表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
79/110

【第71回】007/ノー・タイム・トゥ・ダイ

『スパイの終焉、人間・ボンドの極北』


物語の世界には「ヒーロー」が存在する。


どのような危機的状況に陥っても強靭なフィジカルと持ち前の頭脳センスで窮地を突破し、いかなるリスクを前にしても勇気と覚悟を胸に宿して乗り越えてきた「映画の中のヒーロー」たち。「ジェームス・ボンド」もまさしく、そんな「映画の中のヒーロー」として、長きに渡り世界中で愛されてきた歴史を持つ。


ボンドには教養があった。ボンドには優しさがあった。ボンドには非情さがあった。その甘いマスクで山ほどの美女を虜にしながらも、彼の目線の先にあるのは「世界の危機」であり「巨悪」だった。


オン・ハー・マジェスティーズ・シークレット・サービス。「英国女王の所有物」として世界各国を渡り、これまで数えきれないほどの陰謀を暴き、時には絶対絶命のピンチに立たされながらも、「ジェームス・ボンド」は華麗に颯爽と悪を打ち砕いてきた。彼は「男の憧れ」であり「神話の世界の英雄」だった。


そして……いま、神話の世界の英雄は、我々の目の前で「終わり」を迎えようとしている。


英雄としての、終わりを。





【導入】

新型コロナウイルスの影響で長らく公開延期状態が続いていた大作が、満を持して公開。世界的人気スパイアクション映画シリーズ、『007』シリーズの最新作にして、六代目ジェームス・ボンドを演じるダニエル・クレイグ「最後の」出演作品。


もう言うまでもありませんが、いちおうフォーマットに則ってご紹介しましょう。イギリス秘密情報部MI6に所属する"00エージェント"「ジェームス・ボンド」役を演じるのは、ダニエル・クレイグ。この人、ピアース・ブロスナンの後継としてボンド役に抜擢された時は、日本でも結構散々な言われようだったんですよねー。その時の叩かれっぷりは私も覚えていて、やれ「金髪碧眼のボンドなんてありえない!」とか「顔立ちがKGB」とか「ロバート・ショウだよこれじゃあ!(笑)」とか、けっこーボロクソに言われていたんだが『カジノ・ロワイヤル』の出来映えにみんな手のひらギガドリルブレイクしたっつーカンジで、まあ今さら文句つける人はさすがにおらんでしょう。私の「初・007」は『ゴールデンアイ』ですが、ダニエル版ボンドはなかなか気に入ってるんですよね。


前作『スペクター』から引き続き、ヒロイン"ボンドガール"のマドレーヌ・スワン役を演じるのは、浦切イチオシの名女優、レア・セドゥです。しかーし、これは大変不満なんですが、なんかレア・セドゥって日本じゃそんな人気ないっぽくて、ボンドガールとして評価する声も身近じゃあまり聞かないんですよ。なんで? 美人だしさー、笑うとカワイイしイイじゃないですか。なによりあの目が最高ですよ。しかしそんな私でも実はレア・セドゥの魅力が一番発揮されているのは007シリーズではなくて、『ロブスター』だと確信してるんですけどね。


でまあ、ダニエル・クレイグ最後の出演作だからなのかどーか知りませんが、キャスト面()()色々と挑戦的なことをやっている本作。それが、ボンド引退後の後任として"007"のナンバーを与えられたMI6の女性エージェント、ノーミの登場でしょう。演じるのは『キャプテン・マーベル』のマリア・ランボー役で知名度を上げたラシャーナ・リンチ。


シリーズお馴染みのメンツももちろん登場します。仕える主人は異なれども、これまでの007シリーズでボンドの良き「戦友」として、彼の活躍を裏からサポートしてきたCIAエージェントのフィリックス・ライター役には、お馴染みジェフリー・ライトなんですが、今回は「スパイという道しか選べなかった」ボンドとライターの熱い友情にも視点が当てられていて、私はここ、かなりグッときましたね。


