【第53回】TENET-テネット-
本ページでレビューする作品のネタバレはいたしませんので、ご安心ください。
『たったひとつ、時間に屈しない「モノ」を人は持つ』
新型コロナのせいで007最新作やらキングスマン・シリーズ最新作やらが軒並み延期になっている中で、今年一番の目玉作品が公開されました。これをレビューせずしてなぁにが映画レビュアーか!
まぁ正直、この9月の四連休の最終日に一回だけ観たっきりなので、取りこぼしとかあると思いますが、それでも感想を書いていきたいと思います。
正直、観る前は物理化学の知識をフル動員させる必要のあるスノッブな映画なんじゃないかなーって身構えていたんですが、意外や意外、ちゃんとエンタメしてる内容で安心しました。てか、ノーランってスノッブな雰囲気を出しつつも、根っこの部分はエンタメ人だったんだなってのが再確認できて、そこは良かったです。はい。
【導入】
謎めいた回文キーワード『TENET』をモチーフに、来る第三次世界大戦を食い止めようとするCIAエージェント“名無しの男”の活躍を描いたタイム・サスペンス・スパイ・ムービー。
監督は、これまでずーーーっと飽きずに『時間』についての作品ばかり撮ってきた“時間マン”にして、傑作『ダークナイト』を手掛けたお方。CGに対して激しい憎悪を燃やすクラシック・シネアスト、クリストファー・ノーランでございます。
この人は映画業界の外にも色々影響を与えた人だと個人的には思っていて、というのは、前世紀の後半ぐらいまで世間がイメージする映画監督像って、ジェームズ・キャメロンやタランティーノみたいな『オタク感丸出し』な人ってイメージだったと思うんですが、高身長でシャレオツなスーツを着こなすこの人が出てきたことで、映画監督にもテレビを前にして「色気づく」という風潮が生まれたような気がする。
いや、ノーラン本人もオタクには違いないんだろうけど、あんまり痛々しいオタク臭さを感じない。どちらかというと「健やかな知性」を感じさせる佇まいなんですが、それが一部のシネフィルたちからは「技巧的すぎる」「賢ぶりすぎる」と、反感を買っているとかいないとか。
私自身は、「当たりはずれの大きい監督だなー」という印象があるので、(なお個人的な意見ですが、ダークナイト、インセプション、インターステラー、ダンケルクは当たり。メメント、インソムニア、バットマン・ビギンズ、プレステージは外れ。ライジングはダークナイトのエンディングが完璧すぎて、実はまだ観れてません。観ようとは思ってるんですけどね……)公開前に身構えることこそありますが、基本的にはノーランの作品に関して“芸術”だとも“高尚”だとも“難解”だとも思っていません。
さてキャストですが、主人公のCIAエージェントにして“名無しの男”を演じるのは、ジョン・デイビット・ワシントン。ワシントン、と聞いてピーンと来た方もいるかもしれませんが、あのデンゼル・ワシントンの息子です。トニスコ版TENETとでも言うべき『デジャブ』にて主人公を演じていた、あの人の長男です。親父さん以上に、もみあげの圧が凄いです。ルパンなんか目じゃないくらいのもみあげです。
その主人公の相棒・ニール役に『トワイライト・シリーズ』で有名になったロバート・パティンソン。『ハリーポッター・シリーズ』でセドリックの役を演じた人です。後述するケネス・ブラナーもそうなんですが、やたらとこの作品、ハリーポッターのキャストが多い気がする。
主人公と敵対するロシアの武器商人、アンドレイ・セイター役を、近年、俳優業だけでなく監督業にまで手を出したケネス・ブラナー。『ハムレット』や『シェイクスピア』で上品なイギリス貴族を演じたかと思いきや、『ハリー・ポッターと秘密の部屋』のロックハート先生などコメディ寄りのキャラも出来る彼ですが、今作では珍しく悪役です。
アンドレイ・セイターの妻にして本作のヒロイン的立ち位置のキャサリン・バートン役を演じるのがエリザベス・デビッキ。うーんごめんなさい。ほとんど知らない女優さんです。でも手足がめちゃくちゃ長くて、実に画面映えする綺麗な女優さんではありました。
