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【第65回】ゴジラVSコング

『ゴジラとコングがぶつかる! 以上!』


私がどれだけゴジラ好きであるかは、この映画レビュー集のアニゴジの回でさんざん話したので割愛……しかし初代ゴジラの凄さについてはあまり語っていなかったので、ちょっと話しましょうか。


言うまでもなく、初代ゴジラ映画の凄さは(当時としては)レベルの高い特撮技術や、戦争体験を持つエキストラの匂い立つような迫真の演技に、「オキシジェン・デストロイヤー」に始まるワクワクするSF設定、加えて東洋のリズムに西洋的エッセンスを加えた伊福部音楽らの堅実な結びつきに象徴されていますが、なによりも凄いのは人間とゴジラがドラマ的に解離していないところにある。つまりスケール的には大状況であるゴジラに、小状況である人間のドラマ……特に芹沢博士のドラマがしっかり結び付いている。それは何故かと言えば、ゴジラのバックボーンと芹沢博士のバックボーンが同じものだからです。水爆被害を受けて変わらざるを得なくなったゴジラ、従軍経験を経て運命を呪った芹沢博士。ともに人間の業を背負い、あるいは背負わされた者同士のドラマだからこそ感動する、まさに「怪獣映画」のお手本のような作品です。


翻って、昭和後期から現代にかけてのゴジラ映画で、たびたび人間ドラマの拙さが指摘される要因の一つに(ヘドラやビオランテという例外はあるが)ゴジラや人間に背負わせる業の濃度が薄まってきているというのがあると思う。あるいは背負わせてはいても、環境破壊や兵器開発といった現代人の業そのものが、映像的に強化されたゴジラが背負うには、とても軽いもののように映画では映ってしまっている(ように見える)だけなのかもしれない。


それが結果として、ゴジラという怪獣の象徴面における弱体化に繋がっている面は多分にあったのだろうし、だからこそシンゴジは「自然災害」という身近な、だがいつだって簡単に人命を破壊できる要素をバックボーンに配置させることで、ゴジラの「怪獣性」を復権させることに成功したのではないかと思う。


そういう意味では、今回の『ゴジラVSコング』も含め、いまだにVSシリーズの延長でしかない怪獣映画を撮り続けているハリウッドより、まるでこのコロナ禍におののく全世界的な混乱を見越していたかのように、大量の怪獣を世界のあちこちに同時出現させたアニゴジ三部作やゴジラS.Pの方が、偶然とはいえ結果的にはずっと現代的な視座に立ってゴジラの「怪獣性」に説得力を持たせている気がするんですが、どうでしょうか。





【導入】

ハリウッドが贈るモンスター・ヴァース第四弾。前作の『キング・オブ・モンスターズ』がコケてしまってもなんのそのと製作された本作では、実に約六十年ぶりにゴジラとコングが怪獣プロレスをおっ始めるということで、私も非常に楽しみにしていました。


監督はアダム・ウィンガード。低予算ホラー映画の名手として知られていますが、『ザ・ギフト』も『サプライズ』も、まあそんなに怖くない。それはそうと、なんでこの人にこれだけデカイ企画が任されたのかの方が謎。誰が観たって、怪獣映画に必要な『デカイものをよりデカく撮る』才能で言ったらギャレス・エドワーズの方が上やと思うんだけど。


主演はゴジラ……ではなくコングさん!そうなのです!『ゴジラVSコング』というタイトルのくせに、ゴジラではなくコングさんが主役。しかも『髑髏島の巨神』から四十年経過しているので、だいぶオッサン化しています。そのくたびれたオッサン感にキュンキュンするかどうかがカギになってます。朝目覚めて大あくびするコング、滝シャワーで朝シャンするコング、手話するコング、地元に帰るコング、ついでに実家へ忘れ物を取りに戻るコング、そしてオッサン最後の意地を見せるで! とばかりにゴジラとヤンキーバトルを繰り広げるコング……ええ、そうです。これはコングのアイドル映画なんです。だからゴジラファンよりも食い付き易いのはコングファンの方々なのかもしれませぬ。


