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【第40回】EXIT

『真正面から娯楽を描くということ』


新宿武蔵野館で鑑賞してきましたので、軽くレビューしたいと思います。


今年は色々と話題作目白押しでしたが、年の瀬になってこういう「真っ当な」娯楽映画に出会えるから、映画ってのは分からんものですね。


ちなみにこれ、配給会社がGAGAなんですが、今年はGAGA配給作品で「ハズれ」がなかったなぁ。相変わらず質の高い作品を届けてくれるから、安心して観れますわ。





【導入】

市内に撒かれた致死性の有毒ガスが立ち昇ってくる中、高層ビルに取り残された人々がなんとかして脱出しようともがくシチュエーション・サスペンス映画。


監督/脚本は、なんとこれが長編映画デビュー作品となるイ・サングン。いろいろなサスペンス映画を沢山観てきたんだなぁと分かる、映画的教養の高さを伺わせる監督です。


主人公のヨンナム役を演じるのは『建築学概論』で主人公の親友役を演じたチョ・ジョンソク。最近の韓国俳優あるあるなんですが、塩顔の方です。顔で言ったら、個人的にはウォンビンのようなタイプが好きなんだけど、この方いい演技しています。


ヒロインのウィジュ役を演じたのは、アイドルグループ「少女時代」のユナ。アイドルが演技できるの?って思ったんですが、調べてみるとこの方、結構色々な映画に出ていて、場数に裏打ちされた演技に定評のある方みたいです。


そのほかに、『グランプリ』のコ・ドゥシム、『執行者』のパク・インファン、『僕の妻のすべて』のキム・ジヨンが出ております。





【あらすじ】

大学を卒業したものの、就職活動に失敗した青年・ヨンナムは、暇さえあれば登山サークルにいた頃を思い出しながら、公園の鉄棒を使ってトレーニングに熱中するという、傍目からは変人としか見られない生活を送っていた。


気の強い姉のジョンヒョンからは早く仕事を見つけて実家を出て行くように責められ続け、彼女の息子からはろくに口も訊いてもらえない。


家族の中ですっかり浮いた存在となったヨンナム。古希を迎えた両親を祝うパーティに参加しても、集まった親戚連中の目から逃れるように口数少なく、目立たぬように己を殺す始末である。


だが、そこで思わぬ出会いが彼を待ち構えていた。パーティ会場であるホテルの副支配人が、大学時代に所属していた登山サークルで仲良くしていた後輩のウィジュだったのだ。


大学卒業後まったく連絡を取っていなかった二人。しかし、予期せぬ巡り合いに直面したヨンナムの胸中は複雑だった。実はヨンナムには、当時サークル内でも抜きん出た登山技術を持つウィジュに告白したものの、見事に玉砕した過去があったのだ。


青春時代の苦い思い出を振り切って、つい見栄からベンチャー企業で働いていると大ウソをついてしまうヨンナム。一方のウィジュはヨンナムとの再会を一人の友人として喜びつつ、若くて金持ちなホテルの支配人から強引に交際を迫られているという問題を抱えていた。


夜も深まり、パーティもお開きになって親戚連中が帰宅の途に着く中、まだホテルに居残ってバカ騒ぎをする家族にうんざりするヨンナム。


だがその時、一本の高圧ボンベが凄まじい速度でホテルの窓ガラスを突き破り、パーティ会場へ飛び込んできた。突然の出来事に驚いたヨンナムたちは、荷物を片手に外へ飛び出す。


ホテルから飛び出した先で彼らが目にしたのは、市内を覆い尽くさんばかりに迫る真っ白な煙と、その煙に撒かれて苦しみ悶えて倒れていく群衆の姿だった。


突如として市民の命を容赦なく奪っていく、白い煙の正体。それは、折しも市内で新社屋の落成式を迎えようとしていた化学会社を狙ったバイオテロによるものだった。テロリストの手で市内中に撒かれたその有毒ガスは、拡散性が高い一方で、その比重の重さから一般の毒ガスにはない、長時間にわたる滞留性を持つ、危険極まる代物だった。