はい、メインとなるのは以上の四人です。この映画、ほかにも個性的なキャラが沢山出てくるんですが、ただでさえ時間逆行という題材を取り扱っていて時系列が複雑化しているので、初見さんはこの四人の名前と関係性だけ頭に叩き込んでおけば、エンディングまでそんなに混乱することもないかと思います。
【あらすじ】
キエフの国立オペラハウスが、突如として武装したテロリストに占拠された。事前に情報を掴んでいたアメリカ・CIAのエージェントである『主人公』は、遅れてやってきた特殊部隊と合流するかたちで、オペラハウスへ突入。催眠ガスで強制的に眠らされた人質たちのいるホールを舞台に、特殊部隊とテロリストが銃撃戦へと雪崩れ込む最中、主人公は一人別行動を取り、二階席にいた仲間のエージェントの救出へと向かった。
オペラハウスの襲撃が偽装テロであると見抜いていた主人公は、特殊部隊の真の狙いが核燃料の原料である『プルトニウム241』にあると睨み、特殊部隊の連中よりも先にそれを奪取しようと画策する。先に潜入していたエージェントの活躍もあり、無事にプルトニウム入りのケース確保に成功する主人公たちCIAの一派。だがケースを開けて確認してみれば、そこにはプルトニウムではなく、奇妙な形をした「謎の部品」が収められていた……
主人公は困惑しながらも、証拠隠滅のために会場を時限式爆薬で破壊しようとする特殊部隊の連中を撃退し、オペラハウスから脱出しようとする。だがその時、見慣れないロシアの軍人たちに掴まり、無人の鉄道操車場へと拉致されてしまう。目的不明なロシア人たちから激しい拷問を受けながらも、主人公は機密保持を第一とするエージェントらしく、自決用の毒薬カプセルを噛み砕き、忸怩たる気持ちを押し殺しながら、永遠の眠りについた――はずだった。
目が覚めてみれば、そこは海上を砕いて進む病院船のベッドの上。なにが何だか分からず周りを見渡してみると、一人の初老の男性がベッドのそばに立っていた。
「はじめまして、ようこそ来世へ」
奇妙なことを口走る初老の男。自らを「フェイ」と名乗る彼は、CIAとは別の《組織》とやらに所属する古株のエージェントであり、オペラハウスの偽装テロ事件は、主人公が《組織》のエージェントとして活動するのに相応しいかどうかを試すテストだったと口にする。自決用として渡されていたカプセルは、実際には、ただの睡眠薬カプセルだったのだ。突然の事態に呆気にとられる主人公を前に、フェイは悠々と口にする。
「君に指令を下す。第三次世界大戦を止めろ。キーワードは《TENET》だ。この言葉をよく覚えておくんだ。いいか、このキーワードの使い方を間違えるんじゃないぞ」
このまま何もせずにいれば、核戦争よりも深刻な事態に世界が飲み込まれると警告を鳴らすフェイの言葉に従い、拷問で受けた傷を癒した主人公は港に降りると、とある研究所へ赴く。研究所で《組織》のメンバーである女性科学者、バーバラに面会した主人公は、そこであるものを見せられる。それは、無数の弾丸がめり込んだ、見てくれは何の変哲もない一枚の岩盤だった。
だが、バーバラがその岩盤の前に立ち、弾倉が空の拳銃を向けると、ありえない現象が起こった。岩盤にめり込んでいた銃弾の一つが、不気味に振動したかと思うと、銃口へすっぽり収まり、そのまま弾倉へと入ったのだ。まるで、銃弾それ自身が持つ『時間』が『逆回転』したかのように……岩盤を見ると、銃弾がめりこんでいたはずの箇所は、銃弾で砕かれる前の姿に戻っていた。まるで、岩盤の持つ『時間』が『逆回転』したかのように……
バーバラの説明によると、その銃弾はエントロピー減少効果を付与された、時間を遡る特性を有する『時間逆行弾』とも言うべき代物だという。しかもその銃弾は、岩盤ごと、ある日突然『未来』から『現在』へ転送されてきたと言うではないか。
エントロピーの減少。万物を支配する熱力学第二法則を完全に無視したそれは、銃弾のみならず、未来から転送されてきた全ての物体に付与された特性なのだとバーバラは口にする。
エントロピーが減少すれば、相対性理論の壁を破り、時間軸を支配し、現在から過去へのタイムトラベルが可能になるというのは、あくまでも机上の空論だったはず。それがまさか、現実に存在するという事実に驚きを隠せない主人公……これが、未来に起こるとされる第三次世界大戦の引き金を引いてしまう技術なのか?
