表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/110

【第12回】迫り来る嵐

『暗喩と引用に満ちた大陸ノワール映画』


どうもどうも。2019年最初のレビュー投稿になります。


新宿武蔵野館で鑑賞してきましたので、軽くレビューを書かせていただきます。


ひっさびさの中国映画。期待を胸に膨らませて劇場に行ってきましたよん。





【導入】

第三十回東京国際映画祭芸術貢献賞をはじめ、数々のアジア映画祭で賞を獲得している『迫り来る嵐』


中国湖南省のとある小さな工業地帯を舞台にした『中国産クライムサスペンス映画』です。


監督は、これが初監督作品となるドン・ユエ。


主演はドアン・イーホン、ジャン・イーイェン、トゥ・ユアン。


うーん、すいません。不勉強なもので。誰一人として代表作を知らない……


ただ、調べてみて驚いたのですが、劇中で警部役を演じている「トゥ・ユアン」さん。この方、チャン・イーモウ監督作品の『菊豆(チュイトゥ)』に編集として関わっていた経歴があったみたいです!


なんという僥倖!


菊豆(チュイトゥ)』。中国映画の中で一番好きなんですよね。全然救われない話なんですけど、それでも好きよねー。高校生の時にたまたま深夜で地上波放送されているのを観て「なんやこの映画……」と、衝撃を受けたのが懐かしい。


おススメです『菊豆(チュイトゥ)』。ぜひDVDで借りて観てね!





【あらすじ】

2008年の中国湖南省。


さびれた刑務所の受付で、その男は服役期間の満了により、今まさに保釈の時を迎えていた。


受付の刑務官が威圧的な態度で名前を尋ねると、そのうだつの上がらなそうな中年の囚人は、消え入りそうな声でこう答えた。


「ユイ・グオウェイです……余分の『余』に国家の『国』に……偉人の『偉』で余国偉(ユイ・グオウェイ)です……」






1997年の中国湖南省。


今にも落ちてきそうな鉛色の空の下。際限なく膨らみ続ける中国経済に置いて行かれまいと、必死に煤煙を吐き続ける国営製鋼所の機械の群れ。


滅入りそうな空模様の下、製鉄所の敷地内でまたもや殺人が発生した。これで三人目だ。


被害者は全員女性で、首の頸動脈を切られたのち、胸をメッタ刺しにされて殺されていた。


全て同一犯によるものと睨んでいる警察当局だが、いまだに犯人の逮捕には至っていない。


女性ばかりを狙う凶悪な犯人が捕まっていないことも問題だが、当局はそれとは別に『面倒な』案件を抱えていた。


いや、抱えていると言うよりは『勝手にまとわりつかれている』と言うべきか。


ユイ・グオウェイ――コイツが邪魔者だった。


事件現場となった敷地を保有する製鋼所の保安部に勤めるユイは、その昔、工場内で発生した窃盗を解決に導いたことで、『名探偵ユイ』と仲間内や警察から呼ばれていた。


当然、その呼び名には皮肉の意味合いも込められていたに違いない。だがユイは『名探偵』という非日常的な肩書で呼ばれることに気分を良くし、警察の捜査に首を突っ込んでいたのだ。


『素人風情が捜査に首を出すな』


現場調査に取り掛かる警官たちから邪険に扱われようとも、彼の熱意は止まらない。殺人事件を解決に導いて名声を手にしてやるのだという、己の野望のみをなにより優先する男。それがユイ・グオウェイだった。


ユイは警官に憧れていた。それはどれだけ手を伸ばしても、一介の工員に過ぎない自分には手に入れられない『夢のような』身分。


だけれども、もし『名探偵』としての功績が認められたら……? 