MI6の部長"M"役にはレイフ・ファインズ。『スカイフォール』の頃と比較すると、けっこー腹が出ていて驚きました。Mの右腕にしてMI6幕僚長を務めるビル・タナー役にはロリー・キニア。従来作品と比べて出番は少なめですが、ボンドとの信頼関係を伺わせるセリフのひとつひとつにニヤリ。Mの秘書、マネーペニー役にはナオミ・ハリス。私はダニエル版ボンドのマネーペニー、かなり好きです。そして、いつもボンドに貧乏くじを引かされるMI6武器開発係のトップ、"Q"役にはベン・ウィショー。今回もびっくりドッキリメカはご健在。


そして007と言ったら「悪役」の存在は欠かせません。今回の悪役は「スペクター」に復讐を誓い、ボンドの愛する女・マドレーヌとも浅からぬ因縁を持つサフィンという謎の男。演じるのは『ボヘミアン・ラプソディ』でフレディ・マーキュリーをその身に「憑依」させた名演技でオスカーを獲ったラミ・マレッツ。うーん、こうしてみるとなかなか豪華なキャスト陣ですね。


ですが! 個人的に「イチオシ」なキャラクターは、実はボンドでもなければサフィンでもない! 恐らく本作でいっちばん魅力的なキャラは『ブレードランナー2049』『ナイブス・アウト 名探偵と刃の館の秘密』に出演したアナ・デ・アルマス演じるCIAエージェントのパロマ! このキャラクターが、まあ魅力的。胸元の大きく空いたセクシーなドレスを華麗に着こなし、滅法強い&美しいアクションで敵をばったばったと薙ぎ倒していくんですが、その割にはなんかちょっと抜けていてチャーミングなのがたまらない。その「抜けかた」にわざとらしさがないのもグッド! カワイイ! ギャップ萌えというやつですねぇ。『黄金銃を持つ男』のボンドガール・グッドナイトをもちっとお利口さんにして、戦闘力を爆上げしたような感じと言えば伝わるかな? 


でもなー、残念ながら出番少ないんだよなー。つーか、話の流れ的にいなくても問題ないキャラだし。たぶん「キューバが舞台になるからアナ・デ・アルマスに出てもらおう」的なノリのキャスティングだったのでは? いやあ、『ノック・ノック』でおっぱいボロロ~ンしていた頃と比べたらめちゃくちゃ出世してるから嬉しいっちゃ嬉しいんだけど……なんか……うーん……本当に出番少ないからなあ。外伝作品作ってくれないかなあ。これ一作で出番終了とかナシだぜマジで。


そうそう、予告編にも映っていましたが、前作で逮捕された「スペクター」のボス、ブロフェルドも登場します。予告編を観た限りでは、なんだかレクター博士みたいなポジションっぽく映っていましたが……彼がどんなかたちで描かれているかはスクリーンを観てのお楽しみ。


さて、ようやくスタッフの紹介です。


監督は、当初予定されていたダニー・ボイルに代わりまして、キャリー・ジョージ・フクナガ。『闇の列車、光の旅』しか観たことないんですが、なんか『TRUE DETECTIVE』というテレビドラマで凄いアクションをやっとるらしいですね。今作では自然光を使った演出が印象的に挿入されていて、アクション映画にしてはかなり感傷的な絵作りをしていますが、これが監督の意思によるものなのか、撮影監督のリヌス・サンドグレンの意向によるものなのかは分かりません。しかしながら、サンドグレンは『ファースト・マン』もそうでしたけど、空間を空間として撮影する力が高いですね。


音楽は"巨匠"ハンス・ジマー。タイミングを外さず、盛り上げるところで盛り上げる音楽はやっぱり気持ち良い。最後らへんがちとわざとらしく感じなくもないけど、全体としては満足。ダニエル・クレイグの演技がそうであるように、こちらも「匠の技」を見せつけてくれたなって感じ。一部に雅楽っぽい旋律を使っていたりなど、ちょっと面白いサウンドも聞けたりします。


