(1)雨の日の客人
今回は、翡翠の館に執事見習いとして来た、ミッシェルの御話です。
彼は、これから、ずっと出てくる登場人物なので、
色々想像して貰えたら嬉しいです☆
或る雨の日の事。
メイド達が忙しく仕事をする午前の翡翠の館で、悲鳴が上がった。
「きゃああああ!!」
其の悲鳴と共に、ガシャガシャーン!! と何かが壊れる大きな音が館に鳴り響く。
「どうしました??」
直ぐに執事が足早に来ると、床には散らばった洗濯物の中に若いメイドが尻餅を着いていた。
其のメイドの足の前に大きな木片が幾つも転がっている。
「天上が落ちたのですね。しかし怪我がなくて良かったです」
立てますか??
あくまで、いつもの落ち着いた態度で手を差し伸べてくる執事に、
メイドは震える手で握り返すと、よたよたとした足で何とか立ち上がった。
其処へ。
「随分と派手に落ちたな」
此の翡翠の館の主で在る翡翠の貴公子が現れた。
天上を見上げると其処には、ぽっかりと五十センチ程の穴が開いており、
強い雨が吹き込んでいる。
場所は使用人の部屋に続く廊下の天井で、此の屋敷の中でも最も悼んでおり、
腐った屋根板が強い雨によって更に腐敗し落下してきた様だった。
其の上、雨がザーザーと降り込んでき、此の儘と云う訳にもいきそうにない。
「主様。直ぐに大工を御呼び致します」
落ち着いた口調で執事が言うと、珍しく翡翠の貴公子は頷かなかった。
「いや、此の強い雨の中、大工を呼ぶのも悪い。俺が遣ろう」
「左様でございますか。では直ぐに工具の準備を致します」
執事は散らばった洗濯物を拾い終えたメイドに指示を出すと、
メイドは「はい!!」と答えて篭を抱えて走って行った。
メイド達が外套と工具箱と板を数枚用意すると、翡翠の貴公子は外套を羽織り、
工具箱と板を持って二階の勝手口へと向かった。
其処から外へ出ると屋根へ上る階段が在り、翡翠の貴公子は屋根に上がって、
降り付ける雨の中、黙々と修理を始めた。
それから半刻が経った頃だった。
街の方から来た辻馬車が、翡翠の館の門の前で止まった。
今日は来客の日だっただろうか・・・・そう考えつつ、
翡翠の貴公子は金槌で板に釘を打ち付けていく。
辻馬車からは一人の子供が下りて来た。
白いシャツに赤のリボンタイをした、見るからに御坊ちゃまの黒髪の子供だ。
歳は十五歳くらいだろうか。
少年は傘を差して、暫し門の前で立ち往生する。
館の門は普段は閉めて在るのだが、此の日に限っては何故か開いており、
少年は門のベルを鳴らすかどうか迷ったものの、屋敷の中に入って来た。
少年は正面の大扉へ向かおうとしたが、屋根の上の翡翠の貴公子を見付け、声を掛けてくる。
「す、済みません!! 此処って、翡翠の館ですよね??」
問われて、目深にフードを被った翡翠の貴公子は短く答えた。
「そうだ」
其の答を聞いた少年は、げげっと、あからさまにショックの表情になる。
「随分と古い御屋敷ですね。屋根が、どうかしたんですか??」
「穴が空いたから修理をしている」
雨に濡れ乍ら淡々と答える翡翠の貴公子に、少年は、ええっ!! と更に驚愕の表情を見せた。
「随分と悼んでるんですね。異種様の館だから、僕、もっと立派な館だと思っていました。
大工さんも、こんな雨の中、大変ですね!! 頑張って下さいね!!」
そう言って、少年は正面扉へと歩いて行く。
「・・・・・」
翡翠の貴公子は少年から視線を外すと、また黙々と作業を続けた。
少年が傘を閉じて扉のノッカーを鳴らすと、直ぐに黒燕尾服姿の執事が出迎えてくれた。
玄関ホールへと通された少年は礼儀正しく挨拶する。
「はじめまして。僕はミッシェル・・・・ミッシェル=ド=ワイエルと云います。
此の度、執事研修に参りました」
きりっと背筋を伸ばす黒髪に黒の瞳の少年ミッシェルに、執事は柔らかい口調で出迎えた。
