3.王冠にブルーローズ
朝日が眩しくて、目を開ける。よく慣れたベッドで目覚めた私は、いつもと違う感覚がする。何だったっけ? と、右手の薬指を見ると、そこには指輪がはまっていた。
「ゆ、っ夢じゃなかった!! きゃああ!! どうしましょう」
昨日の婚約発表パーティーは、見事なまでに失敗となった。けれど、その後、ジャック皇太子殿下と……。
奇声を出しながら、両手で顔を塞ぎ、ベッドの上をはしたなくゴロンゴロンと転がってしまう。
この指輪は、ジャック皇太子殿下が、「ヴィーが愛おしくて用意したけど、あげられる訳もなく、手元にずっとあったものなんだ。貰ってくれる?」と照れながら言われたので、大きくうなづくと、指に通してくださった。
陽の光に当てると、よりキラキラと輝いて綺麗。ゴールドの台座に、紫水晶が誇らしげに乗ったリング。その紫水晶は、ジャック皇太子殿下の瞳の色とそっくりだ。
「すてき……」
うっとりと、指輪を眺め、昨日の事を思い出した。あぁ、わたくしは、皇太子殿下ではなく、ジャックさまとお呼びしなければならないのでした。
「ジャックさま……。きゃあああ!!!」
お名前を呼ぶと、胸が苦しくなって、体温が上がって、恥ずかしくなってしまう。あんなゼロ距離で、唇を合わせただなんて。愛していると言ってくださるだなんて……! 奇跡的な状況な上に、ジャックさまが尊すぎて無理……。
それにしても、つい自分の事で浮かれてしまったけれど。イーサン第二皇子と、リリアン男爵令嬢は、牢に入れられてしまったのよね。それに、隣国の王女様がお亡くなりになられただなんて。お会いしたことはないけれど、ご病気だったのかしら。葬儀も大々的に執り行われて、ジャックさまも出席なされるだろうな。
(隣国の王女様とジャックさまは、どのようなご関係だったのかしら)
きっとジャックさまのことだから、ご婚約者としてきちんと接していらしたのだろうけど。――そう考えると僅かにモヤモヤする。でも、本来結ばれる筈のなかった、わたくしにご縁が舞い込んできたのだから。そんな風に思う権利などないわ。
これから、わたくしは、どんな風になってしまうのかななんて、ぼんやりしていると、侍女が扉をノックして入ってきた。
「ヴィクトリアお嬢様。おはようございます」
「おはよう、リラ」
「奥様から伝言です。しばらく屋敷でゆっくりするようにと」
「伝言をありがとう。そうね。ずっとずっと妃教育で忙しかったから、これを機にのんびりとさせてもらうわ。朝食後、久しぶりに刺繍をやろうかな」
「ではそのように準備いたします」
***
一人がけのソファにゆったりと座り、刺繍の図案を考える。ジャックさまへ、指輪のお礼に何か贈りたいのだ。
あ、そうだ。ジャックさまの王冠に、わたくしのシンボルマークであるブルーローズを添えてみようかしら。
ちなみにシンボルマークとは、公爵家や王族が名前の代わりに、身の回りの品につける印章だ。産まれた時に一人一人に定められる。
ジャックさまのシンボルマークは、フリージア。紫色の花で、中央が黄色い。甘く爽やかな香りが、ジャックさまにピッタリだ。
上質なハンカチを取り出し、図案の下書きをして、刺繍枠をはめて、ネジをきっちりしめてから、布をピンとはる。刺繍糸を針に通して、チクチクと刺繍を始めた。
ゆっくりと紅茶を飲みながら、刺繍をするだなんて、すごく久しぶりだわ。
そもそも社交自体、性格的に向いていないのよね。本来こうやって静かに過ごすのが好きなのだ。
まぁ、皇太子妃になるのだから、そうは言ってられないけれど。でも好きな人のためなら、いくらでも頑張れる気がする。
今まで遠くから眺めるだけで満足で、好きだとか自覚していなかったけど。昨日の出来事で、好きになっても良い状況になってから、ジャックさまをお慕いしていると気がついて。
――両想いだなんて本当に幸せ。
すぐには婚約出来ないでしょうけど、こうやって、ジャックさまを考えながら、心を込めて刺繍出来ることが何より嬉しい。だって、愛のない結婚しか道は無いと思ってたのだもの。
途中、お昼休憩も取りながら、没頭して刺繍をする。すると、あっという間に日が暮れて、夜になって。晩御飯を両親と食べた後も、刺繍を続けた。
ひと針、ひと針に、夢中で好きの気持ちを込めて丁寧に縫って、ようやく完成したのは、夜中だった。
(少し集中しすぎてしまったかしら……?)
