【第34回】ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド
『文化と人のテクスチャーを楽しむ映画』
上野のTOHOシネマズで2回鑑賞してきましたので軽くレビューしたいと思います。
個人的に、今までのタランティーノ作品と比較して『見やすい』映画だと思います。
【導入】
1969年のハリウッドを舞台に、そしてハリウッド映画界に今もなお暗い影を落とす『シャロン・テート殺人事件』を題材にとったヒューマニズム映画。
『シャロン・テート殺人事件』……日本風に例えるならば『橋本環奈殺人事件』といったところか? ちょっと違う? でも売り出し中の若手女優が殺されるというこのショッキングな事件がきっかけで、ハリウッド映画界はくらーいくらーい時代に入っていくのです。
しかしですねこの映画、初めに言っておきますが殺人事件を背景に据えた映画なのに、ミステリーやサスペンスじゃないんです。それなのに、どちゃくそ面白いから凄いっす。
監督はロバート・ロドリゲスのお友達にして稀代のシネフィルであり、サンプリング文化の王者。皆さんご存知クウェンティン・タランティーノです。
そして主演が凄い。『ヒート』でアル・パチーノとロバート・デニーロが共演した時と同じくらいの衝撃と興奮を覚えずにはいられない。
なんてったって、『ジャンゴ 繋がれざる者』のレオナルド・ディカプリオと『イングロリアス・バスターズ』のブラッド・ピットですよ。映画知らない人でもこの二人の名前くらいは聞いことあるよってなくらいの、実力人気共に折り紙付きのスターが共演するんだってんだから、この時点で観なきゃダメ!
ヒロインのシャロン・テート役を務めるのはマーゴット・ロビー。『ウルフ・オブ・ウォールストリート』や『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』での演技が有名といったところでしょうか。
また、マーガレット・クアリーがチャールズ・マンソン・ファミリーの一員として出演しております。彼女といえば『ナイスガイズ!』で物語のキーマンとなる、ちょっと残念な女の子役を演じていたのが個人的には印象的。コジマプロダクションが発売するPS4用ゲーム『デス・ストランディング』にもキャプチャー・モデルとして出演するなど、マルチな活躍を見せております。
それ以外ですと、『マイ・ボディガード』のダコタ・ファニング。『ドリームキャッチャー』のティモシー・オリファントなど、有名若手俳優がたんまり出演。
そして超久々にきました。『ゴッドファーザー・シリーズ』『スカー・フェイス』『カリートの道』で御馴染みのアル・パチーノだよ! うおおおおお(泣)! パチーノ元気そうでなによりだー! 世の人々がもしパチーノ派とデニーロ派に二分されるとしたら、私は断然パチーノ派なんですよねー。デニーロもいいけどね! 個人的に、哀しい漢役をやらせたらパチーノ、奇人変人狂人をやらせたらデニーロって感じですかね。
しかしですね皆さん、実はこれらの超有名俳優たちを差し置いて、この映画でもっとも印象的な演技をしていたのが、ほとんど無名に近い子役のジュリア・バターズってところが驚きですよ。
ジュリア・バターズ。この名前を覚えておきましょう。きっと十年後、二十年後にはハリウッドの一線で活躍していること間違いなしな女優さんになっているに違いない。
【あらすじ】
今は昔の話だが……
『賞金稼ぎの掟』や『マクラスキー 14の拳』などの西部劇ドラマで主役を張り、テレビドラマ界のスターとして名を馳せていた俳優リック・ダルトン。彼は、自らの俳優人生が右肩下がりになっている事実を、映画プロデューサーのマーヴィン・シュワーズから指摘され、たいそう落ち込んでいた。
時は1969年。泥沼化するベトナム戦争に触発されて生まれたカウンターカルチャーたるヒッピー文化がハリウッド業界へ流入していた時代。アメリカン・ニューシネマの勃興期たる時代に取り残されたリックは、マーヴィンからマカロニウエスタンへの出演をそれとなく勧められる。
