表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
67/110

【第60回】★花束みたいな恋をした

『合同的関係性であるがゆえの悲劇と幸福』


先週かその前の週でしたかね。有楽町の映画館へ『聖なる犯罪者』を観にいった時、たまたまこの映画の予告が流れていたんですが、その時に頭の中で「この映画はパスだな」という率直な感想を抱いてしまったことを、ここで告白せねばならないでしょう。


だって予告編を観る限りだと、マジでそんじょそこらにあるキラキラ映画そのものでしたからね。若い美男美女が偶然出会って恋に落ちてイチャイチャしてそれなりの別れの危機を迎えてあーでもないこーでもないという……鼻白らむというか、なんかもうヘソで茶を沸かしたくなる予告編だったんですよ。


しかし……これはSNSである人から教えられたのですが……なんとこの映画、カップル成立のキーマンとして「あの」押井守が「本人役」でカメオ出演しているんだとか。


「信じるか信じないかはあなた次第」という陰謀論めいた話に当惑し、軽く脳内がバグりかけた私は、好奇心も手伝って半信半疑で劇場へ向かうことに。


いました。たしかに押井守が、相変わらず犬みたいな面構えでばっちり映っていました。台詞アリの役どころですが、これまた相変わらず口をほとんど開けないあの特有の喋り方のせいで、何言ってんだか全然聞き取れませんでしたがしかし、たしかに押井守がスクリーンの中にいたのです……


……あの! なにを呑気に他人の映画に本人役で出てんすか! いつになったら『キマイラ』は完成するんですか!? てか制作してるんですか!? 制作発表から三年も経過したのに未だに音沙汰なしってどういうことですか!? 『アンカー』や『G.R.M』の時みたいにポシャッたんですか!? それはそうと『ぶらどらぶ』楽しみにしてます頑張って空手道場に通い続けてください!! それで『キマイラ』はいつ公開予定なんですか教えてくださいよ!!


そう心の中で必死に訴えかける私の声に画面の中の押井守が当然応じるはずもなく、わずか十秒足らずでフェードアウト。話は菅田将暉&有村架純の恋愛物語へ移っていったのであります……




【導入】

サブカル的記号や固有名詞で埋め尽くされた「いま、ここ」の現代世界を舞台に、若い男女が恋に落ち、やがて別れるまでの五年間を描いた恋愛作品。


監督は『逃げ恥』の脚本家が担当したことで去年話題になった『罪の声』の監督・土井裕泰。『いま、会いにゆきます』や『涙そうそう』を撮った人ですが、この人の作品でたぶん一番評価されているのは『ビリギャル』なんじゃないでしょうか。というのも、黒沢清監督がえらく褒めていたんですよね。傑作だとかなんとか。私は残念ながら未見なので、そのうち観ようとは思います。


ただ、この土井監督以上に今作で注目されているのが、脚本を担当した坂元裕二さんという方なんですが……ごめんなさい全然知りません……しかしながら、どうも経歴を調べてみると「カンチ、 〇ックスしよ!」の台詞が印象的な『東京ラブストーリー』(見たことねぇ……)やら『ラストクリスマス』(んー……タイトルしか知らん)やら『モザイクジャパン』(たしかアマプラで一話だけ見たけど内容覚えてない)やら、もっぱらテレビドラマ分野で活躍している人みたいです。そりゃー知らなくて当然だ。だって私、テレビドラマ全然見ない人間だから。なんだよかすりもしないな……とwikiで経歴を眺めていたら引っかかるものが! 『ギミー・ヘブン』! おお! 江口洋介主演のサスペンス映画! たしか共感覚をテーマにしていた奴! そのくせラスト以外でほとんど共感覚のシーンがなかった! ていうかパソコン画面を通じての洗脳シーンの方がインパクトあった! あの『ギミー・ヘブン』の脚本家だったのか! と、別にそんなに好きな映画じゃないくせに、なんか妙に嬉しくなりました。


主演は『仮面ライダーW』のころから応援してます菅田将暉に、相変わらず美人な顔立ちの有村架純。その他、オダギリジョーがクッソ胡散臭そうなサブカル男役として登場。最初オダギリだとは全然わかりませんでした。あとは、やたらと仕事をお風呂に例えたがるヒロインの母親役に戸田恵子。花火キチな主人公のお父さん役に小林薫。そして押井守(笑)が出ています。マジでこのメンツに押井守て……もうそれだけでなんか面白いわ。