毒ガスの成分分析も進まず、政府の対応が後手に回る中、ヨンナムたちはウィジュの指示に従い、ホテル内へ戻ろうとするが、逃げ遅れたジョンヒョンが毒ガスを吸ってしまい、深刻な呼吸困難に陥ってしまう。


手持ちの道具でジョンヒョンを何とか介護しつつ、ホテルの最上階へ向けて階段を駆け上がるヨンナムたち。屋上へ退避して救護ヘリの到着を待とうとするが、ホテル支配人が顔面蒼白でウィジュに告げる。屋上の鍵を失くしてしまったと。


内側から鍵を開けられない以上、外から鍵を開けるしかない。だがここは、地上から何十階建てという高さのホテル。外から屋上へ回る術など、どこにもない。


そうこうしている内にも、じわじわとドアや窓の隙間からホテル内へ侵入し、上昇してくる真っ白な有毒ガス。家族が悲嘆と絶望に暮れる中、ヨンナムは意を決して、ウィジュの協力の下、ホテル内の備品を搔き集め、即席の登山道具を身に纏う。


将来の展望も何もない自分に、たった一つだけ残された武器――登山スキル。ウィジュには遠く及ばないそのスキルを武器に、ヨンナムは毒ガスがすぐ足元へ迫る中、窓ガラスを破ってビルの壁面にしがみつき、屋上への登頂を開始する。


一人の負け組人間が見せる意地と度胸。落下したが最後、毒ガスに撒かれて死んでしまうという極限状態の中、果たしてヨンナムは、家族と愛する人を無事に屋上へ導くことができるのか。





【レビュー】

感想:SASUKEオールスターズ


というのは冗談としても(いや、見ようによってはやっぱりSASUKEなんだけども)、いやぁ面白い。面白いですよこの作品。


本作を好評価するのに変に言葉を編んでしまうのは無粋なのではないか? そう思えてしまうほどに、純粋に、真っ向から、娯楽映画として勝負している面白い作品です。誰が観ても楽しめるサスペンス映画に仕上がっています。


韓国映画って、キム・ギドクやポン・ジュノみたいに重苦しい人間ドラマを撮る方々がいる一方で、この作品のように、難しいことを考えなくても誰もが楽しめる「普通に面白い」作品を出してくるから、本当に侮れません。実際、ここ10年の間に日本に輸入されてきている韓国映画は、映像作品として一定の水準を超えて楽しめるものがほとんどなのですが、この作品もその例に洩れません。ハリウッドのシチュエーション・サスペンスにおいて名作として誉れ高い『タワーリング・インフェルノ』や『ポセイドン・アドベンチャー』の系譜に連なる作品と言えるでしょう。


1998年に公開された『シュリ』以降の韓国映画にみられる最たる特徴は、なんと言っても、ハリウッドの活劇を研究し尽くした方法論を積極的に取り入れていったことにあります。その結果、韓国映画は「王道的な面白さ」を獲得したわけですが、その作劇方法は世代を超えて受け継がれているのだなというのが、本当に良く分かる一作でした。


サスペンスを継続させていくうえで重要なものを、この監督は分かっています。なにが観客を興奮させ、なにが観客を驚かせ、なにが観客の涙を誘うか。それを熟知しているのが良く分かる映画です。


すなわち、アイデア勝負。


いかにして緊迫した状況を「ところてん式」ではなく「雪だるま式」に継続させていくか。興奮を誘うカットをどう繋げるべきか。キャラクターたちを追い込むのに必要な展開は? どうやって物語に緩急をつけるのか……それを創造するのに必要なのは、VFXでもキワい設定でもない。ましてや大規模なバジェットでもない。スタッフたちの頭の中で生み出される「地に足のついた」アイデア。それが何よりも、シチュエーション・サスペンスには不可欠なんです。そのことを理解し、そして何より、自分達が生み出してきたアイデアに自信があるんだというのが、画面を通じて伝わってくる。


