(5)怒涛の執事研修(中編)
少しずつ、夏風の貴婦人の事が判ってきた、ミッシェルです☆
ミッシェルの姿を楽しんで戴けたら、幸いです☆
執事研修、三日目。
早朝、起床したミッシェルは夜着姿の儘、まず今日のスケジュール表を見ていた。
スケジュール表からすると、今日は特に外出予定はない。
となると今日は、夏風の貴婦人は休みなんだな、とミッシェルは思った。
それでも言い付けられた起床時間は早いもので、
ミッシェルは欠伸をし乍ら制服に着替え始める。
すると丁度着替え終わったところで、扉が鳴った。
「ミッシェルさん、朝食です」
メイドの声だ。
ミッシェルは寝癖のついた頭のまま扉を開けると、
「おはようございます。有り難うございます」
朝食のトレイを受け取った。
もっと早く起きれば、メイド達と同じ食卓で朝食を摂っても良いと聞いていたが、
まさか其処までして早起きをしようとは、ミッシェルも思わなかった。
ミッシェルは一人ゆっくりと朝食を摂ると、歯を磨き、髪の寝癖を直してから呼吸を整え、
「よし!! 今日も頑張るぞ!!」
と背筋を伸ばして部屋を出た。
「まずは夏風の貴婦人様に挨拶をして・・・・それから蘭の貴婦人様と」
自分のすべき事を反芻し乍ら、二階へ続く階段を上がるミッシェル。
だが其れを見付けた執事のリンドンが声を掛けて来た。
「夏風の貴婦人様なら道場ですよ。朝はトレーニングをしていると言ったでしょう」
「あ、は、はい!!」
まだ夜が明けたばかりとだと云うのに、もう道場に居るのか??
昨夜、深夜まで仕事をしていたらしいのに・・・・。
昨日よりも随分と早起きをしたミッシェルは、夏風の貴婦人がいつ寝ているのか、
何だか不思議になってきた。
一階の道場へ行くと、道着姿の夏風の貴婦人が一人で武術の型稽古を遣っていた。
身軽に跳ね上がったかと思うと、鋭い蹴りと拳が出る。
道場に差し込む朝陽が夏風の貴婦人の額に流れる汗をきらきらと光らせている。
其の姿に、なんてタフな人だろう・・・・とミッシェルは思った。
それに強くて美しい・・・・。
道場前の廊下でぼんやりと立っているミッシェルに、夏風の貴婦人が拳を突き出し乍ら言った。
「何?! 言うこと在るなら、さっさと言って去れ!! 気が散る!!」
怒鳴られて、ミッシェルは慌てて答えた。
「え、あ・・・・!! お、おはようございます!!」
「ん・・・・おはよう!!」
ザン・・・・!! と蹴りを出し乍ら、宙を一回転する夏風の貴婦人。
「そ、それでは、し、失礼します!!」
ミッシェルは一礼すると、そそくさと其の場を去った。
自分の胸が緊張で高鳴っている。
「あの気迫・・・・凄い」
今日は何処にも外出予定も接待の予定も無いのに、何故いつも、
あんなに気合を入れているのだろう??
あんなに気合の入った状態で、いつも一日を送っているのだろうか??
だとしたら信じられない体力と精神力だ。
小走りになりそうな足をぐっと堪えて歩き乍ら、ミッシェルは再度二階へと上がった。
今度は蘭の貴婦人に挨拶をしなければならない。
蘭の貴婦人の寝室の前へ行くと、ミッシェルは息を吸い込み、ノックした。
「お、おはようございます!! ミッシェルです!!」
扉の前で声を張り上げるミッシェルとは裏腹に、中からは、
「どうぞ~~」
へなへなした返事が聞こえてきた。
「し、失礼します!!」
ミッシェルが扉を開けると、
其処にはネグリジェ姿で窓辺でアイスコーヒーを飲んでいる蘭の貴婦人が居た。
「あ~~、おはよ~~、ミッシェル君」
眠気眼で言う蘭の貴婦人に、ミッシェルは背筋を伸ばす。
「お、おはようございます!!」
しゃきしゃきした声で言うミッシェルに、あはは!! と蘭の貴婦人は笑う。
「ミッシェル君~~。そんな、肩、張らなくていいよ~~」
へなへな~~と言う蘭の貴婦人に、ミッシェルは思わず目が点になる。
「え?? あの・・・・??」
「だからね~~。夏風の貴婦人に合わせてたら疲れるって言ってるの~~」
あろう事か、そんな事を言い出す蘭の貴婦人に、ミッシェルは戸惑った。
「え?? あ?? でも・・・・此の館の主様は夏風の貴婦人様な訳ですから・・・・」
だから夏風の貴婦人を中心に動くのが当たり前な訳で・・・・。
だが蘭の貴婦人はアイスコーヒーを飲みつつ、朝風に当たり乍ら言う。
「だって夏風の貴婦人、早朝から武術遣って、日中外出して、
帰ってからも夜遅くまでデスクワークして、いつも其の繰り返しで、
