好奇心に駆られて
教室に入ると昨日にも増して女子生徒達の暑さに対するやせ我慢が露骨になっている。スカートを捲り上げて下敷きで風を送り込む幻影が頭の中を渦巻く。いっそのこと今日こそ自分が実行してやろうか。夕べの一件もあって杏子は多少破れかぶれな気持ちが湧き出していた。そこへまた古典的ないたずらの魔の手が伸びて来た。今回は目隠しではなく両頬をつまんで引っ張るというさらに幼稚極まりないやり方だ。全くもってこの男はどうして普通に話し掛けて来れないのだろうか。しかもそれは高校生になってから突然前触れもなく始まった。ひょっとして幼なじみ以上の感情が芽生えたのか?やめてくれ、気持ち悪い。杏子の全身に悪寒が走ったものの到底そんな事で暑さは打ち払えない。むしろよけいに暑苦しさが増す。思いきり手を振りほどいたが俊太は構わず妙な雄弁さで話し出した。
「杏子、珍しく眠たそうだな。シンプルに寝不足なんだろ。深夜に面白いテレビあったっけ?それとも悩み多き女子高生に変貌を遂げたのかい。それで寝れなかった」
「あのね俊太。私はテレビはほとんど観ないんだ。そしてあんたが思ってるほど悩みを抱えてるわけじゃない。残念だったね。でも眠いのは確か。原因は夜にコーヒーを飲むという極めて慣れないことをしたせいだろうと思う」
杏子はそれっぽい嘘を言って話を終わろうとしたが何を思ってか俊太が真剣な眼差しで食い付いて来た。
「そうか、実は俺も今朝は寝覚め悪くて何だかスッキリしないし、だるっこくて仕方ない。夕べちょいと考えさせられる事があってさ」
「へぇ、あんたにもそうした感覚が芽生えることがあるんだ。まあ若者だものおおいに悩め、悩んで悩んで悩みつくせ」
「聞いてくれ真面目な話なんだ。親父が夕べ午前様だった。まあそれはちょくちょくあることだからどうということはない。問題なのは素面で帰って来たってのが凄く気になるんだよ。あの呑兵衛親父が仕事でもないのに一滴も飲まずに午前様とか妙なことの前触れにしか思えねえ」
杏子は古典的イタズラの事を忘れて身を乗り出した。俊太らしくない話ぶりもだが夕べ我が家で起こった事とどこか被るからだ。そしてすぐさま時計に目を移すと俊太に手短に話した。
「もうホームルームが始まるわ。ねえ昼休みに時間取れない?私も真面目に話したいことがあるんだ」
「ああ?どうしたんだよ急に。さっきまでの威勢の良さはぶっ飛んでしまったじゃねえか。ははあ寝不足で朝飯抜いて来たってことか。それで力が出ねえ、顔が濡れたアンパンマンと一緒だな」
俊太は突然起こった杏子の様変わりした態度に当惑しながらも寝不足の原因は夜のコーヒーなどではなく違う何かが、もしかしたら自分と同じく家庭内の異変にあるのかもと考えたがそこはストレートに出さずにわざと茶化した。
そこに担任が教室に入って来た。ホームルームが始まる前に着席していないと小言を言われる。俊太は常習犯だ。また目をつけられちまったかと舌打ちしながらも杏子に分かった。昼飯食ったら体育館で話そうと言って急いで自分の席へ戻った。
昨日の昼休みから24時間しか経っていないのにこの違いは何なのだ。杏子と俊太の頭の中では似たようなセンテンスが渦巻いていた。そしていつにも増して弁当を掻き込むスピードも速い。朝の会話がそうさせているのだが一足先に食べ終えた俊太は先に体育館へ向かった。着くとすぐに床に寝転んで幾何学模様に似た高い天井をボンヤリと眺めながら自分の母親である晶子の事を考えた。晶子は歳のわりには若く見えて美人の部類に入るだろう。現に小中学生の頃にはPTA行事とかで親が集まると父親達の視線が集中したものである。そんな女を特に格好いいわけでもない親父がなぜ嫁にすることが出来たのだろうか?地方の公立校だが野球部で四番打者だったからだよと酒に酔った時に何度か言ってたのを聞いたことがある。だがそれだけのことでお袋が親父に惚れたとか有り得るのか。四番はいいとしてエースではない。漫画とかだとモテる設定はエースで四番でイケメンだ。親父の話の続きだと当然、狙ってた男達はわんさか居たらしい。俺はそいつらとの争奪戦に勝ったのだと誇らしげに胸を張っていた。
(全くもって馬鹿げた話だ。現実は漫画のようにいかないってのは分かるが)
俊太は体育館の隅っこに転がっていたバレーボールを拾い上げてわしづかみすると壁をめがけて思いきり投げつけた。
「ちょっとお、人の部活の道具をぞんざいに扱わないでよ。バレーボールじゃ野球のようにボールを投げるという動作はないの。でもこのボールは体育の授業で使うものだわ。ちゃんと片付けなさいな」
俊太が投げつけたボールが転がった先には杏子が仁王立ちしていた。
「こりゃすまなかった。でもバレーボールとはいえ俺が投げるボールはさすが野球部だと思わないか」
「何とも言えない。あたしのお父さんも野球経験者・・・ああ、俊太のお父さんの善之おじさんと昔はライバル関係だったらしいもんね。おっとそんなことは今はどうでもいい。実はね夕べあたしの家でも問題が、お母さんが、う~ん正確な時間分からないけど帰宅した時は日付変わってたと思う」
「はあ、あの素朴で真面目な美津子おばさんが朝帰りしたのか。そんでウチの親父が素面でこれまた朝帰り・・・これはちょっと待てよ。いやそれはないないない。うーむ」
「何、一人で推理ごっこしてんのよ。はっきり言って」
俊太のモゴモゴと濁ったような話し方に杏子は苛立ちを覚えた。
「飛躍しすぎなのは承知なんだが、もしかしたら夕べは二人とも、ああ、ウチの親父とお前の母ちゃんは一緒に居たんじゃねえかなって思うんだが」
杏子は吹き出してしまった。いや、俊太がそんな短絡的な答を出すことをある程度は予想していたが本当に直球を投げて来るとは。
「あんたねえ、私達は幼なじみで父親同士も小さい頃からの友人で野球やってて高校から袂を分かつことになってライバルになり切磋琢磨して来たのよ。そんな環境の中でリスキーな真似するかしら?スリル求めるにしてはリスキーってよりただの馬鹿ってしか言えない」
杏子はそう言いながらも俊太の言い分も完全否定したわけではなかった。
(仮に俊太の言う通りだったとしてリスキーな選択をする理由は目的は?)