しかし、リックは専属のスタントマンであるクリフ・ブースに、イタリア映画になんて出たくないと本音を吐露する。ハリウッドスターとしてのプライドが邪魔して新しいキャリアを踏み切れないリックに対し、クリフは特に励ますでもなく、いつも通りに接する。それが彼にとって一番良いことなのだと分かっていたからだ。
クリフ・ブース。リック・ダルトン専属のスタントを務めるこの男には妻殺しの噂があった。リックの口添えでスタント役として出演が決まった映画も、アクション指導を務めるブルース・リーと衝突してしまったせいで白紙になったという、苦い過去があった。
トレーラーハウスに住みながら、マネージャーのようにリックの世話をするクリフ。そんなクリフをハリウッドのシエロ通りにある自宅に招いて、一緒に出演作を鑑賞しながらピザとマルガリータを楽しむリック。かたや落ち目のハリウッド俳優、かたや芽の出ないスタントマン。それでも彼らの間には、一言では言い表せない友情があった。
そんなある日、リックの隣にある夫婦が引っ越してくる。ホラー映画『ローズマリーの赤ちゃん』で一躍時代の寵児に上り詰めたロマン・ポランスキー監督と、その妻で売り出し中の若手女優であるシャロン・テートだ。
落ち目の自分と異なり、華やかで充実したハリウッド生活を満喫するポランスキー夫妻に、思うところがあるリック。自分もいつか、ポランスキー監督の作品に出れたらいいなぁと思いつつ、そんな日は永遠に来ないだろうなと、どこか諦めモードだ。
すっかり新人俳優の当て馬として映画に呼ばれるようになってしまったリック。時にアルコールに溺れつつ、時に撮影本番時にセリフを飛ばして自己嫌悪に陥るなど紆余曲折ありながら、彼は彼なりのハリウッド人生を歩んでいく。
一方で、隣家に住むポランスキー夫妻は、スティーブ・マックィーンやジョアンナ・ペティットなどの売り出し中の俳優女優とパーティに繰り出し、どんちゃん騒ぎの毎日を送っていた。
ある日、リック邸のアンテナ修理を終えたクリフは、時間潰しを兼ねて気ままにドライブしていたところ、ヒッチハイクをする一人のヒッピー女をピックアップする。ヒッピー女が行き先に『スパーン映画牧場』と答えた時、クリフは違和感を覚えた。
スパーン映画牧場……そこは、リックの出世作である『賞金稼ぎの掟』が撮影された西部劇スタジオだった。
だがスパーン映画牧場はすでに廃れ、チャールズ・マンソンという名のカルト宗教家が率いる組織、マンソン・ファミリーの巣窟と化していたのである。
【レビュー】
この映画を観る前に絶対に必要になること。それは『シャロン・テート殺人事件』の概要です。これを知っておかないと映画の面白さが四割は半減します。
え? たった四割? 物語の背景を知らなくても残り六割は楽しめるの? と思うかもしれません。
実はそうなんです(笑)絶対に必要な知識ですよと言っておきながら、『シャロン・テート殺人事件』の詳細を知らなくても、あなたが映画の筋書を追う事だけに固執するタイプではなく、映像の語る物語に浸れるタイプの方でしたら、六~七割程度は楽しめるはずです。
なぜなら本作では、映画ならではの質感というものが非常に高いレベルで撮影出来ており、その筋書とも言えない筋書を彩る一つ一つの要素を鑑賞するだけで、とてつもなく楽しい心地に浸れるからです。
まずタランティーノと言ったら、めちゃくちゃなアナログ人間であることで知られています。その昔、ロバート・ロドリゲスと共同監督した『シン・シティ』でちょこっとCG撮影に触れたことがありますが、その後も引き続きセットを組んでクレーンを使って撮影するという、アナログ的な手法を徹底して継続しています。
そのアナログだからこその良さ。手作り感から滲み出る自然なテクスチャーというものをタランティーノは大事にしてきた映画人ですが、本作もそれがいかんなく発揮されています。
1969年のハリウッドの文化だけが忠実に再現されているのではありません。そこで生きている、かつて実在した、あるいは架空の映画人たちの振る舞いがとてもユーモアに溢れていて、彼らの一挙手一投足を眺めているだけでも楽しいのです。
