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【第50回】イップ・マン 完結

『私には“武”しかない。だが、私には“武”こそが全て』


ここ最近、やれ『アナ』やら、やれ『アングスト』やら、(レビューしてないけど)やれ『ペイン・アンド・グローリー』やら、ちょっと変化球ばかり攻めていて、自分の中でも妙なストレスというか、もどかしさが溜まっていたんですが、いやぁ、来ましたね。来ましたよ。本レビュー集の記念すべき第五十回目にして、ようやく巡り合えました。


アクション映画です。みなさんお待ちかね、中国武術界の雄、イップ師父のアクション映画です。


中国武術、皆さんお好きでしょ? カンフー・アクションに燃えるでしょ? 私も大好きですよ。これ以上にないってくらい、遥か昔から撮られてきた王道のジャンルじゃないですか。


なので、今回は理屈ぬきでやらせてもらいますよ。喜び勇んでキーボードをカタカタいわせていただきますから、そのつもりで。




【導入】

武術界に燦然と輝くマーシャル・アーティストにして、全世界を魅了し続けた伝説のアクション・スター俳優、ブルース・リー。


そのブルース・リーが生涯で唯一「師父」と仰ぎ慕った、詠春拳の達人イップ・マンの人生を、フィクションを織り交ぜて描き出した『葉問シリーズ』の完結編。


もはや説明するのも馬鹿らしいですが、一応流れに沿ってご紹介しましょう。監督はシリーズお馴染みのウィルソン・イップ。前作『継承』に引き続いて、『マトリックス』のカンフー・スタイルを指導したユエン・ウーピンがアクション監督を担当しております。


そして主演のイップ・マン役はもちろんこの方。香港映画界のレジェンドことドニー・イェン。スター・ウォーズ外伝『ローグ・ワン』にも出演したことで、アクション映画ファンのみならず、より多くの層にその名が広まったとかなんとか。え? 今更か? って感じもしますけどね。


そしてそして、今作ではイップ・マンの一番弟子であるブルース・リーが満を持して本格的にアクション・シーンを披露する訳ですが(実際のブルース・リーは素行不良が祟って、たったの三年で破門されているから、本当に一番弟子だったかどうかは怪しいけど、まぁ細かいことは気にスンナ)そのブルース・リーを演じるのが、チャン・クォックワン。『少林サッカー』にGK役で出ていた時はあくまでも「そっくりさん」でしかなかった彼ですが、今回の彼は史実のブルース・リーにかなり近い。厳しい目線で言えば、肉体的にはチョット絞り具合がイマイチかなと感じなくもないですが、ヌンチャク・シーンは圧巻の出来です。これはもう、映画ファン、ブルース・リー・ファンは喜んでいいんじゃないでしょうか。


中華総会のボスにして太極拳の達人ワン・ゾンホア役を『SPL 狼たちの処刑台』で刑事役を演じたウー・ユエ。敵役のアメリカ海兵隊員であるバートン一等軍曹役を『デッドロック2』の悪役ぶりで人気に火が付いた、ヴァン・ダム・フォロワーことスコット・アドキンスが演じています。ちなみに、今回の彼が演じるバートン軍曹のキャラが、まぁ濃い(笑)。一作目に出てきた大日本帝国陸軍の軍人・佐藤に勝るとも劣らない徹底した悪人っぷりであります。


音楽もまた、お馴染みの川井「機動警察パトレイバー」憲次。今回も川井節は健在。ヒロイックなスコアながら一作目や二作目ほどの大袈裟な派手さはなく、病に犯されてもなお立ち上がらんとするイップの心情に寄り添うような、静かでありながら燃える仕上がりになっています。いつものテーマ曲も健在ですのでご安心ください。




【あらすじ】

時は1964年。


中国武術界でその名を知らぬ者はいないほどの地位と名誉を得た詠春拳の達人イップ・マン。数多くの弟子に恵まれ、才気ある若者たちに武術を指導する一方、彼の私生活は寂しさを増していく一方だった。


最愛の妻・ウイシンを病で亡くし、次男のイップ・チンとの関係も良好とは言い難い。勉強嫌いのチンは父のような武術家になることを夢見ているが、イップは息子にだけは詠春拳を手ほどきすることを拒んだ。他者を打ちのめす力を持つ。その意味の重さを知ればこその頑なな態度だったが、「親の心、子知らず」とはよく言ったもの。チンは自分を理解してくれない父を非難し、学校で暴力沙汰を起こしてしまう。これまで何度も素行不良で問題を起こしてきたチンを、これ以上庇い切れないと判断した学校側は、チンを退学処分にすることを決定してしまう。


