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【第86回】イニシェリン島の精霊

『割り切れないものは、割り切れないのである』


サスペンス映画とミステリー映画の違い。


これには個々人で様々な見解があるので「これ」という解答というか定義なんてものは存在しませんけども、俺個人の考えを言うなら「“謎”がどこに置かれているか」という点に尽きると思います。


結論から言うと、ミステリー映画は「過去」に謎が置かれている。ミステリーな物語を牽引するのは、往々にして「過去に存在する謎」にある。それは、村に古くから伝わる因習だったり、謎めいた登場人物が過去に味わった悲劇だったり、誰かと誰かの父母、あるいは祖父母まで遡る家同士の軋轢であったり……と、どうも東西問わず、ミステリー映画のキモとなる部分は「過去の謎が、いまの状況にどう影響を及ぼしているか」という部分にあると思う。


対して、サスペンス映画はどうか。俺が思うに、サスペンス映画の「謎」というのは「未来」と「いま」のあわいにある。これから主人公がどういう状況に巻き込まれるか、その道行きをそれとなく予感させるものとして謎を扱うのが、サスペンスの常であるように思う。


具体的な例を挙げると、拙いけれどこういうシチュエーションを考えてみた。すっかり仲が冷めきっている険悪ムードの夫婦が、とあるキャンプ・ツアーに出かけた先で、狂暴な熊に遭遇する。パニックになった夫婦は森の中を必死に逃げ、それを凶悪熊が追いかける。逃げる夫婦の目の前にはボロボロのつり橋。危険を感じつつも渡るが、途中で吊り橋の縄が切れてしまった。あわや落下しそうになった妻の手を、反射的に夫が握る。橋の下は激流の河。このままでは夫婦二人とも落下してしまう。だが、妻の手を離せば、夫だけは川底に落下せずに助かるかもしれない。しかしながら、吊り橋の難を逃れたとしても、すぐそばに凶悪熊が迫ってきている。さて、険悪夫婦の運命はどうなるのか。


……と、このように、「いま」と、今後の展開(すなわち「未来」)の間に「謎」を配置させるのがサスペンスの常套句であり、だとするなら、これから俺が語る『イニシェリン島の精霊』は、まごうことなき「サスペンス映画」に分類される。


そして、サスペンスを牽引する「謎」が、キャラクター同士の関係性の変動によってますます強化されうるということを考えれば、やはり、この男の作品は現代において、その極北に位置すると言わざるを得ない。


その男の名は、マーティン・マクドナー。イギリス「演劇界」の若き天才にして、感傷を嫌い、痛烈なリアリズムに耽溺する男





【導入】

ある日突然、親友に絶交を告げた老年の男と、絶交を告げられた冴えない中年男との、静かなる戦いを描いたサスペンス映画。


監督は、デルトロの『シェイプ・オブ・ウォーター』とその年のアカデミー作品賞を争った傑作サスペンス映画『スリー・ビルボード』を手掛けた男、マーティン・マクドナー。おそらく『スリー・ビルボード』でその名を知った方も多いと思います(俺もそのひとり)。もともとは舞台劇・戯曲の人で、イギリスの演劇界ではすでに伝説的な人物になりつつある人です。ちなみにこの人、北野武監督作品の大ファンです。初期作品なんて、思い切り北野的笑いを感じさせるブラック・コメディの嵐ですからね。


主演は『ヒットマンズ・レクイエム』コンビ再びの、コリン・ファレルとブレンダン・グリーソン。特にコリン・ファレルですねー。『ザ・バットマン』では見事な怪人メイクを見せてくれましたけども、今回のコリンは、まー情けない小心者の中年男の役です(笑)。個人的に、この情けなさ……「誰からも軽んじられている、どーしようもない男」という印象は、『ファーゴ』のウィリアム・H・メイシー(主人公であるカー・ディーラー役の人)に通じるものがあると感じます。


脇役も豪華です。村一番の嫌われ者であるドミニク役には、性格俳優のやり手、バリー・コーガン。順調にキャリアを重ねていますよね。個人的に好きな役者のひとり。コリン・ファレルとは『聖なる鹿殺し』以来の共演でしょうか。さらに、コリン・ファレル演じる中年男の妹、シボーン役には、MCUシリーズおなじみ「F.R.I.D.A.Y.」の声優を演じていたケリー・コンドンが抜擢されています。





