(2)執事研修の始まり(前編)
太陽の館へ来たミッシェルは・・・・?
色々想像して貰えたら嬉しいです☆
数日後。
一通の手紙が太陽の館に届いた。
執務中の夏風の貴婦人に手渡された薄黄緑の手紙は、翡翠の館からの物だった。
異種の手紙はそれぞれ色分けされており、翡翠の館の手紙は薄黄緑色と決まっていた。
夏風の貴婦人はペーパーナイフも使わずに手でビリビリと破くと、中の手紙を読んで、
目の前の老齢の執事に訊ねた。
「何、此れ??」
手紙を手渡され、執事も目を通すと、落ち着いた口調で答える。
「翡翠の館から研修生を向かわせたいと云う事の様ですね」
だが夏風の貴婦人は納得がいかない顔をする。
「何で?? うちの執事募集は、ニヶ月前に終わった筈でしょうが」
「左様でございます。
おそらく太陽の館にて特別に指導をして戴きたい見習いが、翡翠の館にいらっしゃるのかと」
「ふーん」
夏風の貴婦人は再度、手紙を見てみる。
一応、翡翠の貴公子のサインだけはされて在る。
あとは、いつもの執事の字だ。
其処へ甲高い声が上がった。
「ええ?! 翡翠の館から誰か来るの?? もしかして主も来るの?!」
斜め向かいの机の蘭の貴婦人が席を立つと、
「見せて~~!!」
と駆け寄って来て、夏風の貴婦人の手からバッと手紙を奪う。
「ええと、何々?? 執事見習いが・・・・」
らんらんと輝く目で手紙を読む蘭の貴婦人は無視して、夏風の貴婦人は執事に言った。
「いいわよ。OKの手紙書いて」
「かしこまりました」
「なぁ~んだ~~、主は来ないのか~~!!」
因みに主とは、翡翠の貴公子の愛称である。
残念な声を上げる蘭の貴婦人とミッシェルは露知らず、怒涛の研修地獄が今始まろうとしていた。
翡翠の館の執事研修に来たミッシェル=ド=ワイエルは、
理想とは懸け離れたルーズな翡翠の館に我慢しきれなくなり辞めると豪語したものの、
執事ポフェイソンの勧めで太陽の館へ研修に行く事になった。
南部との境界地の東部の端に建つ太陽の館へ向かう馬車の中で、ミッシェルは一人、
胸を高鳴らせていた。
「まさか太陽の館で研修を受けられるだなんて・・・・」
太陽の館の主は異種統括の夏風の貴婦人だ。
夏風の貴婦人と云えば、紳士淑女に大人気の文武両道、聡明美麗の異種で在る。
百年で財を築き、政界に於いても確固たる地位に在り、ミッシェルにとって申し分のない、
正に理想の異種様だった。
窓から大きな屋敷と重厚な正門が見えてくると、ミッシェルの胸はいよいよ弾み出した。
遂に太陽の館に到着し、ミッシェルは自分で扉を開けて馬車を下りると、
目の前に広がる光景に歓喜の溜め息をついた。
重厚な高い鉄の門。
其の向こうには、橙の屋根のどっしりとした屋敷が建っている。
マナーハウスとしては、まだ新しく、橙の屋根が陽光を浴びてキラキラと輝いていており、
正に異種の館と思わせる風情だ。
ミッシェルはじわりと汗の滲む手で門の鐘をガラガラと鳴らした。
すると直ぐに一人のメイドが屋敷から出て来た。
「どちら様でしょうか??」
門越しに問われて、ミッシェルは、はっきりとした声で答えた。
「こんにちは。僕は執事研修に参りました、ミッシェル=ド=ワイエルです」
「伺っております。どうぞ」
メイドが門を開けると、ミッシェルは背筋を伸ばして大きく一歩を踏み入れた。
「玄関へ御案内致します」
「はい」
メイドの後をついて行き乍ら、目の前に聳え立つ館を見上げる。
豪奢と呼ぶほど装飾は五月蠅くはないが、上流貴族同等の実に立派な建物だ。
両サイドには手入れのいき届いた緑と花に溢れた、見晴らしの良い庭園が広がっている。
「本当に立派な御屋敷ですね」
溜め息ながらに言葉を零すミッシェル。
そして広い前庭を抜け大扉の前に来ると、メイドが扉を開けてくれた。
「どうぞ。御入り下さい」
「失礼します」
ミッシェルはごくりと固唾を飲むと、大扉をくぐった。
迎えてくれたのは、黒燕尾服姿の白髪の老齢の執事と中年女性のメイドと、若いメイドが一人、
そして眩しい程に豪華絢爛なホールだった。
「よく来て下さいましたね。ミッシェル君ですね??」
執事に問われて、ミッシェルは、きりっと背筋を伸ばし、はっきりとした声で答えた。
「はい!! ミッシェル=ド=ワイエルです!!
