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【第82回】アイ・アム まきもと

『まきもと、いま"こうなって"ました!』


「干物作りまで否定されて、おれたちはいったいどうやって自分を表現すればいいんだ!」


特車二課整備班の誰かが口にした必死の嘆きを掻き消すかのように、「整備の神様」こと榊整備班長の激が飛ぶ。


「誰がテメェらの意見聞いた!? この大馬鹿野郎どもが!!」


しかしながら今思えば、榊班長に一蹴されたこの名もなき整備班員の魂の叫びは、半分は間違っているが半分は正しい意見だと俺は思う。あんたらのやるべきことはレイバーの整備であって、干物作りでも、ましてやハゼの密漁でもない。そして、他ならぬレイバーの整備そのものこそが、整備班員たちにとっての「自分を表現する方法」なのである。それが彼らの仕事なのだ。


仕事とは何だろうか。多くの社会人にとって、それは企業に勤めているあいだじゅう、一生ついて回る命題だ。無論、この私にとっても。というか、これは誰にも話したことはないのだけれど、三十代に突入してからの個人的な「テーマ」がそれだったりする。人生において睡眠時間と同じくらい一日で消費する時間を仕事に充てているのだから、出来るならやりがいのある楽しいものにしたいものだと、多くの人がそう考える。


じゃあ「やりがいのある仕事」って何だろう。「楽しい仕事」って何だろう。給料がたくさん貰えて、楽ちんな仕事こそが「やりがいのある、楽しい仕事」なんだろうか。けれども、そんなものは一般論に過ぎない。そういう仕事を「楽しい」と思う人もいれば「違う」と口にする人だっている。むしろ、多くの人が求めている「答え」とは、今こなしている退屈で面倒くさい仕事を「楽しく・やりがいのある仕事」にするための方法論なんじゃないかと思う。


なんだか自己啓発的な胡散臭さとビジネス書の序文が醸し出す「お利口」な匂いに満ちた文章になってしまいましたが、つまりこれから紹介する映画は、そういうことについて思考を巡らせるのにちょうどよい映画ということです。





【導入】

というわけでお久しぶりの映画レビュー。今回は2015年にビターズ・エンドが配給したイギリス・イタリアの合作映画『おみおくりの作法』の邦画版リメイク『アイ・アム まきもと』をご紹介。


主演は、今年公開された『死刑に至る病』にてソシオパスなシリアル・キラーを演じたカメレオン俳優の代表格である阿部サダヲ。今回はシリアル・キラーとはめちゃくちゃ縁遠い「市役所に勤める小市民」を演じており、その演技のギャップに面喰う人多数だとか。


脇を固めるのは『愛のむきだし』が代表作な満島ひかり。なんかエロい歳の取り方をしている宮沢りえ。この物語において「不在の中心」の役割を果たす孤独死した男性の役に宇崎竜童。その宇崎竜童の元・仕事仲間を國村隼が演じています。國村隼は基本どの映画でも「國村隼」な演技をしていますが、今回はちょっと変わった役どころを演じていて、私は好感が持てました。





【あらすじ】

地方の市役所に勤める独身男性・牧本壮。彼は「おみおくり係」という、孤独死した人の遺体を引き取り火葬まで済ませる仕事に従事していた。彼のデスクの下には、遺族の引き取りを待ち続けるたくさんの骨壺で敷き詰められている。掃除のおばちゃんから早く片付けるように毎度の注意を受けても、牧本は「いつか遺族の方が引き取りに来るかもしれない」と言って、まったく取り合わない。仕事に対して異常なほどの拘りを持ち、時にゴミ屋敷と化した故人の家に足を運んで遺品を探す彼の姿は、仕事仲間の民生委員からは評価の対象になる一方、故人の尊厳を優先しすぎるがあまり、遺体の一時的な引き取り先である警察とはしょっちゅう揉め事を起こしていた。