万が一にも、警官になれる日がやってくるかもしれない。


馬鹿げた望みを胸に秘めつつ、ユイは自らを『師匠』と慕う保安部の後輩・リウを引き連れて、事件の解決に奔走する。


そんなユイは、工場内では優秀な工員として知られていた。1997年の表彰式でも、利益を上げない保安部に身を置きながら、唯一模範工員に選出されたほどだった。


表彰状を受け取り、模範工員の代表としてスピーチをすることになったユイ。彼が熱のこもる口調でスピーチをしている最中、とつぜん天井の一部が割れて、そこから大量の雪が降ってきた……


無論、それは見間違えだ。雪と見えたのは天井裏に溜まっていた大量の埃に過ぎない。


だが、ふわふわとユイにまとわりつくように降り注ぐその埃は、『誇り』と『希望』に胸を膨らませるユイにとって、彼の頑張りを祝福する本物の雪も同然だった。偽物かどうかは関係なかった。そんなことは人が決める事ではないのだ。


ユイにとって重要なのは、彼自身が『本物』と言えば『本物』で、『偽物』と断ずれば『偽物』へ変じる『権利』を得る事なのだから。


表彰式から数日後、またしても工場の敷地内で殺人が発生した。数日前の殺人と同じ手口。これで四度目。


警察からそれとなく情報を聞き出したユイは確信する。やはり、この工場内に犯人がいる――


『犯人は現場のことが気になる』という持論の下、ユイは殺人現場にわざと偽物の証拠品を置いてそれを写真に撮り、工場入口の掲示板に掲示する。犯人をおびき寄せようと言うのだ。


保安部の後輩・リウと車に乗って本物の警官さながらに、工場の入口で張り込みを続けるユイ。


土砂降りのように降り注ぐ天候にもめげずに張り込みを続けていたある日、全身をフードに包んだ、一人の工員と思しき男が、写真をじっと眺めているところを見つける。


慌てて車から降り、声をかけるユイとリウ。だが男は彼らの姿を見るやいなや、一目散に工場内へと逃走してしまう。


――あいつだ! あいつが犯人に違いない!


殺人犯の逮捕……夢にまでみた機会を逃してなるものかと、要塞のように張り巡らされたパイプを潜り、架台をよじ登り、高電圧コードを避けながら追いかけるユイ。


だがその途中、リウが工場の骨組みから足を滑らせて地面に叩きつけられてしまう。


弱々しくもがくリウを眼下に見下ろし、助けにいくかどうか一瞬の迷いを見せるユイ。だが、そうしている間にも、どんどん男との距離は空けられてしまっている。


逡巡の末に、ユイはリウをその場に置いて犯人を追い続けた。彼の中で『人』としての何かがヒビを立てた瞬間だったが、しかし彼はそんなことにも気づかず、ひたすら男を追い続ける。


工場地帯を抜け、男とユイの追いかけっこは幹線道路まで続いた。男を見失い、逆に反撃を食らって殺されかけてしまうユイだったが、もがき合っている内に、男の足から靴をもぎ取るのに成功する。


最終的に犯人を取り逃してしまったユイ。「あともう少しだったんだ」と介抱したリウを車の助手席に乗せてその場を後にしようとしたが、リウの様子がおかしいことに気づく。


リウは骨組みから落下した際に頭を強く打ち、脳出血を起こしていたのだ。異変に気付いたユイが病院に駆け込むも、あと一歩及ばず、リウは帰らぬ人となってしまう。


大切な後輩を死なせてしまったという自責の念に駆られるユイ。


だが彼は、いやだからこそ彼は、犯人を追跡することを止めようとはしない。


やがて、彼の『狂気的』とも言える逮捕への執念は、恋人であるイェンズも巻き込んでいくことになる……





【レビュー】

韓国映画や中国映画を私は結構好んでいるんですが、どうしてあんなに惹かれるのか自分でも分からないところがあります。


これらの映画を語る際に良く言われるのは『人間の闇をとことん描いている』という、確かにそうかもと思わせる意見です。


けれども、フィルム・ノワールという言葉が元々はヨーロッパの専売特許であった事実を考えると、そういった社会の暗黒面や、それに影響される人間の醜い点を描いた傑作は、世界中に沢山あるわけです。


少なくとも、暗黒映画に特化している=中国や韓国の映画の特色とは、必ずしも言えないわけです。


『初恋のきた道』とか『HERO』とか『シークレット・サンシャイン』とか、フィルム・ノワール的な描き方をせずとも評価されている中国・韓国映画は沢山ありますから。


では、なぜ世界各地の映画祭で韓国映画や中国映画は高い評価を受けているのか?


