【第6回】ウインド・リバー
『偶然から発生する必然と、どう向き合っていけばいいかを問いかける映画』
恵比寿のYEBISU GARDEN CINEMAで鑑賞してきましたので、軽くレビューしたいと思います。
ふふ、私がいつもTOHOシネマズだけを利用していると思ったら大間違いですよ!いや、もしもこの映画が東宝系列で放映されていたら当然利用しましたけどね。シネマイレージ貯めたいから。
ぶっちゃけると、本当は7月に観に行きたかったんですが、小説の執筆もあるし仕事も忙しいしで、ずるずると引っ張った挙句、上映期間終了間際にぎりぎりで滑り込めたという感じです。
もっと公開館数が増えればいいんですけどねぇ。東京都内でも五か所ぐらいでしかやってない。こんなに素晴らしい映画なのに。DVD出たら間違いなく購入決定の一本です。
【導入】
『ボーダーライン』でアメリカとメキシコ国境で巻き起こる麻薬戦争の残酷さを描き、『最後の追跡』では現代アメリカの深刻な問題の一つとなっている『ホワイト・トラッシュ(白人貧民層)』の悲哀を描くなど、アメリカの暗黒面を徹底的に掘り下げる物語が話題を呼んだ脚本家、テイラー・シェリダンの初監督作品。
このテイラー・シェリダンさんって方、元々は俳優さんなんです。しかしずーっと脇役に甘んじていて、俳優人生を送って実に15年が経とうとしていた時に、前述した『ボーダーライン』の脚本を仕上げ、一躍アメリカ映画界(あえてハリウッドとは言いたくない)に躍り出た方。苦労人にして遅咲きの才能の人なんです。
そして個人的には、もはやジャンルの一つとなった『クリント・イーストウッド』の『アメリカ映画精神』を引き継げる才能の人だと思っています。この映画を観て確信いたしました。
さて、主人公の白人ハンター・コリーを演じるのは、ジェレミー・レナー。ゴースト・プロトコルで見た事あんなーって思っていたら、アベンジャーズにも出てるみたいですね。わたしアメコミ映画って一つも観る機会が無くてよく知らないんですけど。
ヒロインの新人FBI捜査官ジェーンを演じるのは、いいですねぇ。エリザベス・オルセンです。個人的にいまイチオシの女優さんです。すげー可愛いよマジで。演技も上手いし。
オルセン、と聞いてピンと来られた方もいるかもしれませんが、ジェシーおいたんで有名な『フルハウス』のミシェル役で出演していた双子のオルセン姉妹の妹さんです。飯食いながら見てたなぁ。『GODZILLA』や『恋するふたりの文学講座』に出演されていた、西洋人にしては珍しい、たぬき顔の可愛い女優さん。本作ではその愛嬌あるたぬき顔が催涙スプレーぶっかけられてとんでもないことになっちゃいますが。そこもまた可愛い。
他には、『ローンレンジャー』『最後の追跡』に出演していたギル・バーミンガムや、ネイティブアメリカン出身のグラハム・グリーンなど、本作品に必須とされる俳優陣が脇を固めています。
さて、さっそくあらすじを書いてレビューを……と行きたいところなんですが、ちょっと待ってください。
この『ウインド・リバー』という映画を鑑賞するにあたって、事前にネイティブアメリカンの知識をある程度保有しておくことが必須であるため、ちょっと私の方から説明させていただきます。
「えー、めんどくさい」とか言わないでください。
この映画は現代アメリカが抱えている闇の一つである『ネイティブアメリカン保留地問題』がどれだけ深刻であるかを語っている映画でもあるため、事前にそれらの話を知っておかないと何が何だか分からないまま映画を観る事になりますので。
その昔に小説のネタ探しの過程で知った知識なんで、ところどころ今とは違うところがあるかもしれませんが、それでもネイティブアメリカンの問題の根深さというのは変わりません。
さて……個人的に思うところがあるのですが、アメリカ合衆国もまた他の国に漏れることなく、自国の闇から目を背け続けている国です。
私が思うに、アメリカという国の黒歴史は大きく二つある。