人の話を聞かない。仕事に対する拘りが強すぎる。自分の話したいことだけ話したら満足する。なかなか心を開かない……人付き合いに難のある性格の牧本ではあったが、孤独死した人の「最後のお世話」をする「おみおくり係」は、そんな彼のために存在を許されている部署であると言えた。部下もおらず、自費で故人の葬儀を上げるなどの行き過ぎたワンマンプレーがある程度は許される「おみおくり係」で働く牧本は、毎日の生活にある程度の充足感を得ていた。


だが、そんな「おみおくり係」にも転機が訪れる。新たに県庁から配属されてきた市民福祉局局長・小野口の合理的主義且つ業務効率を最優先とする運営方針の余波を受け、弱小部署である「おみおくり係」は廃止が決定されてしまう。


折しも、警察から新たな遺体引き取りの連絡を旧知の警察官から受けていた牧本。それを「最後のおみおくり」として業務処理することを許された彼は、これまでの仕事で一度も叶ったことのない「ある事」の実現に人知れず熱意を燃やす。その「ある事」とは「遺族の葬儀参列」……孤独死した人は、生前の遺族とのわだかまりを解消できないがゆえに、いつも葬儀の参列者は牧本ひとりだった。だが、この「最後のおみおくり」だけは、どうにかして遺族を見つけ出し、葬儀参列をお願いしなければならない……それが牧本の願いだった。


最後のおみおくり。その対象となったのは、蕪木孝一郎という独居男性。彼はあろうことか、牧本と同じ団地に住んでいた老人であり、死後二週間経過してから、マンションの管理人に発見されたのだった。


蕪木孝一郎の自宅で遺品の整理に勤しむ牧本は、ある一冊のアルバムを発見する。そこには、ある一人の女の子の、誕生から10歳の誕生日までの成長の記録が残されていた。蕪木孝一郎と少女に何かしらの縁があるとみた牧本は、蕪木のガラケーに残されていた数点の写真だけを頼りに、彼の「遺族探し」を始めるのだった……





【レビュー】

ぶっちゃけると、この映画、観に行く予定はまーったくありませんでした。予告編からして「コメディ寄りのヒューマンドラマか」とアタリをつけ、だったら観に行かなくてもいいや、配信で済ませよーっと決めていたんですな。急に今日の午後に予定していた仕事がなくなってお休みになり「水曜日だから割引が利くし、暇つぶしに見てくるか」と足を運んだわけです。そしたらまぁ、素直に面白い、素直に感動する。俗に言うところの「好きな映画」だったので、こうしてせっせとレビューを書こうと思った訳です。


ところで、なぜ私がこの映画を当初はスルーしていたかというと、「コメディ&ヒューマンドラマ」というジャンルに食指がそれほど伸びなかったからというのもありますが、一番の理由は予告編から漂う「不真面目感」なのでした。市役所で「おみおくり係」という、孤独死を迎えた方の遺体を引き取る仕事に就いてるまきもとさん。彼は人の話を聞かない、自分の話したいことだけを話したらさっさとその場を離れる、異常なくらい察しが悪い、話が微妙にかみ合わないときがある、仕事に対する拘りが強すぎる……公式が出している予告編は、こうしたまきもとさんの偏屈な性格にクローズアップした売り方をしているわけですが、このまきもとさんの性格、言わずもがな発達障害のそれです。予告編を見た私は「これは発達障害者を面白おかしくイジる映画なんじゃないのか」と疑いの目を向けて、だから「絶対に観に行かねー」と思った次第なのであります。


