表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
78/110

【第70回】階段下は××する場所である

『"なろう小説原作の実写映画"という色眼鏡を外せ』


インディーズ映画。


実は私、「過激」や「野蛮」「挑戦的」という勝手なイメージを求めて、一時期インディーズ映画の公開を主とする映画館に足しげく「通っていた」時期があります。


過去形ということは言うまでもなく、もういまはそんな幻想を追い求めてはいません。「映画」という開かれた空間で作品を発表しているにも関わらず、どこか内輪で囲んだようなミニシアターに特有のムラ的閉鎖感に嫌気が差したというのもありますが、シンプルに「質が低い」モノにばかり当たってしまっていたから、見切りをつけたというのが正しいかも。ちょい前に話題になった『カメラを止めるな!』。今年で言うなら『ベイビーわるきゅーれ』かな。ああいうちゃんとした「構造」を持ってる低予算映画に巡り合えるのがもう稀も稀なわけですよ。


そういうわけで「なろう小説原作(しかも"非異世界転生")」という餌がなかったら、絶対食いつかなかったであろう「インディーズ映画」を今回はご紹介……と言ってもな~。なーんか調べたら都内一ヶ所でしか公開されてないし、しかも10/1までしか上映してないという、まず地方にお住まいの方は観に行くのめちゃくちゃ大変という、なかなかのハードル。(ちなみにこんなこと言ってる私ですら、網を張っているのは専ら洋画方面であり、お気に入りユーザー様の活動報告を見なかったらまず気が付かなかったという体たらく)


でも上映館数や期間に関わらず、「小説家になろう」原作の映画が公開されたとなったら、そりゃあこのサイトでレビューしないわけにはいかんだろうということで、勝手にレビューさせていただきますが、うーん、上映館数がガチで少ねぇから紹介する意味あるか? とも思っちゃうよね。「インディーズ映画」の悲しき宿命ですね。


だからと言って、同情を寄せる気もなければ、手を抜く気も全く無し。さらに言えば、なろうに(ジャンルは違えど)小説を投稿している者として「忖度」する気もさらさら無し。映画は映画として公開された以上、映画として語られるしかねーのであり、そこにはメジャー・インディーズの垣根など、本質的にないのである。


映画に「本格的」に嵌まって約10年。不肖、この浦切三語、勝手にレビューさせていただきやす。





【導入】

謎めいた雰囲気を持つ美人女子高生と、ちょっと頼りないがいざというときは異常な推理力を働かせる男子高校生のカップル(?)が、日常に転がっている小さな謎を解き明かしていく、オムニバス形式の日常ミステリー映画。


監督/脚本は、デビュー作で高校生の恋愛模様を描いた『11月19日』を撮った神谷正智。ちなみにプロデューサーの方も同じ「神谷」性なんですが、血縁関係はないそうです。(追記:えーすみません。間違いです。なんと監督とプロデューサーは兄弟関係です。しっかり情報精査しとけ!俺!)


原作は羽野ゆずの同名小説。実はまだこのサイトに掲載されているらしい。ハーレム、チート、浅ましい欲望満載の典型的な「なろう異世界小説」に手を出さず書籍化まで持っていったのは、素直に好感が持てます。頑張ってほしい。(追記:すんごい勘違いしてました。Twitterで神谷監督に教えられたのですが、なんとこの原作小説「書籍化」されてません。つまり「なろう掲載→映像化」という、なろう民からしたらありえない飛躍をしてるんだって。すごくないすか? めっちゃすごいですよね!? そこもっと宣伝でアピールしたらなろう民はみんな食いつくって! それとも私が見逃してただけ?)


主演の不思議なオーラを放つ女子高生役を演じるのは平岡かなみ。はっきり言ってめっちゃ美人です。すげータイプ、可愛い。今年劇場で50本くらい映画を観てきましたが、ダントツでドストライクの女優さんです。よくこんな美人見つけてきたなー。


その相方である男子高校生役を演じたのが安慶名晃規。「安慶名」と書いて「あがな」と呼ぶそうです。ひょろっとしたモヤシ君なんですが、どことなく顔立ちが関ジャニの村上信五に似ていると思ったのは私だけか?


