【第7回】散り椿
『黒澤明の魂を感じる、身体性あふれる映画』
上野のTOHOシネマズで鑑賞してきましたので、軽くレビューを書きたいと思います。
ちなみに当方は原作未読です。葉室先生の作品は『蜩ノ記』しか読んだことありません。浅学で申し訳ない。
【導入】
『世界のクロサワ』こと黒澤明の作品に撮影助手として数多く関わり、宮川一夫をして『日本一のフォーカスマン』と称された木村大作の監督作品三作目。
原作は、2017年に逝去された直木賞作家・葉室麟先生の同名小説。
脚本は、黒澤明晩年の作品(『夢』や『まあだだよ』など)で脚本を担当された小泉堯史さん。
ちなみに、小泉さんは2020年に司馬遼太郎の『峠』を原作とした映画『峠 最後のサムライ』の監督および脚本を務めることが決定しています。
今、この時代にまさか河井継之助の物語が映画で復活するとは。原作ファンとしては観ずにはおれません。ちなみに、司馬史観がうんたらかんたらとか、そーいう野暮な意見は聞きたくありません。
主演は、ジャニーズなのに悪い意味でのジャニーズっぽさを全く感じさせない男こと岡田准一。この映画の撮影のために三ヶ月間にも及ぶ殺陣の稽古を積んだそうです。
脇を固めるのは西島秀俊、黒木華、麻生久美子、緒形直人、石橋蓮司などなど、日本の映画としてのリアリティに耐えうる役者陣ばかり。
予告編を観た時から気になっていたので、『台風?そんなの知るか』という気分で観てまいりました。
【あらすじ】
享保十五年――
雪降る京都の道すがら。一人の浪人が歩いていると、突如として辻の向こうから三人の刺客たちが躍り出る。
刃を引っ提げて襲い掛かる刺客たち。しかし浪人は取り乱す事もなく、雷の如き速さの下に抜刀し、これを迎え撃つ。
なすすべもなく利き腕の腱を斬られて身悶えする刺客たちを余所に、浪人は、血の花を咲かせた雪道を踏みしめ、家路へと急いだ――
浪人の名は、瓜生新兵衛。
かつて扇野藩の勘定方に身を置き、一刀流を扱う平山道場の『四天王』の一角として名を馳せ、『鬼の新兵衛』と恐れられた藩士である。
だがそれも、八年前の話。
彼は、藩の上層部が不正に懐を肥やしている事実を黙って見過ごす事が出来ず、勘定方という地位を利用してこれを糾弾したがゆえに藩を放逐され、今では病弱の妻・篠と共に京で隠遁生活を送る羽目になってしまっていた。
正しい道を歩んだつもりのはずが、自らのせいで妻に過酷な生活を強いてしまった――後悔してもしきれない負い目を背負う新兵衛を、優しく気遣う篠。清貧さを絵に描いたような二人の慎ましい生活は、しかし篠の病死により終わりを迎える。
『毎年楽しみにしていた郷里の散り椿を、私の代わりに見ていただけませぬか?』
今際の際に残した篠の願いを叶えるため、新兵衛は八年振りに扇野藩の土を踏みしめる。
あの瓜生新兵衛が戻ってきた――その報せは瞬く間に藩の有力者たちに知られることになる。
その中には、藩の財政を牛耳る城代家老にして、新兵衛の不正によりその立場を危うくさせられた石田玄蕃の姿もあった。八年前のことを尚も恨みつづけている彼こそが、新兵衛を抹殺せんと今なお刺客を送り込み続けている張本人であった。
周囲の好奇な視線に晒される新兵衛は、篠の実家である『坂下家』へ身を寄せる。
義妹に当たる坂下里美は新兵衛を快く迎え入れるが、義弟の坂下藤吾は冷たい態度を取り続ける。そこには、彼の兄である源之進の存在が深く関わっていた。
藤吾の兄・源之進は、新兵衛と同じ平山道場に通っていた武士にして、粘り強い剣技を持ち味とする『四天王』の一角であった。
だが、新兵衛の不正糾弾により、勘定方に就いていた源之進は藩内での立場が危うくなり、全ての責任を取る形で自害したのである。
兄は間接的に新兵衛の手で殺された。そう信じて疑わない藤吾だったが、『四天王』の一人にして馬廻役の篠原三右衞門から、新兵衛の人となりや八年前の不正事件の話を聞くにつれ、また、今まで知ろうとしてこなかった新兵衛の内面を知っていくうちに、徐々に心を開いていくことになる。
と同時に、湧き上がる疑問――なぜ兄は自刃したか。
今まで気づかなかった『兄の本当の想い』を汲み取ろうとする藤吾を、義兄として穏やかに見守る新兵衛。
そんな新兵衛にはもう一つ、散り椿を見る以外に、篠から託された『別の願い』を叶える必要があった。
亡き妻が遺したもうひとつの願い。
それは、かつて篠を取り合った中であり、同じ『四天王』として切磋琢磨した仲間であり、今では扇野藩若殿の側用人を務めるまで出世した、榊原采女の力になって欲しいというものだった。
妻の想いは、よもや采女にあったのではないか――今ではもう確かめる術もない『妻の本当の想い』に絡み取られる瓜生新兵衛。
勘定組頭である義父を一連の不正疑惑の中で何者かに惨殺された過去を持ち、その下手人こそが新兵衛ではないかと疑る榊原采女。
己の欲望のままに藩を動かさんと企み、政敵である榊原采女もろとも新兵衛を葬り去ろうとする石田玄蕃。
