【第4回】フリクリ オルタナ
『フリクリのようでフリクリではない、何か別の面妖なる映画』
上野のTOHOシネマズで鑑賞してきましたので、軽くレビューを書きたいと思います。
ちなみにこの映画はアメリカではすでにテレビ放送されているんですが、それを日本では特に映画向きに編集することもなく、そのまま劇場で公開するという変わった配給方法を取っています。
そのため全部で6つの話に分かれていて、話の区切りのたびに『NEXT EPISODE』と表示されるばかりか、アイキャッチもあります。これを知っていないと少々面食らいます。
【導入】
『新世紀エヴァンゲリオン』で副監督を務めていた鶴巻和哉監督の初作品にして、2003年のファンタジア国際映画祭にてアニメーション部門銅賞に輝くなど、今なお海外でカルト的評価を得ているOVA作品であり、ガイナックスの『最後から二番目のアニメーション至宝』(ちな最後のガイナ・アニメ至宝は『天元突破グレンラガン』な)である『フリクリ』
その『フリクリ』の実に18年振りの続編として公開されたのが『フリクリ オルタナ』です。
『フリクリ オルタナ』のさらに続編にあたる『フリクリ プログレ』が来月公開されますが、こちらも鑑賞しますよ。
いや、正式なナンバリングで言ったら『プログレ』の方が先だってのは知ってんですけど、いちおうこう書かせてください。
とりあえず、オルタナの方だけ観たので、先にレビューを書いちゃおうと思います。
監督はガイナックス出身で『幼女戦記』の監督を務めた上村泰。
脚本は岩井秀人。なんでこの人が脚本書くことになったのか、私にはさっぱりわかりません。
舞台の人が演技するのはいいけど、舞台の人が脚本やるって、それ中島かずき級に才能がないと駄目だと私は思うんですけどね。
主人公・河本カナ役には、来ましたね。美山加恋です。皆さんがどうお感じになられているか分かりませんが、この人の声優演技はかなり上手いです。
そしてもう一人の主人公であるハルハラ・ハル子役には、やっぱりこの方、新谷真弓さん。一度聞いたら忘れられない独特の愛嬌ある『ダミ声』は本作でも……まぁまぁ健在です。
劇中の楽曲は『フリクリ』の時と同様、全てthe pillowsが提供しています。はっきり言うと『フリクリ』が海外で評価されている一因を担っているのがこのthe pillowsであると言っても過言ではない。なので今回の起用も納得、てか当然。
しかし……それ以外の部分では、なぜか『踊る大捜査線』の本広克行さんが総監督を務めていたり、作画陣に魔砂雪さんの魔の字も、今石さんの今の字も、すしおさんのすの字も、吉成さんの吉の字もなかったり、ぶっちゃけもうスゲー不安だったんですよ観る前は。
実際、本広監督のツイッターとか観ていると、なんかあんまり本作の宣伝していないんですよね。
それって総監督としてどうなんですかとツイートしたところ「いやぁ、宣伝してるつもりなんですけどね」という、実に大人な返信を頂いたので、そこは私も「大人」として「そうですか。すみません」とだけ返しておきました。
まぁ、以上のような事情がありまして、活動報告やツイッターでも「フリクリの続編愉しみ~」的なコメントは流してこなかったのですが……気になるわなぁ。どんな話になるか。
そういうわけでレビュー行ってみますか。
【あらすじ】
17歳の女子高生らしく、日常を日常として甘くだらだらと消費し、しかし心のどこかでそんな日常に言いようのない退屈さを覚えている河本カナ。
友人のペッツ、ヒジリー、モッさんと過ごす毎日は楽しい。楽しいはずだ。それなのに、自分が何をやりたいのかまだ分からないせいか。それとも『大人』という言葉の意味についてここのところ考える機会が多いせいか、妙に焦る。
大人になりたくて。
でも大人ってなんだろう。
どうして大人にならなきゃいけないんだろう。
もやもやを抱えたまま、カナは『なんとなくの思い付き』でペットボトル・ロケットを友人たちと作製する。妙に気合が入った結果、それなりに豪華な安物のロケットが出来上がる。
さぁ、いよいよ飛ばそう――しかしその時、空から謎の巨大な『ピン』が降ってくる。
圧し潰されるペットボトル・ロケット。吹き飛ばされるカナたち。せっかく作った青春の結晶は残骸と成り代わる。
慌てふためくカナたち。ピンから発せられる謎のエネルギー波が近くの人形に流れ込む。その途端、人形は謎めいた怪物の姿を形作り、カナたちへ襲い掛かる。
絶体絶命。そのとき奴が、ハルハラ・ハル子が現れた!