最後にご紹介するのはオープニング曲。歌うのはビリー・アイリッシュなのですが、まあ素晴らしいです。私は基本的にダニエル版ボンドのオープニング全部好きなんですが、今回のオープニングは出色の出来映えです。長きに渡り戦い続けてきた老兵に手向けるかのような祈りの歌。私なんか普通に泣きそうになりました。





【あらすじ】

世界屈指の規模を有する国際犯罪組織「スペクター」。その首魁であるエルンスト・スタヴロ・ブロフェルドを、熾烈な諜報戦の末に逮捕したイギリス秘密情報部"MI6"の伝説的エージェントであるジェームス・ボンド。


自らの呪われた過去に区切りをつけた彼は、長きに渡り身を置いていた諜報の世界から足を洗い、愛しのマドレーヌ・スワンと共に、イタリア南部のマテーラで静かな暮らしを送っていた。


歴史の堆積したような石灰岩に覆われた街で、愛を囁き合うボンドとマドレーヌ。愛しい人との「普通の暮らし」をようやく手にしたボンドだったが、しかし彼の胸の奥には、ひとりの女の面影が、過去の亡霊のように横たわっていた。


ヴェスパー・リンド……今から十五年前、カジノ・ロワイヤルを舞台にした"007としての最初の任務"で出会い、危機を救われ、本気で愛し、そして"自分を裏切った"イギリス財務省の女。過去に葬り去ったはずの女の顔を、なぜだか未だに忘れることができないでいた。


だが、過去は過去だ。ようやく愛する人とひとつになれた今を生きるために、いま一度、きちんと葬り去る必要がある。そう決めたボンドは、ある日の朝、マテーラの墓地を訪れた。墓守の案内でヴェスパーが眠る墓の前に立ったボンドは、あの頃と全く変わらない微笑みを肖像の中で浮かべる彼女に向かって、マドレーヌにも聞かせたことのない本音を、思わず吐露してしまう。


……君が恋しい。君のことが忘れられない。


その時、墓のそばに何かが落ちているのに気づいたボンド。拾い上げたそれは、1枚のカードだった……忌まわしき"7本足のデビルフィッシュ"のマーク……宿敵・スペクターのアイコンが描かれたカードだった。


言い知れぬ不吉な予感と共に背筋に悪寒が走った直後、ボンドの目の前でヴェスパーの墓が勢い良く吹き飛んだ。何者かが墓に爆弾を仕込んでいたのだ。まるで、ボンドがここを訪れるタイミングを見計らったかのように。


辛くも致命傷を免れたボンドはマドレーヌに電話を掛けるも、繋がる気配はない。まさか……疑念を胸に自宅のある住宅街へ架かる橋を駆け足で渡ろうとした時、彼の背後から迫る一台の黒塗りの車。そして向こう正面からは、バイクに乗った男の姿が。


間違いない。スペクターの残党たちである。組織の長であるブロフェルドが逮捕収監された後も、闇の巨大組織は依然としてその勢いを失わず、ボンドへの復讐の機会を伺っていたのだ。それこそ、過去から迫り来る「亡霊(スペクター)」のように……


なぜ、自分の居場所が彼らに漏れたのか。いや、すでに目星はついている……怒りを胸に敵のバイクを奪い、自宅へ戻ったボンド。傷だらけの彼の帰宅に驚くマドレーヌだったが、そんな彼女にボンドは吠える。


「僕のことを、裏切ったな!」


マドレーヌ・スワンの父親が誰か。それを考えればボンドにとって、この事態は当然のことだった。彼女の父は、ミスター・ホワイト……愛しのヴェスパーを裏から操り、彼女の死の原因を作った、今は亡きスペクターの幹部なのだから。


スペクターとの繋がりを疑うボンドに対し、必死に自らの無実を訴えるマドレーヌ。愛する女に再び裏切られたと思い込み、おう脳するボンド。揺れ動く心を内に抱えたまま、ボンドはマドレーヌを愛車"アストンマーチン"に乗せて、スパイ時代の車載装備を駆使して残党たちの追撃を振り切り、マドレーヌを最寄りの駅へ送り届けた。