【あらすじ】

東京・京王線の明大前駅で終電を逃したことから偶然に出会った 山音麦 と 八谷絹。


好きな音楽や映画が嘘みたいに一緒で、あっという間に恋に落ちた麦と絹は、大学を卒業してフリーターをしながら同棲を始める。


近所にお気に入りのパン屋を見つけて、拾った猫に二人で名前をつけて、渋谷パルコが閉店しても、スマスマが最終回を迎えても、日々の現状維持を目標に二人は就職活動を続けるが…。


《以上、公式サイトより抜粋》





【レビュー】

18禁ゲーム界隈は基本的に恥知らずな業界である。なぜなら、かの業界にはサブカル界隈で流行ったものを節操なく臆面なく取り入れてきたという言い訳のできない歴史があるからだ。もちろん例外も沢山あるが、基本的には貧しい物語を適当に肉付けするために、あっちこっちから持ってきたサブカル・パロディネタがいったいどれだけの頻度でパッチワークされてきたことか(これはなにも18禁ゲームに限らない話だけど)。去年なんて“四つ子”の“幼馴染み”とハーレムを作る「〇等分の花嫁」をそのまんまパクったような設定のゲームが出たくらいだからね。しかもパッケージ画像も元ネタ丸パクリ。でも悪い意味で強烈だったのは『らきすた』の泉こなたや『俺妹』の桐乃など、オタク趣味に高じるヒロインの亜流が、ばんばんエロゲ業界でメイキングされていった時ですな。


オタクに対する媚びを狙ったかのようなキャラクター性を持つヒロインの登場が、アニメやラノベ業界を賑わせると、さっそく18禁ゲームの制作者たちはそれに飛びついた。そう、「オタク趣味に理解ある」「なんなら自身もオタク趣味にどっぷり染まっていて」「無個性主人公=プレイヤーにどこまでも甘くて優しい」18禁ヒロインの粗製乱造である。マンガが好き、ゲームが好き、アニメが好きなガチオタヒロイン。果てにはプレイヤー当事者の共感と関心を得ようと「エッチなゲームを喜々としてプレイする」メタ的ヒロインというのも出してきている始末。キャラクターの説明文を読んでいるだけでげんなりしてくる。オタク君のガラスなハートをぬるま湯で包み込もうとする安易なヒロイン。一体何番煎じだよと。まーたそーやってオタクを釣ろうとしているよ……と、こっちはもう嫌になっちゃうんですが、しょーじき私はこの映画に出てくる有村架純演じるヒロインに対しても、映画を観る前は同じような印象を持ってしまっていたんですよ。


だってさぁ、有村架純ですよ? 間違いなく根暗なオタクたちと比較しても、陽の当たるところで常に生活してきたような健康優良美少女が演じる女子大生が、よりにもよって「あの」押井守のファンって、そんなのどー考えてもこっち側の住人を釣ろうとしているようにしか聞こえないじゃないですか。今は亡き伊藤計劃が耳にしたら卒倒するぞ。


だから私、この作品を観に行くときにかなーり身構えていたんですよ。もしも製作者側がそういう安易なエロゲー的思考で一部のオタク層を釣ろうとしているんならこっちも出るとこ出てやろうじゃねぇかという超失礼な謎の敵愾心を露わにしていたわけですが、蓋を開けてみれば全然違いましたねこれ。失礼ながら坂本祐二脚本の恋愛作品を観るのはこれが初めてなものですから、許してくださいよ。まさかこういう話だったとは、全然最初に抱いていた印象と違いました。


終電を逃してしまった後、一夜を乗り切るために、たまたま空いていた深夜のバーへ向かった菅田将暉&有村架純。そこで偶然にも押井守を見かけた菅田将暉は、帰り際になって有村架純の「さっきのバーに押井守、いましたね」という一言に衝撃を受ける。「気づいていたんですか? もしかして、あなたも押井守のファンなんですか?」と菅田将暉が聞くと有村架純は口にする。「好きか嫌いかは別にして、押井守の認知は広く世間一般的であるべきです」と。


いや押井守の存在の認知が世間一般的であるべきと口にするこの子もどーなんだ?と思う一方で、少なくとも『攻殻』以前の押井守映画のアンダーグラウンド感を考えると感慨深いところもあるわけですが、少なくともこの台詞から分かるのは、有村架純がエロゲー的なヒロインとして描かれているんじゃないかという当初の私の予想は見事に粉砕されたっていう事実で、ここでの彼女の映画的役割というか設定は、一般的なサブカル・ポップカルチャー大好き女子というスタンスをとっているということですよね。