撮影監督は山田笑子。撮影監督って現場を支配する先任士官(押井守曰く)に近い役割を持つんですが、現場を自分一人だけのものにせず、ちゃんと監督とコミュニケーションを取りながら進めていたんだろうなというのが、上映後のトークイベントで分かるような人柄の方でした。





【あらすじ】

「恋をするなら、ひとめ惚れだ」と、黒志山高校三年生、元女子剣道部部長の雷宮光(らいきゅう ひかる)は信じていた。


そして、ある日の放課後。降りしきる雨と共に、それはなんの前触れもなく唐突に訪れた。


雨が止むのを昇降口に立ち尽くして待っていた時、光は不意に横から声をかけられた。振り返ると、そこに立っていたのは、ほっそりした顔立ちの、まだどこか初々しさの残る顔立ちの男子生徒だった。


彼は、思いきった決断を下すような調子で自分の置き傘を光に渡すと、名乗りもせず、そのまま校門を去っていった。その背中を見送る光の胸には、甘やかな恋の痛みが、じんわりと広がっていた。


翌日。友人から件の男子生徒が、一年D組の水無月日向(みなつき ひゅうが)であると教えられた光は、持ち前の行動力で水無月の下を訪ねると、衆人環境のなか、大胆にも「私と付き合ってほしい」とアプローチする。


しかし、告白された側の水無月の態度は優柔不断そのもので、光のアプローチにも言葉を濁してまともに取り合おうとしない。業を煮やした光は緩い策を講じて水無月を特別棟一階の一室に誘い込むと、勢い込んで彼の唇を奪った。


その直後、廊下の方から少女の絹を裂くような声が……何事かあったかと廊下に飛び出す光。キスされたショックでへたりこんでいた水無月も、慌てて彼女の後を追った。


二人が目にしたのは、一階で仰向けに倒れていた男子剣道部部員の中園だった。駆けつけた光に介抱された彼は、だがろくな状況説明もしないまま、ふらふらとその場から去ってしまう。


続いて二人は、中二階で仰向けに倒れていた、同じ男子剣道部部員の京島を発見する。光と水無月の手で保健室に連れていかれた京島は、中園と喧嘩してこうなったとぶっきらぼうに告げると、まるで逃げるように二人の前から去ってしまった。


なにかおかしい……運動神経はからっきしだが、持ち前の頭脳と閃きで京島の発言の誤謬に気づいた水無月は、光の手を借りつつ、二人の剣道部員の身に起こった「謎」を解き明かしていくのだった……





【レビュー】

忖度はしないって先に宣言してしまったからぶっちゃけますとね、観終わった直後の感想としては「まあインディーズだし、こんなもんか」という身も蓋もないものだったんです。


ところが観終わって一時間、二時間と経つにつれて、なんか妙にこの映画のことばかり考えている自分がいることに気づく。


インディーズだから低予算なのは当たり前。特段際立ってインパクトのあるシーンがあるわけじゃない。お話それ自体は一見すると「普通」だし、あざといアングルなんてほとんどないから撮影も「普通」なんだが、それでも「眠くなるなんてことは全く無かった」という事実からして、それは私が意識の奥底では、ちゃっかりこの映画を楽しんでいた証左に他ならない。


でもありますよね、そういう作品。観ている間は「これ、何が面白いんだ?」とか考えながら、しかし観終わってしばらく経つと「なんか気になってしまう」となって見返すうちに良さを獲得していく映画。私にとってはランティモスの『籠の中の乙女』がそれだったりするのですが。


基本的に私が好んで観る映画ジャンルはSF、ホラー、サスペンス、ファンタジー、アクションといったもので、恋愛を絡めた映画はよほどの有名作品でない限り、意識的に観ないようにしているんですな。それも本作のジャンルは「本格ミステリー」「伝奇ミステリー」のカウンターとして発生し定着した「日常系ミステリー」という、これまた私の好みからは外れたジャンルだったりする。


しかも私、この映画を観に行った時、体調が優れて良い訳じゃなかったんですよ。二日前にコロナワクチンの二回目接種を終えて副反応の苦しさからようやく回復してきた日の出来事で。まあ直前に前々から楽しみにしてた『攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL』の4Kリマスターを鑑賞していて精神的にはアゲアゲな状態だったとは言え、体力的にちとキツイのはあったんです。


それなのに寝なかった。つまりそれは繰り返しになるが、意識の奥底では、ちゃっかりこの映画を楽しんでいた証左に他ならない。


この映画は監督ご自身がTwitterで語っているように、「アニメ的な手法を実写に持ち込む」という、『GHOST IN THE SHELL』の演出をネタ元とする『マトリックス』と、表面上は同じ手法で作られた映画である。


無論、ここで大袈裟にも『マトリックス』を援用してきたのは、何を「アニメ的」とするか、すなわち「記号となる対象の差違」について触れるためである。


『マトリックス』では、特殊効果やバレットタイムなどの(当時は新しかった)撮影技法を用いて「アクションを記号化(デフォルメ)」し、実写に「アニメの生理」を持ち込んでいたのは誰もが知るところである。


他方、この『階段下は××する場所である』では、アクションそのものではなく、役者の生身の演技レベル、すなわち口調やリアクションをアニメ的な演出に寄せるという手法をとっている。


