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【第11回】★メアリーの総て

『孤独と向き合い、己の核を掬いあげた気高き女性についての映画』


シネスイッチ銀座で鑑賞してきましたので、軽くレビューを書きたいと思います。


ホントはこんな映画が公開されているなんて知らなかったんですが、私の敬愛する菊地秀行先生が絶賛していると耳にして、だったら観に行かないわけにはいかんだろと。


で、この物語はメアリー・シェリーという実在した小説家の半生についての映画です。彼女の代表作『フランケンシュタイン』はもちろん読了済みです。




【導入】

SF小説大家のアイザック・アシモフが『ロボット三原則』を生み出す切っ掛けをつくり、ギレルモ・デル・トロ、デヴィット・リンチ、ティム・バートンなどの、現在世界中で活躍している映画監督に多大な影響を与えた、世界最古のSF小説『フランケンシュタイン』。


その作者である女流作家メアリー・シェリーの半生を描いた映画です。


なぜ彼女は、若干18歳という若さで傑作小説『フランケンシュタイン』を上梓できたのか。


女流作家らしく恋愛小説を書くのではなく、どうして怪奇とおぞましさと哀切に満ちた怪物を生み出すに至ったのか。


そのあたりを核として物語は進んでいきます。


監督はサウジアラビア出身の女性映画作家ハイファ・アル=マンスール。


彼女のデビュー長編である『少女は自転車に乗って』はまだ未視聴ですが、世界各地で様々な映画賞を受賞しているあたり、今注目の監督であるのは間違いない。


脚本はオーストラリア出身のシナリオライターであるエマ・ジェンセン。これをきっかけに名前が広がるといいなぁ。


主人公のメアリー・シェリーを演じたのはエル・ファニング。


ファニングと聞いてピンときた方もいらっしゃるでしょう。


そうです。あのダコタ・ファニングの妹さんです。1998年生まれの二十歳なんですが、まぁめちゃくちゃ可愛い。


彼女は子役時代から活動しているので、フィルモグラフィは随分と沢山あるんですが、有名どころでは『マレフィセント』のオーロラ姫がありましょうか。


しかしですね、実はこの方、2004年に公開されたディズニー版『となりのトトロ』でメイの声を担当しているんですね。まっくーろくーろすけでーておーいでーって言ってるんですね。英語で。可愛すぎか。


もちろん、サツキの声はダコタ・ファニングと、姉妹で姉妹の役を演じたと。なかなかアメリカも粋な配役をしますねぇ。


メアリーの愛人役である詩人のパーシー・シェリーにはダグラス・ブース。ふざけてんだか真面目なんだか良く分からない『高慢と偏見とゾンビ』に出てました。


そして、この映画でキワモノめいた存在感を放つ、レッツパーリナイ!な破天荒詩人バイロンをトム・スターリッジ。


そのバイロン御付の医者にして、当時としてはたいへんに珍しい女性解放運動に理解を示し、世界で最初の吸血鬼小説を書いたポリドリ役にベン・ハーディ。『ボヘミアン・ラプソディ』で一気に知名度が上がったんじゃないでしょうか。