此の度は研修の機会を与えて下さり、誠に有り難うございます!!」
「いえいえ、此方は構いませんよ。研修はなかなか厳しいものですが、頑張ってくれますね??」
「勿論です!! 誠心誠意を込めて努めさせて戴きます!!」
はきはきと大きく答え乍ら、ミッシェルは煌びやかな玄関ホールに目を奪われた。
白のレリーフと薄いブルーのラインのアクセントの入った壁に、白大理石の床、
天上にはキラキラと輝く巨大な金のシャンデリア、
見るからに値の張りそうな金の唐草模様の大壺には、
旬の花が此れでもかと云うほど華やかに生けられており、
其の他の絵や調度品も値の張りそうな見事なものばかりが飾られている。
正に上流貴族の御屋敷そのものであった。
感動の余り呆けつつも、ミッシェルは歓びを噛み締め、理性を保とうと努めた。
自分は来たのだ。
誰もが憧れる太陽の館に。
今を走る太陽の館に。
そう、此処だ。
自分は、こう云う場所で働きたかったのだ。
あの古くて小さな翡翠の館とは大違いだ。
翡翠の館と来たら使用人は平民の上、毎日遊ぶ様にしてメイド達がはしゃいでいる。
執事は窓拭きまでしなければならないし、
気高い存在だと思っていた異種様は凄い不良の金髪の青年で在るし、
館の主で在る翡翠の貴公子に至っては、使用人よろしく屋根の修理までしている始末だ。
だが、まさか此処では、そんな光景は在りはしないだろう。
いつの間にか一人、感動に浸っているミッシェルを、執事の声が現実に戻した。
「ミッシェル。ミッシェル、聞いていますか??」
「あ、はい!!」
自分がぼんやりしていた事に気付き、慌てて答えるミッシェル。
「自己紹介が遅れましたが、私が此の太陽の館の執事リンドンです。
此方がメイド達のチーフのファテシナです」
紹介された女性は、メイド服姿の大柄で眼鏡を掛けた薄茶色の髪の、
見るからに厳しそうな強面の女性だった。
「ミッシェルです。宜しく御願いします」
「此方こそ、宜しく」
抑揚の無い返事と共に見下ろされ、ミッシェルはドキリとして背筋を伸ばした。
「当然、御存知かと思いますが、此の館の主様は夏風の貴婦人様です。
そして蘭の貴婦人様もいらっしゃいます」
説明するリンドンにミッシェルは頷いた。
「はい!! 存じ上げております!!」
「直ぐに夏風の貴婦人様に御挨拶して戴きたいのですが、生憎、夏風の貴婦人様は、只今、
面会中ですので、ファテシナに屋敷内を案内して貰って下さい」
「はい!!」
「では、ミッシェル。来なさい」
早速、歩き出すファテシナに、ミッシェルはぴたりと横につく。
二人は広いホールを出ると、左手の長い廊下に入る。
廊下も又、白と薄いブルーの壁に白の大理石の床、豪奢な金の燭台と、花瓶に花が飾られている。