普通の人はついていけないって~~。身体壊しちゃうよ~~」
其の言葉にミッシェルは何度も目を瞬かせた。
「・・・・え、でも、リンドンさんやファテシナさんは、
いつも夏風の貴婦人様に合わせて、寝起きされていらっしゃるんですよね??」
「違うよ~~」
「ええ?!」
其れは正に「ええ?!」であった。
驚愕の表情を隠せないでいるミッシェルに、蘭の貴婦人は説明する。
「執事さんとファテシナさんは、交替交替で早起きしてるんだよ~~。メイドさんも皆そう。
コックさん達もそうだよ~~。そうじゃなきゃ皆、倒れちゃうもん」
未だ寝惚け眼で半笑いし乍ら言う蘭の貴婦人に、ミッシェルは何とか自我を保ち乍ら問うてみた。
「あ、あの・・・・僕・・・・蘭の貴婦人様が内をして、
外回りを夏風の貴婦人様が遣っていらっしゃるのだと・・・・」
其れは昨日からミッシェルが想像していた事だった。
だが。
「え~~?? 違うよ~~。
書類書きも接待も会議も全部、夏風の貴婦人が遣ってるのよ~~。
私は気が向いた時に一緒にするだけで~~。でも外出って大抵疲れるから、
私は普段は屋敷に残ってて~~、夏風の貴婦人の書類書きを手伝ってるの~~」
「え・・・ええ??」
となると蘭の貴婦人は、あくまで・・・・本当にあくまで・・・・補佐なのか??
「あの、その・・・・それで・・・・
夏風の貴婦人様は蘭の貴婦人様に御怒りにはなられないのでしょうか??」
実に気になるところである。
「んー、夏風の貴婦人は言葉はきついけどね~~、でも間違った事は言わないし~~、私、
ちゃんと判ってるから、大丈夫だよ~~」
「はぁ・・・・」
何だか・・・・
「蘭の貴婦人様って御気楽な人だなぁ・・・・」
とは口には出せないが、ミッシェルは強くそう感じ乍ら蘭の貴婦人の部屋を出た。
しかし乍ら夏風の貴婦人は、あのびっしりと詰まったスケジュールの上に、
毎朝の武術と夜のデスクワークを欠かさないと云うのは、本当なのだろうか??
「そんなの・・・・誰でも身体が持たなくなる」
廊下を歩き乍らミッシェルは思った。
夜明け前に起きて型稽古をし、会議や接待に出掛け、帰ってから深夜までデスクワーク。
更に夜会が在る日も在る。
執事やファテシナでなくとも交代で遣らなければ誰でも倒れてしまう、そんな生活。
だが、あの夏風の貴婦人は一人で全て、こなしていると云うのだろうか??
「信じられない・・・・」
余りに驚異的な夏風の貴婦人と云う存在を改めて知り、ミッシェルは、ただただ絶句したのだった。
だが、ミッシェルの驚愕など蹴散らすかの様に、夏風の貴婦人は実に遣る女だった。
彼女は毎日、早朝から深夜までと仕事一心であった。
其の上、ユーモアも在り、食事中などは蘭の貴婦人とケラケラ笑い乍ら会話をしていた。
一体何処からそんなパワーが出てくるのか、最早ミッシェルには理解不能だった。
日に三つもの会議の在る日には、ついて行くミッシェルの方がへとへとになってしまっていた。
それでも自分が就寝する頃も、夏風の貴婦人はデスクワークをしているのだ。
なんて・・・・。
「なんて・・・・驚異的な人なんだ」
しみじみ・・・・そう思う。
並みの精神力と体力では、ついていけない。
例え交代で遣っていようと・・・・。
そう、ミッシェルは思った。
では何故、此処の使用人たちは、こうも日々変わらず遣っていけるのだろうか??
例え交替交替に起床しているとは云っても、
あの夏風の貴婦人の気迫について行けるだなんて・・・・今のミッシェルには、
どんなに考えても答は見付けられなかった。
慣れない仕事に日増しに疲労が重なり乍らも、ミッシェルは意地で以て研修を遣りこなしていた。
此の夜、夏風の貴婦人は夜会に招待されていた。
更に此の夜会には異種の赤の兄妹も出席しているとの事であり、
「赤の兄妹様って遠目にしか見た事ないけど・・・・」
待機スペースで夏風の貴婦人に目を配り乍ら、赤毛の異種を探してみる、ミッシェル。
兄の方は直ぐに見付かった。
何故なら恐ろしく背の高い男で在った為、遠目でも直ぐに見付けられたのだ。
だが妹の方は全く見当たらない。
「でも、まぁ、大体、紳士たちが群がってる中に居るんだろうな」
と思う、ミッシェル。
夏風の貴婦人についてサロンへ出掛ける様になってから、
正直ミッシェルはサロンにうんざりしていた。
出席する度に終始人の群れに寄ってたかられては、夏風の貴婦人も嫌にはならないのだろうか??