もう、会うのはこれっきりだ……マドレーヌを無理やり列車に乗せ、冷たい目で別れの言葉を口にするボンド。そんな彼の誤解を必死に解こうとするマドレーヌだったが、再び心に甲冑を付けたボンドは聞く耳を持たず、走り去る列車にひとり背を向けると、いずこかへ去っていった。


それから五年……イタリアから遠く離れたジャマイカの港町で孤独に暮らしていたボンドの下を、懐かしい顔が訪ねてきた。カジノ・ロワイヤルの一件で知り合い、その後、幾度となく組織の枠を越えて協力し合ってきた「盟友」……アメリカCIAのエージェント、フィリックス・ライターである。彼は、アメリカ国務省職員のローガン・アッシュを伴い、MI6を辞めた君だからこそ協力してほしいと、ある事案についてボンドに相談を持ち込んできたのだ。


話が話なだけに、近場のバーに移動したボンドたち。フィリックスとローガンの説明によれば、数日前、ロンドンの細菌研究施設が何者かの襲撃を受けて爆破され、レベル4の最重要機密である生物兵器が持ち去られたという。しかも、兵器開発の中枢に関わる研究者、ヴァルド・オブルチェフまでもが誘拐されたというのだ。


オブルチェフはボンドが現役だった頃にCIAからMI6に引き抜かれた研究者であり、CIAの調査によると、今はキューバのサンティアゴにいるという。加えてフィリックスたちは、彼が軟禁されているホテルで三日後にスペクター残党たちによるブロフェルドの誕生日を祝うための秘密会合が開かれる予定だというところまで突き止めていた。


事件の背景に組織の匂いを感じ取りつつ、一旦は返答を保留にしたボンド。フィリックスたちと別れた彼の前に、ノーミと名乗るひとりの黒人女性が現れる。バーの前に停めていた車がエンジントラブルで動かなくなったため、彼女のバイクに乗せてもらって自宅まで送り届けてもらったボンドは、そこで彼女の「正体」を知る。


彼女こそは、ボンド引退後に"007"のナンバーをあてがわれた"殺しの許可証"の持ち主。入局から僅か2年で00部門(セクション)に配属された彼女は、バーでのボンドたちの会話を盗聴していたのだ。


かつての自分と同じ、若さを感じさせる跳ねっ返りのノーミにたじたじになるボンド。そんな「偉大な先輩」に対して、ノーミは「オブルチェフのことは忘れて。そうでないと、膝を撃ち抜くわよ」と警告すると、それでも興味があるなら直接前の上司から聞き出せとばかりに、ボンドに自身の端末を寄越すと、そのまま去っていくのだった。


だが、渡された端末で連絡を取ってみても、かつての上司、MI6の部長"M"は口を濁すばかり。どうやらオブルチェフ誘拐の一件は、MI6にとってかなりの痛手であるらしい。それが事の重大さを間接的に物語っていることは、老いてなお歴戦のスパイとしての矜持を忘れないでいるボンドの目には明らかだった。


意を決したボンドはフィリックスに連絡を取ると、協力要請を受諾する。オブルチェフの身柄を敵の手から奪還するため、フィリックスの指示でキューバのサンティアゴへ飛んだボンドは、見目麗しいCIAエージェントのパロメと合流。彼女の手引きでタキシードに着替えたボンドは、スペクター残党の会合が開かれるホテルへ潜入する。


しかし、そんな彼のスパイ活動も、全て見抜かれていた。そう、ブロフェルドはロンドンの刑務所にいながら、部下の眼孔に嵌め込まれた生体工学仕様のカメラ・アイを通じて、逐一ボンドの行動を監視していたのである。自らの誕生を祝うためのパーティーは、同時に、宿縁の敵であるボンドを葬り去るための罠だったのだ。


