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番外編 ムービー・アラカルト2

★7月~8月にかけて鑑賞した映画について、レビューしきれなかった作品に限定して軽くコメントしていこうと思います。例によってどれも率直な感想でございます。




①最後にして最初の人類(監督 ヨハン・ヨハンソン)


『プリズナーズ』や『ボーダーライン』『メッセージ』などのドゥニ・ヴィルヌーヴ作品に劇伴をつけていたことで知られる作曲家、ヨハン・ヨハンソンの「最後にして最初の映画」。冲方さんや小島監督が褒めていたからどんなもんだろと観に行ったらまあびっくり。これがめちゃくちゃ良い宇宙恐怖的SF映画だったので最高でした。


どんな内容かと言うと「20億年後の人類が宇宙滅亡の時を迎える寸前に、わたしたち現世人類に最後の言葉を伝えてくる」というお話なんですが、ぶっちゃけストーリーらしいストーリーは皆無です。


20億年後の宇宙を生きる人間がずーっとモノローグ(ちなみに声を当てているのが、あのティルダ・スウィントン)で我々に語りかけてくるんですが、その背後で蠢くのがモノクロの巨大モニュメントの映像と、低く唸るようなヨハンソンの音楽。ざっくばらんに言ってしまえば『2001年宇宙の旅』のモノクロ版を観ている感覚に近いかな。


しかし、なんといっても凄いのは映像です。私は常々、SF映画で一番重要なのは「世界観」、すなわち「ビジュアル」だと考えているんですが、この映画は70分近い上映時間のほとんどのシーンで、西洋モダニズム感のある抽象的ながら洗練されたデザインの巨大モニュメントがモノクロの無機質すぎる佇まいを伴って迫ってくるので、とにかくたまらない。SFファンのみならず、廃墟ファンや建築物ファンは絶対に観た方が良い一作です。


興味深いのは、これらの異形なビジュアルのモニュメントが、すべて我々の現実に存在しているということ。なんでも、旧ユーゴスラビア地方の各地に点在しているそれらのモニュメントは、「スポメニック」と呼ばれているらしく、ユーゴスラビアがまだ「社会主義国家のユートピア」という"夢"として機能していた時代に、国内の民族団結と過去の戦争を美化する目的で各地に建造された、いわばユーゴスラビアという国のあり方を思想的に支える「大きな物語」として機能していた建造物なんですわ。


しかし、そんなユーゴスラビアも歴史にある通り、今では影も形もございません。いくつかの「スポメニック」はユーゴスラビア社会主義時代の「欺瞞の象徴」として見なされ、分裂後の政府や国民の手で破壊された。ですがその一方で、政治的なイデオロギーで「スポメニック」の存在意義を再解釈しようとする人たちもいて、保護や修復を受けているのもあるんだとか。


民族や文化という垣根を越えた「真の統一」を夢見ていた人々の興亡を見届け、時代に取り残された過去の異物たる「スポメニック」をバックに、今まさに滅びの時を迎えようとしている20億年後の人類が我々に語りかけてくるという、この映画内における状況というか世界観が、まさにSF! 


娯楽性は皆無です。キャラクターは全く出てきません。色彩すらも排除されています。あるのは音楽とモニュメントとティルダのナレーションのみ。いわゆる芸術作品に近い映画ですが、ひたすらもの悲しい、しかし妙な恐怖感を体感できる一作です。一度体験したら忘れられません。





②キャラクター(監督 永井聡)


とある売れない漫画家が、たまたま一家四人殺しの現場に遭遇。しかもあろうことか現場に佇む犯人の姿を目撃しちゃう。逃げるようにして帰宅した直後、取り憑かれたかのようにペンを走らせ、ついさっき目撃したばかりの殺人鬼をキャラに起こしていく主人公。「なんてことだ! ぼくは最高のネタを手にいれたぞ!(露伴風)」とばかりに、その殺人鬼を主人公にした漫画を描いたら思いがけず大ヒット! 一躍売れっ子になるんですが、やがてその漫画に描いた殺人の通りに、正体不明の殺人鬼による殺人が発生していくというサスペンス映画。


んまー面白いです。個人的に、今のところ今年の邦画ナンバーワン映画である『哀愁しんでれら』と同じかそれ以上のサスペンス・クオリティだと思います。あきらかに作劇面では『セブン』を、美術面では一部に『ブレードランナー』からの引用が目立ちますが、ちゃちなオマージュにあらず、それらがしっかりとお話のリアリティに貢献しているのでグッド。伏線の張り方、話の構造の奥行きが見事としか言いようがないし、恐怖感や緊迫感を生み出す演出がかなり上手い。


実際に、私の隣や前に座っていた女性客は、本作の殺人シーンでなかなか大きめの悲鳴を上げていました。そのことからも分かるように、画面における緊張感はもちろん、「血しぶき」の量がハンパないです。最高オブ最高です。加えて、決して観客を無邪気に安心させるラストには至らない話運びなど、作り手が真面目に実直に「面白いサスペンス映画を撮ろう!」という気合い十分な部分が見えるし、その気合いが空回りしておらず、きっちりきっちりサスペンスを構築しているのでハラハラしっぱなしです。