特筆すべきは、やっぱりディカプリオです。彼が演じるリック・ダルトンという架空のキャラ。このスティーブ・マックィーンになり損ねた男とでもいうべき、時代の流れに取り残された男が、なんとかしてハリウッド映画界で頑張ろうとする姿に、おかしみと愛らしさを覚えずにはいられない。
新人俳優の当て馬として西部劇の悪役としてキャスティングされながらも、ハリウッド俳優としてのプライドに賭けて台詞を一生懸命に覚えるリック。でも撮影の前日に緊張のせいかお酒を大量に飲み過ぎて二日酔いになってしまい、本番で台詞を飛ばしてしまいます。
この台詞を飛ばす前後のディカプリオの表情がいかにも『それ』っぽい。なんとかコンディションを持ち直そうと表情に力を入れてしまうんですが、それがあんまりにわざとらしすぎて面白いことこのうえない。
しかし本当に面白いのはこの直後です。カットがかかって控室に戻った後、リックは不甲斐ない自分に腹が立って滅茶苦茶に暴れ回るのですが、そこでの彼が口にする己を責める言葉の数々……「あんなに一生懸命練習したのにとてもそうは見えない!」とか「8杯も飲む馬鹿がいるか! 3~4杯じゃなくて8杯も!」とか。「もう酒は飲まない!」と決めた直後に無意識に酒を呑んでしまって「なにやってんだ俺は!」と自己嫌悪に陥る。このあたりは松浦美奈さんの翻訳力との相乗効果で、とてつもないコメディ・シーンになっています。
一方でブラッド・ピット演じるスタントマンのクリフ・ブースは、リックほど喜怒哀楽を表に出す人物ではありません。「俺はもうダメだ。もう俳優としてやっていけない」とメソメソ泣くリックに対して「いい大人なんだから駐車係の前で泣くのはやめろ」と冷静に窘めたりと(ここも二人の感情のギャップが面白く演出されていてたまりません)、その役目は完全にオカンです。
クリフはスタントマンですから、リックみたいに一軒家を持つことは叶わず、ちんけなトレーラーハウスで犬と暮らしているんですが、その暮らしがなんだかとても緩やかに、多幸感に溢れたものとして映し出されているのもたまらない。愛犬に飯を作ってやりながら自分の飯を作り、それを食べる。多くの映画人がカットしてしまいがちな『生活感』を丹念に映し出すことで、キャラクターを作っていく。ここらへんはタランティーノの『映画的な上手さ』が滲み出ているところです。
また、リックとクリフとでアクションの役割が分担されているのも面白い。リックが感情面でのアクションを担当しているとしたら、クリフは動的な、本来の意味での肉体的アクションを担当しています。特に物語終盤のアクションはタランティーノおなじみの『悪ノリすれすれの、ともすれば爆笑しかねない激しいアクション』が展開されるのですが、ここに『クリフらしさ』が溢れていて、妻を殺したという噂もあながち嘘ではないのかも……?と匂わせてくるのもたまりません。
他にも見逃せないキャラクターはいて、その代表格が【導入】でも軽く触れたジュリア・バターズが演じる子役の女の子。劇中で彼女はリック演じる悪役に人質にされる少女を演じるのですが、休憩中にリックから本名を聞かれると「役名で呼んでくれない? そうでないと物語に入り込めないでしょ?」と、自分よりもずっとキャリアのあるリックに対して物怖じすることなく持論を展開するわけです。
今風に言うなればまさに『意識高い系幼女』といったところか。そんな大人びた態度を取っていながら、読んでいる本がウォルト・ディズニーの伝記本で「彼は天才だわ!」と真顔で口にする姿には、ただただ愛らしさしか覚えません。
しかしながら、キャラクターとして最もその存在感が際立っているのは、この映画のキーマンにして、ハリウッド映画界の被害者的アイコンとして定義されてしまっている、マーゴット・ロビー演じるシャロン・テートに他なりません。
この物語は基本的にリックとクリフのやり取りと、シャロンの日常を交互に描いていくかたちで展開していきます。しかしながら、この二つの線はおよそ3時間近くある本作の中で、最後の最後のほうでようやく交わるという有様。