だって、たぶんだけど、私も発達障害の気がありますからね。一度ガチで「診断受けに行こうかなぁ」と悩んだ時期もあったのです。まぁ、流石にまきもとさんほど特徴的な性格はしていませんが。それでもね、上司から「浦切君、〇〇の撮影どうなってる?」と聞かれて「知らねっす。それより先にこっちの撮影をやります」と、反射的に人の話を聞かずに勝手にどんどん仕事を進める癖があるし、編集作業している時も、まぁ基本周りのアドバイスは「はいはいそうですか」と聞き流すばかりで(他人からみて)どーでも良いところにばかり拘るところがあります。そして、一度仕事の予定を乱されると心がザワザワして落ち着かない、イライラするという……うーん、なかなか迷惑な性格してるな、俺は。


そういう自覚が少なくともあったので、だから多分、鑑賞中はずーっと身につまされるような気分になるんだろう……と覚悟して観に行ってみたら、こりゃあびっくり、全然そんなことなかったんですよね。というのは、まきもとは確かに発達障害者の特徴を兼ね備えた言動を繰り返してばかりいるんですけど、彼を知る人々が「彼はそういう性格だから」と、振り回されつつも、案外あっさり受け入れているんです。ココがこの映画の白眉な設定ですね。「発達障害」を「そういう性格」という「特徴のひとつ」としてしかとらえていない。過剰にまきもとの性格にクローズアップしていない。彼が物語を通じて、自分の性格を無理矢理矯正することになる、という話でもない。


ではどういう話かと言えば、私の大好物である「お仕事映画」です。これは「まきもと」という「どこにでもいそうな、ちょっと変わった性格の男」が「おみおくり係」という仕事を通じて自己の在り方を再考する「お仕事映画」「社会人映画」の系譜に連なる作品なのです。


映画の一番の見どころは、先ほども申し上げたように阿部サダヲ演じる主人公・まきもとであり、彼の仕事ぶりにあります。「おみおくり係」の部署があるのは、市役所の片隅も片隅。給湯室レベルのスペースしかないこじんまりとした部屋です。劇中では明言されていませんが、おそらくは左遷部屋なのでしょう。しかし、周囲の人間がまきもとさんの性格をウザがって彼を「おみおくり係」へ追いやったというより、彼の性格上の特性に合わせて配属させたという描き方がされています。適材適所という奴ですね。


孤独死した人の引き取りと遺体処理という、誰もやりたがらないような仕事を、まきもとさんは率先してこなしていきます。民生委員がゴミ屋敷同然の一軒家を前にして、遺体の搬出を躊躇しているのを他所に、鼻下にメンソール系のクリームを塗ってゴミ山を掻き分け、ずんずん家の中へ入っていくまきもとさんの姿を見て、でんでん演じる民生委員は「まきもとさん、流石だなぁ」と、嫌味ではなく本気で尊敬の台詞を呟きます。県庁から派遣されてきた市民福祉局の局長が「おみおくり係」の廃止を決定した時も、まきもとの上司は「これは彼の特性に合わせて設立した係なので、廃止はちょっと……」と、まきもとを庇う発言をします。


それでいて肝心のまきもとは、周囲から向けられる「ちょっと迷惑な奴だけど、仕事は真面目にやるし、悪い奴じゃないよね」という評判を気にも留めず、自分のやりたいように仕事を進める。部署の性質上、部下もいないから査定なんていう面倒な仕事もする必要がない。仕事中にくだらない世間話を吹っかけてくるマンションの管理人には「気が散るから黙っててください」と不躾に言い放ったり、市民福祉局の局長に対しても面と向かって食って掛かる。「まきもとさん!警察署は遺体の貸金庫じゃないんですよ!」と、ひとつひとつの遺体に真摯に向き合い過ぎるがゆえに遺体の引き取りが遅いことに文句をつけてくる旧知の警察官に対しても「知りませんそんなこと」と(実際に口には出さなくてもそんな態度で)警察からの圧力すらも意に介しない鈍感さを発揮する。


素晴らしいですよ、まきもとさん!お客さんの中には、こうしたまきもとさんの性格にイライラする人もいるんでしょうが、私は真逆。「こういう風に仕事が出来たら、楽しいだろうなぁ」なんて感想ばかりが浮かんでいました。


