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【第14回】ジュリアン

『身近な暴力から逃れられぬ弱者についての映画』


新宿シネマカリテで鑑賞してきましたので、軽くレビューを書きたいと思います。


ちなみに最初に言っときますが、本作は傑作です。


しかしもう一度鑑賞するには、なかなか勇気のいる作品です。




【導入】

フランスで観客動員数40万人を記録し、第74回ヴェネチア国際映画祭で監督賞を受賞し、世界各国の映画祭で賛辞を送られている本作は、家庭内暴力――いわゆる、ドメスティック・ヴァイオレンス(DV)に苦しむ母子を描いたフランス映画です。


監督および脚本は「もう一人のグザヴィエ」とあだ名されるグザヴィエ・ルグラン。本作が初長編映画になるわけですが、この映画の前にもう一つ「全てが失われる前に」という31分の短編映画を2013年に製作しています。


この「全てが失われる前に」と本作「ジュリアン」は地続きの物語になっています。つまり、二つの映画で同じテーマで作品を描いているの。これだ!と決めたテーマをどこまでも突き詰めて映像化する、作家タイプの監督という訳ですね。


さてこの映画、先日私がレビューした「マチルド、翼を広げ」と同じく子役が主役です。俳優はトーマス・ジオリア。彼は本作において父親の威圧的な態度と暴力に怯えながらも、懸命に母を守ろうとする11歳の少年・ジュリアンを演じています。


そして、この映画のキモとなる「暴力というかたちでしか相手を理解できない最低のゲスな父親」役を好演しているのが「イングロリアス・バスターズ」などに出演していたドゥニ・メノーシェ。


はっきり言いますとドゥニ・メノーシェでなければこの映画は成立しない。それぐらい、この熊のような体格の俳優は凄まじい存在感をスクリーン内で発揮します。




【あらすじ】

フランス・パリの裁判所。その一室で、ミリアムとアントワーヌはそれぞれに弁護士を連れ立って、判事の前で離婚調停の話し合いを行っていた。


判事が読み上げるのは、ミリアムとアントワーヌの一人息子・ジュリアンの意見陳述書。そこには、母・ミリアムと姉・ジョゼフィーヌとの暮らしを希望する一方、実の父親であるアントワーヌを「あの男」と呼んで蛇蝎の如く嫌う、ジュリアンの悲しみと怒りに満ちた言葉がつづられていた。


ミリアムとアントワーヌが離婚調停というかたちで家族の解体に臨まざるを得なくなった理由。そこには、他ならぬアントワーヌ自身の「家庭内での振る舞い」が深く関係していた。


彼は妻のミリアムだけでなく、息子のジュリアンや娘のジョゼフィーヌにまで家庭内暴力を振るう、とんでもないクズ男だったのだ。


だがしかし、近隣住民や職場における彼の評価は非常に高く、あまつさえ妻や子供たちに暴力を振るったことなどないと言う。


事実、彼が暴力を振るったという物的証拠はどこにも残されておらず、ミリアムとミリアムの父母による証言しかない。


暴力的な父親から子供たちを遠ざけようとするミリアムに対し、アントワーヌは、息子の成長を見守るのは父親の務めだと訴え、共同親権を訴える。


フランスでは、こういった離婚調停の場合、片方の親にどれだけの問題があろうとも、共同親権が適用されてしまうケースがほとんどだ。フランスはカトリックの国であり、宗教上の観点から離婚は罪であるという考えが未だに根強く残っているのだ。


そして、ミリアムとアントワーヌのケースにおいても、その宗教的な社会理念が適用されることとなった。


ミリアムの意見を取り下げた裁判所は、共同親権の名の下に、アントワーヌとジュリアンを隔週の週末に共に過ごさせるよう通達した。


11歳のジュリアンは苦悩を背負い込んだ。あんな父親と週末を過ごすなんて、ごめんだ。でも断れば、母に迷惑がかかってしまう。


もし会うのを断りでもしたら、あの男がどれだけの危険な行動に出るか。想像しただけでも憂鬱になる。


父親に会う隔週末に限り、ジュリアンは母方の祖父母の家に預けられた。母がいる新居の住所を知られるわけにはいかないからだ。


しかし、アントワーヌはしつこかった。


「ママと連絡させてくれ」と、そればかりを口にする。一度真剣に話し合うべきだと。もう一度、家族みんなで仲良く暮らすためにも。


だが、ジュリアンの決心は硬かった。


アントワーヌ……この男は父親でもなんでもない。時限爆弾を抱え込んだ獣なのだ。今は平然として落ち着いているが、いつ彼の野獣性に火がついて爆発するか、分かったものではない。


その爆発から母を守れるのは自分だけなのだと強く意識するジュリアン。必死に嘘をつき続け、絶対に母と自分が暮らす新居を教えようとはしない。


だが、その頑なな態度が次第にアントワーヌを苛立たせ、彼の「獣性」という名の導火線に火をつけさせることになろうとは、この時のジュリアンは、知る由もなかったのである。