サスペンスを小気味よく展開するために配置された諸々の要素を『ご都合主義だ』と言って馬鹿にする人たちも当然います。しかしシチュエーション・サスペンスというのは、そういった面を含んでしかるべき作品であるし、同じようなことはハリウッドでもやっています。そもそも、娯楽作品とご都合主義は切っても切れない関係性にあるという、フィクションとして当たり前の原則があるのです。サスペンスの傑作として有名な『第三の男』のような、ああいった隙がまったくない脚本の方が極めて稀なのです(個人差があると思うんですが、私の場合、隙の無い作品を観ると極めて眠たくなるという悪癖があります)。どれだけ都合の良い展開があっても、それが脚本の強度を弱めない限りは、しっかりと「娯楽映画」として成立する。それだけの力が映画の脚本にはあるのです。その事実を理解せずにこの作品を叩いている人は、己の映画的リテラシーが低いだけだということを自覚しましょう。


この映画の感想で「最初の数十分間垂れ流される古希を祝うパーティ・シーンが退屈だった」という意見をSNS上でちらほらと見かけます。けど、それはどうなんでしょうか。あのシーンにさりげなく出てきた小道具の数々が、のちに訪れる危機的状況を打開するための伏線として機能しているということ以上に、パーティで浮かれ狂うキャラクターたちの「俗っぽさ」を曝け出していることに意味があると考えれば、私には必然の演出だったのではと思えてなりません。


パーティのシーンでもわかることですが、とにかくこの映画、キャラクターの描き方が明け透けです。俗っぽい様を包み隠しません。そらもう丸裸にします。パーティで残った食べ物や酒を平気で持ち帰ったり、義理の両親に対して異様なほどにこびへつらってご機嫌を伺ったり、パーティが終わってもまだどんちゃん騒ぎをしようとする無節操な様や、カラオケ歌ってバカ騒ぎする楽天すぎる気質や、危機的な状況に陥ったら我先にと助けを求める利己的な姿勢を、これでもかと描いてきます。


こういった振る舞いを、サスペンス映画にお約束の展開だから、という理由で描いているというよりかは「韓国人ってこんな人種なんですよ」と、極めて客観的に国民性の恥部を描ききっているように見えてくるのです。その躊躇なき凄みに、私は呆気にとられました。ここまで自国民を恥ずかしい存在だと描くことに、恐怖を感じないんでしょうか。


そんな風にあっけらかんと描かれる俗っぽさからくる必死なサマが、なんだか笑えるんだけれども、これがサスペンスの邪魔を全くしていないってところもまたいい。いえ、邪魔をしているどころか、拍車をかけていると言ったほうがいいでしょう。なぜならこの「俗っぽさ」から浮き上がってくるのは「なんとしても自分だけは助かりたいんだ」という、野蛮的ともいえる生命活力であり、それが韓国人特有の、そして日本人にはない「度を過ぎた感情表現」と相まって、ぐいぐい観客を引っ張っていきます。


これが特に現れるのが、屋上に逃げた人々が救助ヘリに向かってスマホを使ったモールス信号を送る場面。すごく必死なのが伝わってくるんですが、だんだんとその必死さが滑稽に見えてきて、なんだか(いい意味で)笑えてくる。でもふと冷静になった時に、やはりこれはどこまでも、そう、どこまでも「民族の俗っぽさ」を描くことに余念がない作品なのだということを思い知らされます。


似たようなキャラクターを出す人に、オランダ出身の映画監督、ポール・バーホーベンがいます。『氷の微笑』や『インビジブル』で有名な方ですが、この方も「俗っぽい」人たちを描くのに定評がある。ですが、バーホーベンの場合は極めて露悪的。最初から人間の本質が「薄っぺらいもの」と見積もった上で薄っぺらいキャラクターを創出しているので、そこには人情に寄った展開はほとんど皆無です。それと比較すると本作『EXIT』は、韓国人の恥部をことさらに描くその一方で「お前ら! もっと他人のために動けるだろ!」という願望や理想を反映させた「厚みのある」キャラも出てきます。興味深いのは、そういう「ヒーローの役目を背負わせるはずの、厚みのある」キャラを出しておきながら、誰にでも愛され、常に信頼を勝ち取るヒーローとしては描いていないという点です。


