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【第29回】劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲  EVOLUTION

『エフェクトとポケモンの質感を楽しむ映画』


上野のTOHOシネマズで鑑賞してきましたので、軽くレビューを書きたいと思います。


ポケモン映画自体観るのがもう十何年ぶりなんですよねー。


記憶にある限りだと、最後に観たポケモン映画は『結晶塔の帝王』だった気がする。あのアンノーンがめちゃめちゃに暴れるやつね。


ポケモンのゲームはもう今はやってないですけど、ルビー・サファイアまではプレイしてましたね。バトルフロンティア? 全然勝ち抜けなかったよ! てかルビサファになってから四天王がめちゃ強くなった印象があるんですけど。


一方で漫画ですが、私はコロコロを読んだことがなくて、専ら『ポケットモンスターSPECIAL』にハマってました。と言っても金銀編までしか集めてないんですけど。


や、でも『ポケットモンスターSPECIAL』はマジで面白い漫画ですよ。あれはゲームにおけるポケモンバトルにジョジョやハンターハンターのような知能戦を持ち込んできているのが面白いですね。


モンスターボールに『開閉スイッチ』なる設定を導入してきて、それをバトル中に破壊してポケモンを出せなくするとかね(笑)。そんなえげつない戦法アリかよ! と小学生時分に驚いた記憶がございます。


アニポケも観てたなぁ。といってもオレンジ諸島編までだけど。


てなわけで、こんな中途半端なポケモン知識しか持ってないおっさんが、ちょっと気分転換の意味も込めて観てきました。


オリジナル版はずいぶん昔に一度だけ観たっきりなんですけど、それでもなんとなく記憶の片隅に残っているあたり、普段見ていたアニポケとは全く空気感が違っていたからそれだけ印象深かったのでしょう。





【導入】

1998年に公開されたアニメ版ポケットモンスターの劇場版第一作にして、北米における日本映画の興行収入ランキング第一位を記録するなど、その哲学性あふれるテーマ性で多くのポケモンファンを虜にした『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』を、3DCGでフルスクラッチしたのが本作『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』でございます。


監督はオリジナル版と同じく湯山邦彦。そして『ルドルフとイッパイアッテナ』の監督を務めた榊原幹典も参加しています。


脚本もオリジナル版と同じく首藤剛志。首藤さんはテレビ版のシリーズ構成も務めておられていたのですが、残念なことに2010年にお亡くなりになられています。本作では首藤さんお一人のクレジットだったので、オリジナル版の脚本をそのまま流用しているんだと思います。


てかねーアニポケがこれだけ長く続いているのは、やっぱり首藤さんの功績によるところが大きいんじゃないでしょうか。サトシとピカチュウを組ませたのも、ロケット団のニャースに言葉を喋らせたのも、ムサシのキャスティングに林原さんを抜擢したのも、全部首藤さんのアイデアですからね。


今でもはっきり覚えているんですけど、『マサキのとうだい』という回(だったような気がする)で、絶滅したポケモンの研究をしているマサキが、ポケモンの心について語っているんですが、なんか子供心に不思議な話だなと感じました。


どうみてもポケモンは動物、というかペットなのに、心なんてあるのか? と。後で調べてみたら、首藤さんの脚本担当回だったようです。


とにもかくにも、アニポケの初期はゲーム版や漫画版とはだいぶ異なる話が多かったように記憶しています。


声優は、いつもの方々。





【あらすじ】

ポケモンたちを使って世界征服を企む悪の組織・ロケット団は、世界で一匹しか存在しないと言われている幻のポケモン・ミュウの手掛かりをつかむために、ミュウの生息地と思しき南米のジャングルへ考古学チームを送り込む。


現地にてミュウの睫毛の化石を手に入れたロケット団は、これを契機に世界を支配するための『最強のポケモン』を創り出すことを決定。化石からミュウの遺伝子を抽出し、培養し、ついにミュウのクローン体である最強のポケモン・ミュウツーを誕生させてしまう。


自分はなぜ生み出されたのか、なぜここにいるのか――テレパシーを介して人語を駆使するほどの高知能を持つミュウツーは、自身が何の目的でこの世界に存在しているのか分からず、激しく苦悩する。


お前は人類のために創り出されたポケモンだ――ロケット団の首領・サカキの独善的な思想に人間のエゴを感じ取ったミュウツーは、自己存在を確立させるために人類への『逆襲』を決意すると、手始めに、その強力無比なサイコキネシスの力で、ロケット団の研究施設を破壊してしまうのだった。