「よく来てくれましたね、ミッシェル。私は執事のポフェイソン。此の館の主様は、今・・・・」
執事が説明し始めたところへ、
「お、誰、誰??」
翡翠の館の居候、長身の金の貴公子が現れる。
が。
じろじろとミッシェルを見ると・・・・
「何だ、男か」
つまんねーの。
あからさまに肩を竦めてみせる。
後ろ頭に手を組み乍ら「あーあ」とぼやく金の貴公子に、ミッシェルは黒い瞳を見開き、
声を漏らした。
「あ、貴方は・・・・も、もしかして・・・・き、き、き!!」
「そ~。金の貴公子様」
欠伸をし乍ら怠そうに答える金の貴公子に、ミッシェルは驚愕の表情になる。
そんなミッシェルを執事が促す。
「ミッシェル。金の貴公子様です。御挨拶をしなさい」
ミッシェルは金の貴公子を凝視したまま其の場に固まっていたが、慌てて深々と一礼した。
「あ、あの、僕は・・・・」
だが。
「あ、いい、いい、別に。可愛い女の子じゃないなら、俺、用無いや」
手をひらひら振り乍ら去って行く金の貴公子の背中にミッシェルは愕然とすると、
堪らず声を上げた。
「あ、あれが・・・・異種様?? 冗談ですよね?? あれじゃ、只の不良・・・・!!」
だが執事は、あくまで穏やかな声で正す。
「あの御方が金の貴公子様です。次、顔を合わせられた時には、きちんと挨拶をしておきなさい」
しかし納得がいかないのか、ミッシェルは信じられない顔で呟く。
「う・・・嘘だ・・・・異種様は・・・・もっと、こう・・・・気高い御方だと・・・・」
「異種様は気高い御方ですよ」
「そんなこと言われても今の・・・・どう見てもガラの悪い不良にしか・・・・」
「ミッシェル。君は異種様に仕える為に、此処へ執事見習いに来たのでしょう」
「そうですけど・・・・」
「どうであれ金の貴公子様も、今から君が仕える御方なのです」
「そ・・・そう言われても・・・・僕は・・・・」
異種に強い理想を思い描いていた少年は、其の理想と現実のギャップに呆然としていた。
其処へ更に追い打ちを掛ける人物が現れた。
「修理が終わった」
何処からともなく声が届いたかと思うと、雨にびしょびしょに濡れた男が来た。
手には工具箱を持っている。
「あれで当分、大丈夫だろう。雨が止んだら、改めて大工を呼べばいい」
そう言い乍ら男が濡れた外套のフードを取ると、ぽろり・・・・と翡翠の髪が露わになった。
其の予期せぬ男の姿に、ミッシェルの瞳が更に大きく見開かれる。
「左様でございますか。雨の中、誠に有り難うございます。
湯の御用意が出来ておりますので、どうぞ御風呂に御入り下さい」
「ああ」
翡翠の貴公子が頷くと、甲高い声が上がった。
バタバタと駆けて来たのは一人の若いメイドだ。
「主様ーっ!! 御疲れ様ですぅー!!」
メイドは翡翠の貴公子から濡れた外套と工具箱を受け取ると、タオルを手渡してくる。
「身体冷えちゃってると思いますから、今から御風呂に入って下さいね~~!!」
「ああ」
翡翠の貴公子は濡れた髪をタオルで拭き乍ら風呂場へ向かおうとしたが、漸く少年に目を留めた。
「此の少年は??」
「はい。此の少年が今日から執事研修に参りました、ミッシェル=ド=ワイエルにございます」
「そうか」
翡翠の貴公子はミッシェルを見下ろすと、
「宜しく」
ぼそりと一言言って、タオルを首に掛けた儘、玄関ホールを出て行く。
其の愛想の無い、ずぶ濡れの背中に、ミッシェルはぶるぶると唇を震わせた。
「・・・・あ・・・あ、あれ、あれ・・・・!!
あ・・・あの方が・・・・翡翠の貴公子様ですか?!」
「そうです」
「う・・・う・・・嘘だ!!」
「何が嘘なのです??」
「だって・・・・あの人、さっき屋根の上に居た人ですよね??
異種様とも在ろう御方が、何で大工みたいな真似・・・・」
其処まで言い掛けて、ミッシェルは先程の己の失態に気が付いた。
「あわわわ・・・・どうしよう・・・・!!」
翡翠の貴公子様を大工呼ばわりしてしまった!!
