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神宮写真館の不可思議な話

うろうろ

作者: 鷹玖沙 眞

 私、取手 窈は迷っている。現在進行形で道に迷っていた。


 何度も何度も、住宅地の間の細い路地を行ったり来たりしているのだが、どうにもこうにも抜け出せる気配は無い。今日中に帰宅できるかどうかも怪しい。

 確か、今夜の夕飯は私の好きなロールキャベツを作ってくれると、母は言ってくれた気がする。


 食卓に並べられた食事を考えるだけで、私のお腹は「くう」と抗議の音を上げた。ともなれば早く路地を抜け出して、バイト先の神宮寺写真館に戻らなくてはならない。


 それなのに…

 私は狭い路地で途方に暮れている。


 路地の間から見上げる夜空には大きな満月が、建物の隙間からぽっかりと浮かんでいるのが見えた。まだ月明かりが有るだけマシ、救われる気がする。

 この住宅密集地なのだが、家が建ち並ぶ割には()()として明かりが点いていない。もう明かりを点けても良い筈なのに、暗く静かすぎたのだ。


 私はとごぞの迷宮にでも紛れてしまったのだろうか?あっちへうろうろ、こっちへうろうろ歩けども、大通りすら出る気配も無い。


 あまりにも戻りが遅ければ、私のバイト先の雇い主である神宮寺 清彦氏が心配するだろう。私はズボンのポケットからスマホを取り出すと、LINEを確認をする。


 だが不思議と私がさ迷っている場所一体は圏外であり、一切の電波すら受け付けていなかった。

 液晶に表示されている時間は18時10分を示していたが…慌てて腕時計を見ると21時を軽く過ぎている。


 どうやら私はカメラ機材を一式抱えたまま、三時間近くもこの住宅地を彷徨いて居たことになるのだ。


 連絡も取れない現状に、迎えを寄越して貰う事は難しそうである。家に帰るのも遅くなるし、観たいドラマも断念せざるを得ない。

 その前に食事も取れなければ、入浴すらままならないのだ。


 普段の生活にも戻れない…

 じわりじわりと心の奥底から絶望が顔を覗かせて来る。そいつは私に孤独と悲しみを引き連れて、怒りという感情を沸き起こす。

 一気にそいつらを爆発させたくなった。


 「わあっ」と腹の底から叫んでやろうか、有らん限りの声を絞り出してやろうか、そうも思ったが夜半の住宅地でそれをすれば迷惑だし、通報すらされかねない。


 理性、故に大声を出す事は控えたものの、募る不安と畏怖は払拭されないままでいる。

 まだ月明かりだけが私の心細さを和らげてくれるのが、私にとっては救いだった。そんな救いの明かりも、流れる雲によって覆われてしまいそうになる。


 確か…次の角を曲がれば大通りに抜けるはず。

 何度そう口に出し、自分に言い聞かせながら角を曲がったのだろう。だがその度にまた住宅地の細い路地が私を待っていた。

 目の前にはもう見慣れてしまった建家が広がっている。


 溜め息しか出てこなくなった。

 近くの電信柱に肩を預けると、へたり込むようにその場にしゃがみ込む。


 もう私は不審者でも何でも良い、巡回中の警察官にでも職質にでも遇わないかな、とさえボンヤリと考えてしまう。

 この目の前の路地は光さえ入らないのであれば、黄泉路にでも繋がっているんじゃないかとすら思えてくる。


 ああ、こんな事になるんだったら、このバイトなんて引き受けるんじゃなかったな…

 道に迷ってしまった今だから考えてしまう。そうは思っても遅い話、後の祭りなのだ。何でこんな事になったんだっけ…思い返せば学校での授業を終え、いつも通りに写真館に顔を出した事が発端だったのである。


 店舗の清掃と、来客に備えた水出しの麦茶の準備を淡々とこなした。主の清彦氏は事務所でスケジュールを調整していたのである。

 私は粗方の仕事を終えたから、次の作業にと来ない来客を待ちつつパソコンで帳簿を纏めていた。そんな折りに清彦氏がガチャリと事務所のドアを開け、ずかずか歩いてくるなり来客用のソファにどっかりと腰を降ろしたのである。