研究所の調査によれば、マクスウェルの悪魔が憑りついたその銃弾は金属組成から察するに、インドのムンバイで製造された可能性が高いという。そこに時間逆行弾を現代に送り込んできた人物がいるのではと睨んだ主人公は、《組織》に所属する若手諜報員・ニールと共に、インドの有名な武器商人、サンジェイ・シンへ接近する。
サンジェイの豪邸に忍び込んだ主人公たちは、ボディーガードたちの目をかいくぐって彼に接近するも、実際のところ、サンジェイはただの代理人に過ぎず、実権は妻のプリヤが握っていたことが明らかになる。
潜入の腕前を褒めるプリヤに時間逆行弾の話を尋ねると、意外なことを彼女は口走った。その銃弾は、アンドレイ・セイターなる人物から買ったものだというのだ。
アンドレイ・セイター。主人公もその名前は耳にしたことがあった。旧ソ連時代に二十万人の人口を誇っていた北シベリアの町《スタルスク12》出身の武器商人。そこは、冷戦真っただ中の時代に核施設を保有していながら、施設の爆発事故で散乱した核弾頭を危険視した政府の手で、地図から消されてしまった悲劇の町でもあった。
世界を終焉へ導く兵器に囲まれて育ったセイターは、なんらかの方法でただの銃弾を『時間逆行弾』へと変性することが可能なようで、そのためプリヤからは『未来と過去の仲介人』と呼ばれていた。
どうにかしてセイターに接触したい主人公は、プリヤの仲介でイギリスの秘密情報部・MI6のエージェント、クロズビー卿を紹介される。クロズビーからアンドレイの妻、キャサリンの存在を教えられた主人公は、絵画鑑定士でもある彼女へ接近するために、ゴヤの贋作を手にして訪問する。主人公が鑑定を依頼してきた贋作が、かつて親しい仲であった贋作作家、アレポの作品であると見抜いたキャサリンは、つい主人公に夫であるセイターとの間に確執があることを口走ってしまうのだった。
キャサリンの哀しい身の上話に同情しながらも、スパイとしての使命を優先する主人公は、あくまでもセイターにコンタクトを取るための足掛かりとしてキャサリンへの接近を続ける。その途中で、未来から送り込まれてきたと思しき時間逆行兵士との戦いをニールとの共闘で辛くも凌ぎ切りながら、ついに主人公はセイターと面会するチャンスを得るのだったが……
果たして、アンドレイ・セイターとは何者なのか? 核兵器を遥かに凌ぐ世界破壊兵器《アルゴリズム》の正体とは? そして、謎めいたキーワード《TENET》の意味するところとは、一体何なのか?