一つは、皆さんもご存じ『ベトナム戦争』です。軍事大国アメリカが、建国以来初の敗北を喫した戦争ですね。枯葉剤による深刻な環境汚染・人体汚染は今もなお続いており、表立って調査するとアメリカとの関係に亀裂が入るため、いまだにベトナムは土中に含まれる枯葉剤の正確な量や成分を恒常的に測定することが出来ないでいます。
これマジです。もしどこかのサイトで枯葉剤の量や成分を一覧にしているデータがあったとしたら、それは出鱈目です。なんでそんな事言えるんだと聞かれたら、色々な事情が絡んでいて答えられませんが、これはマジの話です。
『地獄の黙示録』や『プラトーン』や『タクシー・ドライバー』など、ベトナム戦争を直接的に、あるいは間接的に描いてきた傑作映画が多いのは、やはりそれだけアメリカという国に与えたダメージのでかさを物語っていると言えるでしょう。
そしてもう一つのアメリカの黒歴史。
それが『ネイティブアメリカンに対する強制移住対策』であります。
1830年にアンドリュー・ジャクソン大統領が制定した『インディアン強制移住法』に則って、ミシシッピ川より東に住んでいた部族の土地は国に接収され、ネイティブアメリカンは強制的に西側の代替地へ追いやられてしまいました。チェロキー族の『涙の旅路』など、たぶん世界史の授業か何かで習った方もいるかと思います。
文化や伝統を剥奪させられた彼らが、侵略国家アメリカの手によって住むことを強制された西側の土地というのは、農業や狩猟にまったく適さない痩せた大地でした。そこが、現在で言うところの『ネイティブアメリカン保留地』と呼ばれているもので、その数は2015年時点で300箇所を越え、今でも多くのネイティブアメリカンが暮らしています。いくらアメリカが広大な土地とは言え、あまりにも多すぎるとは思いませんか。
そして、映画のタイトルにもなっている『ウインド・リバー』というのは、ワイオミング州にある保留地の一つなのです。
ネイティブアメリカン保留地は法律的に見ても非常にややこしい土地で、これらは全て合衆国連邦政府の管轄下にありながら、住人たちは部族会議による自治を行い、部族憲法を樹立させています。
これが何を意味するか。ネイティブアメリカンと合衆国というのは、実は『国』と『国』同士の関係にあるということです。よって、ネイティブアメリカン保留地で何か犯罪があったら、派遣されるのは州警察ではなく連邦警察なんです。だからこそ、本作のヒロインはFBI捜査官なんです。
ものすごく変ですよねコレ。ネイティブアメリカンは合衆国と政府間関係にあって、それはつまり、彼らがネイティブアメリカンというアイデンティティを持っていることを認めていながら、しかし彼らが住んでいる土地は合衆国連邦の管轄下にある。こんなの憲法違反もいいところでしょ。近年増加傾向にあるヒスパニック系移民や黒人奴隷の子孫たちが抱えている問題とは、また違ったものが彼らにはあります。
前述したようなネイティブアメリカン保留地の問題は、法律だけに留まりません。彼らの生活もまた、アメリカの一方的な差別主義政策の下で、過酷な暮らしを強いられています。
保留地って、もう本当に人の生活に適さない土地なんですよ。農業も狩猟もままならない。元々住んでいた肥沃な土地とは違って、ただただ厳しいだけの自然だけがそこにある。そうなると、住人達は生きる希望を失い、堕落し、麻薬やアルコールに逃れざるを得ません。それを誰が責められるでしょう。国によって文化を奪われ、もう彼らには現実の厳しさから逃れるしか方法がないんです。
ネイティブアメリカンの失業率、ご存じですか? 50パーセント以上ですよ。そんな中でどうやって暮らせと言うんでしょう。たしかにカジノ経営権を獲得するなどして生活を成り立たせている部族もいますが、そうでない部族はフラストレーションを溜めるしかない。
麻薬やアルコールに溺れるネイティブアメリカンの若者は年々増加を続けています。そうなると必然的に犯罪が……特に女性を対象としたレイプ事件が多発します。