とにかく2015年~2020年にかけてのサブカルを代表する文化記号や固有名詞がところ構わず乱舞する映画なんですよ。前述した押井守に始まり、天竺鼠、ミイラ展、きのこ帝国、ゴールデンカムイ、グーグルアース、ニンテンドースイッチ、ゼルダBoW、Awesome City Club、崎山蒼志、今村夏子、舞城王太郎、下高井戸シネマ、ストレンジャーシングス、パズドラ、カンブリア宮殿……覚えているだけでもこれだけ、実際にはこれの倍近くはあるサブカル・ポップカルチャーアイコン台詞が乱舞しまくり。それによって菅田将暉&有村架純演じるサブカル男子・サブカル女子を立体的に見せようというこの試みは、ジャンルが違うだけでやっていることはジャーゴンの物量で作品を立体化させようとするオカルトSF映画や小説に近い。物凄く突飛な喩えかもしれませんが『ブラックロッド』に始まるケイオスヘキサ三部作や、とり・みきの漫画と同じことなんすよね。それが架空の用語か実在する用語かの違いだけで。


そういうサブカル汚染の激しい映画なわけで、当然主役の二人もサブカル文化に肩までどっぷり浸かっている。幸福でもあり、また悲劇でもあるのは、この二人のサブカル嗜好やパターンが全く同じ、すなわち数学で言うところの「合同」であるということですね。押井守を認知出来て、今村夏子の本が好きで、天竺鼠の行けなかったライブチケットを持っていて、ゴールデンカムイを読む二人。もう完璧なまでに「合同」なんですよ。それはサブカルの一致だけでなく映像的な演出面でもそうで、菅田将暉の家で一夜を明かした有村架純が朝帰りのバスに乗る際に、うっかり前の晩に買っていたトイレットペーパーのロール2個のうち1個を菅田君に持ってもらったまま、回収するのを忘れてバスが走り出してしまうあのシーン。二つだったものを意図せずして半分コし合うかたちになるあのシーンはキャラクターの図柄的に合同、あるいは鏡像異性体の関係性として完璧なわけでありますが、二人が付き合い始めてから着ている服に着目すると、色相環的に補色ではなく隣合う色同士の服を着ているペアルック的な服装をしていることから、この映画では徹底的に「自己の合同的存在としての他者」というかたちで互いの恋愛パートナーを描いているんですが、それが必然的にも描き出すのは、合同であるがゆえの悲劇なんですよね。同じかたちをしたパズルのピースがぴったりとハマることがないように、補色の関係性にない色同士を組み合わせても鮮やかにはならないように、互いに足りない部分を補って支え合うという精神的な快楽を知ることは決してないという悲劇なんですよ。あー! この二人が『寄生獣』を読んでいたらなー! 最終巻の台詞に感銘を覚えていればなー! こんな結末にはならんかったんじゃなかろーかー!


あるじゃないですか。なんかそういうのって。つまり恋愛関係っていうのは「合同」であるよりも、全く趣味も価値観も違う者同士の方が結果的に上手くいくというパターン、あるじゃないですか。てかそれが普通だしリアルですよね圧倒的に。創作にしろ現実の世界にしろ。「ヤクザの事務所に行くのにヤクザになる必要はねぇ」という押井守作品『イノセンス』のバトーの台詞を引用するのであれば、相手が今村夏子ファンだからと言って自分も最初から今村夏子ファンである必要はないし、なんならそこでハヤカワ文庫をお勧めしちゃったりすると「なにこれ面白いね!」となって、代わりにこっちが今村夏子作品を読んで「けっこう面白いじゃん!」となって、なんやかんやと互いの理解を深め合って上手くいくってパターンがあるじゃないですか。相手がゴールデンカムイが好きだからと言ってこっちも最初からゴールデンカムイ好きである必要なんてないじゃないすか。意外とジョジョを勧めちゃったりして、そしたら「ジョジョ?絵柄がチョットね……」とかなんとか言ってた彼女がジョースター家が困難な運命に立ち向かっていく姿に感動の涙を流す展開だってあるじゃないですか。いやこれ完全に私の妄想なので聞かなかったことにしてください。