【レビュー】
①あのー、あらすじを読んでも主人公の行動原理とか物語の最終的なゴールとか、そういうのが全然見えてこないんですけど……
そういう感想を持たれた方、きっと多いと思います。けど、ごめんなさい。ここに書いた事が全てだから、私からはこれ以上何も言えません。この映画は冗談抜きで、二時間三十分もある物語の中盤まで、主人公の具体的な最終目標が明かされないまま、話が進んでいくんです。主人公は「第三次世界大戦を食い止めろ」という、極めて漠然とした指令に漠然とただ従うだけなので、観ている我々は「えっと……着地点はどこなの?」と困惑しきりです。
本作はオープニングが始まってしばらく経過しても、ろくに状況の説明がなされず、そのくせ時間逆行に関する理屈(エントロピーがうんたら、多次元世界がうんたら)に関しては大量の台詞を使って説明されます。ほとんどの映画において、台詞は映像を補強するためにその身を捧げる従属物として扱われがちですが、本作ではアタマからケツに至るまで「時間逆行」という設定を説明するための台詞、言い換えれば「時間の従属物としての台詞」で満ち溢れています。
そのため、主人公たちの最終的なゴール地点がどこになるのか、その物語的な結論へ至るための情報は、ほとんど観客に開示されないのです。人によっては、観客を置いてけぼりにする、すっごい不親切な映画だなと感じるかもしれません(笑)。
いちおう、武器商人のアンドレイ・セイターなる人物に接触することが中継ポイントに設定されているのですが、そこから先、いったい何をどうすれば第三次世界大戦を防ぐことに繋がるのかってのが、雪だるま式ではなく、ところてん方式で示されていくので、すごく雑な脚本だと言わざるを得ないし、正直言うとエンディングの唐突感は否めません。
とは言っても、セイターに接触するまでの流れは、あらすじにも示したように一本道そのものなので、中盤までは特に混乱することなく鑑賞できると思います。基本的に、時間逆行弾の存在を教えられてからの展開は、あらすじにも書いたように、インドの武器商人→MI6のスパイ→キャサリン→セイターと、人から人への情報を辿って本命のターゲットへ接近していくという、古き良きスパイ映画の文脈をなぞっているので、ここは普通に画面を観ていれば混乱することはないと思います。
そこから先の展開について……具体的に言うと『劇中における第三次世界大戦とは何を意味しているのか』?ってところなんですが、まずこの呼び方が、一種のバイアスを観客に掛けている感は否めません。
時間逆行がテーマとはいえ、現代が舞台の物語で『第三次世界大戦』なるワードを耳にしたら、アメリカVS中国、もしくはアメリカVSロシアという、超大国同士の激突に端を発する大規模戦争をイメージしてしまいがちですが、このお話はポリティカルな部分は全く描かれません。それも当然です。なにせ、ここで言う『第三次世界大戦』とは、国と国との戦いではなく、「逆行する時間」と「順行する時間」の対決のことを指しているからです(だったら最初から『時間戦争』とか、しっくりした呼び方にしておけよ、というツッコミは置いときましょう)。
あまり詳しく話すとネタバレになってしまいますのでボカしますが、時間という、我々に身近でありながら深遠さを感じさせる素材を扱っているなら、本作の敵キャラもそれ相応の崇高な思想を抱いているのでは? と思ってしまいそうですが、ぶっちゃけそんなことはありません。
そういう先入観を抱いてしまう方は、きっとまだ『ダークナイト』の魔術から逃れられていない人なのでしょう。あの映画がノーランのフィルモグラフィの中でも特に異彩を放っている要因は、舞台となるゴッサムシティの美術や、バットマンが扱う武器の素材、バットマンというヒーローの実在性といった全てが、それまでのノーラン作品と同じく同一線上のリアリティラインにありながら、敵役のジョーカーの言動が、それまでのハリウッドの映画にはほとんどない、かなり極めて珍しい(伊藤計劃さんの言葉を借りるなら)世界精神型の悪役だったから。地位やお金といった現世利益的なものを何一つ求めようとしない代わりに、己の思想を世界に叩きつけて「俺が考えうる理想の状況」を物語内に作り出すことに執着した、映画内のリアリティラインを越えた人物であったというのが重要。ゴッサムという「日常の世界」に、ジョーカーという「非日常の存在」がやってきて、思いのままに暴れる。そのギャップに打ちのめされたから、あの映画は多くの人が(もちろん私も含めて)傑作だと諸手を上げたくなる作品だったのです。