『タワーリング・インフェルノ』には、消防士たちを率いるリーダーがいました。『ポセイドン・アドベンチャー』には、文字通り自らの命を懸けて、船内に取り残された人々を導く牧師がいました。彼らは皆、周囲の人々から頼りにされる、映画の展開を引っ張る「アイコン」として作られたキャラでありました。


しかしこの映画には、そういった、これまでのハリウッドで観客から一定の評価を得ていた「わかりやすいヒーロー」はいません。たしかに主人公のヨンナムはみんなを救うために屋上へのクライミングを敢行しますが、そのことに対して、誰一人として明確な感謝の声をかけたりしません。むしろ、いままでダメダメだと思っていた男の意外性にドン引きし、父親からは「余計な心配をかけさせるな!」と怒られる始末で、彼自身も、自らのとった利他的行動に酔いしれたりはしません。


人々から英雄として称えられるヒーローは、ここにはいません。ごくごく普通な人々が、ほんの少し勇気を出して他人のために行動しつつ、でもところどころで「俗っぷり」をぶちまけることを厭わず、危機的状況を脱出しようと、がむしゃらにもがき苦しむ。だから「面白い」のです。


ここ最近の韓国映画……たとえば『新感染:ファイナル・エクスプレス』や、今年公開された『守護教師』に代表されるように、この作品も、作中のところどころで現代韓国社会を取り巻く問題を描いています。


これらの作品に共通するのは、不信感が根っこにあるという点です。勝てば官軍。負けた方が悪い。他人を出し抜くのが美学……他人を「信頼できない」からこそ蔓延したシニシズム。そのような韓国社会道徳が「セウォル号沈没事故」以降に揺らぎ始め、「本当に今のままでいいのか?」という問いかけをする映画が多く制作されてきました。


ゾンビに感染した可能性がある人達を信頼できずに差別する乗客。

腐敗した学校や教師を信頼しない生徒。

そして、本作が描くのは「すぐ身近な誰かに対する不信感」です。


その「不信感」の象徴として「真っ白な有毒ガス」を持ち出してきているのが、この映画の作劇的に巧いところでしょう。先行き不透明な現実を反映しているかのように、真っ白な死の霧が画面いっぱいに立ち込め、何を信じて進めばいいのか分からない白い闇の中、ヒロインと主人公は互いを結ぶ「信頼関係」だけを武器に、ガスに包まれた都市を脱出しようとする。そこから見えてくるもの、それが訴えかけてくるものは、韓国社会だけでなく我々日本の社会にも何か響くものを秘めているのやもしれません。


しかしこれらのテーマも、映画が終わってから、ひとり物思いに耽る中で湧いてくる気づきであり、上映中はただひたすら娯楽を突きつめていて楽しい。ちゃんとアクションしていますし、ちゃんと感動的なシーンが無理なく挿入されていますし、ユーモアだって忘れない。娯楽映画に必要な要素てんこもりです。


さて、この映画には、ガスが市内に蔓延する中、逃げる人々が公共施設に置かれている防毒マスクを取り出して器用に着用してしまうシーンがあります。我々日本人から見ると不思議でしょうがないこのシーン。なんで一般市民が防毒マスクの使用方法を知っているのかというと、いつ北緯38度線を越えて北朝鮮が攻めてくるか分からない状況に韓国は立たされているので、いざという時のために、バイオテロに対する教育が学校で為されているんです。だから韓国民の大多数が、防毒マスクの使用法を知っているというわけ。