更に悪いことは重なるもので、イップ・マンの鍛え上げられた肉体は、咽頭がんに蝕まれていた。医者から自身の体に巣食う悪魔の存在を聞かされたイップは、残された人生をどう使うべきか、一人思案に暮れる。


そんなある日、イップの道場を一人のアメリカ人が訪れる。ビリーと名乗ったその黒人男性は合衆国の移民局に務めており、李小龍(リ・シウロン)こと、ブルース・リーの弟子でもあった。リーはイップの下で修業を積んだ後にシアトルへ移住し、「振藩國術館」なる道場を開き、詠春拳を始めとする中国武術の普及に務めていたのだ。


言葉も文化も違う遠い異国の地で、武術を通じて積極的な異文化交流に精を出すリーを誇らしく思うイップ。ビリーは、近くサンフランシスコで開かれる空手大会のデモンストレーションで、リーが中国武術を披露することを告げると、イップに渡航用のチケットを渡す。


一度は渡航を渋るイップだったが、退学になったチンの新しい学び舎を探す必要性が出てきたことで、状況は一変。イップはチンを旧知のポー刑事に預けると、サンフランシスコの学校へ息子の入学手続きを済ますために、単身渡米することを決意する。


サンフランシスコに降り立ったイップは、空手大会での演武を終えたリーと再会し、サンフランシスコの現状を耳にする。中国人を始めとした移民に対する差別が根強いアメリカであるが、リーはそんな逆境をものともせず、詠春拳をベースに、古今東西の武術を織り交ぜた格闘術――のちに「截拳道(ジークンドー)」と呼ばれる全局面的武術の完成に打ち込んでいた。彼のひたむきな「武」への姿勢に感化された者達は異国の地であろうと多くいて、その中には、アメリカ海兵隊員にして中国系移民である、ハートマン・ウー二等軍曹の姿もあった。


だが、そんなリーの活動を疎ましく思う者達がいた。サンフランシスコのチャイナ・タウンを支配する中華総会の面々である。西洋人に武術を教えることをタブーとしている彼らにしてみれば、リーは中国武術の薫陶を受けたにも関わらず、その恩を仇で返す裏切り者として映っていたのだ。


中華総会のボスにして北派武術の一つ、太極拳の達人であるワン・ゾンホアは、リーの西洋人への武術指導を止めるよう、師匠であるイップへ忠告する。チャイナ・タウンの権力者であるワンはサンフランシスコの学校運営者とパイプがあり、彼の紹介状が無ければ、中国移民の入学は不可能であると言うのだ。


ブルース・リーの活動を辞めさせられたら、紹介状を書いてやると横柄にも口にするワン。チャイナ・タウンという名の狭い世界に閉じこもり、積極的に西洋人と関わらない中華総会の態度に呆れたイップは、要求を一蹴。「あなたがたは、小龍(シウロン)を誤解している」と告げると、ワンに背を向けて中華総会本部を去ってしまう。


一方、サンフランシスコのアメリカ海兵隊基地では、リーの弟子であるハートマンと、空手の有段者で白人至上主義者であるバートン・ゲッデズ一等軍曹が激しく対立していた。軍の訓練に中国拳法を取り入れようとするハートマンをバートンは徹底して認めず、中国拳法は軟弱な武術と決めつけていた。


ハートマンが軍の上官にブルースの演武を録画した動画を見せるなどして好意的な反応を示されているのが気に入らないバートンは、格闘技の教官で空手の有段者であるコリン・フレイターを、チャイナ・タウンで行われる中秋節の祭の会場に乱入させるよう仕向ける。ガチガチの移民差別主義者であるバートンの狙いは、中秋節の日にチャイナ・タウンへ集まる中華総会の師範たちを打ちのめし、中国移民のプライドを蹴散らすことにあった。


そして中秋節の当日。ひょんなことでワンの娘・ルオナンと知り合ったイップは、彼女からの招待を受けて、祭りで賑わうチャイナ・タウンを訪れていた。


舞台上で中国拳法の演武を披露する中国移民たち。そこに突如として、バートンの指示を受けたコリンが道着姿で乱入。ステージに上がった彼は、得意の空手を披露して、次々に中華総会の師範たちを打ちのめしていく。