しかし、ここがアメリカという国の最も恐ろしいところなんですがね。
アメリカの連邦法では、レイプを罰する法律がありません。
レイプ犯罪を罰する法律は各州政府によって規定されていて、その州で起こった強姦事件は州の法律でしか罰することができない。
ですが先ほども申し上げたように、保留地は合衆国の管轄下にあって、州政府の政治力が及ばない領域にある。だから州警察は動けない。
そしてしつこいようですが、連邦法にはレイプを罰する法律がない。
つまりですね。
乱暴でひどい言い方ですが、『合法的に』女性をレイプしたかったら、保留地でやれという話になってしまう。そこで起きるレイプ事件を罰する法律は、アメリカには無いのだから。そこだけが、法律の目の届かない唯一の抜け穴だから。
夢もキボーもありゃしない。トランプまじで何とかしろ。
ここまでお話を聞いていて「うわー、なんだか暗そうな題材の物語だな」と思った方、いると思います。
確かに暗いです。重いです。オーシャンズ8が紙切れのように感じられる重さです。
しかしご心配なく。ただただ暗い、説教を垂れるだけの映画ではございません。
非常にサスペンスとしての娯楽性が高く、ハッと思わせる銃撃戦もあります。なにより人間ドラマの深さたるやすさまじいです。
このお話を一言で表すとするなら……『現代における西部劇』とでも言えましょうかね。
【あらすじ】
どうして、こんなことになってしまったのか。
ダウンコートに包まれた細身を責め立てる、容赦ない極寒の冷気。
ウインド・リバーを覆い尽くす刃のような銀世界の中、少女はほっそりとした足を露出したまま、死に物狂いで深い雪道を走っていた。
涙と嗚咽にまみれて走る少女を手助けすることなく、蒼暗い夜空は恐ろしいほどの無限の広がりを見せている。ぞっとするほどの白い満月は、救いの手すら差し伸べはしない。
どれだけの距離を走ってきたのか、もはや少女には分からない。見渡す限りの銀雪とまばらに生える森林世界が無慈悲にも見守る中、少女はとうとう膝を折る。
体の奥深くを貫く激痛。肺胞に突き刺さる痛み。凍傷で壊死しかけている両足の指。
マイナス30℃に及ぶ地獄のような寒気が、少しずつ、だが確実に、少女の命を削り取っていく。
短い人生の最期に、少女は、きっと誰かの顔を思い浮かべていた――
アメリカ合衆国中西部・ワイオミング州のネイティブアメリカン保留地である「ウインド・リバー」
真夏でも深い雪に閉ざされたその高山地帯で、ある日、ネイティブアメリカンの少女の遺体が見つかった。
第一発見者は、ウインド・リバーで野生生物局に勤める白人男性のコリー・ランバート。白人でありながらネイティブアメリカンの妻を持ち、彼らの文化に対する敬意を払っている彼は、被害者の顔を見て思わず天を仰ぐ。
被害者の少女に、見覚えがあったからだ。名前はナタリー。数年前に亡くなったコリーの娘・エミリーの親友だった。
コリーは部族警察長のベンと共にFBIの到着を待つ。視界不良の猛吹雪の中、やってきたのは新人FBI捜査官の女性・ジェーンただ一人だった。
ネイティブアメリカンの暮らしや文化に疎い彼女は、笑ってしまうくらいの薄着だった。そして本人は、それを別に何とも思っていやしない。
自然の過酷さを舐め切った態度。ネイティブアメリカンの置かれた現状を知らない無知な女と見られても仕方ない。
「やっぱり白人は何も分かっちゃいない」――ベンが侮蔑と呆れの混じった声で呟いた。
コリーの案内で死体発見現場を訪れたジェーンは、遺体の状況に疑問を抱く。
現場から五キロ圏内に民家は一つもなく、しかも被害者・ナタリーは裸足だった。
肺が凍って破裂するほどの極限の冷気を吸い込みながら、なぜ彼女は雪原を走って息絶えたのか。
疑問を持ちつつ遺体を検死に回してみると、驚きの結果がジェーンにもたらされた。ナタリーは生前、何者かに性的な乱暴を犯された痕跡があったのだ。
しかし、ウインド・リバーはネイティブアメリカンの保留地。州法律が及ばないこの土地では、本事件をレイプ事案として立件することはできない。