こんな重苦しい現実に支えられた習慣を、作劇の一つの流れとして「さらり」と見せる構図には、なかなかシビれるものがあります。韓国に住む脱北者たちの被差別っぷりや、不寛容な韓国社会を暗喩として描いた『新感染:ファイナル・エクスプレス』が、ことさら説教臭い展開にせず、ただひたすらゾンビ・パニックを突き詰めていたのと同様に、この『EXIT』も、監督の伝えたいメッセージや社会問題が物語の陰にひっそりと佇んでいて、まったくサスペンスの邪魔になっていないんですな。


明け透けなくらいに俗っぽい人々を描くのと並行して、これまた明け透けに、それも軽く描かれる韓国社会の問題。「早く南北統一すればいいのに」と、我々日本人から見ても解決をみない複雑な問題に対する感情を、さらりと主人公の口を借りて画面に載せる。ここ10年の韓国作品の多くがそうであるように、この映画もまた、自国を取り巻く問題を「客観的」に描いているのです。


「客観的」というのは、深刻な問題をあえて深刻に描かず、俯瞰して(時に置物として)描くということです。実はそれが「娯楽映画」における重要な工夫の一つであることに、この監督は気づいています。社会問題を深刻に扱い過ぎた時点で、それは鑑賞者に「重い」感覚を与える「社会派映画」となり、ヘタを打てばとんでもないキワモノ映画になりかねない。『ゆきゆきて神軍』などが、その最たる例でしょう。


仮に、日本が尖閣諸島問題や、北方領土問題といった他国との間に生じた複雑怪奇な外交/歴史問題を物語の背景に据えて映画を撮ったとして、本作のような娯楽性の高い作品が仕上がるでしょうか。いまのところ、オリジナルの脚本でそれが出来る人はいません。原作モノを借りてきたとしてもです。たとえば『空母いぶき』はそれが出来ないから、架空の国家を相手取る戦争シチュエーション映画になったのではないでしょうか。


来年、日本では福島の原発事故を題材にした『フクシマ50』なる映画が公開される予定ですが、これは予告編の雰囲気から察するに、完全に「社会派映画」です。


まだこの国の映画業界には、自国を取り巻く外交面・道徳面における問題を「娯楽」に昇華するという覚悟が、出来ていないんじゃないでしょうか。


でも、韓国はそれをやれてしまうのです。自国民の欠落した民族性をことさらに暴き立て「俺達はこんなにカッコ悪し、こんなに自分勝手なんだ」と明け透けに描くことに全く遠慮がなく、そのうえでテーマ臭くない質の高いサスペンスを提供できるのです。


この映画には、なにか突出した驚きがある訳ではありません。映像的に優れている点は、ヨンナムが屋上へクライミングする際に挿入されるジャンプカットとマッチカットを融合させた一場面のみ。それ以外に映像的な驚きは皆無です。なにか哲学的なことを描いているわけでもありません。筋書にもアラやヌケはあります。


ですが、それが何だと言うのか。少なくとも、そのようなマイナス点がノイズとして響かないほどの映像的体力のあるサスペンスを作り上げてしまう韓国の映画業界の姿勢を、くだらないと一蹴すること自体、くだらないことだとは思えませんか。


少なくとも、韓国映画界はハリウッドの作劇方法をただコピーする時代をすでに通り過ぎ、自国の社会問題を「背景」として物語の邪魔をしない程度に配置させる技を覚え、しっかりと観客を楽しませる術を映画界全体で共有している段階に来ているんです。


日本もそうであれとはいいません。しかし、今の日本映画界に、ハリウッドの脚本/作劇に則って、アイデアを駆使し、これだけの骨太な完全オリジナルのシチュエーション・サスペンスを撮れる若手監督がどれだけいるのか。ぱっとすぐには思いつきません。


とにかく、韓国映画おそるべし。韓国という言葉を聞いてアレルギーを発症しない方々は、観て損はない一本です。こういう娯楽映画をきちんと娯楽映画として楽しむのも、映画界に必要なことではないでしょうか。

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