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【第43回】AI崩壊

『サスペンスの乏しさが浮き上がらせる、作り手の大真面目さ』


AIについて論じる時にどうしてもAI技術そのものの話に目が行きがちだけど、一番の問題はそれを運用する人間社会の都合、つまりAI技術運用に関する法整備をどうするか? ってところだと思います。





【導入】

2030年の近未来・日本を舞台に、社会インフラの要になるまで成長したAI技術の暴走によって社会が混乱に呑まれていく様を描いたパニック・サスペンス・ムービー。


映画のメインとなるのが「AI技術」ってことで、近年だと『アップグレード』なんかが、その手の作品だとイイ感じ。あと、これ知ってる人少ないと思うんですが、日本でも去年『センターライン』っていう自動運転システムによる事故でAIを被疑者扱いする法廷サスペンス映画が公開されていたんですよ。自主製作映画なのでDVDは出てないっぽい。観よう観ようと思って結局観れなかったので、知っている人いたら、面白かったかどうかだけでも感想欄で教えて欲しいです。


さて、『AI崩壊』というオリジナル脚本のこの映画。監督は『太陽』『22年目の告白-私が殺人犯です-』の入江悠。代表作である『SRサイタマノラッパー』は観ていないんですが、それ以外は全部観てるよん。この人の話って一見キワモノの要素を入れつつも、常に現代を描きたいんだなという意思が伝わってくるから分かりやすい。個人的に『22年目の告白-私が殺人犯です-』は、リメイク元である韓国版と比較するとけっこうサスペンス強度が高くて、私は好き。


主演は大沢たかお。久々にお顔を拝見しましたが、最後に主演をやっていたのが『風に立つライオン』ってところから察するに、そうとう仕事を選ぶ人なんでしょうね。私としてはいまだにセカチューのイメージがあるなぁ。


で、大沢たかお演じる天才AI研究者の奥さん役を松嶋菜々子。この方も、いまだに『家政婦のミタ』の印象が強い。反町と結婚した時はどうせすぐ別れるだと思っていただけに、今のこの状況は意外です。


ひとつ愚痴っていいですかね。松嶋菜々子、美人でカワイくていいんですけど、今回彼女が演じる役には末期ガンに侵されているって設定があるんですよ。映画冒頭で死んじゃうんだけど、末期患者なのに妙に肌艶がいいってのはいかがなものか。というかこの映画、全体的に役者のメイクのつけかたが下手くそです。


大沢たかおの義理の弟役を賀来賢人。事件を捜査するサイバー犯罪対策課を指揮する桜庭理事官役を岩田剛典が演じてます。『去年の冬、きみと別れ』の方ですね。正直どっちも良く知らない。(だって邦画はほとんど観ないんだもの……)


でもこの映画、妙なところで私好みの役者を配置しているから嬉しい。たとえば総理大臣役で余貴美子さんが出演しているんだが、『シン・ゴジラ』の時の防衛大臣役からずいぶん出世したなぁと、妙な嬉しさがこみ上げてきました。まぁ、あっけなく死んじゃうんですが(笑)。でも画面に出るだけで相当引き締まるし、いい女優さんだなぁ。


あと、山王会二代目会長こと加藤会長(つまり三浦友和)も出ています。これが個人的にポイント高し。『アウトレイジ ビヨンド』で大友にボコボコにされて反省し、正義の心に目覚めたのか、今回の加藤会長は昭和のスクリーンから飛び出してきたかのような、ベッタベタな老年刑事役を演じています。


そんな老年刑事と化した加藤会長とコンビを組むのが駆け出しの女刑事。演じるのは広瀬アリスです。今回の彼女は、加藤会長からセクハラまがいの発言をされます。その時の彼女のリアクションがなにげに好み。


でも特に印象に残ったのが、桜庭理事官の部下を演じる芦名星。いや~この人の佇まい、かなりイイッス。見るからに気の強そうな女で有能そう。初めてお顔を拝見したのですが、調べてみるとこの方、ジャッキー・チェンのファンらしく、お気に入りの映画は『少林寺木人拳』だそうな(ユーゲッザミラクル~ 奇跡を起こ~せ~)。