やや仰々しい台詞回しに、わざとらしい手の振り方。大袈裟な表情の演技。下手くそなシネコン邦画にもままある「キャラクターの記号化(デフォルメ)」という選択を取っていながら、その一方で撮影面では、あざといアングルやこれみよがしなカットが極端に少ないのが、この映画を「アニメ=記号」と「実写=一義的」のギリギリのところに立たせている最大の要因であると私は考える。


そしてこの映画、とにかくやたらとカットが多い。全部で三話から成るオムニバス形式なんだが、どの話でもカットが多くぎゃうぎゅうで、はっきり言って「わざとらしすぎるだろ」と苦笑したのも事実。普通ならカットを割らずに撮影するような場面(例:校舎裏で「ワンタッチ」した男子が走り去っていくシーン)でも、無理やりカットを割っているので、これもう明らかに確信犯である。


と思いながら映画を観終えた後のトークイベントで監督の語るところでは、やはり意図的にアニメ的なリズムを生み出すためにカット数を多くした的なことを仰っていたので、ああ、やっぱりそうなんだと理解。


しかしこれはあくまでも私個人の意見ではあるが、アニメ的なリズムを目指すんであれば、むしろ意識するべきはカット数の多さではなく「カット尻の短さ」じゃあないだろうか。それは岡本喜八や庵野秀明や初期タランティーノの映画を見ればあきらかで、つまり「ダイアローグ」のテンポを上げることが、アニメ的なリズムを生み出す最も手っ取り早い、観る側に快楽を与える最大効果の手法であると考える。


ところがこの映画、えらくカット尻が長いのよ(笑)ちょっと、かなり違和感を覚えるレベルで長い。今年観てきた映画の中では、体感的なカット尻の長さでは一番。そんなに長くやってなにか意味あるの?というレベルの長さで、この「カット尻の長さ」についてはトークイベントでも撮影監督から「長いですよね」と監督に突っ込みが入っていたくらい。監督曰くそんなに意識してないっぽくて「たぶん、癖なのかなあ」みたいなことを言っていたので、こっちも「癖ならしょうがないかな」とも思っちゃう。


とこんな風に、キャラクターの演技は過剰にカリカチュアされ、しかし奇抜なアングルはなく、カット数はやたら多く、カット尻は長く、ダイアローグはなんかもっさりしている……と、一個一個の要素を取り出してみると歪な感じが否めないんですが。


これが組み合わさってスクリーンに映るとね、なーんか妙に「癖」になる。


山形県の素朴な風景のなかで、我々の現実がそうであるように「さりげないショット」のなかで、過剰な演技、過剰な台詞回しをするキャラクターたち。その、ある種「舞台劇」に近い、しかし「舞台劇」ほどの強力な虚構は決して持たないという、このオフビートな「塩梅」が、なーんか「目を離しちゃいけないな」って気分にこちらをさせてくれるという、だいぶ不思議な、ボディーブローのように後からジワジワ効いてくる面白い映画なんです。


どうしてこういう生理がこのインディーズ映画に宿っているのか。「オフビート」の一言で済ませてしまえば簡単なんでしょうけども、正直に申し上げますと、私はいまのところ全くわかっていません。


単に方法論で言ったら、監督の「アニメ的な手法を実写に持ち込む」という理念が100%発揮されているかと言えば、そんなこともないわけで。だから「アニメ的な実写だから」という次元ではない、もっと別の深いレイヤーのところにこの作品の「面白さ」は宿っているように思うんだけど、いまのところそれが具体的にどういう面白さなのかは、私自身よくわかっていません。


ただひとつ、これが「面白さ」の一端を担っている要素であろうと推測するのであれば、この映画で語られる物語が、「等身大の青春映画」として、全うな作りになっているという点が上げられる。


繰り返しになるが、この映画は全三話からなるオムニバス形式の映画であり、主人公の雷宮光(すごい名前だ)という女の子と、彼女にブチュチュンパされた水無月日向という男の子とが、日常に潜む「謎」を頭脳と好奇心で解き明かしていくという体裁をとっていくのだが、多くの「日常系ミステリー」がそうであるように、ここで扱われる「謎」は、血も流れないし、暴力にまみれてもいない。『ビブリア古書堂』ほどかっちりしていなくて、どちらかと言えば『タレーラン』に近しいものを自分は感じた。つまり「謎」という大容積のブラックボックスに入れるには、あまりにも小さすぎる「些細な秘密」レベルのものばかりなんですな。


そういうわけで、この映画に登場する「謎」は、はっきり言ってしまえば「謎解き」という工程に耐えれるほどの強度を獲得していない。ミステリー映画、ミステリー小説から離れて久しい自分でも、「ああ、そういうことか」と察しがついてしまうような「些細な秘密」ばかりであるから、カタルシスも大したものではなく、ゆえに、その種明かしに主眼を置いてしまっては、まずこの映画は楽しめない。(なかには、それが良いとする方もいるだろうが)