 だが、手にした手帳からは目を離す様子もない。


 「どうしたんです?難しい顔をして…」

 私の問い掛けに聴こえているのか、はたまたそうでないのか、眉間に皺を寄せつつ「ううん…」と唸っていた。

 この店の主が難しい顔をするのも日常茶飯事なので、特に気にする事もない。自分で納得するまで放っておけば良い。だが、客商売なのに来客用のソファで怖い顔をしていれば…折角の来客を追い返しはしないだろうか?只でさえ客足の少ない店に客足を減らしては元も子もない。


 気を紛れさす為に、清彦氏のアイスコーヒーをサイドテーブルにそっと置く。清彦氏は「ああ…」とも「うん…」とも曖昧な返事をするとグラスを手に一口啜った。


 「どうもスケジュールがね…上手く調整できそうにないんだ。」

 秋口は体育祭やら文化祭で、撮影を依頼される行事が多い。そのせいか清彦氏も店を空け、私が留守番をする事も珍しくない。それどころかアシスタントとして現場に連れていかれる事もある。

 そんな清彦氏のスケジュールが九分九厘固まったとは言え、最後の日程の詰めが上手くいかないらしい。


 「勿論、窈ちゃんにもアシスタントを頼むけど…この時期はどうもねえ…」

 歯切れの悪さはこの上無い。恐らく清彦氏の頭の中ではスケジュールに合わせ、どう撮影をして何時まで現場に居るか、次の現場までの道程をどうするべきか、シミュレーションを繰り返している筈だ。

 私をアシスタントとして活用するタイミングもロードマップに含め、緻密に計算している筈である。


 そうは言えども私の未熟な撮影レベルじゃ、清彦氏に代わって撮影を行うなんて…無理としか言いようがない。

 「日程をずらすなんて無理なんですか?」

 「それができたら苦労なんてしないよ…」

 清彦氏は手帳からチラリと目を離すと、私に向かって苦々しく微笑んだ。


 幸か不幸か、客足の少ない店であるが故に、どれだけ客間で店主がスケジュールにうんうん唸ろうが、全くもって支障は無い。

 そんな店主の悩んだ甲斐も有ってか、撮影スケジュールは纏まったようである。


 窓の外を見ると、市内を流れる川の水面が沈む太陽の光を反射し、キラキラと輝き出していた。

 結局の所、私の本日のアルバイトは雑用で1日を終えたことになる。パソコンの電源を落とし、机を施錠すると荷物を纏め、帰ろうかな?と思った矢先、清彦氏は見計らったようにパタンと音を立てて手帳を閉じた。