また、法医学の見地から判断しても、ナタリーの直接的な死因は肺出血による窒息死であり、状況的には事件性があるものの、具体的な物証に欠けるため、他殺と認定することができない。
悔しさを滲ませるジェーン。法律の壁にぶち当たり、FBIの専門チームに頼るのは事実上不可能となる。
だが、極寒の雪原の中、誰にも看取れらずに死んでいったナタリーの無念を晴らせるのは、自分しかいない。
本事件を殺人事件として立件することを決めたジェーンは、その証拠を探す為に、地元のハンターにして第一発見者であるコリーの協力を取り付ける。
コリーとジェーンはナタリーの父親マーティンの下を尋ね、彼女が事件当日に恋人の下を訪ねていたことを知る。精神が壊れた妻と、ドラッグに溺れる息子を持つマーティンは、最愛の娘を奪われた事実に憔悴しきっていた。
絶望の淵に立つ彼に、同じく娘を失った経験を持つコリーは、厳しくも諭す。
「時間は解決してはくれない。慣れさせるだけだ。今はとことん苦しむんだ。現実から逃げちゃいけない。苦しむだけ苦しんで、苦しんで、現実を受け入れられた時、お前はまた娘に逢える」
調査を進めていくうちに、マーティンの息子・チップの下を訪ねる事になったコリー、ジェーン、ベンの三人。仲間たちとドラッグ・パーティに明け暮れていたチップは、そこで妹の死を知り、一転して慟哭の嘆きを漏らし、世界に対して憎悪を口にする。
「こんなくそったれな土地のせいだ!妹が死んだのも、俺がこんなになっているのも、全部土地のせいだ!世界が悪いんだ!なぁ、あんたもそう思うだろう?!」
その自分勝手な――だがそう口にしてしまうのも当然だと思えるほどに厳しいネイティブアメリカンの現状を熟知していながら、コリーは毅然と言う。
「俺は自分の感情と戦う。世界とは闘えそうにもないからな」
スノーモービルを駆り、更なる調査を進めていくコリーとジェーン。
コリー持ち前の山岳地帯の知識と観察眼を頼もしく思うジェーン。ネイティブアメリカンに対する意識が彼女の中で変わりつつある中、二人は鬱蒼とした森の中で一人の男性の遺体を発見してしまう。
遺体の身元はマット・レイバーン。
ウインド・リバーの掘削所で働く労働者で、そして、亡くなったナタリーの恋人だった。
ナタリーとマット。恋人同士だった二人の身に一体何が起こったのか。
果たして、ジェーンとコリーは無事に事件を解決し、ナタリーの尊厳を回復することができるのか。
【レビュー】
以前、私は自分の活動報告で『ファンタジー』というジャンルに対する独自の定義をこう話しました。
ファンタジーとは『日常には存在しえないものや、日常にあるはずorあったはずなのにみんなが忘れている風景や概念を、ちょっと違った視点でリアリティたっぷりに捉え、そこに新鮮味を覚えさせる』ジャンルであると。
日常にあったはずなのにみんなが忘れてしまっている……まさにウインド・リバーに代表されるネイティブアメリカン保留地問題がぴったり当てはまります。
国や社会やSNS上の限られたグループ・ネットワークからも忘れ去られてしまった、あるいは知られることもない彼らの現状を描くこの『ウインド・リバー』は正しくファンタジーであり、しかしそこで掲示される人間ドラマは、物語を成立させるために都合よく創られた『かりそめの理由』の下で繰り広げられるものではない。
フィクションではない、真に鑑賞者の心に迫るものがこの映画にはあります。
この映画はとにかく舞台がすごい。真夏でも分厚い雪に閉ざされて、救急車を呼ぼうにも一時間以上かかる不便な土地もさることながら、移ろいやすい山の天気に翻弄される人々の姿を見ていると、よくこんな土地で生活できるものだと感心すると同時、なにか恐ろしいことのように見えてきてしまう。