まんまとスペクターの残党たちに囲まれ、逃げ場を失くしたボンド。そんな彼へ、カメラ・アイ越しにブロフェルドが「死」を宣告した途端、頭上のスプリンクラーから放射される毒ガスの雨……それこそ、オブルチェフの頭脳の結晶。残党たちが研究施設から盗み出した最重要機密技術を使い、ボンドの唾液から採取したDNA配列を元に作られた「ジェームス・ボンド個人にのみ有効な」毒ガスだった。


だが……倒れ伏したのはボンドではなかった。赤黒い浮腫を顔中に浮かべて苦悶のうちに死んでいくのは、スペクターの残党たち。ブロフェルドの企みとは裏腹に、ホテルはスペクター大虐殺の場に転じたのである。


夥しいほどの血生臭い骸の山。阿鼻叫喚の地獄と化したホテルのパーティー会場。そのどさくさに紛れて逃げ出そうとしたオブルチェフを、パロマと協力して拘束せんとするボンド。途中、"007"ノーミの介入がありつつも、なんとかオブルチェフの確保に成功したボンドはパロマと別れ、沖に停泊していた船に乗り込み、フィリックス、ローガンと共にオブルチェフの尋問を開始する。


そこでオブルチェフの口から語られた驚愕の事実。スペクター虐殺は、なんとオブルチェフの工作によるものだった。スペクター一味に有効な毒ガスが作用するように土壇場でデータを入れ替えたのだ。しかも、この恐るべき生物兵器そもそもの開発計画「ヘラクレス計画」を最初に命じたのは、MI6時代の上司……現在のMだと口にするではないか。


では、いまお前は「誰の」命令で動いているのだ……ボンドのその問いに、しかし返ってきたのは鉛の弾丸だった。オブルチェフを取り返すために動き出した「協力者」。彼はボンドたちに手痛い一撃を食らわせると、オブルチェフを引き連れてその場から去っていった。


事態はますますの混迷を極めていた。スペクターの「ボンド殺害計画」を横取りするかたちで残党たちを虐殺した「謎の組織」。オブルチェフは誘拐されたのではない。彼は最初から「謎の組織」の一員として、スペクターを殲滅する機会を待っていたのだ。しかも「謎の組織」は、その電子的能力を駆使して世界中のコンピューターにハッキングを仕掛け、大量のDNAデータを奪い、血の匂い立ち込める「大掃除」を始めようとしている……


古巣であるMI6に帰還したボンドは、かつての仲間たちと連絡を取り合い、新"007"のノーミと手を結び、この姿かたちの見えない「謎の組織」の恐るべき野望を打ち砕くために、行動を開始する。


MI6が極秘裏に進めていた「ヘラクレス計画」の全貌とは? いまや「スペクターただひとりの生き残り」となったブロフェルドは、宿敵ボンドに何を語るのか。そして、ボンドとマドレーヌは、再び互いの愛を信じ合うことができるのか。


いま、ジェームス・ボンドの「最後の戦い」が、始まろうとしていた……





【レビュー】

物語には始まりがあり、終わりがある。アルファとオメガ云々……というのは『御先祖様万々歳!』のセリフですが、まあつまりそういうことです。


宣伝で「ダニエル・クレイグ版ボンド最後の出演作」ってのを前面に押し出している以上、やはりこの映画の評価は「終わり方」に掛かっていると見なすのは自然な考えだと思います。


ですが、万人が納得出来る結末を必ずしも用意できるとは限らない。それもまた、物語の常であります。


始めに言ってしまいますが、恐らくこの映画のラストに関して言うなら「全肯定」か「全否定」の、どちらかしかあり得ないと思います。


もっと細かく言うなら、「ダニエル版ボンドの大ファン」の方々にはめちゃくちゃウケが良く、逆に「007シリーズの往年のファン」からは、もんのすごい大不評なラストだと思います。