【あらすじ】

深い森のどこか。鉛色の空の下、静寂に満たされた墓地の一画で、16歳の少女は人目を盗むように一冊の怪奇小説を読みふけっていた。


背中を預ける墓石の冷たさが、上物のカーディガン越しにきめ細やかな肌を震わせる。


今、己の足元に死者が眠っている。だがそれを実感しても恐怖はなかった。自分の知らない未知の世界に没頭できるこの場所は、少女にとって唯一心休まる場所だった。


女性が読書を嗜むことに理解を示さない継母がこの光景を見たら、きっと卒倒するだろう。あるいは罵詈雑言の数々を並べ立て、詰ってくるのかもしれない。


メアリー・ゴドウィンは、そんなことをふと思いながら次の拍子には脳裡で反抗するのだ。『だからどうした』と。


女性解放運動に全力を注いだ実母の気質をそのまま受け継いだメアリー。その性格も思想も態度もなにもかも、19世紀初頭の女性観とは大きく離れていた。


実母亡き後、家に転がり込んできた継母との溝は深まるばかり。義妹であるクレアとの仲は良好だが、好奇心旺盛なメアリーにとって、この家は窮屈すぎた。


メアリーの実父にして著名な作家でもあるウィリアム・ゴドウィンは、そんな彼女に居場所を与えてやるべく、スコットランドにいるバクスター伯爵の下へ送り出す。


出立の日、メアリーが怪奇小説の真似事じみた自作小説を書いていることを知ったウィリアムは、娘に類まれな創作の才能があるのを見抜きつつも、忠告する。


「他人の言葉を借りて物語を創るな。自分の言葉で物語を書け」


スコットランドの、どこか不安を煽るようなどんよりとした天候の下、メアリーはずっとその言葉の意味を考え続けた。


世界にはまだ、自分の知らない『美しいもの』がある。それを知ることさえできれば、自分は自分にしか書けない物語に出会えるのだろうか。


悩みつつも、バクスター伯爵の下で心休まるひと時を過ごしていたある日、伯爵主催の詩作発表会が開かれる。


著名な詩人たちが集まる中、メアリーの目が、意識が、一人の男性を捉えた。


パーシー・シェリー。新進気鋭の若手詩人。端正なマスクの内面に秘められた類まれな詩作センスに、メアリーは惹かれた。


パーシーも、シェリーがあのウィリアム・ゴドウィンの娘であり、その内面に宿る彼女の人間性に惹かれる。


二人が、互いに愛を確かめ合うような関係になるのは、ごく自然のことだった。


パーシーがウィリアムに弟子入りというかたちで同居するようになってから、二人の距離は急速に縮まる。


だが、パーシーには秘密があった。彼には妻と一人の娘がおり、その関係性は冷え切っていたが、清算されてはいなかったのだ。


ひょんなことでパーシーの後ろ暗い過去を知ったメアリーは、妻子持ちでありながら自分をたぶらかそうとしたパーシーに激怒する。だがパーシーは、その澄んだ瞳の奥に真剣味を宿して答える。


僕が愛しているのは君だけだ、と。


坂道を転がるような二人の激しい恋は、やがて『駆け落ち』という選択を取るに至る。


継母と父の反対を押し切り、二人は家を飛び出す。メアリーの義妹であるクレアも連れて、三人はパーシーが購入していた借りの住まいへと身を寄せた。


自分を育ててくれた父に申し訳ないことをしたと思う一方で、パーシーとの未来に希望を見出そうとするメアリー。生活は苦しいが、無事に子供も授かった。これから自分は『美しいもの』を知って、いつか自分にしか書けない物語を創るのだと、期待に胸を膨らませた。


だが、そんな二人の人目に隠れた結婚生活は、すぐに噛み合わなくなる。


ある日、パーシーが招いた友人に言い寄られたメアリーは、その友人を衝動的に殴り倒して家から追い出してしまう。


帰宅したパーシーに事の顛末を話すメアリーだったが、恐怖と不安に煽られた彼女の想いとは裏腹に、パーシーの返答はそっけないものだった。


「僕なんかに気を遣わないで、付き合ってやればよかったのに」


メアリーは愕然とした。実はパーシーは自由恋愛の標榜者であり、束縛されない愛こそが自由意志を尊重する行為に相応しく、それが時代の最先端を行く思想であると信じ切っていたのだ。


たしかにメアリーにも、そんな風に想う事が昔にあった。既存の社会構造に囚われず、女性だってもっと自由に恋愛して、自立を獲得したって良いと。かつての実母がそうだったように。


だけれども、パーシーの言っていることは……彼女にはとうてい納得のできないものだった。


二人の絆に、明らかな亀裂が生じ始めていた。


そして、ついに決定的なことが起こる。


パーシーは詩人でありながら、かつての才能はどこへやら。発表する詩はことごとく売れず、生活は困窮し、借金が積み重なり、ついには取り立て屋から夜逃げせざるを得なくなった。