なにより、アホな登場人物が一人も出てこないので変なストレスを感じることもありません。漫画家は真面目に苦悩して漫画を描くし、殺人鬼はマジメに殺人するし、警察も信念とプライドを懸けて事件を捜査する。事件に絡むそれぞれの人物が、それぞれの範囲でやるべきことや出来ることをきっちり遂行していくという、一切「甘え」のない展開が繰り広げられるので、観ていてとても燃えるのです。決しておちゃらけたりしない「フォーマルな映画のカッコ良さ」に溢れている秀作ですね。これで原作付きじゃなくてオリジナル作品だって言うんだから、邦画はやはり侮れません。





③プロミシング・ヤング・ウーマン(監督 エメラルド・フェネル)


過去にあったある事件がきっかけで医者になる夢を諦めてコーヒーショップで働いている主人公が、学生時代のボーイフレンドと再会したことがきっかけで「命懸けの復讐劇」に身を投じていくというお話。


今年は旧作も含めて70本くらい映画を観てますが、まっったく先の読めない映画ナンバーワンでございました。上映時間残り20分くらいのところで衝撃の展開が襲ってきます。「嘘でしょ!?もう残り時間少ないのにこっからどう畳むつもりなの!?」と驚愕、唖然、疑念が渦巻くなか、しかしあれよあれよと綺麗に綺麗に畳まれていく物語。


これはオルテガ的な「大衆」の意識を振り向かせるための、死者と生者の物語です。決して巷で言われているような、フェミニズムに訴える映画や、男性優位社会の批難だけを描いただけの作品じゃございません。こんな作品をデビュー作で撮ってしまうフェネル監督、ただ者じゃありませんね。いまのところ、2021年暫定1位の映画です。ちょっぴりラブストーリーのある、しかし極上のサスペンス映画です。





④パンケーキを毒見する(監督 内山雄人)


率直に言います。この映画の製作者たちは「ドキュメンタリー」というジャンルを舐めきっています。


ドキュメンタリー映画って劇映画よりも製作するのが難しいと個人的に考えていて、何故かと言うと当たり前の話ですけどドキュメンタリーという手前、演技もできないし演出もできないし音楽もそこまで大量につけられないからです。


それでは、世に傑作と名高いドキュメンタリー映画がなぜ映画足り得るのかと言えば、ひとつひとつの、それだけでは何の物語的な意味を成さない映像が明確な文脈に沿って編集された結果、映像が映画という構造を持つに至ったからから映画になり得たわけです。これはアニメや実写にも言えることですが、こと名作とされるドキュメンタリー……『ゆきゆきて神軍』や『A2』や『FAKE』『ホドロフスキーのDUNE』『カルテル・ランド』を鑑賞すると、そのことがよく分かります。


ところが、この映画はただなんとなく映像を繋ぎ合わせているだけなんですな。文脈というものが存在しない。あるのは「政権批判」という安易なフラストレーションの発散だけで、菅総理の素顔に迫りたいのか、桜を見る会や学術会議の問題を深掘りしたいのか、投票率の低さにスポットを当てたいのか、共産党の活動を称賛したいのか……焦点を置くべきところがブレブレなせいで、全体の構成がガタガタです。編集も散漫で時系列もクソもないし、合間合間に挟まれる稚拙な風刺アニメーションが、観る側の没入感を著しく削いできます。


なにより腹が立つのはインタビューの手温さ。相手が口にしたことを鵜呑みにして画面にそのまま載っけておけばドキュメンタリー映画になると考えているその浅はかさ。森達也の爪の垢を煎じて飲ませてやりたくなりますね。「それって本当ですか?」「本当はこうなんじゃないですか?」とインタビュアーが切り込んでいくことで本質を探り、その本質を探っていく過程こそがドキュメンタリー映画にリズムと熱を与えるというのに、それをしないことが作り手側の知性と教養の無さを浮き彫りにしています。「政治風刺バラエティーなドキュメンタリー」って、そういうことでしょ? そういう方向に逃げている時点で失敗なんですよ。


そしてね、こういう映画を「映画」として観ずに、そこにある政治的な思想が自分の思想と合致しているというだけで手放しで称賛する一部の記者や文化人たちも、私に言わせれば、すべからく教養と知性が欠落してるんですよ。自分の浅い欲望を満たしてくれる、気持ちよくしてくれるものだけに包まれていたいなら、それこそマ○かいて寝てろって話なんですわ。





⑤アウシュビッツ・レポート(監督 ピーター・ベビャク)


アラン・レネの『夜と霧』から今に至るまでなおも続いている、ユダヤ人のホロコーストを描いた映画です。いまだにこの題材は戦後70年以上経過した今でも軽く語ることが難しい、または軽く語ることが許されない状況にある題材ですが、この作品もやっぱり重い話を重い語り口で撮影しています。


「深刻さ」の深度やインパクトで言ったら『サウルの息子』には劣りますが、年に一度くらいはこういう映画を観ても良いでしょう。永遠に解決を見ない問題を決して単純化せず、「いま、ここ」の世界にまで影響を与え続ける複雑な背景として描いているぶん、観終わった後は憂鬱な気分になること間違いなし。


監督もそういう効果を狙っているのか、音楽はかなり控えめで、カタルシスを感じさせる直前で冷や水を浴びせてきます。作劇のリズムを遅延させることで映画に「重み」を与えようとしているのがわかりますが、一方でユダヤ人視点のカメラが大きく傾いたりするなど、第二次大戦時のユダヤ人の境遇とお客さんの視点をリンクさせる気で満ちている、ある意味で作り手の「怒り」と「焦り」が伝わってくる一作です。

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