でもねー菅田将暉&有村架純は違うんすよね。別に相手のことを想って、相手のパーソナルを理解したくて相手の趣味を受け入れたから付き合い始めたんじゃなくて、最初から、たまたま、本当に運命的にお互いのサブカル嗜好がピタリと合致して最初から合同の関係性になっていて、だからこそ惹かれ合う。そして惹かれ合って何するかってなったら、やっぱりこれはおセックスなわけですよ。キラキラ映画のわりにはなんか、ちょっと肉体的な生臭さを感じましたね。とはいっても有村架純は事務所コンプラ的な問題なのかヌードにはなってませんでしたが、その代わりモノローグで話す話す。「キッチンでもリビングでもヤッた(要約)」だの「三日連続で大学をサボって彼ぴっぴの家でヤッた(要約)」だの、なんだこれやっぱりエロゲーじゃねぇかオイ! ピュアリケか!? ピュアリケなのか!? ふざけんなよこいつぅうううううう!!!! と心の中で何度も舌打ちをする私をよそに、調布駅から三十分も離れている多摩川沿いのアパートに引っ越して同棲生活を開始した菅田将暉と有村架純は、ベランダに持ち込んだベンチに座ってガチ恋距離で互いに寄り添い合い、モラトリアムな心地良さをいつまでもいつまでも貪ろうとするわけですが……まぁね。前半部分でたっぷり二人のイチャイチャぶりを見せてきたという時点で、これが後に訪れる展開への伏線になっていると考えるのは自然ですよね。


あれが好き、ここが良かったというのは個人個人で異なって当然なわけですが、私個人的には断然、中盤以降の展開が好きというか、イラスト受注の低単価っぷりに嫌気が差してイラストレーターになる夢を諦めた菅田君が一般企業に就職して、慣れない仕事に忙殺されて精神のキャパオーバーを迎えていくにつれて、どんどんオタク的な嗜好や性格を脱臭していく展開に「やめてくれー!」となりましたな。ツイッターのTLを覗いていると、たまに見かけるんですよね。今までオタク的な呟きばかりだったのが、殺伐とした仕事を前に疲れ果ててしまったのか、なんかめちゃくちゃ無味乾燥なツイートばかり流すようになって、それがもうめちゃくちゃ悲しいんですよ本当に。


仕事って、やっぱ「慣れる」と楽になる。つまり「どう仕事の手を抜くか」を覚えるとかなり精神衛生上良くなるという、これは実体験に基づいた結論なのですが、これを習得するのに最低五年間は勤める必要があると私は考えていて、だから菅田君の指導を務める先輩社員の言葉は、全くその通りなんですよね。先輩という立場である以上「手の抜き方を覚えろよ」とあからさまに口に出すのは躊躇われるのでしょうが、でもあの先輩が言いたいことはきっとそういうことなんじゃないかなー。でもそのやり方が分からないうちは、マジでしんどいんですよね。だから仕事の事しか考えられなくなっていく人を私は責められないし、責める資格もないんだけど、それでも……!と言いたくなることはあるんです。仕事が忙しいのも分かるしムカつく取引先や頭をカチ割りたくなる上司や首を絞めたくなる後輩がいるのもわかるし、なんなら全員不幸になっちまえという濃密な負の情動を常に抱いていても全然構わないから、頼むからあなたがこれまで丹念に積み上げてきたオタク的素養を捨てるなんて、そんな悲しいことだけはしないでくれ……って、私けっこうマジでツイッターのTL見ながら毎日祈り捧げてますからね。


ライトとかディープとかに関係なく、「オタクがオタクでなくなる」「自分の好きなことをいつの間にか忘れていく」。これ以上の悲劇があるかってんですよ。私も新卒入社したての頃は確かにそんな風になりかけていましたが、ギリギリなんとかこの猥雑としたオタク界隈に戻ってこれたという経験をしているからこそ、この悲劇が痛いほど突き刺さる。その悲劇を、この映画は結構面白いやり方で見せていて、というのは映像と映像の間をモノローグで埋め尽くす傾向にある作品のわりに、菅田君のオタク脱臭過程がアクションで表現されているという点ですね。あれだけやりたがっていたゼルダBoWに見向きもしなくなったり、大好きだったイラストも全く描かなくなり、彼女から渡された小説の単行本をめんどくさそうにその辺に捨て置いたり、物語性絶無なパズドラに手を出して暇を潰してしまったり、挙句の果てには本屋で手にするのが小説でもマンガでもなくビジネス哲学書という……ここがもう、悲鳴を上げそうになりましたよ私。あんなクソくだらない本を手に取るなんて、おまえ完全にオタク失格やぞ……! それでいいんか……! と。ただ、ここで手にした本が『多動力』や『死ぬこと以外かすり傷』や『革命のファンファーレ』でなくて本当に良かったというか……まぁ菅田君演じる主人公は企業風土に馴染んでいくにつれて「やりたいことだけやって生活していくなんて、仕事舐めてんだろオラァ!」というスタンスを獲得するに至ったので、きっとyoutuberやオンラインサロンとか大っ嫌いなんだろうな。