はい、そういうわけで、今作の助演を務めるのはゴジラさんです。今回のゴジラさんは初登場時からバカスカ放射熱線を撃ったり、かなりキャラクター性を意識しているのか結構表情が豊かで、サービス精神ありあり且つチャーミングな印象。ギャレゴジでは「夜勤明けのオッサン」というイメージがありましたが、今回そのイメージはコングに譲り、自身はコングが立ち向かう巨大な壁というか背景として君臨しています。


でまあ、人間たちはどうでも良いので脇に置いときましょう。少なくとも小栗旬演じる芹沢博士の息子の「芹沢レン」だけが、この映画において怪獣側との関わり合いを持つに相応しい立場を獲得していると思うんだが、なんかすんごい簡単に使い潰されてしまったので、彼に関して言えば「なんでこうなった感」が強い。


それはそうと怪獣映画では音楽が、つまり劇伴が演出の面で重要な位置を占めていると思うんですが、今回音楽を担当したのはジャンキーXL。そう! なんとジャンキーXL! 「Brothers in Arms」! 私イチオシのオールタイムベスト『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の、あの素晴らしい劇伴を担当したハードロック・アーティストなんですが……ごめんなさい。


率直に言ってパワー不足感は否めませんでした。私、音楽はド素人ですが、ジャンキーXLの音楽が素晴らしいのは分かります。しかしてその素晴らしい旋律は「人間の気高い誇り」を演出するのには抜群でも、やはり「人間」というスケールに適しているのであり、「怪獣」という規格外のスケールの存在感を演出するには「大人しすぎる」という印象を受けました。やはり怪獣映画には東アジア的な音楽、低い音色の反復音階が似合っている。アレクサンドル・デスプラはそのあたり理解してたな。





【あらすじ】

宇宙怪獣キングギドラを退け、怪獣世界の王として君臨したゴジラ。自然の調停者として地球を守護し、人類の擁護者としてこの世に在り続けるかの偉大なるタイタンが、だがある日突如として人間たちに甚大な危害を加えたことで、世界は再び混沌の渦に飲まれた。


なぜ、ゴジラは突如として人間たちに牙を剥いたのか。カギを握るのは、ゴジラが上陸後に真っ先に破壊した、対怪獣兵器を製造する巨大企業・エイペックスサイバネティクス社のアメリカ支社にある……怪獣の生態系を調査する特務研究機関・モナークの研究員、エマ・ラッセルの娘であるマディソンは自らの直感を信じ、エイペックス社の闇を暴露しようと独自の情報網を駆使してネット放送を続ける謎のDJ、バーニー・デイズとの接触をはかる。


一方、渦中のエイペックス社CEOのウォルター・シモンズは、主任研究員の芹沢レンを連れ、ある男の下を訪ねていた。男の名前はネイサン・リンド。デナム論理科学大学で教鞭を取る彼は、ゴジラを初めとする怪獣たちの生誕の地が地球内部に存在するという、いわゆる「地球空洞説」を大真面目に唱え、そのため学会から厄介者扱いされていた。


だが、ウォルターはネイサンの論理に確証を得ていた。地球の内部に存在する怪獣の生誕地。そこには怪獣たちの命を支える膨大なエネルギーがあるに違いない。その無尽蔵のエネルギーと、エイペックス社の技術力を結集させれば、怪獣達を殲滅できる超兵器の完成も夢ではない……己の野望を実現するため、「仮説の立証」という名目で、ウォルターはリンドの協力を取り付ける。


図らずも理論の立証をする機会に巡り会い、意気揚々としたネイサンは、旧知の人類言語学者アイリーンが滞在する、髑髏島のモナーク第236前進基地を訪ねる。そこでネイサンはアイリーンに、地球内部の入り口への水先案内人として、ある怪獣を利用するアイデアを告げた。その怪獣とは、太古の昔、怪獣たちが地球の覇権を握っていた時代に、ゴジラと浅からぬ因縁を持つ"髑髏島の巨神"コングだった。そして現在、その発見がゴジラをいたずらに刺激するという理由の下、コングはモナークらの手によって前進基地に設置された、巨大なドームに幽閉されていたのだ。