 「もうこんな時間だしね。明日は近くの私立小学校で撮影の仕事が入っているからさ、店には朝8時に来てくれるかな?」

 清彦氏ははソファから一度も立ち上がることなく、業務終了のと明日からの計画を宣言したのである。“スケジュール調整もまた業務の内”と言いたいのだろう。


 清彦氏はすくっと立ち上がると大きく伸びをした。いかにも“仕事をしたよ”と言う顔で私を見る。

 「仕方ないよ、明日からは多忙なんだから。戦士には休息も必要なのさ。

 …それとね、窈ちゃんさ、来週の月曜日なんだけど野外撮影の仕事って有ったじゃない?あれさ、窈ちゃんに任せて良いかな?」


 誰に対する言い訳をするのかと思いきや、いきなりの無茶振りが来た。あまりにも咄嗟の申し出に私自身も「はぁ?」なのか「はぁ」ともどっちつかずの返答をしてしまう。

 だが、雇い主である清彦氏にはお構い無しな話なので、話をどんどん進めるのである。


 「前にさ、古寺の写真を撮ってきた事有ったでしょ?構図や撮影技術が上達してきているんだよね、だから今度の月曜日の仕事を任せても問題は無いと思うんだよね。」

 思わぬ形で仕事を振られたものだ。


 私としても撮った写真を誉められるのは悪い気がしない。だからと言う訳でもないが、清彦氏の思惑通り話を引き受けてしまったのである。

 簡単に話に乗せられる私もどうかと思うが、深くは考えるのを止めておこう。プロのカメラマンに撮影技術を認められたんだから良しとしなくてはなるまい。


 「ああ…でもなぁ…」

 清彦氏は自分で仕事の無茶振りをしつつも何か思案に暮れだした。

 「何ですか?自分で話を降っておいて考え込むなんて…“やっぱりナシでした”なんてのは止めてくださいね?」

 「うん、仕事そのものには問題無いんだよ。窈ちゃんの腕なら良い写真が撮れると思っているしね、それは僕が保証する。

 問題は…」

 急に清彦氏の物言いが奥歯に物が挟まったような感じになり、私としてもスッキリしない。


 「ハッキリと言っちゃえば良いじゃないですか。その仕事はそこに行って、写真を撮ってくる仕事なんですよね?」

 清彦氏の“そうなんだが…”という顔を浮かべているのを見ると、どうも釈然としない、と言うか苛々してしまう。


 「なら窈ちゃんに聞くけど、君は方向音痴かい?」

 「この話と関係有るんですか?」

 質問を質問で返されるとどうも腑に落ちないのだが、私としては特に道に迷った記憶もない。

 そもそも道に迷いそうになったり、居場所に不安を感じた時はすぐにスマホを取り出して地図アプリに頼ってしまう。それが有るから迷わないと言える自信が有るのだが…


 「今回の仕事にはね、()()()関係するんだ。

 その場所はね、()()()()()()()()()()羽目になる。」

 清彦氏は真顔で答えた。


 「本当にそんな場所が有るんですか?大丈夫ですよ。

 ほら、見てくださいよ、依頼された場所ならちゃんと地図に表示されているじゃないですか。」

 そう言って自慢気に自分のスマホの地図アプリを印籠の様に見せつけたのである。


 今にして思えば…そう力強く断言をした自分に対し、呪いたくなった。私は清彦氏に「迷わないから大丈夫!」と言い切ったのに、絶賛迷子中であり、細い路地を抜け出そうとうろうろしているのである。


 本当に道に迷うことは想定外だった。

 地図アプリを過信していた自分に腹が立つ。不思議とGPSが機能しないばかりか、通信も圏外というエリアで全くもってスマホが役に立たない。


 どうすれば抜け出せるのだろうか?闇雲に歩いても状況を打破できる訳でもない。

 下手に彷徨けば更に迷うことも考えられる。先に進めず、戻るに…

 戻る?

 ああ、そうか、私はある事を思い出した。


 まだ明るい時間帯に写真を撮っていると、住宅に埋もれるように小さな神社が有り、これまた小さな鳥居と祠が有ったのである。鳥居には神社の名前が掲げられていたとは思うが…気にも止めてなかったから覚えていなかった。

 清彦氏の説明では実家の神社と同じ系列の神が奉られており、小さいながらも由緒ある神社だと説明を受けていたのである。

 何か有ればそこに行くように、と忠告を受けていたのだ。


 そうは言えども似たような住宅が並び、縦横無尽に小路が走っている。だから来た道を戻ると言うのも…容易ではない気がした。

 スマホのGPSが機能しない、地図アプリは使えない、バッテリーの残量は少ない。

 だからと言ってこの場に踞り、夜明けを待つと言う訳にもいかない。


 立ち上がると来た道を記憶に沿って戻る事に、僅かな望みを託す事にした。

 確か、この十字路を右折し突き当たりまで進めばL字、その先の角を左折をすれば朝顔が咲きそうな生け垣の有る家に出る。その家を素通りして…途中、ショートカットにと斜めに抜けられる小道を歩いたんだ。