それって面白いのかよ、と思いがちですが、それを面白く魅せてしまうのがタランティーノの恐るべきところです。普通の映画人ならリックとクリフとシャロンの三者を混ぜ合わせて、ロマンス的な描写をしがちでしょう。しかしながら当然、この映画にそんな野暮な展開は全くございません。
本作でタランティーノがやりたかったこと。それは、チャールズ・マンソンの自分勝手な暴力の犠牲となってしまい、凄惨な事件の『犠牲者』としてのみ人々の記憶に残らざるを得なかったシャロンを、ひとりの『人間』としてフィルムの中に復活させることだったのです。
ですからこの映画は、シャロンの私生活が余すところなく描かれています。俳優仲間たちとパーティに繰り出してどんちゃん騒ぎをしてから、翌日、全裸でシーツにくるまってガーガーいびきを立てて寝ている様を、あけすけなくらいに描写します。
自宅でレコードをかけて楽しそうに踊ったり、かと思いきや、出演作である『サイレンサー4/破壊部隊』を観に行く際に「出演者だからタダで観させて」と交渉して鑑賞し、自分のシーンで周りのお客さんが楽しそうに声を上げている姿に気を良くして微笑んだりと……そこには確かに、売り出し中の、希望に溢れた一人の若手女優の姿が、たしかに映し出されていたのです。
思えばタランティーノは『イングロリアス・バスターズ』や『ジャンゴ 繋がれざる者』に代表されるように、社会から虐げられてきた人たちを力一杯に、エネルギッシュに描くことに定評のある方ですから、まさに彼らしい映画的文法によって紡がれる作品、というわけですね。
この映画にドラマらしいドラマは存在しません。ですから筋書だけを追おうとしても全く楽しめません。注目すべきは、時代の空気感であり、キャラクターのテクスチャーです。キャラクターが完璧に作られているから、彼らが自然に動き出すことで、筋書はなくても『物語』は確かに存在しうる。映画の力とはこれほどまでにすさまじいのだと、教え込まれてしまいます。
『ジャッキー・コーガン』などのタランティーノ・フォロー作品が陥りがちな、いかにも恣意的な作劇というのが本作にはきれいさっぱりとない(原作のジョージ・V・ヒギンズの小説はタランティーノの会話劇に影響を与えてはいるものの、『ジャッキー・コーガン』は撮影技法なども含めて完全にタランティーノを意識しているのは明白)。作劇をしようとする意識はほとんど画面から感じられないのに、しかしこんなにもハラハラドキドキしてしまうのは、それは本作が1969年8月9日へ……希望に溢れていたシャロン・テートに理不尽に降りかかる惨劇が起こった『あの日』へと一直線に突き進むことだけに集中しているからに他なりません。
そこまでの道のりを、ハリウッドの文化や街並み、ユーモアに満ちたキャラクターたちの動きだけで描いていく。たったそれだけのことが、こんなにも面白い。改めて天才であるとしか言いようがありません。
そしてこの映画の一番の盛り上がり所にして見どころは、やっぱりラストですね。1969年8月9日。まさに『シャロン・テート殺人事件』が起こったあの日を、果たしてタランティーノはどのように描くのか。
キーワードは、ワンス・アポン・ア・タイム。昔々あるところに……と始まるこの映画が『おとぎ話』であることを頭に入れて鑑賞すると、エンドクレジットで涙を流すこと間違いなしです。私は泣きはしませんでしたが、映画がラストを迎えた直後に『ワンス・アポン・ア・タイム』の意味を思い出し、思わず目頭が熱くなってしまいました。
物語の背景となる『シャロン・テート殺人事件』を知らなくてもそれなりに楽しめ、その背景を知っていると120パーセント楽しめる本作。
タイトルに『ハリウッド』とついているから、ハリウッド文化に詳しくないと楽しめないんじゃないの? と心配しているそこのあなた、大丈夫です。そんなこと知らなくても存分に、本作はあなたを夢のような映画体験に誘ってくれることでしょう。イタリア文化を知らなくてもピザが美味しいのに変わりはないのです。それと全く同じなのです。
全ての人におすすめの映画です。