とにかくすごい不便なんです。ジェーンとコリーの二人が、スノーモービルで山を登ったり下ったりするシーンにその最たるところが表現されています。舗装なんてされていない、無規則に生える林の隙間を雪を蹴散らして縫うようにして進んでいくわけだから、役者の顔と木々が平気でかぶさるんです。見づらい絵ですが、これがたまらなく上手いし、イイ。綺麗な洗練された映像よりも、不便であることを生々しく伝えるこの絵作りが、ウインド・リバーという土地の過酷さをビンビン伝えてくるんです。
それと、引きのショットがこの映画では多用されているんですけど、その時に生じる画面のインパクト――まるで存在の矮小性を表現するかのようにポツンと映る人物と、無限のごとき広がりを持つ雄大過ぎる自然描写とを一つの画面の中に閉じ込めることで、ウインド・リバーという土地が「文化や文明から途絶された異世界めいた場所」であるように表現しているのです。
人工物が何もない一面の銀世界。それを目撃した我々は、自然の美しさよりも、こんな土地で暮らしていかざるを得ない人間の哀しみを覚えます。特定の誰かのせいでこうなったのではなく、精密機械のように君臨する社会システムが遠因となってこうなったのだという、不運な事態をただ傍観するしかない人々のやるせなさが胸に沁みます。
どうしようもなく理不尽な世界が舞台の本作。
しかし、いえ、だからこそ。
そんな『世界から忘れられた土地』で、苦しみながらも前を向いて生きようとするコリーの姿は、我々の目に強く焼き付くのです。
このコリーというキャラクターが、とにかく素晴らしい。娘を失った哀しみを抱えつつ、それが時間の流れなんていうものでは埋められないほどに深い事を自覚し、世界と戦うことよりも自らの感情にどう折り合いをつけて生きていくかを念頭に置いている。暴れる感情を外に向けて爆発させるのではなく、じっと内側に閉じ込めて、感情を飼い慣らす。そこには、クリント・イーストウッドが演じていた名作西部劇映画の主人公たちに通じる『タフさ』があります。こういうキャラクターを創り出せるテイラー・シェリダンこそ、まさしくイーストウッドの正統後継者たる資質を備えた監督であると言えます。
まだまだ本作の凄いところはありまして。とにかく映像表現の工夫が多岐に渡っているのもあって、見ているこちらを飽きさせないんですね。
たとえば、容疑者宅を訪ねたジェーンが不意打ち気味に催涙スプレーを掛けられ、真っ赤に目を腫らした状態で容疑者を追い詰めていくシーンがあるんですが、そこで赤くぼやけてしまったジェーンの視界を描くことで、いまがどれだけヤバイ状況であるかを教えてくれる(ここのエリザベス・オルセンがまたすげー可愛いんです)。他には、扉の開け閉めで現在から過去回想のシーンを淀みなく繋げるなど、とにかく徹底した映像演出へのこだわりが垣間見れるのも、本作の大きな特徴の一つです。
物語の展開も無理がないんですよ。本作はコリーとジェーンのバディ・ムービーでもある訳ですが、その協力体制に至る流れも、前述したようなクソッタレ連邦法のせいでFBIの応援が呼べないから、事件を捜査するにあたって地元住民の協力が必要不可欠になり、それに第一発見者であるコリーの名が挙がるという、アマチュア作家としては見習いたいぐらいのスムーズさです。
もう一つ特筆すべき点としては、銃撃戦が挙げられるんですが、この緊張感がヤバイ!フリクリ オルタナには無かった絵の緊張感が、観客の心臓をぎゅっと掴んでくる!さっきまで静かだったのに、それがちょっとした発言がきっかけで剣呑な空気になり、そこからシームレスにドンパチの匂いを漂わせる、自然な緊張感と不穏さの演出!あぁ~たまらねぇぜ~!見事過ぎるとしか言えないカメラ・ワークの技巧さが光ります。
ネタバレになるので詳しくは言えませんが、あのメキシカン・スタンドオフで向かい合う彼らの緊張感に、私は見事に串刺しになりました。
銃撃戦に関して言うと、この映画では遠距離射撃のシーンがあるんですが、その撮り方もすさまじ過ぎる。よくある『スコープ越しに標的を見る→引き金を引く→スコープ越しに敵が倒れる』といった使い古された撮影方法じゃありません。画面の外から、いきなりライフルの銃声が響いたかと思うと、次の瞬間には画面内の標的が血を撒き散らして勢いよく吹っ飛ぶ。