【レビュー】

家庭内暴力。


なんとも暗く陰惨な気配を匂わせるこの単語が持つ力を、実際に味わい、その苦しみの檻から脱出できずにいる人が、果たしてこの国にどれだけいるんでしょうか。


あるいは身近にそういった状況下に置かれた人を友人や親戚に持つ方々は、一体どんな心境で彼らと接しているのでしょうか。


そんなの分かるわけねぇだろと、思考することを放棄することは簡単です。


ですが「家族」という人間が健全に社会生活を営んでいく上で、なくてはならない最も原始的なコミュニティが抱えている問題から目を逸らし続けることが、本当に人として正しいことなんでしょうか。


この世界の誰もが「家庭内暴力」という言葉が含む毒の恐ろしさから逃れようと、理解を捨て去り、根本的な解決策も立てずに、無意識下でその存在を無視するようになってしまったら、それこそ人類社会は深刻な病巣に侵されているとしか言いようがありません。


曲がりなりにも私はアマチュアの作家です。プロじゃないですけど、それでも何かを描き出そうとする意欲はある。


我々の住む社会に確かに存在するのに、でも多くの人が知らぬ存ぜぬで素通りしていく問題を、掘り下げていかなければならない義務がある。


……と、ずいぶんと大それたことを言ってしまいましたが、つまりそれだけの気概を持って製作しなければ、「家庭内暴力」という言葉が持つ毒の恐ろしさを、広く世の中に知らしめることは不可能だと思います。


この前提に立って考えてみると、本作は十分にその役目を全うしていると思います。


家庭内暴力が、いかに恐ろしく、いかに家庭内で立場の弱い者たち(主に子供たち)に、窮屈で不安な暮らしを強いるものであるかを、赤裸々に描いている。


本作は「映画」という枠内で紡がれる物語ですが、決してウソ八百の物語ではありません。


これは「映画」というかたちを借りた、現実世界のお話なのです。ドラマ性は薄く、ノンフィクションと言っても通じるぐらいのリアリティがある。


繰り返しになりますが、本作は傑作です。


まだ1月ですが、早くも2019年のベスト映画の枠の一つが埋まってしまった感じがします。


本作の予告編やポスターには『見終わった後、息が出来ない!』という、勝負に出たなぁと言わんばかりの、自信満々な文言が打たれています。


しかしこれは事実です。本当に息が出来なかった。


エンドロールを見届けたらスタコラサッサと帰る私ですが、今回ばかりは座席に釘付けになりました。


何故そんなことになったかというと、単純な話です。


この映画、めちゃくちゃ怖いんです。


ジャンルとしてはヒューマンドラマで、別に大掛かりなトリックも無ければ、血がしぶくようなスプラッタ・シーンは一つもありません。


ぶっちゃけて言えば、女子供が殴られるシーンは一つも出てこない。DVをテーマにしてるんですが「拳」で訴える暴力的なシーンはほとんどなく、離婚調停に至った原因となったであろうDVシーンが、回想で流れるなんてこともありません。


なのに怖い。下手なスリラー映画よりも断然に怖い。


その怖さの根源になっているのは何かというと、一つに「役者」、一つに「音」、一つに「車」、一つに「長回し」です。


順を追って説明しますと、まず一つめの「役者」ですね。ジュリアンの父親・アントワーヌ役を演じたドゥニ・メノーシェの存在感が怖い。この人無しでは、この映画は成立しなかったでしょう。


身長184センチのプロレスラー並みの体格を持つ彼ですが、もうその見た目は「熊」そのもの。


もちろん、プーさんとかああいった可愛らしいものじゃない。


グリズリーのような、野獣性と知性を兼ね備えた熊のような男です。あんな男にDVされたら、たまったもんじゃないという感じが、その全身から滲み出ているんです。


映画の途中までは暴力的な行動に出ないアントワーヌですが、その姿が、もう逆に怖い。なぜ怖いかって、目つきが普通の人間のそれじゃないからです。


特にそれが際立っていたのが、映画の中盤です。ミリアムの居場所を吐こうとしないジュリアンを車に連れ込んで「俺を怒らせたらどうなるか分かるな!?」と恫喝し、ついにミリアムの新居の居場所を聞き出すアントワーヌ。それでもジュリアンは母を守るために嘘の住所を教えますが、それもバレてしまい、とうとう母が棲んでいる団地の一角へアントワーヌを向かわせてしまいます。


このシーンです。ここの、車を運転しながらフロントガラス越しにアパートの一つ一つをつぶさに観察するアントワーヌの目つきが、まさに獣のそれ! 獲物を食らおうとする獣の欲望が剥き出しになっている!


ヤバイって!お母さん逃げて! 殺されるよ! と心の中で叫んでいました。


このアントワーヌとかいう男、本当マジでクズの中のクズです。父親の資格なんてありません。というか、正常な人間でないことは明らか!