『セブンティーンはさぁ、待ってくれないよ』
こともなげに世界を見据えるかのようなハル子の言動が、カナたちの友情関係を白日の下に曝け出す。
世界を綺麗にまっさらにしてしまう『アイロン』が不気味な蒸気を吐き出す時が、刻一刻と近づいていた。
【レビュー】
あらすじからも感じられる通り、基本的にフリクリという作品自体に『常識』というものは存在しません。それは、フリクリがこの世に生まれた時についてきた必然性とでも言うべきものでしょう。
ですが、常識がない=テキトーな、ざっくばらんとした造りになっているかと言えば、それはとんだ誤解です。
ファンの間では有名な話ですが、鶴巻監督が制作した『初代フリクリ』は、その荒唐無稽にして斬新奇抜な演出やストーリー面とは相反して、アドリブがほとんどありませんでした。
面妖な物語展開や軽妙なキャラの科白は全て緻密に練られていた。でなければ、N.Oの設定にあのようなそれっぽいSF的理屈付け(右脳と左脳の思考ディファレンスを使って超空間チャンネルを開いて物質を引き寄せるうんたらかんたら……)は足さないでしょう。
『一見して感覚的に創られたように見える作品ほど、実は理論的に巧緻に製作されていた』というのは、映画に限らず様々な娯楽媒体に見える一つの『真理』であります。
それを踏まえまして……フリクリの凄かった点とは何か。
前述したように、それだけ緻密に計画立てて創られた作品でありながら、見た人ひとりひとりが、違う印象を画面から感じ取れる点だと私は考えています。
物語やキャラクター心情の解釈の幅が物凄く広く、そしてどんな解釈でも受け入れるという、製作者側の度量の深さを感じます。それが、あのやりたい放題の作画パレード、演出パレードに込められていると思うんです。
俺達もこれだけ自由にやったるから、お客さんも自由に色々解釈してねっていう、そういうメッセージに受け取れます。
同じくガイナックスが制作した(ある意味で)伝説的なアニメである『新世紀エヴァンゲリオン』が、自己啓発セミナーだの、ロボットアニメの癖にどんどん内向的な広がりに終始しているだのと色々議論されているように、フリクリも議論に尽きないアニメです。
百人いれば、百人なりの解釈がある。それがフリクリの魅力であったはずです。
それが、今回の『フリクリ オルタナ』からは、ものの見事に脱臭されていました。
安心させるストーリー。安心させるフレーム。安心させるキャラクター。
安心させるというのは、観客の意識の範囲内に収まることを良しとする、映画的イデオロギーの下に生み出されたということです。
ストーリーの展開も、カメラの動きも、キャラクターの言動も、背景美術も、アクションも、何もかもが観客の意識から逸脱してこない。だから安心して観客は映画に集中できるのです。
それが良いのかどうかは別として。
どのエピソードにおいても、『初代フリクリ』の、たとえば第二話や第四話に当たる絵的な緊張感(マミミの心の闇っぷりや、ナオ太とアマラオのやり取りなど)が全くと言っていいくらい無い。
話の展開からして、明らかに『初代フリクリ』を鑑賞済みであることを念頭に置いて創られた作品であるにも関わらず、この作品にはフリクリが持っていた『危うさ』や『奇想天外さ』、もっと言うなら『意識から逸脱せんとする勇気』が、綺麗さっぱりに洗い流されている。
私は、あの初代フリクリの持つ『自由なんだけど危うい』絵にやられたクチなんです。
唯一、それに近い演出があったのが『第五話』におけるカナとペッツのやり取りでしたが、それだけ。しかもあの演出も、もっと伏線を足しておけばよかったのに、いきなりあんな話させられても、観ている側は当惑するしかない。
安心させる話運び。それは、各話の物語構造を意識的に眺めていなくとも、おおよそ察せられます。
特に第二話~第四話までの話造りとか、全く同じテンプレート構成を取っていながら、スポットライトを当てるキャラクターが違うだけです。
これが私には合わなかった。
何より第三話は一番、私の中で腑に落ちない展開がありました。コンテストの優勝者をああいう扱いにするのってどうなんでしょう。
『ボルグ/マッケンロー』を観た自分としては、あそこはもっと勝負の残酷さを演出すべきであるような……でも、それもフリクリ感とはかけ離れているような気が……うーん……
色々と言ってきましたが、本作のフリクリは、視点を変えれば「より大衆的に近づいたフリクリ」であるとも言えるんですよね。
安心させる話運び。それによって紡がれる物語は、日頃からストレスを感じている人々にとっては、とてもそれっぽく心に響くんでしょう。
ただ、初代フリクリを観ていた私が求めていたフリクリは、ここにはなかった。
レビューで言いたいのはそれだけです。
言わば私は負けたのです。観客として、映画に負けたのです。
私はこの映画にどのような『価値づけ』をするべきか、いまだに分からない。
映画を受動的ではなく能動的に観ようとする私にとって、こういったレビューしか書けないのは、つくづく私の感性が鈍っているということなんでしょう。
もしかしたら、観る人によっては全く違う面白さを見出せるのかもしれない。
そうなることで、この『フリクリ オルタナ』もまた『フリクリ』たりえるのでしょう。
ただ、私は決してこの映画をけなしている訳ではない。それは明記しておきたいです。
良い点もあります。特に声優さん。主役を演じている美山加恋さんの演技は安定して上手いですね。非常にごく普通の、それでいてときおり背伸びしたがる女子高生感が演出されている。
スマホゲーム・黒ウィズのイベント『クロスディライブ』のエニィ役(知っている人いるのか?w)ではおっとりとした声が実に上手かったけど、こういう演技も出来るのかと驚きました。
あとは、ペッツのお母さん!この方の演技いいですねぇ。もう声の感じからして『神経質な母親』って印象がビンビン伝わってきました。
どなたが演じているのか、スタッフロール見逃しちゃったもんで分かりませんが、とにかくこのお母さんの演技が凄い。あそこは絵の動きも相まって、特にゾクゾクいたしました。
あとはまぁ、これはもう当然ですけど、the pillowsの楽曲はどれも素晴らしい。
特に私が好きな曲が「LAST DINOSAUR」なんですが、これがまさか二回もかかるとはね。音楽のパワーってすごいですよ本当に。
言わせてもらうと、あの二回目にかかった「LAST DINOSAUR」を聴いた時、その時の画面演出も相まって「これ製作者側に『消しゴムをくれた女子を好きになった』のニコニコ動画版を観た奴がいるだろw」と直感したのですが、穿った見方過ぎますかね?
2019/2/2 追記
dアニメストアで配信されたので再度鑑賞した。やっぱりシネコンみたいな大型ワイドスクリーンじゃなく、21インチ程度のパソコンの画面で観るのがちょうどいいアニメだと再確認。