其の空間を歩いているだけで、ミッシェルは自分の身分が上がった気がする様だった。
左手に扉が見えてくると、ファテシナが説明する。
「此処は第一控え室です。主に緊急の御客様を一時的に御通しする御部屋です」
「はい」
「次の扉が第一サロン。其の奥が第二サロン。右側のあの扉の部屋が第三サロンです。
第三サロンが一番大きなサロンよ。そして一番小さなサロンが第二サロン。
第二サロンは、主に親しい間柄の御客様を接待する時に使用されます。
だから普段の面会は第一サロンを使用します」
「はい」
「夏風の貴婦人様は今、第一サロンで、レーカス公爵と面会中です」
「はい」
しっかりと答え乍らも、第一サロンから聞こえる話し声に、ミッシェルの胸が高鳴る。
あの部屋の中に、異種統括の夏風の貴婦人が居るのだ。
其れを想像するだけで、ミッシェルの鼓動は早くなった。
廊下を真っ直ぐ行くと、次は右へ回廊を回り、ファテシナの説明が続く。
「此の階段は地下への階段です。必要なあらゆる物、工具や武器庫も在ります」
「はい」
ファテシナは階段は下りずに廊下を先に進む。
すると突き当りに両開きの扉が見えてくる。
「此処が調理場です。調理場にも地下が在ります。あと休憩室もね。
まぁ、調理場の事は貴方に言っても、今は仕方ないですね」
「は、はい!! そうですよね!!」
元気良く答え乍ら、ミッシェルは内心、大きく頷いた。
そうだよ、此れだよ!!
執事志望の僕には、調理場なんて関係無い!!
そんな事を胸中で思うミッシェルに気付いているのかいないのか、
ファテシナは歩みを止めずに淡々と案内をする。
「此の角の廊下は、先ほど通った第一サロンの前に繋がっています。そして、こっちが第一食堂。
此の反対側が第二食堂で、夏風の貴婦人様と蘭の貴婦人様は、
普段は此の第二食堂で食事をします」
「はい」
「そうそう。花屋は五日ごとに来ます」
「はい」
どの廊下にも必ず豪華な花々が飾られている。
花に掛ける費用も相当な額だろう。
やはり太陽の館は上流貴族も同然なのだ。
本当に凄い処に来てしまったなぁ・・・・と、うっとりと屋敷を見回していると、
或る物にミッシェルの目が留まった。
壁に修理した様な跡が在る。
綺麗に舗装されているが、部分的に真新しさが在るのが判る。
よく見ると壁のあちら此方に同じ様な跡が在るではないか。
此の跡は一体、何なのだろう??
そうミッシェルは思い乍らも、どんどん先を歩いて行くファテシナに訊ねる勇気が持てなかった。
すると第一サロンへ続く廊下の向こうから、わっと声が聞こえてきた。
「どうやら公爵様の御帰りの様ですね」
「あ、そうなんですね」
大声で笑う公爵の声に混じって、ハスキーな女の声が聞こえる。
其の声に、ミッシェルの胸がドキリと鳴る。
ああ、あれが夏風の貴婦人様の声なんだ!!
