理解をもとめて
人により意見の相違は必ず起こる。万民が一つの理想の元一致するわけではない。
つまり世界の真理はただ一つではないだろう。
動物は草食と肉食、さらに雑食がいる。この自然の摂理の前には生存競争からの弱肉強食は不可避であり、肉食獣に生まれたからには動物を殺して食せねばならない。
草食獣にとってはたまったものではないが、草食獣だって植物を食べているし。食い荒らし過ぎると自然を破壊させるから、肉食獣によって間引きされる必要がある。
誤解されがちだが、植物だって生存競争をしている。光に水、空気に養分を求め縄張り争いするし。
理科で習うはずだから、早い子供なら小学生で解る食物網の概念だ。(ラブロック『ガイア理論』参照)
しかしこの動物にとっての宿命を、人間同士なら変えられるとする意見がいわゆる『人間性』なのだが。これは理想論だろうか。
農耕民族は一見罪がないように思え、縄張り争いで血の雨降っていた。はるか過去は田への生贄が当たり前にあり、他の民族から蔑視すらされた。
この視点では、一見犯罪でしかない略奪によって成り立つ蛮族も、生き物の本来の姿に応じただけの『正しい』生き方だ。文明国にはなれないだろうが。
自分に疑いを持たない人間が学者になれるはずはない。よい学生でもいられない。学問とはどこまで突き詰めても結果や結論などに行き着かないのだから。
人からかじり聞いた知識で真理を信じ込むようでは度量の器が知れる。アンチテーゼは常にあるし。いくらでもディベートは効く。
疑問をなんら感じない知識を得て、それのどこが学問だ。完成されているとでも思っているのか。
盲信によって思考停止しているでは、カルト宗教信者と変わらない。
不幸な行き違い、食い違いの悪循環によってほころびを感じる昨今。
事態を自由な権利のもとに覆せるのが情報化社会でありたい、と私は盲信している。
理想は調和と相互理解のために。
ありがとうございました。(^^♪
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