「だ、だって、普通、有り得ないじゃないか・・・・」
両頬に手を当て一人慌てふためるミッシェルを、執事が柔らかい口調で現実に戻した。
「ミッシェル。さぁ、こっちが使用人の部屋の棟です」
「あ、はい」
歩き出す執事の後をついて行く。
「次、主様と金の貴公子様に御逢いしましたら、ちゃんと御挨拶をするのですよ」
「は、はい・・・・」
そうして、少年ミッシェル=ド=ワイエルの執事見習い生活が始まったのである。
さて。
此のミッシェル少年だが、実は由緒正しき男爵家の三男坊だったりする。
「僕は、ワイエル男爵家の三男坊なんです。
名誉有る職に就こうと思って、此処へ来たのに・・・・」
翡翠の館へ来て一日目からして、ミッシェルはガックリと肩を落としていた。
此の館を訪れる直前まで、彼の心は弾んでいた。
ゼルシェン大陸には国王が居ない。
力をつけた貴族たちに負け大陸を統一する事が出来ず、
もう千年以上も前に外国へと逃亡したのである。
以来、財力の有る貴族や大商人が、それぞれ勝手に土地を支配する様になり、
ゼルシェン大陸は麻の様に乱れ、戦が後を絶たなかった。
だが、およそ百年前、大陸に一風が巻き起こった。
異種と云う者たちを筆頭に、大陸を統一しようと云う動きが現れたのである。
ミッシェルが生まれた頃には異種たちは既に地位を持っており、それぞれ財を築いて、最早、
大陸の南部と東部の一部ではアイドル的存在となっていた。
瞬く間に名声を得た異種に憧れる若者たちが溢れ、ミッシェルも又、其の一人で在った。
だが、ミッシェルの家は男爵家と云っても小貴族で在り、長男は跡取りとなったが、
次男は中流貴族の娘と結婚して婿養子となり、より家柄を強くする事に貢献していた。
そんな兄たちを見てミッシェルは勉学に励み、高貴なる異種の傍に仕える事を決心したのだ。
今や上流貴族同等の地位を持つ異種の下で働かせて貰えれば、其の名誉は計り知れないと、
ミッシェルは思っていた。
だが。
現実は余りに想像とは違い過ぎた。
「こ、こんなの、おかしい!!」
ミッシェルが今居る館は内装は綺麗だったが、小さく実に古過ぎる悼んだ館だった。
館の主で在る翡翠の貴公子は、大工よろしく雨の中、屋根の修理をしており、
同居している金の貴公子に至っては、見るからに不良そのものだった。
更に職を共にする者たちが・・・・
「皆、平民出だなんて・・・・」
ミッシェルは激しく失望していた。
「男爵家の息子の僕が平民の人間と同じ職場で働くだなんて、おかし過ぎる」
余りに信じ難い現状に言葉を失っているミッシェルに、若いメイド二人がケラケラと笑った。
「どうして~~?? だって募集事項に『身分関係無し』って書いて在ったでしょう??」
「そ、其れは、そうですけど・・・・でも其の中で僕が選ばれたのは、
由緒正しき男爵家の三男坊で在ったからだと・・・・」
真面目に答えるミッシェルに、メイド達は一層大きく笑った。
「矢駄~~!! 執事さんは、そんな事、気にしない人よ~~!! 勿論、主様もねー!!」
「ねー!!」
まるで友人感覚で楽しげに笑うメイド達が、ミッシェルには理解出来なかった。
此の館では出身に関係無く、使用人が同等に扱われている。
自分の実家では、使用人と日常会話をするだなんて有り得なかった。
なのに此処のメイドと来たら、廊下でぺちゃくちゃ御喋りをしている。
「こんな事が・・・・いい訳がない」
ミッシェルは頑なに、そう思っていた。
「もっと、ちゃんと、身分は区別すべきだ」
僕は男爵家の息子なのに。
由緒正しき血統を持って生まれてきた人間なのに。
あんな仕事を遊び感覚で遣っている平民たちと一緒にされるだなんて、絶対におかしい。
「僕は納得しないぞ・・・・」
若く頭の固い少年は、断固として此の状況を受け入れようとはしなかった。
しかし、ミッシェルのプライドは、翡翠の館では通らなかった。
「な、何で僕が、窓拭きなんかしなきゃならないんですか?!」
メイドに水の入ったバケツと雑巾を渡され、ミッシェルは驚愕の声を上げた。
だが、メイドは、にこにこ笑って言う。
「何でって、此れは使用人の仕事よ」
「ぼ、僕は、執事志望なんです!! こんな雑用なんてしません!!」
眉をきっと上げて断るミッシェルに、だが、メイドは変わらず笑って言う。
「え~?? 執事さんは、どんな雑用でもしてるわよ~~。
主様も大掃除の時は手伝って下さるし」
だから御願いね!!
若いメイドにウィンクされて、ミッシェルは仏頂面で押し黙った。
すると、メイドは満面の笑みで言った。
「貴方には、もっと笑顔が必要だわ。私たちが顔を曇らせていたら、主様に悪いもの」
「・・・・・」
「じゃあ、此処の窓拭き宜しくね!!」
バケツと雑巾を置いて去って行くメイドの後ろ姿を暫し睨むと、
ミッシェルは溜め息を吐き乍ら雑巾を手に取り、水に濡らした。
そして渋々と窓磨きを始めたが・・・・
「・・・・おかしい」
こんなの・・・・。
「・・・・絶対におかしい」
一人、不満を呟く。
何故、男爵家の息子で在る自分が、此の長い廊下の窓拭きをせねばならないのか??