新兵衛の姿から武士としての心構えを学ばんとする坂下藤吾。
新兵衛に対し、親類以上の情愛を抱えながらも、それを必死に隠そうとする坂下里美。
多くの人々の想いが絡み合う扇野藩で、今年もまた、椿の散る季節が巡ってくる。
【レビュー】
木村大作という監督は、どちらかというと撮影としての経歴の方がフォーカスされる傾向にあります。それは、彼のこれまでの映画人生を振り返れば当然のことです。業界におけるその立ち位置は、例えるならばゴールド・ロジャーの船に乗っていた船員みたいなもんでしょうか。まさに『生ける伝説』であるわけです。
『隠し砦の三悪人』『用心棒』『蜘蛛巣城』『悪い奴ほどよく眠る』『どですかでん』……私のマイ・フェイバリット・ムービーに名を連ねるこれら映画の数々には、必ずと言っていいほど木村大作の影があります。
特に彼の名を一躍有名にしたのは『用心棒』の序盤のシーンに他なりません。痩せこけた犬が死体の手首を咥えて、宿場町の道をふらふらと歩いていく。あの怖気すら立つ場面にあることに疑いの余地はない。望遠カメラで予測不能な動きをする野犬にきっちりピントを当てる。今考えてもちょっとオカシイんじゃないかと思えるほどの卓越した技量を昔から発揮していた木村大作は、しかし監督としては驚くほど寡作です。ですがこれは、木村大作が監督としての技量が低いことを意味しているわけでは決してないのです。当たり前です。黒澤明をして『俺が覚えている撮影助手は大ちゃんだけ』と言わしめ、超娯楽大作たる黒澤映画を間近で観察してきた方が『映画の真髄』を知らない訳がない。
じゃあなぜ、この映画を含めても、木村大作はこれまでの長い映画人生において、わずか三作品しか映画を創ってこなかったのか。その理由はおそらく『黒澤映画の本質を知っているから、下手な映画を撮る訳にはいかない』という、ある種の戒めのようなものが彼の中にあるからだと私は思います。逆に言えば、その戒めがあるからこそ『この一本に全力を出す』という静かな闘志が画面から匂い立ち、それが結果として『良い映画』の創出に繋がっているのだと思います。
この映画は、はっきり言ってしまうとキャッチーさに欠けます。岡田准一のファンは観に行くでしょうが、よほどの映画好きや時代劇ファンでなければ、スルーしてしまうかもしれない。ゆえに興行収入はそこまで振るわない可能性が高い。こういう事を口にするのは大変に心苦しいですが。
でも、それがなんだって言うんでしょうか。
良い映画の条件=興行収入ランキングの上位に載る。そんなバカげた話を信じている人など少ないと思います。はっきり言って間違ってます。百億売り上げたからと言って、その映画に百億の価値があるのかと言ったら――中にはそんな作品もあるかもしれませんが――嘘もいいところです。ほとんどがまやかしでデタラメです。
真に良い映画の条件とは何か。
映像の奥行を観客に感じさせ、役者たちの確かな身体性が画面の向こうで滲み出ている映画。それこそ、優れた映画であると私は思います。
今や時代劇にすらCGの波が来ている現代にあって、セットを一つも作らず、オールロケ撮影を敢行したこの映画は、とにかく一つ一つのカットに力があります。
激しいアクションがあるわけでも、アニメの超人めいた剣技の応酬がされるわけでもない。静かな場面が大半を占める本作は、それでも役者の『身体性』をこれでもかと感じる事が出来る。
なぜか。それは、役者自身が無意識のうちに、あるいは意識的に、木村大作が描く『映画の枠組み』に収まろうとしているからに他なりません。
自分が今、レンズを通じてどのような形で映画という物語の中に位置を決めているのか。それを役者の一人一人が考えながら撮影しているからこそ、これだけの作品が生まれたのではないかと思わざるを得ません。
歩く姿、手を握る姿、縁側で外を眺める姿、会話する姿……日常の中で我々が無意識のうちに見せる当たり前の仕草から、キャラクターの性格や想いを感じさせる。これこそ『身体性』の顕れであり、映画としては完璧に近い領域にあるのです。
特に際立って秀でているのは、やっぱり岡田准一さんです。足運び、重心の置き方、眼差し……それらの一挙手一投足が生み出すのは『岡田准一演じる瓜生新兵衛』ではなく『岡田准一の顔をした瓜生新兵衛というキャラクター』という、架空であるはずの人物の確かな立像です。
特に終盤の剣劇シーンなど、『許されざる者』のクリント・イーストウッドを彷彿とさせる『鬼気』っぷりです。あんな表情が出来る俳優は、今の邦画界には貴重な存在に違いありません。
この映画は、一見して地味な映画です。あっと驚くようなどんでん返しもなければ、バーフバリやマッドマックスのようなアドレナリン出っぱなしの映画でもない。
どこまでも美しく、キャラクター一人一人の想いが糸のように絡み合う姿を映し出した、まさに映画たる映画なのです。
おススメです。これぞ『映画』です。