頭の中でデタラメな旋律が奏でる。しかしそこへきちんと整った旋律が鼓膜を揺らした。
「ヤバ、始業のチャイムだわ。こんな時ってば昼休み早く終わり過ぎ。続きは部活終わってから涼しいとこでやらない。結論出るわけじゃないけど今日はトコトン話をしないと気が収まらないわ」
俊太も異論がないよとばかりに杏子の提案に二つ返事で了承した。
二人が部活を終えて向かった先は唯一のショッピングモール内にあるフードコートだった。喫茶店に入った方が落ち着くが汗の匂いが残る状態では自然と足が遠のいた。それにフードコートならば喧騒に紛れて話もしやすい。まして付き合ってるわけでもない、ただの部活を終えた幼なじみの間柄だ。
「今日もたっぷりと汗をかいたし疲れたな。こんな思いをするのもあとわずかだがホッとする反面、残りの高校生活にポッカリ穴が開きそうだ」
「そうだね、ここ数日の蒸し暑さは半端なかった。でもこの街は海風が入るから凌ぎやすいんじゃないかなあ。天気予報見てると西日本の最高気温の数字を目にしたとたんに眩暈がしてくる。私なんか耐えられそうもない」
本題に突入出来ないままアイスコーヒーを一気に飲み干して沈黙が訪れた。いつものだべりとは違うのは分かっている。俊太はわざとふんぞり返るようにして座っていた姿勢を真っ直ぐにして杏子の目を覗き込むように見た。
「やっぱ、昼間の話の続きをするのは・・・・・怖えよな」
「怖いってより避けたい、逃げ出したい、考えたくもない、放り出したい。だけど」
「だけど、ぶちまけたいモンで頭の中が溢れかえってる」
「そう、だから最悪の場合を想定しましょう。私のお母さんと俊太のお父さんの密会説で進めよう。もうヤケクソな内容で構わない」
杏子は今回の事だけではなくいろいろと鬱憤が溜まっているのだろう。どちらかと言えば鈍感な部類に入る俊太にもそれは痛いくらいに伝わる杏子の語り口だった。
(仕方ねえな、ここは思いきった提案をしてみるか)
俊太は突然立ち上がるやヨッシャアと叫びながら高々と両手を横綱土俵入りの不知火型を思わせる格好で広げた。杏子は狼狽して口をへの字に曲げた。
「ちょっと、俊太なんの真似よ。恥ずかしいから早く座って」
「俺がいつも部活でやってることさ、気合入れる時の儀式みたいなもんだ。それでだ。お前が言う通り最悪の場合を想定した調査をしてみないか。興信所の真似事だよ」
「はあ、興信所の真似事?毎日張り込むとかするの。そんなの無理でしょう」
「話は最後まで聞け、昨日のようなことが再び起こる事を考えてみるんだ。美津子おばさんはまたお前に淡白なLINEメール寄越すだろう。その時に行動に出るんだ。お前の言う張り込みだ。ただし期限を設ける。2週間だ。お互い部活もあるし精神的に持たねえ。期限まで何も起こらなかったらそれで打ち切りにして以降は知らんぷりだ。あとは成り行き任せってことでどうだ」
「それでいい。2週間ね。その間に昨日みたいなことが起こらないのを願うだけ、さあ帰ろうか。今日はいつにも増して疲れちゃった」
俊太の提案は現実的ではないと思いながらも杏子は乗っかるのも悪くないなと考えた。想像通りの展開を頭に浮かべただけでおぞましくなる。だがしかし組み合わせが違っていたら、例えば自分の母親と知らない男。俊太の父親と知らない女なんて組み合わせだったら、それはそれでやはりショックだ。まあどうであれ我が家に限ればそうした可能性は否定出来ないのだ。
帰りの足取りは来る時の3倍ほど重たい気がする。比例するように家にたどり着くまでの時間もいつも以上にかかった。玄関の戸を開けると食事の支度をしている気配がした。その先にはいつもの光景があるんだと分かった瞬間にどっと疲れが出て、ただいまと一声発して自室に入るなりベッドに倒れ込んだ。