中国拳法など、所詮は児戯だ――傷つき、地に伏せる中国人たちを嘲笑うコリン。そんな彼の横暴に我慢がならなくなったイップは、勇むようにしてステージへ上がり、拳士として、なにより一人の中国人として、コリンとの戦いに赴くのであった――




【レビュー】

来ましたよ来ましたよ。ドニー・イェンが演じるイップ・マンの有終の美を飾る本作が。


これまで琉球空手、ボクシング、ムエタイなどなど、数々の異種格闘技戦に挑み勝利してきたイップ・マンですが、今回は舞台がアメリカというのもあって、空手をベースにした軍隊格闘術VS詠春拳という、なかなか面白い組み合わせになっています。


アメリカ軍人が空手ってどうなの? と思う方もいるかもしれませんが、私はむしろアリです。見た目やアクション的にどうこうではなく、日本で発展した空手こそを「最強の格闘技」だと厚顔無恥にも言い放つ今作のアメリカ軍人を観ていると、妙な面白さがある。日常の生活に根付いた中国武術や、日本の合気道のように、その土地での生活に根付いた「アメリカ・オリジナル」な武術を持たない、アメリカ人の「武術的な空虚さ」を上手く演出できているなと感じるんです。


と言いましても、私はからっきし武術というのが分からん人間でして(笑)。その手の稽古を積んだこともありません。なので、アクション方面の魅力はまた別の方に語ってもらうことにして、まずは本作におけるイップ・マンの「姿勢」について語っていきましょうか。


今回のイップ・マンはあらすじにもありますように、病に犯されてなお、社会の不正義に立ち向かうという立場についています。


「病に犯されている」という点を抜きにすれば、イップ・マンの立ち位置は前作までと同様じゃないか、と思う方もおるかもしれませんが、今までは舞台が中国・香港で、今回はアメリカが舞台であることを考えてみると、結構違うんじゃないでしょうか。


つまり、日中戦争における日本軍の「侵略」や、イギリスの香港「統治」といった「支配」に抑圧されてしまう中国人の哀しみが、これまでのバックストーリーの骨子であったのに対し、今回は「外」へ出て行った中国人たちが、異国の地で受ける迫害にどう立ち向かっていくかという点を描いているので、スケール感はこれまでのシリーズと比べても、一段と広がっています。


スケールが広がる。それは映画の中のキャラクターにとって、これまで自身が知らなかった「新たな現実」に直面することを意味しています。本作におけるそれが、どんな現実であるかは、時代背景を考えれば一目瞭然。人種の違いというシンプル且つ理不尽な理由から差別が横行する近現代アメリカ社会の現実です。


そんな「どうにもならない現実」を前にした時のイップ・マンの「やるせない」リアクションが、この映画ではかなり極まっています。


まだ一作目の頃は、彼も若かったんでしょう。「どや、これこそが、お前らが女子供の拳と馬鹿にしてきた詠春拳の本領やぞ」とでも言いたげな、ニヤリとした笑いを端々で浮かべていたり、「てめぇらに今日を生きる資格はねぇ!」と、ケンシロウばりに日本軍の陣地へ殴り込み、同胞を傷つけた空手家たちを次々に再起不能へ追い込んでいた頃もありました。


ですが数多くの強敵と戦い、友や身近な人々を暴力で喪い、妻を病で亡くし、自身も老いていく中で心境の変化が訪れたのかもしれません。二作目、三作目と進むうちに、彼の「やるせなさ」はどんどん強調されていき、完結編たる今作で、ついにいくところまでいっちまったなぁって感じが凄い。


他流派の師匠たちを圧倒し、並み居る敵を次々に打ち倒し、その名声を確実なものとしたイップ・マン。今作では、他人を寄せ付けない圧倒的な武術の境地へ至った結果、我々凡人には理解できない「向こう側へ渡ってしまった」者と化したイップ・マンが抱える「武」への葛藤が描かれています。


この『葉問(イップ・マン)シリーズ』の秀逸なところは、朴訥として誠実で(時に世間知らずにも映る)イップ・マンという一人の中国人の立場を通じて、「社会にコミットするための武術」を一貫して描いている点です。武術という「心身を鍛える自衛の力」を駆使し、どうやって世界に蔓延る偏見や差別と向き合っていくべきか。それを徹底して描いてきました。