【あらすじ】

「そんな……そんなこと言うなよ。昨日まで俺たちは親友だったじゃないか」


「……本当に、親友だったか?」


馴染みのパブのテラス席で、老境に差し掛かった男・コルムは、中年男・パードリックの困惑した表情をじっと見つめると、次に決定的な一言を口にした。


「前々から思っていたんだ。お前の話はつまらなさすぎる。退屈なんだ。だから、二度と俺に話かけないでくれ」


それは、タチの悪い冗談でも、ましてやパードリックの聞き間違いでもなかった。絶縁の宣告が為された日が、たまたま4月1日……エイプリルフールであるということに気付き、安心しかけたパードリックだったが、翌日になってもコルムの冷淡な態度は変わらなかった。長年にわたって友情を育み、親友だと思っていた男からの突然の仕打ちに、パードリックの繊細な心は大いに傷ついた。


自分の話はそんなに退屈なんだろうか……俺ってそんなにつまらない男か……? 誰からも好かれている「いい奴」だと、自分では思っていたのに……傷心のパードリックを、妹のシボーンや、パブの常連たちは慰める。だが、彼らも内心では、パードリックのことを「つまらない男」だとバカにしていた。つまらなくて、退屈で、考えなしにベラベラと、どうでも良いことに時間を費やす男だと。


だが、それはパードリックや、あるいは村一番の嫌われ者であるドミニクなどの、一部の住人にのみ当てはまる話ではない。イニシェリン島は、そんな「つまらない」男たちで溢れかえっている。大河を挟んだ向こう岸で、内戦の砲火が轟こうとも、そんな世界から自らを切り離して、退屈で何もないイニシェリン島にこもり続けることを良しとする住民たちばかり。


辺鄙な土地での退屈な暮らし……そんな暮らしから脱出したいと密かに考えているシボーンは、親友の激しい拒絶に傷つく兄を庇いながらも、コルムの取った決断に一定の理解を示していた。


老い先短いコルムは恐怖していた。このまま怠惰に日常を貪り、「何者にもなれないまま」人生を終えていくことに恐怖していた。残された時間が少ないことを自覚した彼は、残りの全てを、趣味であるバイオリンの作曲に捧げることを決意した。すべてを音楽に捧げると決意し、「新しい世界」へ旅立とうとするコルムにとって、パードリックと過ごす退屈な時間は、旅立ちを邪魔する「足枷」でしかない。だから、彼は心を鬼にして絶縁を決めたのだ。


しかしながら、コルムの真意を耳にしても、パードリックにはまるで理解できなかった。イニシェリン島で怠惰に暮らすことの、一体何が不満なのか。内戦を、文字通りの「対岸の火事」として眺めて、限られた領域で平和を慈しむことの、なにが悪だというのか。昨日まで、お前は俺と同じ「こちら側」の人間だったじゃないか。何を今さら使命感に燃えているのだ……


怒りと困惑を抱えたパードリックは、どうにかしてコルムとの関係性を修復しようと躍起になる。だが、そんな彼に向って、コルムは追い打ちをかける。


「これからお前が話かけてくるたびに、俺は“自分の指”を一本ずつ切り落とす。バイオリンの弦を握る方の指をだ。分かったか。俺に指を切り落として欲しくなかったら、二度と話かけるんじゃない」


狂気に片足を突っ込んだかのようなコルムの言葉に、追い込まれていくパードリック。やがて、二人の関係は、とある事件がきっかけとなって、取り返しのつかない「関係性」へ変容していくのだった……





【レビュー】

戯曲家出身のマーティン・マクドナーらしい物語の導入……とでも言えばいいのでしょうか。アイルランドの茫漠とした土地や風景の美しさが与える、この作品の「雰囲気」や「格」に当てられて見逃してしまいがちですが、なんとも「奇妙な」設定のお話です。


外界から隔絶されたような風景の土地で、オッサン二人の「絶交」をテーマにしたお話。いまオッサン二人と書きましたけど、正確には片方は初老の域にかかっているおじいちゃんです。しかも、何が原因で絶縁してしまったのか、具体的には一切映されないまま、淡々と物語は進行していくのですから、マクドナー監督の作風を知らない人が観たら「なんぞこれ」となるのは必至でしょう。


念のために補足しておきますが、コルムがパードリックとの「縁を切る」理由は、一応は台詞で説明されていますし、それも「最もらしい」ものに聞こえます。実際のところ、感情的な部分に注目すれば、私はコルムの考えに一定の共感を示しました。だらだらと毎日を無駄に過ごしていくうちに、老いが身体の自由を蝕んでいくという絶望。本当はやりたいことがまだまだ沢山あるのに、それらをなにひとつ「実現」できないまま死んでいくことへの恐怖というのは、これは老若男女問わず、誰しもが抱えている「身体的絶望感」だと私は考えています。


