勉強のための勉強
しょせん、学校教師は「勉強のための勉強」
しか知らないし、それしか教えられないのだよな。
これでは子供に、教師が勉強しろと押し付けたって無理なはなしだ。
学校の勉強が社会的になんの役に立つのか?
これを知らないのだから。
教師が知らないのだから。なぜ生徒がわかるものか。
たいていの生徒は高校を出た後、それまでの学校教育なんかとはなんら関係なさそうな仕事をして、「学校の勉強なんて、社会に出てはなんの役にも立たない!」と当たり前に思うのだ。
大卒でもそれは多いだろう。もっとも大卒の場合、「できる仕事、やりたい仕事をさせてもらえない!」が不満となるか。
私は過去の入院中、教職員の管理職。それもふつうの教師を教える立場にある、という方(自称。精神科患者の虚言かも)と知り合い、話をしたが。
私の示す数式……(知っていれば小学生でも扱える単純な)指数計算の概算結果について、彼はまるで反応がなかった。『これなに?』扱いだ。
私の数式は人間ひとり生きるにひつようなカロリーを、一年分や百年分に概算したり、一億日本人口に広げたり、百億世界人口を示したり。
あるいは穀物の必要量の概算と、穀物を得るための土地の広さ、あるいは必要な総コストや時間、労働力人口……
とにかく『応用』すればいくらでも出てくる疑問を片付けるシロモノだったのに。
単に学校の勉強ができます、だけで出世されて彼は教職員を指導する立場にあったのかな。
実用的な処理は、なにも難しいほど有益というわけではない。
あたりまえの四則演算、それも足し算引き算で店舗のレジスタはのきなみ稼働しているし。
ふつうのひとは中学生レベルの数学がやっとだから、借金をするときの掛け算の金利計算すらできないのが多い。
だからローンの過払い金を相談する窓口の宣伝が多いのだよな。
もっと、本質的なことに注目しようよ。
ありがとうございました。(^^♪
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