私はこの映画を見ているあいだじゅう、とにかくまきもとさんが羨ましくて仕方なかった。なんでかというと、この人は全部自分の仕事を「自分の裁量」で進めているし、そういう環境に「おみおくり係」を「カスタマイズ」しているから。つまりそれは、言い換えるなら「自己を表現する場所として“おみおくり係”の仕事をこなしている」ということ。これは私の個人的意見ですが、まきもとさんは、なにも孤独死した人が可哀そうだから「おみおくり係」に拘っているんじゃないんです。彼が「おみおくり係」に異様なほどの情熱で取り組むのは、そこが、自分にとって唯一と言える「自己表現/自己実現の場」だから。ゆえに、まきもとさんは仕事に熱心にならざるを得ない。


ミニマリスト同然の彼の自宅は、そんな「自己表現/自己実現の場」の延長として描かれています。仕事で着ていくスーツ「だけ」何着も用意して、適当に飯を済ませた後は、見送った死者たちの遺影をスクラップ写真にまとめているという……ちょっとどころかかなり、ひじょーに変わった「趣味」ですが、これもまた、彼の「自己実現」に他ならないのです。


はい、ではそんな彼にとっての自己表現の場である「おみおくり係」が廃止の憂き目にあってしまったらどうなるのか。まさに、ここから先が、まきもとさんの「本当の勝負」のはじまりなのです。若干のネタバレになりますが、劇中において「おみおくり係」の廃止が取り消されることは最後までありません。これは『ラブライブ!』ではないのです。自分が心安らぐ場として、社会に接続できる起点として、大事に大事に守ってきた場所が奪われたら、どうするべきか。まきもとさんは「おみおくり係」としての最後の仕事を完遂させようと奮闘しつつ、自己表現の場を「外」に求めます。それは、まきもとさんのような性格の人物にとって、極めて難しい挑戦です。


果たして、彼の挑戦は実現するのか。その結末は、ぜひあなた自身の目で確かめてください。全体的にカット割りは短くスピーディーに、しかしシーンひとつひとつは「のほほん」と「シリアス」の程よいバランスで淡々と進んでいくこの映画には似つかわしくない「えっ!」と声を上げてしまいそうになる終盤からラストの意外な(しかし、同時に納得のいく)展開こそが、この映画の真骨頂と言えるでしょう。


そしてまた、この映画は昨今の合理主義・効率主義に対する反駁としても機能しています。テクノロジーの発展と社会構造の変革によって、あらゆる文化や風習に対して「征服/コントロール」のメスが及ぶ現代にあって、それでも「社会における自己実現」を為すためのお手軽なやり方など存在しない、とこの映画は言い切っています。社会において、自分がどうあるべきかを決めるには、まきもとさんぐらいの「他人を省みない力強さ」と「鈍感さ」そして「辛抱強さ」と「ちょっとした共感」が必要であり、それらを得るために、遠回りすぎるほどの遠回りも、時には必要になる。そのマインドは、手続きの何もかもが煩わしく見える「冠婚葬祭」に真摯に向き合う姿勢と共通するものがあります。そうした行為のひとつひとつに明確な意味なんてないし、本当にただただ煩わしいだけの行為かもしれないけれど、それでも私たちは、そんな「遠回りな行為」を通じて互いの想いを汲み取ることが出来るし、それが人間のすばらしさなのだと、本作は訴えます。


この映画の「本当の面白さ」を理解できるのは、おそらく社会に出ている人たちだけでしょう。高校生や大学生が見ても「表面的な面白さ」は感じ取れるでしょうが、この映画を噛み砕くだけの映画的筋力は「仕事」を通じて社会を「視た」ことのある人にしか備わっていないかもしれません。だからこそ、この映画は「社会人」こそが観に行くべき映画なのです。というわけで、社会人の方におススメの一本です。

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