想像していたより力強い声だ。
姿こそ見えないが、耳だけを澄ませ乍らミッシェルは内心感動した。
「夏風の貴婦人様が御見送りから戻られましたら、きちんと御挨拶するのですよ」
「は、はい!!」
いよいよ夏風の貴婦人に逢えるのかと思うと、ミッシェルは緊張して、
とにかく背筋をぴんと伸ばした。
ファテシナはまた歩き出すと、館の説明を再開する。
「こっちの廊下は、私たち使用人の棟に繋がっています」
「はい」
左の角を曲がると、使用人の棟に入る。
「此処にも倉庫が在り、日々取り替えて使用するものなど、様々な物が収納されています。
其れ等の位置は当然、貴方も覚えておいて、臨機応変に対応しなければなりません」
「は、はい」
「普段はメイドがする事ですが、知識として頭に入れておきなさい」
「はい」
そして二人がぐるりと使用人の棟を回って玄関ホールに戻って来ると、丁度、
見送りを終えた夏風の貴婦人と執事が扉から入って来た。
ファテシナは直ぐに両手を前に重ねて、かしこまって立つ。
其の隣にミッシェルも慌てて背筋を伸ばして並ぶと、執事のリンドンが紹介した。
「夏風の貴婦人様。此の者が翡翠の館からの研修生でございます」
ファテシナに「前へ出なさい」と囁かれ、ミッシェルは一歩前に出る。
初めて間近で夏風の貴婦人を見て、ミッシェルは言葉を失った。
凄い橙の髪だ。
夏の太陽の様に、きらきらと輝いている。
きっちりと白い軍服を着た姿は男装の麗人の如く格好良く、橙の猫目の顔は、
きりっとしていて美しい。
其の美しさに思わず見惚れてしまい、ぼうっとしているミッシェルを、
夏風の貴婦人は鋭い橙の瞳で見下ろした。
「で?? あんた、挨拶の一つも出来ないの??」
冷ややかに言われて、ミッシェルは、はっと我に返り、慌てて一礼した。
「あ、あ、は、はじめまして!! 僕は、ミッシェル・・・・
ミッシェル=ド=ワイエルと云います!! どうぞ宜しく御願い致します!!」
「宜しく」
ふん、と鼻を鳴らす夏風の貴婦人。
其の後ろから、ひょっこりと、のっぽな影が現れる。
「此方が蘭の貴婦人様です。御挨拶なさい」
どうやら玄関から入って来たのは、夏風の貴婦人と執事だけではなかった様だ。
夏風の貴婦人のインパクトが強過ぎて気付かなかったミッシェル。
だが白のロングスカートの桃銀の髪の蘭の貴婦人にも、ミッシェルは又、
目を奪われてしまった。
此の人が蘭の貴婦人様!!
なんてピンクな髪なのだろう!!
それに美人だ!!
いや、美人と云うか、可愛い!!
「は、はじめまして!! 僕はミッシェル=ド=ワイエルと云います!!
どうぞ宜しく御願い致します!!」
上擦る声で挨拶をするミッシェルに、蘭の貴婦人はにこりと笑った。
「はじめまして~~」
蘭の貴婦人に右手を差し出されて、ミッシェルは慌てて握り返すと、異種との初めての握手に、
最早、感動の嵐に意識がぐらぐらとしそうだった。
す、凄い。
蘭の貴婦人様と握手をしてしまった。
今まで遠目にしか見られなかった異種様が今、自分の目の前に居るのだ。
翡翠の館の異種様は置いておいて、今を走る太陽の館の異種様が・・・・!!
ミッシェルが感動に打ち震えていると、夏風の貴婦人が強い口調で言った。
「うちでは研修生だろうが、執事なら執事として扱う。そのつもりで遣りなさいよ」
「はい!! 勿論です!!」
こうして、ミッシェルの太陽の館の執事研修が幕を開けたのである。
夜。
使用人の個室の寝台に寝転がり、ミッシェルは天井を見上げていた。
彼の胸は未だに早鐘を打っていた。
「凄かったなー・・・・」
あの夏風の貴婦人の気迫。
思い出すだけでも胸がドキドキしてくる。
あれこそ上に立つ者としての姿だ。
蘭の貴婦人は優しそうだったし・・・・しかも二人とも本当に美人だ。
メイドもチーフのファテシナも、きりっとしていて無駄口を挟まない。
しっかりと教育のいき届いた館だ。
翡翠の館とは大違いである。
明日から此処で働けるのだ。
しかも執事としての仕事を、早速、遣らせて貰えるらしい。
夢にまで見た名誉在る仕事だ。
明日からの事を思うと、ミッシェルの心は、もう空までも跳ね上がりそうだった。
この御話は、まだ続きます。
夢にまで見た太陽の館で働く事になったミッシェルですが、
これから彼を待ち受けていたのは・・・・。
少しでも楽しんで戴けましたら、コメント下さると励みになります☆