ところが今回の『TENET』に関して言えば、美術も、セットも、主人公の理念も、そして敵役の理念も、何もかもがリアリティラインを越えてきません。特に敵役の理念なんて、ジョーカーの足下にも及ばないくらいの、理念とすら言えない俗世にまみれたクソッタレの自己中心的な思想そのもので、私なんかは思わず失笑しそうになりました。そういう役をイギリス貴族役を演じてきたケネス・ブラナーがやるってところが、またこの映画のユニークなところです。
そういうことですので、時間逆行という取り扱いが容易ではないテーマに比例して、登場人物たちの思想も複雑化し、リアリティラインを逸脱してくるんじゃないかと身構えている方がいるなら、そんなことはありませんよと断言したい。むしろこの作品は、キャラクターたちの思想が単純化されているからこそ、ギリギリのところで観客が観るのを投げ出さない造りにしてあるんだと思います。
②さっきから『時間逆行』ってワードが頻発してるけど、いままでのノーラン作品と何が違うんだよ。
クローネンバーグやイーストウッドみたいに、一つのテーマを何作品にも渡って描く映画監督ってのはそう珍しいものでもありませんが、時間という抽象的且つ、SFに親しみのない観客からしてみれば、ちょっととっつきにくそうに見える題材を撮り続けているクリストファー・ノーラン。
デビュー作の『フォロウィング』は未見なので知りませんが、彼の名を高めるきっかけになった『メメント』は物語の進行方向を“逆転”させているし、『インソムニア』は夜と昼の時間間隔が曖昧になる“白夜”を舞台とした作品でした。『ダークナイト・トリロジー』は一見、原作がアメコミ物なので『時間』の入り込む余地などないように見えますが、一部、二部、最終部と、作品を“パッケージ化”して時間的な差を生み出している、と見えなくもありません。
『プレステージ』は“瞬間移動”のマジックに関する話、『インセプション』は、現実とは異なる法則を持つ“夢の時間世界”の話、『インターステラー』は、“相対性理論”やら“ワームホール”やらが絡んだ作品、『ダンケルク』は、ひとつの戦場を三つの“時間軸”で切り取った作品……と、物語のテーマ、メインガジェット、美術、もしくは映画の構造的な部分で、とにかく『時間』を執拗に絡めてくるのですから、ちょっともうお腹いっぱいなところがあるのは否めない。
改めて彼のフィルモグラフィを眺めてみると、物語の中心に『時間逆行』を据えたこの作品は、初期作の『メメント』に通じるものがあるかと思います。ただ、両者を見比べてみると、描き方、映画的文法は全く異なります。『メメント』は帰納的に描かれた物語をあえてばらばらにして、ラストから順々に遡っていくという手法でしたが、『TENET』は演繹的な話、つまり「時間は逆行する」という大前提に立ったうえでサスペンスを描いていくので、実は映画の見てくれは同じでも、そこで使われている物語的手法は全く異なります。
それで、これは個人的な意見なんですけど(レビューなんて個人的な意見の塊なわけだけども)、私は断然、『メメント』よりも『TENET』の方が好みです。今回の『TENET』における時間逆行は、映画を「魅せる」という点において、『メメント』よりも、かなり機能的に働いています。
時間の逆行を映画のフレームに適用させていた(悪し様に言えば、ただの映画的設定でしかなかった)『メメント』に対し、本作の時間逆行は映画のフレームはもちろん、ピンポイントで画面を際立たせるのに効果的に作用しているので、なかなか面白いです。地雷原の爆発が独りでに収斂していくシーンや、横転した車が独りでに回転して元の位置に戻ったり、瓦礫が独りでに寄り集まって崩壊前のビルの姿に戻るなど、とにかく純粋に「面白い逆回し映像」が堪能できるので、これは観に行って損はないと思います。
時間逆行は、ピンポイントにアクション・シーンにも適用されています。ノーランってアクションの撮り方が凄く地味な人で、『ダークナイト』では「ケイシ」なんていう、スペインの地味臭い護身術をバットマンに披露させてたくらい(そう、ダークナイトは派手なアクションよりも地味なアクションを選択することで、アクション面のリアリティラインすらも保持しているのです)。
だが! 今回のノーランのアクションは(けっして上手くはないけど)、過去作と比較しても断然面白いです! 戦闘中に落とした銃の時間が逆転して手元に戻ってきたり、投げられた瞬間に時間逆行を発動させて投げられる前の姿勢に戻ったりと、(かなりシュールな絵面なんですが)、少なくともダークナイトのアクションよりかは面白いです。
映画のフレームだけを覆う設定でも、世界観を補強するためだけの設定でもない。シーンやカットを強調するためにピンポイントで時間の魔術を発動させることができる。それがこれまでのノーラン作品と、大きく異なる点なのです。
③観たけれど、どういう映画だったのか全然理解できないんですけど!