その混乱の中で、メアリーはせっかく授かった2歳の娘を熱病で亡くしてしまう。


悲嘆に暮れるメアリーにパーシーがかける言葉といったら、デリカシーの欠片もなかった。


「もう忘れよう、本でも読んで、きれいさっぱりと頭から忘れるんだ」


言うに事欠いてそれなのか。こんなろくでもない男の事を信じて、のこのことついてきた自分が愚かだったのか。


例えようのない後悔と絶望に包まれるメアリーは、自らを蝕む孤独感の反動からか、あることを夢想するようになる。


以前、まだパーシーとの関係が上手くいっていた頃、悪名高き詩人バイロンが主催する科学発表会で観た、魔術的としか言いようのない衝撃的な光景。


ガルバーニ電気の力で、死んだカエルの筋肉が生きているかのように痙攣する、あの奇跡のような光景。


蒼紫に光る電磁の渦が、あの世へ旅立った魂を呼び戻し、死者を復活させることができるのだとしたら……


亡くなった娘だって……


その後、義妹のクレアのつてで、メアリーとパーシーはバイロンの下へ身を寄せる事になる。


バイロンは、男性社会が服を着て歩いているとでも言うべき破天荒な男だった。数多の女を喰い物として扱うだけでなく、近親相姦も平気で犯し、スキャンダルに塗れ、毎晩の如く道楽に耽るバイロンは、さながら古来の伝承にある『吸血鬼』を彷彿とさせる。


その吸血鬼が、パーシーやメアリー、そして御付の医者であるポリドリを集め、ある余興を提案する。


これから一人ずつ、自作の怪奇談話を発表しようじゃないかと。


後に『ディオダディ荘の怪奇談義』と呼ばれることになるこの出来事が、メアリーの人生に大きな影響を与えることになる。


1816年の、とある激しい嵐の晩のことであった。





【レビュー】

フランケンシュタイン、或いは現代のプロメテウス。


今から200年も昔の1818年に執筆されたこの小説が、のちの芸術・サブカルチャー文化に与えた影響は計り知れません。


ちなみにフランケンシュタインというのは怪物の名前ではありません。怪物を生み出した科学者の名前です……というのは、この手の話題をする際に必ず上がるうんちくな訳で、既に語り尽くされた感はありますが、まぁお約束ということで取り上げさせていただきます。


しかし科学者の名前がフランケンシュタインであると知っていても、著者が女性であることや、若干18歳という若さで書き上げた事は、ほとんど知られていません。


メアリー・シェリーは別に誰かに小説の作法を教えてもらったわけではありません。確かに彼女は上流階級の人間で自宅には山のように書籍があったし、父親のウィリアム・ゴドウィンは著名な作家ではありますが、父に教えを乞うようなことはありませんでした。


つまり彼女は創作の素養がなにもない状態で、ただ感性の赴くがままに『フランケンシュタイン』を書き上げたことになります。しつこいですが、たった18歳の女の子があの傑作を書き上げたんです。


処女作でアレを書き上げるなんて、とんだ才能の塊です。天才としか言いようがないし、なにより書き上げた小説が『フランケンシュタイン』ってのが実にミステリーですよね。


これは偏見かもしれませんが、この当時の女性作家なら恋愛小説を書くのが普通な気がします。ですがそうではなく、生命倫理を取り扱ったSFで、醜い怪物が人々に拒絶された挙句、暗黒面に落ちてフランケンシュタイン博士の近隣者を次々に殺していく、というような作品を書いてしまった。


一体どうして? なんでそんな小説を書くに至ったの?


この時点で、もうサスペンスというかミステリーの匂いがします。


さて本作を論じる前に、今年のサブカル分野における女性像の描かれ方をまとめてみましょう。


はっきり言って今年は女性の社会における役割解放を謳ったり、既存の役割に新たな道筋を与える娯楽作品が沢山作られました。これだけでお山が一つ作れるくらいの賑わいを見せています。ポリティカル・コレクトネスが映画界で旋風を巻き起こした年と言っても過言ではない。


『タリーと私の秘密の時間』や『オーシャンズ8』や『クレイジー・リッチ!』などの有名作だけでなく、私が特に注目していたのはテレビアニメの『HUGっと!プリキュア』です。子育てに悩むお母さんたちに向けての、まさにこの時代だからこそ作ることができたアニメですね。