むしろここで注目すべきは、他人が抱える「些細な秘密」を安全圏から解き明かしていた主人公(とくに水無月日向)当人に関係している「些細な秘密」が、明確な他者の視点から無遠慮にいじられ、時にくすぐられることのもどかしさについて語られていることである。


繰り返しになるが、主人公たちはとにかく他人が内緒にしておきたいであろう「些細な秘密」に、好奇心と推理を武器に、どかどかと遠慮なく踏み込んでいく。「そんなのほっとけばいいじゃんか」と私みたいなスレた人間の心の声を無視して、彼らは「これが主人公特権だ」と言わんばかりに、人様の領域に土足で踏み込んでいく。


探偵モノのミステリーとはえてしてそういうものであり、つまり「探偵役」は「探偵役」という名の鎧を着込むことで他者からの心的介入を受け付けず、逆に遠慮なく「秘密」を口にすべき他者に照準を定めて口を割らせるという「物語上の特権」を獲得している。「本格」や「伝奇」探偵モノの多くは「解く側の心情」ではなく「解かれる側の心情」を優先するのである。


しかし、ネタバレになるから詳しくは言えないが、この映画最後を飾る第三話にて、彼らの「物語上の特権」は、いとも簡単に崩される。そこでは「解く側の心情」がハッキリと描写されており、これが「日常系ミステリー」最大の持ち味を発揮する。


雷宮の買い物に付き合った帰り、立ち寄った喫茶店で水無月に向けられる見ず知らずのおばさま方の好奇な視線と、彼女らが囁き合う「水無月の生活に"無関係"とは言いきれない」野卑な企み……そのことが何を意味しているか、あとになって気づいた観客は、なんとも口にしがたいもどかしさと、居心地の悪さを覚える。つまりこの第三話では、映画が映画という「構造」ゆえに持ち得る「見る者・見られる者」のヒリヒリした危うさを、オフビートな調子で描いている、一番この映画で「映画」している場面だったりする。


いや、しかしその兆候はすでにそのひとつ前の「第二話」で掲示されていたことを忘れてはならない。この第二話では雷宮と水無月の他に、水無月の「親戚」であるひとりの女が登場する。この女が、まあ地雷メイクこそしていないがわかりやすい程の地雷女で(笑)、「お前はフランス書院の誘惑系ヒロインか?」ってなくらいに、水無月に対して「親戚」の領域を越えた情愛をもろに見せながら雷宮に警戒心を払いつつ、水無月の動向をストーキングしているのである。コワイ!


あの中華食堂のシーンで「こいつ、絶対水無月たちが帰った後に、店員さんに適当な理由をつけて水無月の使ったレンゲやら箸やらしゃぶってそうだよなあ」なんて、観ているときはゲラゲラ内心で楽しんでいたのだが、あとになって思い返せば、あの地雷女は常に他人の秘密を探り続ける主人公たちの行動を客観視するために配置されたキャラであり、続く第三話に登場こそしないが、その意図するところは明白である。つまり「外部からの視点」という構造の立場から考えてみれば、第二話は第三話の「フリ」として機能していると見えなくもない。


大袈裟かも知れないが、「深淵を覗くとき、深淵もまた、こちらを覗いているのだ」とは、このSNS社会において、誰もが無意識に感じている「人間力学の歪さ」を端的に示した言葉であると思う。


私たちはタイムラインを通じて他人の「些細な秘密」をピーピングしつつも、そのくせ自分の持つ「些細な秘密」をも電子の海にだらだらと排出している。そこにはもはや「謎」と呼べる大層なものは存在を許されず、誰かが誰かを見て、誰かが誰かに見られているという不気味で緩慢な「現実」だけが君臨している。


そのような現実社会の軋轢が宿す「摩擦」に、自分にはどうしようもない問題の存在に、居心地の悪さやいたたまれなさを覚えながら生きていく。そのことを体感し、そして成長していくことが、現代における「青春映画」のひとつの描きかたなんだろうと思う。


「他人の目線」に晒されるのは社会の常であるが、「大切な他者」からの視線が、少年をほんのわずかでも「大人」に成長させたところで、この映画は幕を閉じる。


仔細に眺めていないと全く気づけない「さりげない」撮影による「さりげない」成長であるが、成長であることに変わりはないので、それを以て「等身大」と評するのは、あながち間違いじゃないと思う。


「なろう小説原作」という色眼鏡を外して、取り敢えず都内在住のなろう民の方々は観に行ってはいかがでしょうか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] こんにちは! 読み始めの切り口がカミソリのように尖っていたので、「う、浦切さんは一体どんなレビューを書いたのだ?(゜A゜;)」とハラハラしながら読みました。 まぁ、日本のインディーズ映画…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