なのに次のシーンでは、ジュリアンを連れ立って新居に向かう途中、すれ違った婦人に「こんにちわ」と気さくに挨拶する。


この性格の二面性が自然と演出されていて、それがまた不気味なのです。


自己愛が強く、他人の意見を聞かず、常に自分が正しいと信じ込み、疑問を投げかけられても答えず、気に入らないことが続くとすぐに暴力で従わせようとする。それがアントワーヌです。


人間なのに、本当に熊のような巨大な獣を相手にしているかのようです。


その獣のような男の趣味は「狩猟」で、また移動の為に「車」を使うという、男性社会のシンボルを二つも当て込んでいるため、また一段と「暴力的な男」としての恐怖のスパイスが加わっています。


そして二つ目の恐怖ポイントが「音」です。


この映画にはBGMが全くありません。その分、アントワーヌ絡みの音に異様なこだわりをみせています。


ミリアムを外へおびき出すために家の外から車のクラクションを、何度も何度も何度も何度も、しつこつしつこくしつこくしつこく、盛大に鳴らすシーン。


ミリアムの携帯電話に何度も何度も何度も何度も、しつこくしつこくしつこくしつこくかけるシーン。


夜。寝静まったミリアムとジュリアンを起こそうと家の呼び鈴を、もうマジで五分くらいずーーーーーーーーーーーーっと鳴らし続けるシーン。


この偏執的なほどの「音」が劇場内に響き渡るんです。想像してみてください。まじで耳がおかしくなりそうです。


もう一つ音に関して際立ったシーンが終盤に残されているんですが……これはネタバレになるので言えません。


三つ目の恐怖ポイントですが、これは「車」です。


ジュリアンを隔週の週末に車で迎えにくるアントワーヌ。当然、車中を映し出したシーンが多い訳ですが、この映画では車は「檻」の役目を果たしています。


ジュリアンを捕らえるための「檻」。それが本作における車のメタファーだと私は思います。


シートベルトってあるじゃないですか。あれって着用者が事故に遭った際の衝撃から守るためのものですよね。


それが今回は違います。シートベルトはシートベルトでも、それはジュリアンを守ってくれるわけではありません。むしろ枷のように機能しています。これから大嫌いな父親と週末を共にしなければならない、ジュリアンの苦しさをより強く観客に示すための小道具として成立しているんです。


ドナドナです。子牛が売られてゆくーよー、です。


ジュリアンは子牛なんです。隣には熊みたいな男がいて、いつ何時、こちらの不用意な発言で怒りだし、食われてしまうか分かったもんじゃない。そこが怖いんです。


もう一つ車に関して言うと、これは前述した「音」にも関わるんですが、アントワーヌがジュリアンの頑なな態度に不機嫌になって車を走らせる時のエンジン音が、まるで獣のうなり声のように響いてくるんです。


これはカメラワークのおかげでもあるんでしょうが、エンジン音と、車を運転するアントワーヌの不機嫌な表情や、助手席に縛られているジュリアンの今にも泣きだしそうな表情がマッチした時、車中という極めて小さい限定的な空間に、とてつもない不穏さと緊張感がはしるのです。


皆さんも、経験したことありませんか? 子供の頃、親がなにかしらの原因で物凄く不機嫌になり、親の運転に、普段はない荒々しさを感じ取ったことが。


ああいう時って、エンジン音すらも恐ろし気に感じられたものですが、まさにその時を思い出させてくれるのです。子供が親に抱く恐怖心を、エンジン音と荒々しい運転で表現している。感服せざるを得ない演出力です。


さて、最後の四つ目の恐怖ポイントになるのが「長回し」ですが……これについては詳細を語れません。


なぜかって?


この長回しのシーンが最も効力を発揮するのが、映画後半の残り20分近くなんですが、そこを話してしまうとネタバレになってしまうからです。


とにかくね、この長回しのシーンに関しては、劇場でぜひ観てくれ!としか言いようがない。この長回しのシーンのおかげで、映画の終盤はとてつもないサスペンスフルな仕上がりになっているから!


実際に劇場で鑑賞すれば「なるほど、浦切の野郎が言っていた長回しの恐怖って、これかぁ~~~」と納得してくださるはずです。


さて……ここまで述べてきた四つの恐怖ポイント(長回しのシーンはあまり語れなかったけれど)が合わさった結果、この映画はどうなったか。


画面の至るところに、本当に至るところに、緊張感が張り巡らされているのです。


こんなに緊張感に満ちた映画は「ウインド・リバー」以来だと思います。


緊張感が満ちている映画って、画面に集中し続けるあまり自然と息が止まるから、「っはぁ……」と、一息つこうとした時に自然と溜息が漏れてしまうものなんですが、


本作を鑑賞中、私だけでなく、多くのお客さんが溜息を漏らしていました。


つまりどういうことか!?もうお判りでしょう。


この映画は、老若男女問わず、全ての人の心に緊張感をお届けしてくれる、良質なヒューマン・サスペンス・ホラー映画です。


とにかく間違いなく傑作です!


劇場公開は1/26を皮切りに始まったばかりなので、まだまだ間に合います!


公開館数は少ないですが、ぜひお近くの映画館まで足を運んでみてください。


とにかく気になった方は観た方がいい!否、観るべき!


でも、鑑賞の際にはキチンとした覚悟が必要です。

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