これを何度も何度も短いスパンで撮っていくんですが、その画面からほとばしるスナイピングの無双感!どんどんどんどん観客の前で倒れていく敵の数々!ヤバいっす。興奮します。ものすごく。やってくれるじゃないかよぉーーー!と、賛辞の声を上げずにはいられない。
ここの映像の凄い所はもう一つあって、吹っ飛ぶ敵&スナイピングの迫力は言うに及ばずなんですが、画面外にいるはずのライフルの仕手の心情が、観ているこちらがわの心情を確かに揺さぶってくるんですよ。画面の中にはいないのに。
本当に不思議です。あの凄まじい銃撃音が轟くシーンを観ていると、観客は意識せずに、ライフルの仕手である『彼』の冷たい怒りを感じずにはいられません。それもあって、このスナイピング・シーンには確かなカタルシスが存在するのです。
こういった銃撃戦一つとっても、また前述したような風景の撮り方一つとっても、とても初監督作品とは思えないぐらいのどっしりとした完成度の作品です。
最後に、この物語の核となるべきシーンについて。
これもまたネタバレになるので詳しくは言えませんが、物語の途中、ジェーンはとある事が理由で負傷してしまうんですね。それで、病院のベッドで治療を受けて目覚めるんですが(ここのエリザベス・オルセンも、たぬき顔であることも相まって、またとてつもなくカワイイ)、その時にコリーが見舞いにやってくるんです。
「私が助かったのは、きっと運が良かったからだわ」
ホッと一安心してそう口にする彼女に、しかしコリーは言います。
「運? 運なんて……そんなものはこの土地には無いよ。都会で事故に遭うとか、そういうのだろ、運っていうのは。ここでは、強く生きていかなきゃやっていけない。君は強かった。戦士だ。だから生き残ったんだ。運じゃないんだ」
運。この奇妙にして魅力的なパワー・ワードはいつだって物語の中で言及され続けてきました。
運と運命。似ているようで言葉の持つ意味は違います。きっとコリーの言うところの「運」というのは、私が考えるところの「運命」と同じだと思います。
運命というのは、偶然と言う名の河から何者かが拾い上げる『必然性』であり、そこに人間の価値観は一切の立ち入りを許されず、どんなに理不尽であっても我々はそれを受け止めるしかない。
もし人間の運命が、そういった神様のいたずらじみた法則によって決まっているのなら、どれだけ頑張って生きようとしても無駄じゃないか。そう思ってしまったからこそ、ナタリーの兄であるチップは薬物に溺れてしまったのかも。運命という壁の存在を認めたくないがために。
ですが、コリーはそんな彼に言います。「世界とは戦わない。自分の感情と戦う」と。
どれだけ理不尽な運命が襲い掛かろうとも、人はそれを受け入れ、戦っていかなければいけません。あまりにも辛すぎる道を選択せざるを得ない状況に囲まれながらも、その選択の重みを背負い込み、それに圧し潰されることなく生きていかねばならない。選択が正しいとか間違っているとか、そういう問題じゃないんです。
社会は変わりません。さっきどうにかしろよトランプと言いましたが、ネイティブアメリカン保留地の問題は、そう簡単に変わらない。もしかしたら一生変わらないかも。
ですがそんな中でも気高く生きようとするコリーや、最後に人間としての強さを見せつけたナタリーの姿を通じて、この映画は訴えかけてきます。
ただそこにあるだけで何の手助けもしてくれない自然の無情さを畏怖すべきものとして描き、人間として生きることの苦しみや愚かさを見せつけ、最後には「人間の持つ勇気と尊厳の素晴らしさ」を伝えているのです。
今年見た映画の中ではベスト級の傑作です。
気になるところを上げるとするなら、始まり方が『ボーダーライン』と似ているという点ですが、そんなもんは些細なことでしょう。
とにかく上映館数が少ないのが悔やまれる。DVDが出たら絶対に買う。
そんな映画です。
あと、エリザベス・オルセンのファンは買うべし。