あとは、サイバー犯罪対策課の係長役として、高嶋政宏がほとんど置物と化した状態で出演。もういい年なのに、気がついたら『オラオラ系』の役ばっかりやるハメになってる方。安心してください。今回もオラついています。が、オラつき成分は『空母いぶき』より低め。個人的には90年代のゴジラ映画に出ていた頃の方が好きだなぁ~(笑)。





【あらすじ】

2030年の日本。


人々の健康と暮らしを支え、電気・ガス・水道と並んで「第四のインフラ」と言われるまで成長した高度医療AIシステム「のぞみ」。その設計と開発を成し遂げた桐生浩介は、世間からの称賛に背を向けて、一人娘である心を連れて国外での生活を送っていた。


ある日桐生の下へ、亡き妻の弟にして「のぞみ」の運営管理を業務とするHOPE社の代表取締役、西村悟から連絡が入る。「のぞみ」の功績が認められ、桐生に総理大臣賞が贈られることになったこと。その受賞式典出席のために日本へ戻ってきて欲しいことを彼に伝える。


娘を連れて日本へ帰国した桐生だったが、彼が帰国した直後に「のぞみ」が謎の暴走を開始。メイン電源を切っても予備電源へ勝手に切り替え、管理者側からのアクセスを受け付けない状況になった「のぞみ」は、自身と接続しているあらゆるネットワークを途絶状態へ追い込み、病院、交通機関に甚大なダメージをもたらした。


「のぞみ」の暴走によって、凄まじい経済的ダメージを被る日本社会。突然の事態にどよめくHOPE社に、火急の事態を聞きつけて警察庁のサイバー犯罪対策課の面々が現れる。若干30歳で警察庁警備局理事官という地位に就く桜庭誠の指揮の下、「のぞみ」が出所不明のマルウェアに汚染されていることが判明。「のぞみ」のネットワークに侵入して逆探知を実行し、マルウェアの発信源を特定し、社内モニターへ映し出す。


西村悟をはじめ、HOPE社の面々は思わず息を呑んだ。映像に映し出されていたのは、式典に向けて車を走らせている桐生に他ならなかったのである。


桐生浩介を「のぞみ」暴走を主導したテロリストであると判断した桜庭は、彼を全国指名手配すると、特殊機動部隊「CITE」を動かし、桐生の確保に乗り出す。また一方では、試験運用を兼ねて報酬系の捜査用AI「百眼」を動かし、日本全国の監視カメラ、ドライブレコーダーへ接続し桐生包囲網を形成しはじめる。


車中の映像で「のぞみ」の暴走と自身が追われている身であることを知った桐生は、「のぞみ」の暴走でサーバールームへ隔離された娘を助けるため、そして自らの潔白を証明するために、義弟である西村の力を借りて、警察からの逃走に徹するのであった。


一方で、サイバー犯罪対策課との橋渡し役を命じられた捜査一課の刑事である合田は、AI暴走を招いた重要参考人が桐生であるという対策課の見解に疑問を持つ。彼は刑事の勘だけを頼りに、新米刑事である奥瀬を連れて、昔ながらの捜査方法で桐生を追跡するのだった……





【レビュー】

AIによる人間選別――なんだか関暁夫が全力疾走でドヤ顔しながら食らいついてきそうなワードです。


SF者からは「いまどきAIかよ」と鼻で笑われ、SF者でない方々からは「なんだか難しそう」という印象を持たれがちという、小道具としてはもうさんざんな立場に就かされているAI。でも私はそれでもAIが好き。正確にはAI+ロボットというワンセット込みで。


さてさてこの映画、2030年が舞台ですから、それだけ聞くとSF者たちは「ほう、近未来か」と思う事でしょう。なるほどAIが発展した近未来の日本を描くSFかと。


しかしですね、はっきり言いますとこの映画、SF映画ではないんですね。『AI崩壊』というタイトル通り、物語の中心にあるガジェットはAIで間違いないんですが……うーん、やっぱりSF映画ではないと思うんですよ。