それってなんだか『スカイフォール』の評価の割れ方とちょっと似てるなと感じる方、いるかもしれません。たしかに『スカイフォール』は007シリーズとイギリスの繁栄と凋落の「歴史」を逆手に取った、一回こっきりの「禁じ手」を使った映画でしたし、この『ノー・タイム・トゥ・ダイ』も「禁じ手」を使った映画という意味では同じです。


しかしながら、『ノー・タイム・トゥ・ダイ』の「禁じ手」の破壊力は『スカイフォール』の比になりません。この「禁じ手」の威力は相当なものです。いま、こうして平静な文章を書いている私ですら、エンドクレジットが流れてるあいだじゅう絶句&呆然、劇場内が明るさを取り戻しても、しばらくは座席から立ち上がる事すら出来ませんでした。


それがなぜかと言えば、この映画のラストの根底に「007シリーズにおける人間ドラマ」の極北を垣間見たせいです。


ダニエル・クレイグ演じる、この一人称が「僕」のボンドが従来のシリーズと決定的に違う点……それはもうとっくに各所で言及されているように、それまで「英国女王の所有物」や「007という"神話"の英雄」という面を強調した、どこか超人然とした佇まいが当然のものとされていたジェームス・ボンドを、「血生臭い孤独な殺し屋」として再解釈し、「葛藤と成長」という要素を導入したことで「ドラマ性」を高めた部分にあります。


そんな「人間臭いヒーロー」を描いてきたシリーズのラストを飾るだけあって、今回のボンドは従来作品の比にならないくらい、めちゃくちゃ葛藤するし、めちゃくちゃ悩むし、めちゃくちゃ後悔する(だからなのか、なんと今回のボンドはマドレーヌ以外の女性と肉体関係を持たない。真面目)んですが、このエモーショナル、感傷に振り切った作劇ゆえに「上映時間160分越え」という長尺になった可能性大ですね。


スピーディな演出を求められがちなアクション映画にしては遅延の技法が多く、そのため全体的にややダラッとしたつくりにはなっていますが、ひとつひとつのショットはわりかしカッチリと決まっています。しかも、その「決まったショット」のほとんどがボンドの心理描写を描いた場面でのショット。シリーズを通して「異色」と評価されるダニエル版ボンドですが、本作は、なんやかんやとそれまでお約束的に守ってきたアクションの面白さを堅持しつつ、非常に心理説明に費やされる映像が多いため、ダニエル版ボンドの中でも「かなりの異色作」と言えるのではないでしょうか。


それにしても、本当に今作のボンドは葛藤し過ぎなくらい葛藤するんですな。あらすじにも書きましたが、ボンド、いまだにヴェスパーのことが忘れられないでいるんですよ。ここなんか、私けっこうびっくりしてしまって。「お前まだ引きずってんの!? 『慰めの報酬』でケリつけたんじゃないの!? ホワイトの隠れ家で見つけたヴェスパーの拷問テープだって見なかったじゃん!」と、ボンドのウフコックばりの煮え切らなさを目撃するにつれ、私はそこに「人間としてのボンドを撮ろう」とする、製作陣の「本気(マジ)」を感じとりました。


その「本気(マジ)」は、シリーズ歴代を通してみても「異様」に映るアバンタイトル「ガンバレル・シークエンス」と、シリーズ最高に感傷的なテイストのオープニングタイトルからも強烈に感じとることができます。ぶっちゃけた話ですが、『ノー・タイム・トゥ・ダイ』の全ては、このオープニングタイトルに詰まっていると言っても過言ではありません。ビリー・アイリッシュの物憂げな歌声をバックに映し出される意味深な映像の数々。イギリス、グレートブリテンの偶像体である三ツ又の槍を持ったブリタニア女神像は、かつての「大英帝国時代」の華やかさを完全に喪失したようにひび割れ、霜が積もり、血にまみれて崩落していく。続けて映し出されるのは、水中に落下していく傷だらけのアストンマーチン。水底に沈んだワルサーPPK。それら全てが朽ち果て、残骸と化し、砂時計の砂となって落下していくあの映像……それが意味するのは、我々が良く知る「映画の中のヒーロー」は、もうここにはいないのだという、あまりにも残酷な事実。