めちゃくちゃ分かります。結局のところ、自分がどういう映画を観たのか納得したいのが観客の心理というものです。しかし映画というのは、監督が作品に如何なるメッセージを含ませていようと、受け取る側の数だけ答えがある娯楽媒体ですから、「よくわからんがすごいものを観たぞ」という感想でも全然オッケーだとは思います。
ただ、個人的にはこの映画、時間逆行というトリッキーなネタに目がいきがちですが、描いているのは凄くロマンチズム溢れる「肉体と精神についての話」じゃないかと思うのです。
あらゆる物体が、現象が、逆行していく世界。千切れた雲は一つにまとまり、横たわる瓦礫の群れがビルと化す。そんな逆巻く時間の世界に振り回される人間の、シュールな姿ったらありません。
最初の頃こそ、その「見慣れない映像」に新鮮さと驚きこそ覚えますが、終盤になってくると、時間逆行に巻きこまれた人間の動きのリアリティのなさに、なんだかおかしな笑いが漏れそうになります。
逆行する時間の世界で、人は当然逆さの行動を取るしかない。まるで、人間の肉体そのものが「時間の従属物」と化してしまったかのようなシーンが、終盤に至るまで延々と繰り返されます。前半のオペラハウスで、サクサクとプロフェッショナル感剥き出しで作戦行動しまくる主人公の姿も相まって、逆行世界での動きのぎこちなさが本当に目につきます。
逆行時間に振り回されるのは、なにも人間の肉体だけではありません。先ほども言いましたが、この映画は時間逆行がどういう理屈で起こり得るのか、それに関連する説明台詞で埋め尽くされています。それはなぜかというと「時間が逆行する」という大前提に立った作品ですから、映画を構成する全ての要素が逆行時間の奴隷にならざるを得ないからです。
波しぶきが逆行するシーンって面白そうだな。じゃあ主人公が船に乗っているシーンを撮ろう。爆風が収束する現象っておもしろそうだな。じゃあそういう場面を用意しよう。クラッシュした車が元に戻るのって面白そうだから、主人公にカーチェイスをやらせよう……そんな風に脚本を練る段階から「無機物・有機物問わず、逆行する時間で振り回してやろう」という魂胆があったんじゃないかと推測せざるを得ないくらい、上映時間が経過していくにつれ、逆行時間の暴力が画面を覆います。
キャラクターの台詞、キャラクターの動き、自然の法則、物語の流れ。その全てが逆行時間に支配された作品ながら、しかし、たった一つだけ「逆行時間の影響を受けない概念」を、ノーランはしっかり用意しています。
すなわち、人間の精神、魂、思考です。
誰かを烈しく憎む気持ち。世界に絶望した心。そして、信頼する人の力になりたいと願う高潔な精神。その性質が善であるか悪であるかに関係なく、肉体という名の檻に囚われた魂は、しかし逆行する時間に肉体が翻弄される中、巖として揺るぎはしない。
世界の法則が乱されても、肉体というデバイスに備わった魂だけは、決して崩れはしないというのを、ノーランははっきりと描いています。あのエンディングの意味を理解した人なら、きっとそれが分かると思います。それでまた主人公が、ただの“名無しの男”ってところが、まぁニクイじゃないですか。
時間が順行しようが、逆行しようが、変わらないただ一つのものがある。それすなわち人の魂。そのことを強調するために、この作品のタイトルは『TENET』、すなわち右から読んでも左から読んでも、その意味を決して崩さない回文になっているんです。
SFあるあるですが、人の魂も情報そのものという見方ができますから、それこそエントロピー減少の影響を受けそうなものです。しかしながら、ディック・フォロワーなはずのノーランは、超次元的な技術に翻弄される人間を描いていながら、その解決策を技術ではなく、人間の心に求めてしまうという、ハードSFに対してそっぽを向くような、なんともロマンチズムな(ソフトSF的な)選択をしてしまうのです。
そう、このクリストファー・ノーランなる人物は、常にSF的題材を扱っていながら、最終的にはロマンチズム、人の心の情動が物語世界を支配してしまうという、『メメント』の頃から何一つ変わっちゃいない姿勢を貫いているのです(はやい話が、キミとボクの“キミ”が欠落したセカイ系と言えなくもない)。なので、ノーラン・ファンの皆さん、安心してください。時間逆行という「見慣れない映像」に翻弄されてしまうかもしれませんが、エンディングはいつものノーラン節ですし、『インセプション』ほど意地悪なエンディングでもありませんので。