毎度の様に珍獣扱いだ。
「異種様って・・・・大変なんだな」
心底そう思う。
考えてみれば、異種は大陸の国王でも何でもない。
それでも気が付けば「異種」と云う地位が確立されていた。
異種と対等に遣り取りする貴族と、異種を敬う貴族。
そして自分は異種を敬う貴族側なのだ。
異種は今や上流貴族と同じ身分に在る。
しかし上流貴族と同じと云っても、異種はあくまで異種なのだ。
どんなに身分が上がっても異種とは常に珍獣の様に奇異な存在なのだと、
此の研修の間にミッシェルは痛感していた。
そんなミッシェルの前を、漸く広間から抜け出した夏風の貴婦人が通り過ぎて行く。
そろそろ帰りの時間なのだ。
今日の夜会は、ミッシェル一人に任せられていた。
よって、チーフのファテシナも来ていない。
「えっと・・・・馬車の準備をしなくては」
独り言を言い乍ら、夏風の貴婦人の後を追おうとすると、
ミッシェルの横を黄色いドレスの赤毛の娘が駆け抜けて行った。
否、赤の貴婦人だ。
小柄な身体に燃える様な赤い髪を結い上げ、褐色の肌にレモン色のドレスを纏っている。
「夏風の姉!!」
赤の貴婦人は声高く夏風の貴婦人に呼び掛けると、腕にしがみつく。
しかも、
「ねぇ~!! キスしよ~~!! キス~~!!」
とんでもない事を言っている。
其れを目の当たりにしたミッシェルは思わず目を疑ったが、
「部屋でな」
と其のまま二人で控え室に入って行く夏風の貴婦人に、呆然としてしまう。
な・・・何だろう??
今のは??
「赤の貴婦人様って・・・・一体??」
思えば異種については、夏風の貴婦人と蘭の貴婦人の事を最近知り始めたばかりだ。
他の異種に至っては噂程度にしか自分は知らない。
ミッシェルは暫し其の場に立っていたが、我に返ると踵を返した。
「夏風の貴婦人様が控え室に戻られたのを確認!!
えっと馬車の準備、馬車の準備・・・・」
馬車の馭者に告げなければ・・・・!!
そう早足でサロンを出ようとするミッシェルの処へ、或る男が話し掛けて来た。
「やぁ、やぁ!! ヒック!!」
酒に酔った赤い顔の男がミッシェルの前へ現れた。
「き、君、太陽の館の使用人だろう?? ヒック」
「そ、そうですけど・・・・」
何だ、此の酔っ払いは?? と内心ミッシェルは怪訝に思った。
一応貴族の身形をしてはいるが・・・・それにしても、かなり酔っている。
「いや~!! 夏風の貴婦人は美人だね~~!! 他の異種の貴婦人もいいがね~~!!
儂は勝ち気な娘の方が好きでな~~」
「は、はぁ」
「もう、是非、是非、ぶちゅぶちゅ~っとキスしたい~~でな~~。
撫で撫で~~と、あちこち撫でたいでな~~」
「は・・・はぁ」
凄い酔っ払いである。
「三十五の日に逢いたいな~~。そう伝えてくれるかな??
来なかったら、わっしのものになるって~~ぶちゅ~~っとな!!」
「は・・・はぁ」
ふざけた男だ。
ミッシェルは内心憤慨しつつも、男を刺激しない様に其の場を去った。
そして帰りの馬車の準備をし乍ら思う。
異種の女性は、あんな酔っ払いにまで絡まれてしまうのだ・・・・と。
先程の男を思い出すと、何だか腹が立ってくる。
酒が入っているとは云え、あんな言い方は余りに無礼だ。
「とても上流の貴族とは思えない」
地位も財産も自分の家の方が下だが、だが自分の方がずっと貴族の誇りを持っている。
それだけは自信を持って言える。
ミッシェルは馬車の用意を済ませると、
教えられた通りに夏風の貴婦人を案内して帰途へと就いた。
だが此の日、ミッシェルは、それはそれは大きな失態を犯していたのである。
この御話は、まだ続きます。
少しずつ執事見習いとしての仕事を、
覚えてきたミッシェルだったが・・・・。
少しでも楽しんで戴けましたら、コメント下さると励みになります☆