窓拭きなんて生まれて此の方、一度だってした事がない。
屈辱だ。
こんなの・・・・屈辱的過ぎる。
ミッシェルは黙々と窓を拭いていたが、窓を三つ拭き終えると、好い加減、嫌になり、
雑巾をバケツに投げ込んだ。
そして、ぼうっと窓の外の空を見上げる。
「僕がしたかったのは、こんな事じゃない」
もっとカチッとして、もっとビシビシとメイドに命令して、
異種様の居る御屋敷を御守りして・・・・。
なのに此処は、余りに自分の理想と懸け離れている。
使用人は何から何まで同等の立場で、執事希望の自分が窓拭きなんてしなければならない。
「此れでは、貴族が今まで築き上げてきたものが壊れてしまう」
自分には男爵家の三男坊としての誇りが在る。
ミッシェルは窓辺に寄り掛かると、上着の内ポケットから小さな本を取り出した。
外国語の本・・・・そう、自分は外国語の流暢な執事になりたかったのだ。
ミッシェルは与えられた窓拭きを忘れ、勉学に没頭した。
其処へ・・・・突然にょきっと影が現れた。
「なぁーに真剣に見てるんだよ?? エロ本??」
軽口で話し掛けて来たのは、長身で金髪の金の貴公子だった。
「そんな訳ないでしょう!!」
ミッシェルは信じられないと云う顔で金の貴公子を見上げる。
「そう、カッカするなよ。そんなに短気だと寿命縮まるぜ~~」
「余計な御世話です!!」
ミッシェルは両手でバシッと本を閉じると、バケツを置いた儘、其の場を離れた。
もう我慢出来ない。
此の翡翠の館は滅茶苦茶だ。
こんなルーズな処に、あと一日だって居たくない。
ミッシェルは大股で廊下を歩き、執事室の前まで来ると、
勢い良く扉を開け放って入るなり叫んだ。
「失礼します!! 僕は今日限りで、此処を辞めさせて戴きます!!
こんな処、もう耐えられません!!」
部屋に入るなり叫ぶ少年に、計簿をつけていた執事は片目の眼鏡を外して顔を上げると、
落ち着いた声で訊ねる。
「しかし君は執事になる夢を見て、此の館に志願したのではないのですか??」
だが、ミッシェルは顔を真っ赤にして大声で言った。
「僕は曲がりなりにも男爵家の息子です!!
メイドの雑用をする為に執事志願をした訳じゃありません!!
僕は、もっと、こう、重役を務めたくて、執事志願したんです!!」
「成る程・・・・」
執事は暫く考えると・・・・さも閃いた声で言った。
「ああ、そうでした。丁度、来月から、
太陽の館で執事見習いを募集する事になっていました。どうですか??
いっその事、太陽の館で研修をしてみませんか?? あの御屋敷は主様も厳しいですが、
君の様な人材には打って付けの場所かも知れません」
其れにはミッシェルの表情も変わった。
「太陽の館??」
太陽の館は今を走る最先端の異種の館で在り、異種の中でも最も地位と名誉の高い館でも在った。
誰もが憧れる異種の館なだけに、メイドや執事希望者が多く、余りに難関であった為、
ミッシェルは諦めて翡翠の館に志願したのだが、
其の誰もが羨む太陽の館に執事研修として行けるとは・・・・。
思わず目を白黒させて呆けた顔になるミッシェルに、執事は微笑んで言った。
「私が特別に、君を太陽の館へ志願しておきましょう。勿論、君が希望するならですが」
「ぜ、是非、御願いします!!」
ミッシェルは大声で叫んでいた。
今を走る太陽の館に執事研修に行ける!!
そして、もし其処で執事として認められたのなら、そんな名誉な事が他に在るだろうか??
ミッシェルの機嫌は一転して歓びに変わると、内心、拳を握って跳び上がった。
此れだ!!
こう云うのを自分は望んでいたんだ!!
夢にまで見た名誉在る仕事だ!!
一気に薔薇色の世界に陥る少年に、執事は含み笑いをしつつ、太陽の館へ志願書を書いたのだった。
この御話は、まだ続きます。
翡翠の館に来たものの、想像と違った屋敷の在り方に、
腹を立ててしまったミッシェルは、太陽の館へ行く事になり・・・・。
少しでも楽しんで戴けましたら、コメント下さると励みになります☆