ですが、それにしたって見せ方が唐突です。二人が親友だった頃から物語をスタートさせることもしないし、親友だった頃のエピソードを回想形式で流すこともなく、「もうお前とは絶交だからね」と、いきなり口火を切るおじいちゃんなコルム。パードリックでなくとも「は?なんで?」とお客さんは疑問に感じることでしょう。そして、その「は?なんで?」な不可解さを解消することを、この物語はしません。「きっと、これこれこういう理由があるんだろう」という推測ができるくらいの「匂わせ」な演出はあるんですが、この映画は、その謎を解き明かす方向には焦点を当てていません。


というわけで、本作『イニシェリン島の精霊』の楽しみ方は、二人がなぜ絶交してしまったかの「謎」に注目するでも、また「謎」の解消によるカタルシスを期待するでもなく、絶交状態となった二人の関係性、その変動がもたらす「パワーバランス」に注目すれば、かなり楽しめるサスペンスとなります。「お前とはもう絶交だ。口も利かない」と言って、実際その通りにするコルム。訳が分からないまま、周囲の人たちに「俺、またなにかやっちゃいました?」な、どこぞの『賢者の孫』的なノリで相談し……というか、実際には相談という体をとった「自己愛の強化」なのですが……とにかくコルムとの関係性を修復しようと躍起になるパードリック。この時点での両者のパワーバランスが「コルム>パードリック」となっているのは明白ですね。精神的に追い詰められているのはパードリックの側であり、逆に患い事を手放したコルムは「これで作曲に集中できる」と、非常に精神的には安定した状態になっているからです。


ですが、なおも諦めきれずにしつこくしつこく話しかけてくるパードリックに、次第にコルムは苛立ちを募らせて、更に「追撃」をかけます。それが「これからお前が俺に話しかけてくるたびに、俺は“自分の指”を一本ずつ切り落とす」という「宣告」の下りです。「なんで“相手の指”じゃなくて“自分の指”なの?」というと、これはアイルランド神話に伝わる「誓約ゲッシュ」に他なりません。つまり、コルムは命の次に大事なバイオリンに関する誓約ゲッシュを立てて、神の祝福を得たかったのです。しかしながら、この彼の並々ならぬ覚悟が、パードリックをさらに心理的に追い込んでいることに変わりはありません。この時、両者のパワーバランスは「コルム>>>>>>パードリック」という図式に変化し、ますますパードリックは不利に立たされます。このように、両者の精神的なパワーバランスに注目していくと「この先どうなっちゃんだ?」とハラハラドキドキできること間違いなしなのです。


ですが、それだけならあくまで「普通の」サスペンスでしかない。マーティン・マクドナーの場合、このサスペンス強度をより高めるために、ある仕掛けをしています。その仕掛けというのが「絶対に、何がなんでも“感傷的な”流れに持って行くことはしない」という、極めてシビアな人間観の投影です。そのシビアさは、歪んでいながらも「ハッピーエンド」を迎えた『スリー・ビルボード』から、さらに先鋭化されています。人間の情緒や思いやりといったものが、厳しい状況を打開する鍵として通用することを全く良しとせず、ただただ「いま、ここ」の状況における、人間関係の「シーソー・ゲーム」だけに焦点を絞っている。


「むかしは、敵と言えばイギリス人だった。単純だった。いまはそうじゃない」という劇中の台詞が、この映画の帰結をさりげなく暗示しています。『スリー・ビルボード』が「現実に折り合いをつける話」として着地したのに対し、本作は、コレムとパードリックの見ている現実が「決して重ならない」ことを強調するような演出(たとえば、海岸に“並んで”立って、水平線の向こうを眺めているカットなど)の果てに、折り合いをつけることのままならなさというのを、淡々と突きつけてくる。「あ、もうこの二人の関係性は、どうにもならないんだ……」という観客側の茫漠とした感覚が、物語が進んでいく度にどんどん強化されていくからゾクゾクする。シンプルな筋書きだけど、ちょっと情緒な展開になりそうなところをグッとシビアな方向に引き戻すからこそ、この映画はサスペンス映画として一級の出来栄えなのです。


勧善懲悪な作品が好きだったり、分かりやすく明示されたエンディングに慣れ親しみ過ぎている人ほど、この映画は「変な映画」に見えるかもしれません。なぜならこの映画は、物語の本質が「勝者/敗者」が存在するような単純化に陥るのを徹底して拒み、割りきれない事件や出来事、またはそれらに巻き込まれた人間の関係性を「割り切れないものは、割り切れないんだ」として最後まで描いているからです。そして、そういう意図の作品としてほとんど完璧に成功しているのは、物語の「構造」が……キャラクター同士の関係性の「変化」だけにスポットを当てた「サスペンスの構造」が、確固としてあるからで、それがマクドナー監督の強みなのでしょう。


「キャラクター同士の関係性に注目したサスペンス」を観たいのであれば、いまイチオシの映画です。

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