ひとつ思うのは、これらの映画には日本やアメリカ、ヨーロッパにはない独自の『陸地景観』が含まれていて、それが観客の心をはげしく揺さぶるのではないか?というものです。


チャン・イーモウ監督の『菊豆』や、キム・ギドクの『嘆きのピエタ』を鑑賞したとき、私はいつも次のような感覚を覚えます。


『こいつらこんな砂っぽいというか埃っぽいというか、なんなら遠慮なく言うけどすんごい原始的な土地で良く生きられるな』


恐ろしい(?)のは、そういった原始的な景観が経済発展に差し掛かった1990年代の後半から2000年代に入っても依然として残っていて、そういうところで貧しい人々が暮らしている様というのが、とても胸にくる。


誤解しないでいただきたいのですが、私は決して韓国や中国が日本と比べて文明的に劣っていると言っているのではありません。


むしろ、確実に韓国も中国も経済的にはどんどん発展して、昔よりも便利な暮らしに浸かっている人々が多いはずなのに、そういった経済的に恵まれた土地と断絶してしまったかのように、取り残された土地や人々がいる。


そして、政府や恵まれた人々は『恵まれない人たち』というカテゴリーが、まるで最初から存在しないかのように陽気に振る舞う。


そういった理不尽なやるせなさが画面から匂ってくるところが、中国映画や韓国映画の秀でた表現の一つであると思うのです。


それを強く感じさせてくれるのが、中国や韓国の『陸地景観』なんです。実は優れた中国映画や韓国映画ほど、寂れて取り残された陸地の撮り方が抜群に上手い……と、私は思います。


もちろん、いまの日本にだってそういう土地はあることにはあるんです。


でも、私が日本人だからなんでしょうかね。日本にある『いかにも希望を持てない人々が住んでいる土地』を見せられても、あまり映像的にピンと来ないのに対して、中国や韓国の『寂れた土地感』って、もうこれ以上どうにもできないという絶望感に包まれていて、とても映画的に映えるんです。


『こんな場所で生活していかなくちゃいけないのか……えぇ、いやだよぉ……』


そんな風な印象を私が抱いた時、だいたいの中国・韓国映画は良作・傑作の太鼓判を押させていただいています。だって感動するんだもん!時にはすげー気分も落ち込むし!最高!


さて、では本作『迫り来る嵐』の『陸地』の撮り方はどうなのかというと、うん、やはりスゴク良い。


ただ、寂れた感はほとんどなくて、どちらかというとこの映画は『経済発展にいやおうなく取り残される製鋼所』の撮り方に重点を置いており、そこから人間のやるせなさを漂わせるという、ちょっと今までにない『陸地景観』の撮り方をしているように思います。


迷宮や要塞を彷彿とさせる製鋼所の、一切の人情を排した巨人のような佇まいもさることながら、始業時間になった途端に一斉に工場の門を潜る労働者たちの背中が、とくに悲しい。


あのコートに包まれて雨に濡れた背中から、何とも言えない『歯車』としての役割を与えられた人間の悲哀を感じます。


そしてこの映画を語る上で欠かせないのは、往年の名作・傑作に名を連ねる犯罪映画の数々でしょう。


主人公とヒロイン周りの展開は『めまい』であるし、物語の大筋は韓国映画の『殺人の追憶』を想起させますが、特に本作は、デヴィット・フィンチャーの『セブン』から多大な影響を受けているのは、まず間違いありません。


映画好きなら思わず『フィンチャーじゃねぇかw』と、そのあまりにもな露骨な展開に、思わず苦笑を漏らす事でしょう。


なにせ、劇中ではほとんどずーっと土砂降りのような雨が降り続いているし、雨が降り続く中で描かれる主人公と犯人と思しき男との追跡劇では、『セブン』におけるミルズとジョン・ドゥの追跡シーンがそのまんま引用されています。