 薄れる記憶を何とか思い出しながら、目的地の神社まで戻ってこれたのである。


 戻って来れた事には安堵した。狭い路地が行き交う迷路からは脱げ出した気がする。だがその反面で怖い思いもしていた。

 夜中の神社は小さくとも怖い、恐怖すら感じてしまう。安堵と恐怖は相反する感情では有ったが取り敢えずはここに残ることにする。


 改めてスマホを取り出し、液晶を光らせた。

 良かった、微弱では有るが電波は確保出来ている。僅かと言えどもアンテナが確認できるのはホッとさせる、と同時に涙が込み上げてきた。

 やっと家に帰れるんだ、見たかったドラマは諦めても良いけど、路地をさ迷っていた時の心細さに比べれば、人と繋がれる事が何より嬉しかった。


 取り敢えず私がすべき事、それは清彦氏に無事を伝える連絡を入れることである。

 家族や友人からも未読のメッセージが山と届いていた。勿論清彦氏からも有ったが、そんな事よりも自分の無事と居場所を簡単に纏め、鳥居ごと祠を撮ってメッセージを送付した。

 清彦氏の返信は早く、


 「迎えに行くので、そこを動かないように」


 それだけのメッセージだったのである。とは言えども、もう既に知っている道だから簡単に戻れるんじゃないか?そうも心の中で囁く声が聞こえた。

 止めとこう、またうろついて道に迷ったら意味がない。

 私は神社の小さな階段に、ヘタリ込むようにして腰を下ろす。一気に力が抜けていく気がした。もう一歩も動きたくない、膝を抱えて踞る。


 「ここを動いちゃ駄目やよ。」

 幼少の頃、私は祖母に買い物に連れて行かれた時にそう言われた事をボンヤリと思い出した。


 手を引かれ、駅前のデパートに連れて行ってくれたあの日、私はその時も迷子になったからである。


 祖母は私をフロアの休憩用の長椅子に座らせると、ここで待つよう優しく諭してくれた。祖母がトイレに行きたかったからで、すぐに戻るから待っていなさい、と言い聞かせたのである。

 このフロアは玩具を売る店舗が入っていた。ちょっと耳を澄ませばゲームの電子音が聴こえてくる。休憩用の長椅子の目の前にはディスプレイに飾られた大きな熊のヌイグルミが、私の方を見て微笑んでいた。モコモコとして、抱きついたら気持ち良いかも知れない。

 そんな誘惑に負け、祖母の忠告を無視してフラフラとその場を離れてしまったのである。


 玩具売り場は様々な電子音、可愛い人形達、面白そうなボードゲームがおいでおいでと私を誘う。

 私はついつい玩具売り場をうろつき始めた。


 ちょっと奥まで入り込んでしまったかもしれない。

 ふと、我に返って振り返る。祖母がトイレから出て長椅子の所に戻ってくるかもしれない。私も戻らないと…


 そろそろ家に帰らないと、テレビでアニメが始まってしまう。トイレにも行きたくなってきた。

 いつの間にか心の中では不安がどんどんと支配していく。


 周囲を見渡せば私の背丈以上の商品棚が私を囲っている。

 無機質なロボットの人形や、ヌイグルミの瞳が一斉に私を見ているのだ。


 …怖かった、その一言でしか言い表せない。

 私が玩具売り場で彷徨く様を玩具達が見ている。


 この先のコーナーを曲がれば、祖母が待つ長椅子がある筈である。先ず、私はそこに向かうべきだ。

 だが曲がった先はフロアの休憩所ではない。玩具を並べた商品棚が、遠く彼方まで直線上に連なっている。


 戻ろう、来た道を辿れば自分は長椅子の所に戻れるはずだ。

 そう思って振り返っても背後には商品棚が並んでいる。進むにも戻るにも私は売り場から抜け出せない。

 一気に溜まった不安が恐怖心となって込み上げた。涙腺が緩くなってくる。押さえきれない感情、もう爆発寸前だった。


 何でここには私しか居ないの?

 頑張って泣くのを我慢していたのに、ついには大声で泣き出してしまう。離れてしまった祖母に対し、"私は此処に居るよ"と言うように、大声を上げて助けを求めたのである。


 それが功を奏したのだろうか?