「ひとつの技術に焦点を絞って物語を紡ぐ」というやり口は『HUMAN LOST 人間失格』と同じなんですが、あっちが純然たるSF映画だったのに対し、『AI崩壊』はその真反対に位置すると言っていいでしょう。


正確に言うなら、この映画は「近未来SF映画」じゃない。だって、その手の代物に本来備わっているべき「未来の景観」が、この映画からは丸ごと抜けているんですもの。


言うまでもなく、これまでの歴史の中でSF、なかでも「近未来」を舞台にしたSF映画はたくさん公開されてきたわけだけど、そのほとんどが「未来の景観を観客へ掲示する」という暗黙の了解に支配されていた。『ブレードランナー』のように、黒と光の異様なライティングで以て、空飛ぶパトカーを描いたり、中華アジア圏の文化を悪びれなく西洋都市と融合させるなどして露骨に「未来の景観」を見せつけてくるものもあれば、『マイノリティ・リポート』のように、さりげなく質素に、物語の展開を邪魔しない程度に近未来的な(それが“リアリティ”に溢れているかどうかは別として)一風変わったガジェットを配置したりなどして、物語の中にさりげなく「未来の景観」を忍ばせてきた作品もある。


そこに映像演出の強弱は関係ない。どっちが上か下かの問題じゃないんです。『THX-1138』も『リベリオン』も『オートマタ』も『アイ,ロボット』もそう。共通しているのは、必ず何かしらの「未来の景観」が描かれているということ。それは観客を映画に没入させるという演出的お題目の下、近未来を描くSFとは切っても切れない関係性にあります。「未来の景観」の一部として映し出されるランドスケープや雑多なガジェット類は、ほとんど「様式美」と言ってもいい。そして私は、そういった様式美や景観にむしゃぶりつきたくて映画を観にいっている。そういう人も多いと思う。


この『AI崩壊』には、その「様式美」がまるごと抜けている。


スクリーンに映し出される大通りや駅前広場、路地裏、住宅地、湾港地帯のどこにも「未来の景観」を見出すことはできない。車やビルのデザインについても同様だ。「近未来」を舞台にしておきながら、カメラレンズが映し出す風景は、いま我々が住んでいる2020年現在と大して変わらない、というかそのままだ。そのまま現在を素知らぬ顔でカメラに収めている。


つまりこの作品、近未来SF映画の暗黙の了解とされてきた「未来の景観」「様式美」を欠いている時点で映像的SFではない。これまでのフィルモグラフィから察するに、入江監督も本作を「SF」として撮影しているわけでは、きっとない。いや、百パーない。これはSFという枠組み、ジャンルを借りているだけの、極めて我々の現在に近しい、言うなれば「近現在」を描こうとしている作品で、だから『マイノリティ・リポート』よりも、むしろ『エネミー・オブ・アメリカ』に近い印象を与えてくる。


たとえば、警察の捜査手法に多大な影響を与え、警察官の判断能力・推察能力を鈍らせる要因の一つとなった監視カメラが、この映画には大量に出てくるけど、実際に我々が住んでいる現代でも監視カメラにはAI技術が応用されている。また、近年のあおり運転取り締まり強化を受けて需要が高まっているドライブレコーダーも結構な頻度で出てくるんだが、ここにもAIが搭載されている。


AIを主軸に据えて舞台が2030年ならやっぱりSFじゃないの? と仰る方もいるかもしれんけど、先ほど言ったようにこの映画からは「未来の景観」が、その匂いが感じ取れない。それはAIのメインサーバーのデザインや、ラップトップ、ヘルスケア端末のデザインからも言える事で「いかにも未来的」な感じはしないんですよ。特にAI「のぞみ」のメインサーバーのデザインなんて、現代美術的な流線形メインの幾何学模様に近い(おそらくデザインモチーフは貝殻と二重らせんでしょう)。小型化したドローンのデザインなんかも、我々の住んでいる現在からの地続き感がすごいから、突拍子なデザインでもなんでもない。だから全然、未来的ではない。ついでに言えばAIの技術設定に関してもわりかしいい加減(医療AIが金融インフラを同一サーバーで一元管理って、ウソだろおい)。