それからしばらくの後、ポケモンマスターを目指してピカチュウ・カスミ・タケシと共に旅を続けるマサラタウンの少年・サトシの下に、一通の招待状を携えたカイリューが現れた。


受け取った招待状には、優秀なポケモントレーナーたちを『世界最強のポケモントレーナー』がいると言われるポケモン城へ招待するといった内容が書かれていた。


新たなる強敵とのバトルの予感。期待に胸を膨らませ、興奮冷めやらぬままに招待状にサインするサトシ。だがその直後に嵐が到来。サトシ一行はずぶ濡れになりながらも、港にあるポケモンセンターへ一時避難する。


ポケモンセンターは、サトシ同様に招待状を受け取った腕利きのトレーナーたちで溢れ返っていた。ポケモン世界の治安を取り締まるジュンサーと、港の管理人であるボイジャーの口から、この嵐ではポケモン城への連絡船を出すことはできないとの通達が為される。


それでも血気盛んなトレーナーたちの中には、みずポケモンやひこうポケモンを使って、うねり狂う荒波を乗り越え、ポケモン城への上陸を試みる者達がいた。サトシ一行も、途中で大波に呑まれつつ、なんとかポケモン城への上陸に成功する。


だが、上陸に成功したのはサトシたちだけではなかった。サトシのピカチュウを長年に渡って虎視眈々と狙い続ける、ロケット団のいつもの三人組、ムサシ・コジロウ・ニャースらもまた、ポケモン城へ乗り込むことに成功していたのだ。


下水を通ってポケモン城の内部へ侵入することに成功したムサシたち。そこで彼らが目にしたのは、ポケモンのコピー体を創り出す、仰々しい装置の数々だった。


一方、ポケモン城へ上陸したサトシたちの目の前に、城の主たる『最強のポケモントレーナー』が姿を見せる。


しかし、サトシたちは城の主の姿を目撃した途端、愕然となった。


彼らの目の前に現れたのは人間ではなく、最強のポケモンとしてこの世に産み落とされた、ミュウツーに他ならなかったのである。





【レビュー】

やっぱり、聞き覚えのあるBGMとか流れたら、テンション上がりますって。久々にロケット団の三人組に出会えたら、そりゃあ心躍りますよって。


観終わった感想としては「そうそう! こんな話だったよねー」というもの。とにかくひたすら、こちらの「懐かしいなぁ」という感情を刺激してくるものでした。


言ってしまえばこの映画のテーマは『自己存在とはなにか?』というもので、小学生だった当時にオリジナル版を観た自分としては、なんだか暗い映画だなぁという印象しかなかったんですよね。


なにせポケモン映画の一作目ですから、てっきり激しいバトルが盛りだくさんなのかと思うじゃないですか。ところがポケモン同士のバトルって実はそんなに多くない。ていうか悲しいし痛い。


映画のもう一つのテーマに『ポケモンバトルの見直し』ってのがあるから、バトルのカッコよさを前面に出すというよりも、なぜポケモンはトレーナーの命令に従ってバトルせにゃならんのか? みたいな、それポケモンという娯楽媒体を根幹から揺るがしかねないよねってところを突いてきたのが、当時としては新鮮だったんでしょう。


やたらとテーマが深い、深い言われているオリジナル版ですが、でも製作された当時が1998年ってのを考えると、アニメでこういう題材が取り上げられるのは、改めて考えると「言うほど珍しいか?」ってなる。


だって1996年には『エヴァ』が、1998年には『lain』がオタク界隈で人気を博していましたからね。時代の雰囲気的な影響があったのかなとも考えられます。


それにしても、首藤さんって、いい意味で意識の高い人だったんだなぁ。今どきこんなテーマの話を子供向けにやる人いるかね? どれだけ子供の感性信じてんだよって話ですわ。そこまで信頼できるのが凄いと言うか。


子どもの頃にはほとんど理解できなかったけれど、大人になってみるとまた新しい発見があって、つまりこの映画ってかなり東洋的な思想に基づいているんだなぁということ。


自己とは何か? いかにして自己が自己であると証明されるのか? という自己と意識の相関関係ってのは、お釈迦様の時代から語られていたことですからね。


映画の終盤でカスミが「いるから、いるんでしょ」って口にしますが、まさにこの台詞が物語における回答として提示されています。つまりそれって『自分が世界にいると認識する意識を認識することが自己の確立に繋がる』いう、悟りの境地めいたことを言ってるわけです。


これってのは言葉にして無理に説明しようとすればするほど肝要な部分が零れがちになる考えで、だからこの映画、終盤になっていくにつれて『台詞らしい台詞』がどんどんそぎ落とされていくのかなと感じました。