しかして、ボンドをボンドたらしめていたはずの全ての要素を灰塵に帰した上で「それでも、今まで本能のままに実行してきた殺しの過去からは逃れられないのだ」とばかりに、サビの部分で描かれる「銃と銃弾の二重螺旋」。それが暗喩するのは、殺し屋という道しか選べなかった不器用な男に、今度こそきっちり「落とし前」をつけさせるのだという、この映画の指針表明に他ならなかったのです。


てっきり、ボンドの過去を巡る話は『スペクター』で解決したものと思い込んでいた私は、途方に暮れてしまいました。「007としてのジェームス・ボンドの完全なる終焉」を宣言し、「ひとりの人間が抱える殺しの過去を、いまこそ清算すべきだ」と、言い訳の余地すら与えないとばかりに決定的に突き付けてくる、あの美しくも儚い、しかし血生臭さだけは残したオープニングタイトルを目撃した私は、本当に胸が締め付けられる想いでした。


当たり前ですが、現実の世界に危機を颯爽と片付ける「ヒーロー」はいません。彼らが存在できるのは「物語」の世界だけであり、彼らヒーローは「物語世界の住人だからこそ」ヒーローとして存在することを暗黙のうちに許されてきたのです。


ところが、この映画は「物語」でありながら、最強無敵なヒーローの存在を最後の最後まで許そうとはしません。「リアリティ」という言葉が、それが「フィクション」を前提としたうえでの現実のパロディに過ぎないことを、否が応にも突きつけてきます。


たしかに、びっくりどっきりなメカは出てきます。生物兵器の描き方なんて、ほとんど『メタルギア・ソリッド』のFOX DIEそのままな「やりすぎ感」のある設定です。敵本拠地のプロダクトデザインに、なんとなく『ドクター・ノオ』や『007は二度死ぬ』に通じる荒唐無稽な空気を感じるのも事実です。


それらのフィクション満載な様式美を踏まえたうえでも、しかし『ノー・タイム・トゥ・ダイ』が「映画ヒーロー不在の映画」を描いた事実は覆りません。その事が結果的に「リアリティなきグロテスクな現実」へボンドを追い込んでしまっています。しかもその追い込み方が、ボンド自身が他のシリーズ作品で取ってきた「行動」そのものに直結しているがために、物語の出口を急激に狭めているとも言えるのです。


この映画における悪役のサフィンとは、いったい何者なのでしょうか。まず目につくのは、このサフィンなるキャラクターはアバンタイトル直後の序盤と、そして中盤にて、ボンドの行動とは関係ない場面で印象的に登場するのですが、そこでは妙にホラー的な演出がなされています。サフィン周りの演出はだいたいそんな感じで「007ってホラー路線に転向したのか?」と疑いたくなるくらいにはホラーな演出が目につきます。さらには、身に付けている能面の不気味さも相まって、サフィンにはどこか「現実感のない」印象を受けてしまいます。瞬きをほとんどしない、まるで死人のように青白い表情がそれに拍車をかけ、スペクターに復讐を誓ったこの男こそが、実はブロフェルド以上に「亡霊(スペクター)」なのだと描かれているのは明らかです。


現実感のない印象を観客に与え、死人のような表情で亡霊のように暗躍するサフィン。彼に与えられている役割がそこから見えてきます。すなわち、サフィンは今までボンドがスパイとして世界中で戦ってきた悪役たちの象徴化というよりも、むしろ「ジェームス・ボンドの過去の総体」としてメタ的に描かれているのであり、マザコンのシルヴァや、ファザコンのブロフェルドのように「ジェームス・ボンドの影」として描かれているわけではないのです。


血と暴力にまみれたボンドの過去の総体……これまで常に「過去」に区切りをつけようとしても煮えきらずにいたボンドにとって、これほどの脅威はありません。サフィンの行動目的に合理性が欠けているように見えるのは、この男が物語内の現実の時間軸上にいる敵としては描かれていないため。そう、まさに劇中でMが語るところの「空中に浮いているような」存在なのです。