でも適当に作ってる感じは全然なくて、むしろ作り手たちの真剣さ・真面目さが端的に現れている映画です。「いい映画を作るぞ!」「ヒューマンドラマを撮ってやるぞ!」「サスペンスしてやるぞ!」という熱い意気込みが画面から伝わってきて、昨今の漫画原作映画にありがちな、話の筋だけなぞってりゃいいか的な、おざなりな作りには全くなっていない。好感が持てる映画です。


けれど、全体的にちょっと真面目すぎるかな? という印象が強い。


当然、映画には「主題」がつきものなんですが(映画に限らずどの娯楽作品にも基本的に主題はつきものですが)、スタッフの真面目さ成分が画面に抽出されてしまったからなのか、主題が前面に押し出され過ぎてしまっていて、逃走劇サスペンスとしての娯楽性が薄くなり、結果として作り手の熱意だけがフワフワ浮いているという奇妙な状態になっているのが、なーんかノイズになってしまう。映画の主題を見つけて、それを自分の中の思想と照らし合わせて鑑賞するタイプの人なら満足かもしれませんが、純粋にジャンルとしての娯楽を求めている私のようなタイプは、こういった映画はちょいと苦手です。


これでサスペンスが面白ければ、言う事なしなんですけどね。


今回物語を牽引するサスペンスは『だれが桐生に罪を被せたのか?』『なぜAIは暴走したのか?』『娘は助かるのか?』の、大きく分けてこの3つな訳ですが、それぞれの有機的な繋がりが弱いし、謎の解明と掲示のバランスも微妙で、観客側の「興味の持続」に繋がる作り方になってないから、興奮しようにも途中でテンションが途切れちゃう。


この映画、サスペンス映画をそれなりに観ている方でしたら真犯人の目星は物語始まってすぐ見当がつきます。伏線を回収するのにも「わざわざ」伏線のシーンを再度映してから真相を暴くという、お客さんの集中力を完全に信じていないがゆえのダメな邦画サスペンスに良くある手法を選択してしまっているし、AI暴走の引き金となった理由も「今時やるか?」な陳腐なものだし、娘の命が助かるかどうかのシーンは視覚的な緊張感に欠けていてまったくハラハラしない(これ、演出の拙さもそうなんだけど、単に子役が下手なだけな気がする)。


監督は「パニックサスペンスを撮りたい」という動機で作ったとパンフレットで述べていて、脚本も監督の力と熱が込められているのは分かるんだけど、その熱が空回りしている感じが否めないんですなー。もし入江監督に『エネミー・オブ・アメリカ』を手掛けたトニスコのような「アクションだけで15分以上持たせる」パワーがあったら、いろいろと違ったんでしょうが。


でもいい部分もあるにはありますよ? 捜査用AI「百眼」の「無機質なしつこさ」はちゃんと出ているし、大沢たかおは他人のことなど考えずに利用できるものはなんでも利用して必死に逃げてるし(こういうところで「道徳的にどうなの?」と疑問を挟むモラリティ高めの人は、逃走劇サスペンスは観ない方がいいと思う)、追う側も必死な様子は伝わってくるんです。それでも、どーしてもいまいち展開に乗れない。


逃走劇はスピード感が大事なんだけど、カット割りが普通過ぎて物語を加速させていないってのもあるんですが、それよりも映画に乗れない大きな理由が二つあって、その一つが劇伴。『22年目の告白-私が殺人犯です-』と同じ、重低音を効かせたノイズ残しの音が逃走中にけっこう流れるんですが、それが大沢さんの必死な姿(と言っても走り方がすごい不格好で違和感ものすごいけど)とぜんぜんマッチしていない。


普通、映画やアニメにおける劇伴は「キャラにつけるか」「シチュエーションにつけるか」の大きく分けて二つあるんですが、どっちにつけたとしても、この旋律は良い効果を発揮しているとは言い難い。『22年目の告白-私が殺人犯です-』のような、ディベートで犯人をジリジリと追い詰める、緊張感を煽ってくるサスペンスには適した劇伴かもしれませんが、役者の激しいアクションが伴う作品だと、どうしたってスリリングさが足りません。オーソドックスなメロディの方がナンボかマシです。