 踞って泣く私を抱き締めてくれる人が居た。


 祖母だったのである。

 私は周囲の目も気にならない程に、祖母にしがみついてわんわん泣いた記憶しかない。


 「言うたやろ?あんたは()()()()()性質の子や。勝手に離れたで罰が当たったんやで?」

 祖母から受けたお叱りはその一言だけだった。後は私を抱き締めて、泣く止むまであやしてくれたのである。


 私は祖母に抱かれ、トントンと優しく叩かれ心底ホッとした。

 トントンと…


 「窈ちゃん?窈ちゃん?」

 聞き慣れた声で私の肩をポンポンと叩く者が居る。

 寝惚け眼で顔を上げると、そこに清彦氏が私の肩を叩きつつ顔を覗き混んでいた。


 「こんな所で寝たら風邪を引くよ?さ、帰ろうか。」

 私は清彦氏の迎えを待つ間に寝落ちしてしまったらしい。寝起きでボンヤリした私が、頭をスッキリさせるにはいささか時間が掛かりそうである。


 何故、私はあんな夢を見たのだろう?

 私が迷ったのは遠い昔の話だ。祖母の忠告なんて、幼すぎて忘れていたし、今夜の出来事が無ければ思い出さなかっただろう。


 私はゆっくりと立ち上がると、ボンヤリとした頭のまま歩き出そうとしたのを清彦氏は止めた。

 私を振り返させると、一緒に頭を垂れるように勧めたのである。清彦氏は神職者の息子として、この神社の主に礼を述べたのであろう。

 小声で呟くように祝詞を上げていた。


 「夢に…祖母が出て来てくれたんです。"あんたは迷いやすい子供だから"って…」

 フラフラと清彦氏の車に向かうまで、私はポツポツと昔の体験話を清彦氏に語り出す。


 清彦氏は「そう…」とだけ呟いて優しく聞き手に回っている。

 車の助手席に座らせると、清彦氏はハンドルを握り静かにエンジンを掛け始めた。

 少し沈黙が出始める頃、私は静かに語り始める。夢の出来事に清彦氏は納得した表情で、静かに相槌を打っていた。清彦氏はこの写真撮影業務を頼む際に、私から何かを感じていたのだろう。


 「まさかとは思ったけどね…窈ちゃんが()()()()()()()()()体質だとは思わなかったよ。」

 「知っていたんですか?」

 「否…想定外だったよ。」

 そう言ってゆっくりとペダルを踏み込む。信号は赤から青に替わったから、車はゆっくりと進み出す。


 「稀にだけどね…居るんだよ、()()()()()()()()()()()。」

 清彦氏の運転は静かで優しい。そして口調も穏やかに、祖母のように優しく語り出す。


 「ほら、僕達の仕事はカメラを覗いてファインダー越しに多くの子供を見るだろ?」

 確かに子供達の行動を一瞬で逃さないよう、動きを捉え記録していく。

 「居るんだよね、()()()()()()()()()()()()空気を纏っている子供がさ…

 上手く説明できないんだけど、人にはそれぞれの空気感ってものが有るんだ。」

 感覚を言葉にしようとしても適当な言葉が浮かび上がらないのだろう、もどかしく言いづらそうにしている。


 「"オーラ"みたいなもの…ですか?」

 「ああ…よく聞く話だね、人によっては色が見えると言うか…

 似ているけどちょっと違うんだ。僕達がカメラを覗いたって、その人からは何も波長は見えないよね。」

 確かにそれは清彦氏の言う通りで、私達カメラマンは見たまま、在るがままを記録しかできない。


 だからとは言わないが、テレビで見る心霊写真を疑って見る癖は有る。

 "物理的に写るものしか、写真には記録されない"というのが私達の中での固定概念のようなもので、余計なものが写るのは物理的に入り込んだとしか言わざるを得ないからだ。


 だからだろうか、霊能力者が被験者に対し、「貴方の背後からオレンジ色のオーラが見えます」等と言われても、それは霊能力者が見える概念を具体化して発言している訳で、胡散臭く感じてしまう。

 だが続く清彦氏の説明は、私達の固有の概念を否定するような説明だった、としか言えない。


 「何て言うかさ、"構図が乱れる"って経験したことない?"皆が右を向いているのに、一人だけ左を向いている"感じのさ…」

 説明しづらいから、言葉を選んでいるようにも思えてしまう。


 「あれってさ、その子供だけそっちの方向から呼ばれている気がするんだよね。」

 その説明はなんとなく判る気がする。私もそうだったから、いつも先生やカメラマンのアシスタントに名指しをされる生徒だったからだ。集まっている時に限って、見知らぬ誰かが私を呼んでいるような気がして…ついついそちらの方向を向いた結果、声を掛けられる。