コングを故郷に帰したいという思いのあるアイリーンは、ネイサンの提案を呑んだ。かくしてここに、コング護送の一大船団が組まれた。怪獣であるコングと意志疎通を図ることができる髑髏島の島民、ジアと、ネイサンらの動向を監視し、エネルギーを奪取する目的でエイペックス社から送り込まれたウォルターの娘、マイア。そして屈強なモナークの軍人らを乗せた何十隻もの空母と輸送船団は、拘束したコングを伴い、地球内部への入り口に通じているとされる南極大陸を目指し、進路を取る。


だがその時、太平洋上を鋭く引き裂いて輸送船団へ接近する、巨大な巌のような背鰭の姿が……コングの存在を知覚したゴジラが急襲してきたのだ。危機を察知したネイサンは直ちにコングの拘束具を自動解除。久しぶりの自由を噛み締めることもなく、巨神はその全貌を露にした怪獣王との一騎討ちに身を投じていく。


ゴジラとコング。ともに地球の守護神であり、人類の擁護者である彼らは、なぜ互いに争い合うのか……だが、疑問に浸っている時間などない。「真の怪獣王」を決める壮絶な戦いの火蓋は、既に切って落とされたのだから。





【レビュー】

デカイものとデカイものがぶつかり合う。その迫力は十分にある映画だと思います。しかし最初に断っておきますが、これは俗に言うところのバカ映画です。真面目に観ちゃいけませんよ(笑)。突っ込めるだけ突っ込んでくれよな!と言わんばかりのとてもイイカゲンな作劇のオンパレードなんですから。


『ゴジラVSコング』という名の通り、これはゴジラとコングがガチのタイマンにもつれ込む映画であるわけです。んで、実際に鑑賞した限りでは、マジにそこにのみ力を極振りしてるとしか思えない作りになっているので、タイトルに偽りなしって奴ですね。


さて、これからこの映画を観ようと思っている方へアドバイスがあります。絶対にコーラとポップコーンを劇場の売店で購入しておきましょう。そしてイイカゲンにも程がある人間ドラマパートの作劇が流れたら、すかさずポップコーンを口に含んでコーラで流し込み、なんとなくお茶を濁してから、怪獣同士のタイマンプロレスに熱狂すべし。それくらい、人間ドラマのクオリティが低いのです(笑)。


今作ではコングを取り巻く人間たちの思惑と、ゴジラを取り巻く人間たちの思惑を平行して描いているわけですが、それが結果的に登場人物の数をいたずらに増やしただけの結果に終わっているのが残念でなりません。特に芹沢レンの扱い方があんまりにもったいないしお粗末すぎるので、これは個人的に大きなマイナスでした。登場人物の背景(とくにゴジラ関連の)を少なからず廃した時点で完全に人間ドラマが小状況のまま閉じてしまったので、どれだけわちゃわちゃ動かしてみても、ゴジラやコング自身のドラマと結び付くはずもないんです。


なので、ある見方では今回の人間ドラマはギャレスやドハディをはるかに下回る低クオリティに映り、個人的には幼少の頃のトラウマであるエメゴジを思い出させるやっつけな仕事っぷり。アダム・ウィンガードの悪い癖というか「自分の興味ある部分のディテールは追求したくなるがそれ以外はマジどうでも良い」ってなくらいイイカゲン(酒ぶっかけて爆発炎上するコンソールってなんだよ……)。だから、この映画の見所は、やっぱりタイトル通りと言うか、ゴジラとコングの戦いにしかないわけです。