寝る支度をして、早くベッドに入ろうと立ち上がったところに、コツンと物音が聞こえる。
何だろうかと、音のする方へ向かう。どうやらバルコニーから鳴っているようだけど……。
「……っジャックさ、ま――!?」
わたくしの部屋のバルコニーに、ジャックさまが、そこにいた。マントをかぶっていても神々しい。目を疑うも、にこやかに手をふるジャックさまは、どうやら幻覚でなく本物のようで……。
慌ててバルコニーをあけて、部屋に上がってもらう。いつからいらっしゃったのだろう。春だけど、夜は少し冷え込むというのに。
「やぁ。急にきてしまってごめんね」
びっくりしつつも、少し困った顔をされたジャックさまの顔が、とても綺麗で言葉を失う。その表情は、初めて見るもので、これから様々なお顔が見れると思うと、鼻血が出そうになってしまうわ。
「ヴィー……?」
「うひゃっ!」
返事が遅れたわたくしの顔を覗き込む。ジャックさま、待ってください!
わたくし、本当に鼻血出ちゃいます……っ!
「ジャックさま、ごきげんよう……? あの、いつからここへ……?」
「少し前からかな。刺繍をしているヴィーが愛らしすぎて、目を奪われてしまってね」
「!?」
「ははっ。本当にコロコロ表情が変わってかわいいな」
そ、そんなに表情が変わってしまっているのかしら!? 無表情女とよく呼ばれていたのだけれど。
「そ、それよりも。今夜はいかがなされましたの?」
「ヴィーに逢いたかったのと、今後の事を話したくてね」
そういうとジャックさまは、真面目な凛々しい表情になって、言葉を紡ぐ。
「明日の早朝、隣国へ王女の葬儀に行かなくてはならないんだ。ヴィーのこと公式に婚約者として認められるのは、喪が明けてからになる。早く一緒になりたいけど、外交問題になってしまうから。暫く逢えないけど、いつもヴィーの事を想っているよ」
「はい。承知しました。わたくしも、いつもジャックさまのことを想っております」
「ありがとう。愛しているよ、ヴィー」
ぎゅうと寂しさをうめるように、抱きしめられる。心臓がドキドキしているのが伝わってしまったらどうしよう。でも暖かくて、安心する匂いに包まれて、幸せ。
――あれ? もしかして……。
「ジャックさまも、鼓動がはやくなっていらっしゃる……?」
「――恥ずかしいな。でも好きな女の子がこんなにも近くにいるのだから、当たり前の反応だよ」
ジャックさまは、照れ笑いをして、わたくしのおでこにキスを落としてくださった。その麗しさったら、心臓が壊れそうなほどだ。
「一ヶ月位で迎えに来るよ。僕があげた指輪、このままはずさないでいてね」
「勿論です。あっ! ジャックさま、これ……。ラッピング出来ていないのですが、指輪のお礼に刺繍したんですの。もしよかったら、ハンカチを受け取ってくださいますか?」
「!」
わたくしの右手の薬指についているリングを、もてあそぶように触れていたジャックさまに、ハンカチを見せると、ほんのり頬をあからめて、破顔してくださった。尊い……。
「僕の王冠に、ヴィーのシンボルマークだね。ブルーローズが、ヴィーの瞳のようで美しいね。嬉しい、ありがとう。一生大切にする」
「こちらこそ、受け取ってくださって、ありがとうございます」
こんなに近くでジャックさまとお話出来るなんて夢のよう。でも幸せな時間はあっという間に過ぎていくものだ。
「ヴィー。僕がいない間、他の男と話したら駄目だからね」
「はい。気をつけますわ」
「名残惜しいな。だけど、そろそろ帰らなくちゃ」
ジャックさまは、しゅんとして、わたくしの髪を一房手に取り、口付けてくださる。そのジャックさまの手を、両手で上から重ねて、目をまっすぐに見つめる。
「どうかお気をつけて。お帰りをお待ちしております」
「ありがとう。ヴィー、愛しているよ」
「ジャックさま、わたくしも。愛しています」
ここは2階だというのに。ジャックさまは手を振ると、バルコニーから飛び降りて、暗闇に消えてしまった。やっぱり幻だったのかと思うほどの非現実的な出来事に、とってもハラハラした。
次、お会い出来るのは、一ヶ月後。きっとジャックさまをお見かけ出来ないだなんて、果てしなく長く感じてしまうでしょうね。
ジャックさまとお会いするまでに、少しでも素敵な人間になっていたい。わたくしは、自分磨きをすることを決意した。