2.ファースト・インパクト
「ようこそ、社会貢献部へ。望月学園の罪人たちがぶち込まれる監獄に、君を歓迎するよ」
改めてその名前を聞くと、長机に突っ伏してくぐもったうめき声を漏らすしかなかった。
望月学園社会貢献部。ここは「停学にしておいたら他人様に迷惑をかける」連中を集めた牢獄だ。犯した罪の重さによって、部活動に参加させられる期間と頻度が決定される。ちなみに俺は卒業まで毎日。終身刑のようなものだ。
1週間前、俺は地毛が明るいせいで髪を染めていると勘違いされ、生徒指導室に呼び出された。入学してから3カ月のあいだ、複数人の先生に地毛であることを説明していたため、その日はかなり機嫌が悪かった。
だからドアを開けて、生徒指導の先生の隣にまっさらな頭をした教頭が立っていたの見た瞬間、反射的に「あれ、肌色に染めてんすか?」と嫌味をぶつけてしまった。教頭がこの学園においてどれだけの力を持っているかも知らずに。
かくして即日逮捕の終身刑(卒業まで部活に毎日参加)となった俺は、社会貢献部の門を叩き、高槻朔耶と初めての会話を交わしている。クラスはちがったが彼女のことは知っていた。たぶん、この学園で彼女のことを知らない人間なんていないはずだ。
入学式の新入生代表スピーチで登壇した彼女は、その場にいた全員に強烈な印象を残した。小柄で細身な体躯に愛らしさと凛々しさが調和した顔立ち、清流のように淀みなく明瞭な話しぶりと、透き通ったなかにどこか温かみを感じさせる声。そして色とりどりの過激な政治思想で作った寄せ鍋のようなスピーチ。
教員が大慌てで止めに入るころには、新入生全員が拳を大きく掲げながら言葉の形にならない叫びをまき散らしていた。この話の最も怖いポイントは、騒ぎが収束したあとで当時のことを鮮明に思い出せる者は誰ひとりいなかったということだ。「これまでに経験したことのない高揚感に満ち溢れていた。その心地よさだけを覚えている」と後に俺は語っている。
当然のごとく彼女は学園史上最速で監獄に収容されることになった。その報せは瞬く間に学校中に広まり、しばらくはその姿をひと目見ようと教室の前に人だかりが絶えなかった。
流行りものアレルギーをアイデンティティとして後生大事に抱えている俺はミーハーたちを横目に見つつ、そのくせ学年集会などではしっかり彼女の姿を凝視していた。神様の気まぐれみたいな奇跡が重なって、彼女と付き合えたらなんてことを妄想したりもした。明らかに危険人物とわかっていても、ガードの上からすべてを叩き潰すほどに魅力的だった。
高槻朔耶はおもちゃを買い与えられた子どものように嬉しげな表情でこちらを見つめていた。
「よろしくね。恭司」
「んわっ」
いきなり呼び捨てにされてキモい声が出た。
「なにそれ」と彼女は笑いながら言った。
「いや、名前で呼ばれるんだな、と思って」
「そっちのほうが嬉しいでしょ。だってほら、恭司ってもう僕に恋してるわけだし」
「ぅえっ」
「いままでは気になる女の子、ってくらいだったけど、間近で僕のことを見て
急速に惹かれてしまった。ああ、こんな子と一緒に学園生活を送れるなんて、最高だぜ」
「自分で言ってて恥ずかしくならないのか、それ。一体どの立場でものを言って――」
彼女は立ち上がって俺のすぐ近くまで来ると、両膝に手を当てて前のめりになり、鼻が触れそうになるくらいまで顔近づけてこう言った。
「僕のこと、好きでしょ」
甘い香り。息がつまる。琥珀色の大ぶりな瞳に貫かれ、心臓がはじけ飛ぶくらい強く脈打って、意識が白く染まっていくのがわかった。
「あっはは。ごめん、ちょっとからかいすぎた」
彼女はぱっと身体を離し、軽やかにバックステップを踏むと片手を顔の前にやって謝るようなポーズを作った。全身からどっと汗が噴き出すのを感じる。
「……いや、ちょっと、もう、勘弁してくれ」と俺は言った。
「思ったよりちょろいね」
「ああああああ」
長机に突っ伏して安堵と羞恥をたっぷり含んだため息を吐き出した。耳の奥から心臓の鳴る音が聞こえる。いたいけな男子の心を弄ばれた恥ずかしさが4割、ちくしょう可愛いって最強かという叫びが6割という心持ちだった。
「あ、そうだ。僕のことは朔耶でいいよ。なんなら廊下ですれ違ったときとかに呼んでみて? それっぽく匂わせて返してあげるから。からかったお詫びに優越感をプレゼントしてあげよう」
「なぁ、朔耶って無敵?」
「もちろん。……あ、いま恥ずかしくなる前にさらっと名前呼んじゃおう、って思ったね。残念、ちょっと顔赤くなってるよ」
「ああああああもう勘弁してください」
「あっはは。こいつ、馬鹿にしやがって……でも可愛い、って思ってるな?」
「だからああああああ」
「残念でした。これから恭司くんは僕に何をされても許してしまいます。恋は盲目だもんね、わかるよ」
「なぁ、朔耶って全知全能?」
「『知らない』も知ってる」
「よくわかんないけど強すぎるうううううう」
「あっはは。まぁ、これからよろしくね、恭司」
このようにして俺の学園生活の第2章が始まった(1章はだいぶ短かった気もするが、たぶん読者アンケートの評価が悪かったのだろう)。悠々自適に過ごすはずだった放課後の可処分時間は奪い去られ、「囚人」という点でクラスメイトからは距離を置かれたまま生きていくのだ。だがそれだけのデメリットを背負ってなお、高槻朔耶と3年間をともに過ごせるというだけで天秤が傾いてしまうような気がした。
なにはともあれ、ひとまずは自分の現状を受け入れるしかない。こぼれた水が盆に返らないように、食べちゃったプリンが瓶に戻らないように、記憶を消してもう一回見ることができないように、過ぎたことはやり直せないのだから。