さて、杜撰な人間パートが過ぎ去り、いよいよきました! ゴジラとコングがぶつかり合ったら、もうその先は小難しいことは一切考えずにテンションをアゲまくりましょう。絶対に小難しいことを考えてはいけません。全長334メートルの空母上で睨み合うゴジラ&コングの全身を画面枠いっぱいに映して逆に小ささを演出してしまうダサさに幻滅したり、ドハディよりも更に下手くそなカメラワークのせいで怪獣のデカさが映画的に全く伝わってこないことに噴飯しちゃだめです。ゴジラやコングにクローズ・アップして感情を露にするショットに引いてしまってもいけません。そういう重箱の隅をつつくような指摘をして、自ら熱を下げるような行為に溺れてはなりません。とにかく目の前でデカブツがぶつかり合っているという事実が大事なのですから。


ゴジラとコングがぶつかり合うその原因に論理的な思考を持ち出してきてもいけません。「ともに人類の擁護者なのに、なんでゴジラとコングは戦うの?」という疑問に対して「たいこからのいんねんなんだよ」という、ぼんやりした設定を監督が持ち出してきたのは、共に地球の守護神であるゴジラとコングの戦いをどうにか成立させるためのアリバイに他なりません。怪獣同士の対決原因にギャレゴジやドハゴジにあった動物の縄張り意識や習性を持ち出すのではなく、「たいこからのいんねん」という解像度の低い設定を持ってくる時点で察してくださいな。つまり動機もへったくれもない、有機的な作劇の流れにはとても見えない「なんとなく出会ったからタイマン張らせてもらうわ」という、ヤンキー漫画のノリで進行していくものとお考えください。


はい、語ることは全て語りました(笑)いやでもホントにこれが全てなんですよ。ゴジラとコングがぶつかり合って「決着」をつけるという、ホントにそれだけの映画なんですね。だから、この二大怪獣の対決をスムーズに見せよう見せようと、あらゆる人間やメカや設定が徹底的に奉仕されるわけなんですが、あまりにもお膳立てが過ぎるので、なんかもう笑っちゃいますよね。特に終盤のシーン、地下世界にいるコングと地上にいるゴジラをどうやってぶつけるのか、そこが凄く気になるところではあったんですが、まさかあんな手段を使ってくるとはね……もうあれを見た瞬間に「あ、もう真面目に観るのやめよう」となりましたから。あんなんやったら怪獣同士の対決以前に地球がヤバそう。


まあさ、ベイリーの『地底戦艦』ぐらいのSF設定を……とは言わないけど、にしたっていい加減すぎるよ。地球空洞説の扱い方が。既に使い古されたトンデモ学説を持ち出してきたわりに、その映画的な描き方に全くの新鮮さがないってのはね~。それだけ、ゴジラとコングの戦いに作劇を集中させているんだなーと潔さを感じるか、それとも噴飯するか、あるいは「バカだなーw」と笑い飛ばすか……多分ですが笑い飛ばすのが一番でしょう。繰り返しになりますが、真面目に観る映画じゃないんですからね。


ですが誤解しないでいただきたい。悪い映画では決してありませんよ。むしろ興奮する類いの作品です。デカブツ同士が衝突する画面のインパクトは結構ありますからね。とは言っても、アクションでスピード感を優先し、重みの質感を排除しているせいで、結果的にゴジラとコングの映像が「安っぽいリアリティー」を獲得しているのが残念です。まあでも、作劇も安っぽいし合っているっちゃ合っているかも。何も考えずにボケッと観ていてもそれなりに楽しめるし、こんなもんでいいんじゃないすかね? 観た後に残るものはなにひとつとしてありませんが、監督自身も何かを残そうとはしていないので、やっぱりポップコーン・ムービーとして楽しむのが一番ですねこいつは。ついでにチュロスも買っちゃいなさいな。


と、ゴジラとコングの決着以上に、(すでにアメリカで先行公開されてネタバレ画像や動画がSNSに氾濫しているとはいえ)この映画いちばんの「サプライズ」である"奴"の登場を見事に隠し通したところで、今回のレビューは締めたいと思います。

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