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ごみ箱

作者: 沼野雷菜


あはは、はは。


思考のごみ箱。




なぜ人間はこの世界に存在している?他の生命と比べると異物だ。自然のままに生きることができない。繁栄と発展に執着し、偶像に焦がれる。こんなにも生存本能が薄れた生命は、こんなにも生存以外のものに興味を示す生物はいない。無意味なことばかり繰り返す生物は他にはいない。それなのになぜ人間はこの世界に存在できているのだろうか?



人間は死を忌避する。なぜだろう。

こんなにも自由を訴え、権利を主張するのに、誰も死ぬ自由や死ぬ権利を与えない。生存する権利は与えるのに、自分が自分のタイミングで自分を殺す権利を人は認めない。



毎日死にたいと思って生きている。でも、いつでも死ねると思えるから生きていられる。

取り返しがつかなくなったら死ねばいい。あるいは、死ぬ前に取り返しのつかないことをしたいとも思う。



私は自分に死ぬ権利があると主張したいから、誰かを殺したくない。それは誰かの死ぬ権利を奪う行為だと思うから。



共感されないのは孤独だ。誰も共感してくれない私の考え方は頭のおかしい思考なのかもしれない。でも、私には筋が通って見えないから納得できない。自由に生きられる世界より、自由に死ねる世界のほうがずっと素晴らしい。それから、自由に死ねる世界=自由に生きられる世界でもある。だけど、自由に生きられる世界=自由に死ねる世界ではないのが現状で、それはとても不思議なことのように思う。私は数学が得意ではないけれど、=は等しいという意味なはずなのに。自由に死ねる世界=自由に生きられる世界=自由に死ねる世界にならない理由がわからない。



死んだら迷惑をかける人がいるのだ。私が死んだら、損害を受ける人がいるかもしれず、私の代わりに損害賠償を払わなければならない人がいるかもしれない。昔はそんなふうに考えたこともあった。だけど最近は思う。死んだらそんなもの関係ないじゃないか。幽霊だとか呪いだとかは信じてない。きっと死んだらそれで終わりだ。何もないし何も残らない。深く眠っているときのように自分の存在すら自覚できないはず。だって死ぬから。だから、死んだあとのことなんてどうでもいい。私の代わりになる人は可愛そうだとは思うが、それだけだ。哀れなだけ。不運だなと思うだけ。だから私はいつでも死ねるのだ。



死にたいと言うと辛いことがあったのかと聞かれるだろう。なんでも話してごらん。悩みがあるなら聞くよ。そんな馬鹿なことを言うんじゃない。そんなふうに慰められるだろう。まあ、私は直接誰かに相談したことはないけど。でも、人はどうして私が辛いから死にたいと思ったんだと決めつけるのだろうか?もしかしたら幸福で、これ以上ない幸福で、この幸せのまま死にたいと思っているかもしれないじゃないか。



いつからか怠け者になった私は、早く死にたいと思うようになった。だって、ほら、生きることは苦しみを伴う。生きるためには、義務を果たし、税を払い、金を稼ぎ、何かを食べ、眠り、怠惰にしてると怒られて、苦しいことしかない。娯楽はあってもいっときのものだ。その苦しさから逃げるには死ぬのが手っ取り早い。なるべく一瞬で、苦しまず、できれば綺麗に死にたいな。



今ここで死んだとして悔いはあるだろうか?死ぬのに。どうせ死ぬのに。何がなんでも、あれもやりたい、これもやりたい、やらねば死ねない、なんてものがある?どうせ死ぬのに?死んだら何もなくなるのに?私は、せいぜい綺麗に死ねるように、お気に入りの服でめいっぱいのおしゃれをして、お気に入りのコスメで顔を彩って。あとは、まあ、美味しいもの食べたり?それができたら嬉しいなって思う。嬉しいなって思うけど、できなければそれはそれでしょうがない。別に悔いにはならない。だって死ぬから。死んだら何も残らないから。自分には何も残らないから。



私は私が一番好き。私以外の人は優先順位はあっても、私自身に比べればどうでもいい人たち。だから、私が死にたいというのに、周りの人が悲しむからなんて理由で止めないでほしい。単純に腹が立つ。なんで私より私以外の人のことを優先しなければならないのかわからない。悲しむから何?死ねたら私は喜ぶのに。



空や海にまで境界線引いて何様のつもり?人間様なの?だから私達は共感できないんだろう。共生できないんだろう。差別がなくならないのと同じように、境界線は消えない。境界線はどこにでもある。世界を分割して権利を主張して、何を目指すの?



例えば私が思いのまま、死にたいと、死ぬ権利は人類みんなにあるのだと、世界中の人々に語ったとする。共感はなかなか得られない。だけど批判はたくさん受けるだろう。簡単に死ぬなんて言わないで、世の中には生きたくても生きられない人がいるんだから!なんて。人の意見を素直に肯定できないあなたは何?生きたくても生きられない人の気持ちは考えられるのに、死にたいのに生きている私の気持ちは考えられないの?なぜ生きたい人の気持ちは肯定されて、死にたい人の気持ちは否定されるの?なぜ?生きたい人が多いから?それが普通だから?それが多数派の意見だから?だから正しいの?それが正解なの?私にはわからない。



ははは、はは。はははははは。

えへへ。へへへ。



なんだっけ。



子供の頃から自由というものに憧れていた。子供の時の夢は旅人だった。貧乏な家の子だったから旅行らしい旅行すらしたことないのに。でも私は、旅行と旅は違うものと思っていた。旅行は娯楽。旅は娯楽じゃなくて、自由に生きることだった。でも、世界はRPGのように単純にはできていない。だから国を超えるには言葉の壁と国境が立ちはだかる。文明はもっと進んでいてモンスターなんて出ないから、歩いて、野宿して、その日暮らしの旅をするなんて、ただの頭のおかしいやつだ。いや、私はただの頭のおかしいやつになりたかった。だけど、金がないとそれも叶わないんだと知った。金があれば自由になれるかと言われればそうではないけれど。もちろん、すべての国を買い取り、私が頂点に立てば、自由な世界ができあがるかもしれないが、それが金だけでできるとは思えないし、夢物語で現実味などまったくない。私の自由はこの世界のこの時代に生まれた瞬間奪われたのだ。だからこそ、自由に焦がれる。




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