その描写の完成形としてあるのが本作の『完結編』であると言えるでしょう。


繰り返しになりますが、今作におけるイップ・マンの「どうにもならない現実」を前にした時の「やるせなさ」は、それまでのシリーズと比べても群を抜いています。憎きアメリカ人を打ち倒し、喜びに沸く中国人たちの歓声に包まれても、達人の域を超えたイップ・マンはどこか寂し気。「勝利」の余韻に全く酔いしれることなく、「これで本当に良かったんだろうか」という戸惑いしかない。ワンの娘へ暴力を振るう白人学生を追い払った時ですら、「全く困った奴らもいるものだ」というよりかは「こんな酷い差別が蔓延してしまっているのはなぜだ?」とでも言いたげな、人種間の深いところに根付く「憎しみ」を目にして、呆然とした反応を見せます。物語の終盤、敵意と殺意を剥き出しにするバートン軍曹から勝負を挑まれ、詠春拳の構えをとる時の姿にすら「私は拳を握ることでしか、世界と関われないんだろうか」という哀しみが、ドニー・イェンの卓越した表情演技によって表現されています。


この映画は至るところに中国人や黒人への差別表現が満ち満ちています(ちょっと近年にないほどの露骨で直接的な差別描写盛り沢山です)。イップ・マンの活躍で、それらの差別問題・移民問題が解決するかと言ったら、そんなことは決してありません。中国人へ敵意を向けるアメリカ人を退けても、何も変わらない世の中の仕組み。スクリーンが非情にも映し出すのは、相手の血に濡れた己の拳と、ボロボロになって地に倒れ伏した「敵」のみです。


武力の体現者という形でしか、世界と関われない。そこには「武」しか持たぬ者の、「武」を極め過ぎてしまったがゆえの苦悩が描かれています。その苦悩をグッと抑え込み、決して同情を買うような発言をせず、病を押して、一人戦いの場へ赴くイップ・マン。胸の内で嵐のように渦巻く、社会や世界へ向ける複雑な感情を決して露呈せず、「私は武術家だ。世の中の不正に立ち向かうために武を学んだのだ」とだけ言い放つイップ・マン。そんな彼の雄姿を観た観客の胸を打つのは、静かに燃え上がる感動。ただそれだけです。


バートンとの激闘の最中、ヒロイック極まる川井音楽がかかり、これで最後だと言わんばかりの、詠春拳の十八番たる超高速の連環拳が炸裂した瞬間、私はスクリーンに向かって心の叫びを上げていました。


いけ! いくんだイップ師父! あなたには「武」しかないけど、あなたはそれでしか世界と関われないのかもしれなけど! でもあなたには「武」がある! 「武」しかないんじゃない! あなたには「武」こそが全てなんだ! それで戦っていくしかないんだ! だから勝ってくれイップ・マン!


闘いを終えても、なにか劇的な価値観の変化がアメリカに訪れたのかといったら、決してそうではないこの映画。「武」で変えられる世界には限界がある。その限界を目の当たりにしたイップ・マンは、個人的な闘いに勝利こそすれ、「社会に敗北」してしまったのかもしれない……と見ることもできるでしょう。


しかし、決してそんなことはない。なぜなら、イップ・マンの誠実な武術の教えを受け継ぎ、それを昇華せんとする者がいるからです。その役目を背負うのが「あの」ブルース・リーなんだってところが、今作一番のアツい展開なんです。東洋と西洋を武術で結びつけ、実際にそれを「截拳道(ジークンドー)」というかたちで成立させるブルース・リーの存在があってこそ、武術家にして中国文化継承者たるイップ・マンの想いは報われるのではないでしょうか。


さて、色々と想いの丈を吐き出してきましたが、もうちょっと語りましょうか。


本作は完結編というのもあって、今までの作品に登場したキャラクターたちが何名か顔を覗かせてきます。知り合いの新聞社の編集長や、二作目『葉問』でオイシイ立ち回りを演じたポー刑事はもちろん、『葉問』のギャクキャラ的存在、「私に隙はない!」「気をつけろ、かなり滑りやすいぞ……」の台詞でお馴染み、猿拳の使い手・ロー師父が、なんと中華総会の幹部として登場します(笑)。お前いつの間に渡米してたんや! と思わず突っ込んでしまいました。


他の中華総会幹部たちがイップ・マンに敵意剥き出しの中、このロー師父だけがめっちゃ親し気に接してくるので、とてつもない癒し効果を生んでいます(笑)。


ちなみに、今回もロー師父のギャグシーンは健在で、それも『葉問』を鑑賞済みのファンには笑えるシーンになっています。「床が滑りやすかった」の次に飛び出す台詞はなにか? ぜひ劇場で確認してみましょう。

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