彼氏のオタク的素養の脱臭。それが暗示するのは、完璧に見えた「合同」の関係性にあった恋人同士の繋がりが、片方が縮小していくことによって次第に「相似」の関係性へと至り、やがては破滅するという展開だ。菅田君がどんどん自分の好きなものを忘れていく一方、やりたいことを仕事にすると決めてイベント会社への転職を決意する有村架純。両者の溝がどんどんどんどん決定的になっていくにつれて、観ているこっちはハラハラしましたよ。夢を諦めた男と、夢にしがみつく女が一つ屋根の下に暮らして、いつ『レボリューショナリーロード』みたいなクソ殺伐とした夫婦喧嘩が繰り広げられるのかと。その日の晩にお互いに言葉にすべきではない言葉をぶつけあって精神的に血みどろになって、朝になったらまた血みどろの喧嘩をしあってという……あんな感じになってしまうんかなーとヒヤヒヤしていたら、結果的にそうはならなかったというオチに安心した一方、ちょっとモンモンとしたものを抱えたのも事実っちゃあ事実です。まーこれは、私が意地汚い性格をしているからなのですが、そんな私の期待通りのエンディングにはならなかったとはいえ、各所で絶賛されているファミレスでの別れのシーンは見ごたえがありましたね。かつてダベっていたファミレスの席に座るのを躊躇して一つ奥の席に座っていたら、自分たちが昔座っていたあの席に、おそらくは自分たちと同じような経緯で知り合った男女がやってきて座り、彼/彼女らの会話を盗み聴きしているうちに、あの時の「輝いていた」自分たちをそこに見出してしまうという、空間的な比較だけでなく時間的な比較をも演出することで、自分たちがすでに遠い遠いどこか別の地平に立ってしまっていることを当人らに強烈に自覚させるという作り。うん、ハマる人にはハマりそうな演出ですね


ただですねー、その、うーん、なんというか。確かにこの映画は良い映画というか万人に愛されるドラマだなーて思うし、各所で好評なのも「自己の合同としての他者=自意識まみれの世界」という側面と「自己との合同化を図れない正真正銘の他者」とのフィジカルな関係性がリモートやらなんやらで変容を迎えている現代世相を踏まえるとかなり頷けるんですが、個人的に好きな映画か? と聞かれると「いや……」と首を傾げたくなる。おそらくこの作品の演出的持ち味であろう、うるさいくらいのカットバックに、ちょっぴり辟易したのも事実だ。かと言ってじゃあ全然刺さらない映画だったの? と聞かれたら、いや……そんなことはないよ、ただ……と口をモゴモゴさせたくなる。奥歯に物が詰まったような感想しか出てこなくなっちゃう。


なんだろうね。去年『思い、思われ、ふり、ふられ』を観たときは、こんな感じにはならなかったんだよな。というのはあの映画は、恋心で結ばれた四人の男女の精神的な矛先が互いに食いあったりすれ違ったりするうちに、やがては外へ外へと向けられていく話だったじゃないですか。でもこの映画は、どんどんどんどん内に内にと精神的なベクトルが向いている。「自己の中の他者」を描いてますからね。それがね、大雑把で乱暴な言葉を用いれば「ただ恋人のくっついた・離れたを描いているだけの、どうでもいい映画」という風にしか、今の私には捉えられないんですよ。これはねー、ひとえに私の恋愛偏差値の低さにあるんですよね。絶対この映画自体に罪はない。ただ、もともと私が映画にそういう話をハナから求めていないというか、ホントに心底どうでもいいストーリーテリングだなとしか……じゃあ観るんじゃねーよ! と突っ込まれたら「ハイソウデウスネ……」としか言えないんですが……うーん、なんとも個人的にどう判断していいものか、分からない作品でしたね。


ただ。私の両隣に座っていたカップルは物凄く満足した表情で劇場を去っていったし「男は仕事を前にしたらどうしようもないんだよ……」「えー、でもあの言い方はちょっとひどくなーい?」というカップルのイチャイチャしたやり取りもチラホラと耳にしましたので、やっぱカップルで観に行くのがベストなんじゃないすかね? その結果、関係性がこじれて別れてしまう結果になっても私は責任持てませんが。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