもうと思わないんですか」
「だって、もう生き死にのスリルじゃないと脳が震えないもの」
生者にかける言葉ではないけれど、ご愁傷様でした。どうやら彼女もまた、社会貢献部にぶち込まれるに足りる実績と人格を持った生徒のようだ。そして彼女よりも自分の刑罰の方が重いことに気づき、口から沼地を這う湿った風のようなため息が漏れた。時としてハゲいじりは国家転覆の企てより重い。噓みたいな現実がここにあった。