もちろんツッコミどころのある作品ですし、特に美術面においてはダサいところも結構あったりして(医療用の人工呼吸器つけながら外歩き回るあの絵面は、なんとかならんかったのか)『映像としてのSF』 という面ではリドリー・スコットの足下にも及んでいないというところが本音です。
ですが「逆行時間の挟撃作戦」だとか「破壊兵器《アルゴリズム》」だとか、ゾクゾクする燃えワードが散りばめられてますし、「時間逆行」をピンポイントで活用しまくる「見慣れない映像」の乱舞は、得体のしれない困惑と興奮を堪能させてくれること間違いなしですので、気になる方は観に行かれた方がよろしいかと思います。
【捕捉-映画を観る前の予備知識-】
感想は以上になりますが、ツイッターを見ていると「エントロピー減少ってなんぞ?」という方が一定数おりましたので、これから『TENET』を観ようと思っている方に向けて、エントロピーについて軽く説明したいと思います(もう知ってるよ、という方はパスしていただいてかまいません。大学の初等物理化学に出てくるような、ごくごく基礎的な話しかしないので)。
ものすごいざっくばらんに説明すると、「エントロピー」というのは「乱雑さの尺度」を表しています。この世界の全ては、何も手を加えなければ、エントロピーが増大する方向、すなわち「秩序立ったものが乱雑さを増す方向へ流れていく」というのが、現在の理論物理学における定説となっています。
例を挙げますと、人の住んでいない空き家を想像してみてください。新築の頃は綺麗で立派でも、時が経てばどんどん劣化していき、荒れ放題になっていきます。これも一つの「エントロピー増大」と言えるでしょう。
皆さんが一度は経験したことがあるものを例にとると、湯船に熱々のお湯を溜めて、いざ入ろうとしたら思った以上に熱くて、冷水を入れて少し温めようとしますよね。この時、冷水の水分子はお湯の水分子と混ざり合い、拡散していきます。この「拡散」も「乱雑さ」そのものであるため、やはりここでもエントロピー増大の効果が見て取れます。
この世界の理はエントロピー増大の法則で支配されています。この法則を俗に「熱力学第二法則」と言います。
我々の人類社会はおろか、量子の世界、すなわち宇宙に至っても、熱力学第二法則は有効であるのです。この法則を「情報=光子や電子」の世界にまで発展させた学問に「情報熱力学」というものがあります。本来、情報それ自体には熱=エネルギーは存在しませんが、情報理論の世界にもエントロピーの概念があるため、熱力学と情報理論を統合させることが可能なのではないか? という仮説の下に生まれた学問です。
劇中で説明されている「エントロピーの減少」とは、この絶対不変とされる熱力学第二法則が、もしも可逆的な法則だったら? という着眼点から生まれたアイデアとして、古くからSF小説などで活用されてきた理念です。秩序だったものが乱雑さを増していくのではなく、乱雑だったものが秩序だったものへ「逆行」していくとしたら? そうしたら時間も「逆行」していくんじゃないか? という仮説をアイデアに使ったのが、本作『TENET』なのです。
エントロピー減少をいかに実現化するかという議論が活発化していくなかで、「ネゲントロピー」という、エントロピーを減少させる物理量の存在が提唱されたり、「マスクウェルの悪魔」という、目に見えないエントロピー操作権限を持つ神的な存在に関する理論が提唱されたりして、その議論は今もなお続いています。
「悪魔」とか「神的存在」とか聞くと、ものすごくオカルトチックな響きに聞こえますが、こういうことを科学的見地に立って解明していこうというのが、理論物理学者たちの世界なのです。
さきほど取り上げた情報熱力学には「ゆらぎの定理」というのがあって、この定理によると、理論上ではエントロピーの減少を確率的に説明できたりするらしいのですが、まだ現実の世界では観測されていません。もしもエントロピーの減少が観測されたら、もしかしたら『TENET』みたいな世界が、やってくるのかもしれませんね。