そしてボンドは、そんな「己の過去の総体」として立ち塞がるサフィンに対し、これまでの歴史で積み重ねてきた、あらゆる肩書きを捨てて挑むのです。そこにいるのは伝説的なスパイでも、「英国女王の所有物」でもない、ジェームス・ボンドという輝かしい名前すら捨て、「まだ死ぬ時ではない(ノー・タイム・トゥ・ダイ)」と、覚悟を決めたひとりの男の姿です。


つまりこの映画は、現実の時間軸上に存在しないかのようにキャラ付けされたサフィンと、スパイ【007】という肩書きを捨てたボンドとの対決の裏で、こんなことを言っている訳です。


この世界に「スパイがスパイとして」戦える「現実的な敵」など、もうどこにもいないのだ、と。


たとえ空が落ちてきても、私たちは立ち上がる……古き良きスパイにとって苦難の21世紀を生きる彼らの誇りを描いた『スカイフォール』の心浮き立つラストカットで007を新たに仕切り直し、往年の007のリズムで『スペクター』を描いた上で、だがそんなものは創り手たちの「甘え」であり「幻想」に過ぎないという、古き良きスパイ・ファンたちが目を背けてきた事実を、容赦なく語る『ノー・タイム・トゥ・ダイ』。


007シリーズお馴染みのガンバレル・シークエンスを思い出そう。MI6の諜報員に相応しいスーツを華麗に着て、銃口形のワイプの向こうでこちらを振り向きつつワルサーPPKを構えて引き金を引いた拍子に、スクリーンは敵の血で赤く染まっていく……


しかし『ノー・タイム・トゥ・ダイ』のガンバレル・シークエンスでは、敵の血は流れません。「スパイとしてのジェームス・ボンド」が倒すに値する敵が全くいないからです(スペクターが敵の手にかかって全滅するしね)。銃を撃った後、ボンドはワイプの向こうで霧のように消えていきます。この映画には「古き良きスパイの存在する余地」など、完全にないからです。満を持して新"007"のノーミを登場させたわりに、彼女にろくな見せ場が無いことは、すでにこの時点で暗示されているのです。


スパイが「スパイとして戦える敵」がいない世界。007として積み重ねてきた経験が、なにひとつ通用しない世界。そんな世界で「人間・ジェームス・ボンド」はどう敵と戦うのか。その結末は、ぜひあなた自身の目で確かめてください。


いま思い返しても、本当に胸が詰まります。驚愕のラストです。ある人は落胆し、ある人は怒りを覚えるかもしれません。


しかし私は目撃し、そしてあなたも目撃するはずです。血と暴力に彩られた過去を捨てられない、誰も信じることができないでいた孤独な男が、苦しみの中でようやく掴んだ、たしかな「希望の微笑み」を。


とくに007シリーズのファンでもない方がこの映画のラストを観ても「ふーん」で終わるでしょう。100%楽しみたいなら『カジノ・ロワイヤル』『慰めの報酬』『スカイフォール』『スペクター』の観賞は必須です。さらに楽しみたいなら『ドクター・ノオ』『女王陛下の007』『007は二度死ぬ』も観ておくとベストです。


ちなみに……本作最大のキーキャラクターである「彼女」の登場が唐突だと感じた方、最初からよっく観直してみてください。ちゃんと伏線が張られてますからね(笑) オープニングタイトルに入る少し前の、列車のドアが閉まる直前に見せた「あの人」の仕草にご注目です。


そういうわけで、オススメの映画です。でもまあ、正直俺はこのラスト、あんまり好きではないんだけど(笑)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 今回も熱いレビューでした。このシリーズに特に期待感は無いのですが、楽しみ方を教えてもらいました。そうした発見こそが、レビューを読む醍醐味だと思います。 [一言] アナ・デ・アルマのエロカッ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