二つ目はメイク。今回の映画、全体に渡ってメイクの付け方が甘々で下手くそです。前述したように、末期癌に侵されているはずの松嶋菜々子はぜんぜん頬がこけていなくて肌艶いいし、それ以外にも、氷点下の地下室に長時間閉じ込められているはずの子供も、なぜか唇が青くなっていません。「ちょっと寒いな?」程度に手を暖めるだけです。大沢たかおは、汗だけはやたらとかくけど、死に物狂いで逃走しているのに全く傷つかないし血を流さないしで、なんだかなぁな感じ。


メイクの付け方がダメ、劇伴もイマイチ。でもこの映画、ビジュアル的には私のツボを押してくれる場面がちらほらとあるから、個人的には駄作でもなんでもない。


たとえばAI起動前のPOST画面とか、コードを走らせる画面をちゃんとスクリーン全体に映してくれる。これが個人的にグッド。ビジュアル的には「黒いバックに緑のコードが縦方向に流れる」というよく見かけるタイプなんだけど、それをちゃんと画面に出してくれる(しかもしっかりプログラムが起動するタイプのコード)ので、良い。私、こういうビジュアルに弱いんですな~。ベタだって分かっていても、それでも好き。


あとは「CITE」というSATの再編成版みたいな特殊機動部隊が出てくるんですが、こいつらが物語の序盤で大沢たかお演じる桐生の動きを封じる為に、逃走車の後輪をバーストさせる場面は「おお」となったし、マンホールを開けて偵察用ドローンを地下道へ射出して桐生を捜索するシーンも、プロ感があっていい。個人的にはマンホールを開ける場面も、全部じゃなくていいから見せてほしかったかな。あれって特殊な専用工具でないと開けるの難しいし、日常生活だとそんなに見かける機会のないレアな風景だから。でもあれか、犯罪に応用されると困るから警察から「映さないでくれ」ってお達しがきたのかな?


とまぁ、なんだかんだ言ってきましたが、私好みの映像があったので「ものすごい残念な映画だった」わけではないんだけど、柱であるサスペンスの強度が致命的に弱いのがどうしても気になる。今の時代にあんなステロタイプな犯人を出すってところに、監督の偏見というか、視野狭窄に陥っている様が露骨に見えてきてイヤ。「官僚」や「警察組織」という安易な言葉でキャラをグループ分けしたり、「アナログにこそ人のぬくもりが現れる」という一方的な描き方には、ムカつきを通り越して呆れてしまうくらいです。


そう、この映画はビジュアル面では確かに現代的なんですが、登場するキャラがまったく現代的ではないんです。なにせ、チームを組んでではなく「一人」で「超高度医療AI」を「完成」させた「天才AI研究者」が主人公で、「30代で警察庁理事官」の肩書を持つ「感情の起伏に乏しいイケメン」に、「善良の塊」である主人公の奥さんに、「昭和的なアナログ思考の刑事」など、画面を支配するキャラクターは記号的に洗練された人たちばかりであり、きわめて単純で行動が読みやすい。現実の人が持つ内面の複雑さが綺麗に脱臭されています。そこから見えてくるのは、現代的な風景、私たちの住んでいる社会に近しい世界でありながら、単純明快な性格付けをされたキャラが画面の中を動き回るという、ある種の奇妙さなのです。


もしこの映画を観て「リアリティがある」と仰る方がいるとしたら、その方の意見は半分は正しくて、半分は間違っていると言えるでしょう。リアリティそのものな風景の中で、極端な性格嗜好のキャラ達が紡ぎ出すサスペンスはチグハグで、だから監督が伝えたかったことが、製作側のメッセージだけが宙に浮いている感じが否めない。


「消費社会とサービスの関係性を見つめ直そう」と訴えかけてくる製作者側の姿勢に対しても言いたいことがあるんだけど、これ以上書くと長くなりそうなのでこれまでにしておきます。


とにかく「超娯楽大作」と宣伝している割には、サスペンスの強度が弱めでイマイチ。ただし、好きなキャスト目当てだったり、今までサスペンス映画に触れてこなかった方々が観る分には、楽しめると思います。

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