 「取手さん!カメラの方を向いて!」

 そんな先生の声で視線をレンズに向けたのは、一回や二回じゃない。小学校の低学年なら仕方ないか、と思われるが高学年になるまで続いたからだ。

 そのせいだとは言わないが、期末に貰う通知表には"もう少し落ち着いて行動をしましょう"といった書評が書かれていたのを思い出す。


 だが、清彦氏がカメラを向けると一人ぐらいは顔を背ける子供が居そうなのに、すっとカメラに視線を集中させて素早く撮影を終えてしまう。

 スムーズに事が運びすぎるし、さっさとこなしていくから"腕の良いカメラマン"として評価も高い。


 本人曰く、

 「ああ、あれはね難しいことしていないんだ。写真を撮る前に声が掛かりそうな方向を向いて"黙っていろよ!"と念を送っているだけだしね。」

 本人はしれっと答えるが、そんな技術なんて私には無い。何と言うか…さすがに神主の息子だけの事は有る。


 「そうなると…窈ちゃんにもその声が聞こえていたんだよね?」

 「そうかも…」と私は言葉を濁すように曖昧に答えた。私はハッキリと声に呼ばれたことはない。"何となく声が聞こえたから"程度なのだ。


 「今は?」

 「今は…聞こえないですね。」

 「やっぱりそうなんだ…」と清彦氏は残念そうに呟いている。


 「昔から言うでしょ、"つ"のつく年の子供は神様の子供ってね、窈ちゃんに声が聞こえなくなったのは小学校の高学年ぐらいじゃないかな?」

 「確かにそんな気もしますね、でも何です?"つ"の付く子供の年齢って…」

 そんな私の問いに、清彦氏は苦笑いを浮かべている。


 「一つ、二つ…って数えるでしょ?だから九つ迄は神様の子供だから大切に育てなさいって事。

 日本は八百万の神がいらっしゃる。八百万だよ?その中には貧乏神や疫病神、荒神なんてのも居るんだからさ、気をつけないといけないよね。

 一応、これでも僕は神主の息子さ」

 少しはにかむ様な表情で、清彦氏はハンドルを操っていた。


 「でもどうしてなんでしょうね…私にはそんな声が聞こえなくなったのに、道に迷うなんて…」

 私を道に迷わした所でメリットなんて何一つ無い。


 これはね、僕の憶測で推論、何一つとして根拠は無いんだけど…

と、清彦氏は自説を語り始める。

 「恐らくだけど、窈ちゃんを黄泉路に誘導したかったんじゃないかな?って思うんだよ。」

 ヨミジ?と清彦氏の言葉を反芻してしまう。


 「そう、古事記に出てくるのが死者の国の"黄泉"だよね、伊邪那美命が出産に失敗して移り住んだ場所であり、その後に須佐之男命がこの地を統治している…てその辺は長話になるから止めよう。

 所で窈ちゃんのお祖母さんの出身は何処だか知っている?」

 唐突に話の矛先が身内に向いた。


 「確か…島根の方だったとか、何でも大きなお社が有ったとか…」

 その一言で清彦氏も腑に落ちるものがあったのだろう。


 「君は大国主神の子孫かもね。」

 そう言って静かに笑うと車はゆっくりと減速をして、そして私の家の前で静かに止まった。


 「今夜はありがとうございました。」

 「いやいや、窈ちゃんが無事ならそれで良いよ。」

 玄関先で清彦氏の車を見送ると、鍵を開けて家に入る。家の中は電気も点いておらず暗いままだ。


 忘れていた、父は主張で外泊で母は親戚での法事で不在、弟は友達の家に遊びに行くとかで今夜は私一人で家に居ないといけないことを…

 まだ電気が着くだけ安堵できるが、どうやら私は静けさと不気味さを連れて帰ってきてしまったようである。

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