主人公が反撃を食らうシーンも、完全に絵作りは『セブン』のそれです。私は思わず劇場で失笑してしまいました。


ですが、いくらこの追跡シーンを見ても、主人公がブラッド・ピットに見えてくることはありません。


顔の彫りが違うからとかそういう意味ではなく、『セブン』におけるミルズが正規の刑事であるのに対し、ドアン・イーホン演じるユイはただの工員なんです。


だから、走る姿にとても素人感が出てる。女の子っぽいと言ってもいい。ミルズと違って全然かっこよくないしスマートじゃありませんが、でもそれでいいのです。


だって、主人公は名探偵を気取っている『素人の工員』なんだから。


この『名探偵気取りの素人工員』を主人公にするってのが、実にニクイというか『ずるい』なぁと思います。もちろんいい意味で。


なにせ、プロの刑事ではなく素人ですからね。主人公が捜査中にヘマをしたり見当違いな行動をしても『まぁ素人さんだから』で物語の展開的に許されるんです。


素人であることを免罪符に行動できるから、キャラクターとしてとても動かし易い。『探偵』と『素人』という二つの役割を一人のキャラに内包させ、それを存分に活かすのに成功しているところが、とても初監督作品とは思えない、クレバーな作り方だなと感じました。


このキャラクター設定にも関係してきますが、本作の主人公であるユイは1997年の人物ですが、しかし彼が胸に抱いている空虚な野望は、われわれ現代人にも通じるのではないでしょうか。


劇中で、彼が模範工員として表彰された後、仲間内で飲み会をするシーンがあります。


そこで同僚の一人がユイに向かって「公安局に入局する試験を受けて見たらどうだ? 模範工員の君ならきっと受かるよ。受かったら公務員だぞ?」と、昇職を勧めるのです。


しかし、ユイはこの提案を拒絶します。「俺は今の生活で満足しているんだ」と言って。


ここから言えるのは、ユイは『地位』を欲しているという訳ではないと言う事です。


なぜか? 彼は知っているからです。


『地位』を獲得すればそこにはおのずと『責任』が生じるということを。


つまり、責任は負いたくないけど『立派な肩書』や『権利』だけは欲しいのだという、実に現代の人々の在り方にも通じる、彼の俗物めいた思考がここから透けて見えるわけです。


もしかしたら、彼が内に秘めている『警官になりたい』という野望も、実のところは『警官という“肩書き”だけが欲しい』という、実に都合の良過ぎる、ちっぽけで現実を見ていない願望に過ぎないのかもしれません。


あるいは、警官になれなくとも『警官から一目置かれる名探偵』という、これまた実にフィクショナルな立場に就きたいと思っていたのかもしれません。


そういった『夢のような現実』ばかりを追いかけている彼は、どんどん現実における足場を自ら崩していきます。


ちいさな幸せで満足すりゃあいいのに、肥大し続ける承認欲求に導かれるまま、彼は破滅の道を突き進んでいくのです。


……なんか書いていて自分の胸にグサグサ刺さってきました。わたしにも、そんな『夢のような現実』ばかりを見ている節があるので……


これ以上ユイについて書くと自らの醜い部分が刺激されてきそうなので、ここまでにしておきます。


本作の欠点としては、ちょっと内容のわりに上映時間が少し長すぎる点でしょうか。あとは、ちょっと意味が掴めない時系列のズラしが多用されているところが気になりました。


それと、これは劇場の問題?なのかもしれませんが、なんか画面が暗かったんですよね。まぁ、私の目が悪いだけかも。


とにかく初長編作品とは思えないすごい出来です。


個人的には佳作、あるいは良作の部類に入るのは間違いないでしょう。


おススメの映画です。一月下旬までの公開ですので、気になった方は是非!映画館に足を運んでみてください。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