この自己に関する命題が、西洋文化圏においてはガラっと変わるのも興味深くて、あっちでは『神の目線(他者の目線)』があって、初めて自分は自分であると認識されるってんですね。


デカルトの『我思う、ゆえに我あり』ってのは、なんだか言葉の響きはお釈迦様の言ってることに近く聞こえがちですけど、ここで言う『我』ってのは『神の目線』があっての我、絶対的な存在から観測された時の自己であるし、そもそもこのフレーズが懐疑から入っていることからも、お釈迦様の考えとは全然異なるものではないかと考えます。


最近で言うと、2017年に公開された『ゴースト・イン・ザ・シェル』がそうですね。言わずもがな、かのオタクカルチャーの雄『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』のハリウッド版なわけですが、これも自己認識を扱った映画で、その着地点がデカルトのそれなんですな。バトーに存在を認められたことで、素子は自分が素子であることを認識するっていう。


うーん、やっぱり馴染めない(笑)。他者の目線で存在が担保される自己って、なんかむずがゆくないですか? このあたり、もっと掘り下げていけば色々な知見が得られるんでしょうが、勉強不足ですみません。


……しかしながら、テーマが深いからなんじゃい、て感じるのもまた事実。私は映画を観に行っているのであってテーマを知りたいわけじゃない。良いテーマを上げているから良い映画なんだってのたまう輩が一部にはいるけど、そういう人はかなり損をしていると思う。


重要なのは、オリジナル版の『ミュウツーの逆襲』を3DCGでモデリングしたことにどんな意味があるのってところですよ。オリジナルに対するコピーとして生み出された本作に、焼き直し以上の価値はあるのかって、そこじゃないですか一番気になるのは。


人の意見は様々でしょうが、私は「一部ある」と感じました。


なんてったて、エフェクトには目を見張るものがありますよ。特に感心したのはギャロップとリザードンの炎のエフェクトが、しっかり区別されている点です。


ギャロップの炎は、あれはたてがみじゃないですか。だから炎なんだけれども、微妙にゆらめきを抑えてやや固定している、でもちゃんと炎としての感じが演出されているんです。


一方でリザードンの吐く「かえんほうしゃ」のエフェクトは、爆炎といった感じの炎が上手く演出されているんですね。


2D作画だと、ギャロップのたてがみもリザードンのかえんほうしゃも、どちらも技術的な問題で差をつけられなかったのですが、3DCGになるとここまで明確な違いを演出できるものなのかと驚きました。


あとは、ポケモンの質感ですね。ミュウツーの肌の質感、フシギバナの肌の質感、ピカチュウの毛の質感。それぞれのポケモンにそれぞれの質感があるってのを、上手く3DCGで表現していたように思います。


それとカメラワーク! これはいいです。2D作画では不可能なドリーショット(建物の奥や横に人が歩いていくのをシームレスに表現する移動撮影方法)がまんべんなく多用されていて、これは絵的な立体感を生み出すのに一役買っていたと思います。


しかも現実でドリーショットをやろうとしたら、いちいちレールの位置を調節したり、なんやかんやと時間と物が必要になりますが、3DCGだとパソコンの画面上でそれが計算できるってのは大きなメリットだと思います。


でも言ってしまえばそれだけです。これぐらいしか見処ありません。


全部を全部3DCGで表現してリアルにしていこうとすればするほど、やっぱりどうしても違和感が出る。サトシやカスミなんて、どこからどうみても『精巧につくられたフィギュア』でしかないし、アニメ的なくずした表現も出来ないから、タケシのナンパシーンもなんかぎこちなく見えてしまう。


アニメ的な表現を捨て去ってでも3DCGでリアルさ、写実性を獲得したかったのかな。そういうイデオロギーの下に製作された映画なんでしょうが、でもさすがにやり過ぎな気がしないでもない。


でも、ここであーだこーだとイイ年した大人が口にしているよりも、実際に映画館に行った子供たちが楽しんでいれば、究極のところはそれでいいんですよ。だってポケモン映画ってそういうもんじゃないですか。


私は一人でこの映画を観に行って、両脇をファミリー層に陣取られてしまいましたが、両脇のお子さんは画面に釘付けになってたし、お母さんは終盤泣いてましたよ。


だから、この映画は私の知る範囲では成功だし、生まれてきた価値がちゃんとあるんです。コピーだって、人を感動させられたらそれでいいんですよ。


懐かしさに浸りたい大人の方にも、おススメできる映画だと思います。

すっげーどうでもいい話ですけど、ゼニガメって極楽とんぼの山本圭壱さんに似てませんか? 似てますよね?

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