しかしながら、もしも私がフランケンシュタインが出版された1818年で『女性の社会進出』を支持するような発言をしたら、きっと村八分な目に遭ってオダブツでしょう。


1800年代の初頭と言ったら、まだまだ男性優位な社会が世界的に見て当たり前な時代であり、女性は知恵が足らないから創作には向いていないといった知的差別がまかり通っていた、自立しようとする女性たちにとっての暗黒期です。


そういった時代にメアリーは生まれたわけですが、彼女は女性解放運動に傾倒した母の気質を正しく受け継ぎ、一人の女性、あるいは作家として、しっかりと身を立てようとします。


そこで立ちはだかるのがパーシーやバイロンに代表される、男性社会の圧倒的な壁である訳です。


現代の価値観で言ったらパーシーなんてとんでもないクズ男です。ゲスの極みです。妻を養うという夫としての義務を放棄し、やれ自由恋愛だ、やれ束縛された愛なんてくだらないと、義務から逃げるためにありとあらゆる方便を駆使して、おこちゃまな権利を振りかざす。


かたやバイロンと言ったら、女性は使い捨てる物と言わんばかりに女をつまみ食いしては捨て、つまみ食いしては捨て、放蕩の限りを尽くす悪魔のような男です。


こういった増長した男性権力を前にして、はたしてメアリーはどのようにして自分の意志を貫き通していくのか。


そういった骨太なサスペンスとしてこの映画は観る事ができます。これはメアリーのキャラクターがタフだからこそ成り立つ物語なんですね。


実際のメアリ―さんがどういう方だったかは分からないわけですが、この映画では強い意志を持つ女性として描かれています。実母を馬鹿にする継母に対しても怒りを露わにして喰ってかかるし、パーシーの幼稚さを罵倒するし、バイロン相手にも怖じ気づくことなく意見をぶつけていくのです。


さて、この映画は入れ子構造の物語になっています。つまりメアリー、パーシー、バイロンの三人のヒューマンストーリーを、怪物、フランケンシュタイン博士、そして吸血鬼の三者が織り成す、ゴシックファンタジー映画として観る事ができるってところがイイわけです。


ここが本当に白眉なところなんですよ。スコットランドという異世界めいた舞台も、このゴシックファンタジーめいた世界観に一役買っています。


さて、この映画におけるメアリーとは、どういった立ち位置のキャラクターなんでしょうか。一言で表現するとしたら『抑圧された人々』の代表とも言えるでしょう。


信じていた夫に裏切られ、愛していた娘を亡くし、義理の妹は夫と知らぬ間に関係を結び、折角書き上げた本を出版社に持ち込んでも『女性だから』という理由で刷ってもらえない。


女性だから、社会から自立しようとしても叩き潰される。


これ、まさに『フランケンシュタイン』に登場する怪物そのものです。


怪物はとても醜いために、周りの人間と仲良くしようと思って近づいても恐れられて逃げられる。


周囲から拒絶され、自己の存在に苦しむ怪物……これはまさに、夫に拒絶されて女性としての自分に苦しむメアリーの姿に他ならない。


美しいものを信じて世界に飛び出したはずが、己が手にしているのがとてつもなく醜い現実であることを理解したメアリー。


烈しい絶望と孤独と真摯に向き合った末に、そこに世間を知らずに家を飛び出した己の愚かさを強く自覚できたからこそ、あの『フランケンシュタイン』を彼女は書き上げる事ができたのでしょう。


彼女にとって創作とは、自分が残酷で醜い世界で生きている事の証を強く刻むことだったのでしょう。そうすることで、彼女は世界に自分を繋ぎ止め、自分を圧し潰そうとする男社会と戦おうとしたのかもしれませんね。


これはなにも私の妄想ではなく、実際に証拠があります。メアリーが二作目に発表したポストアポカリプス小説の『最後の人間』を読めば、彼女にとっての物語が己の半身的存在であることがしっかりと分かりますから。


さて、ではメアリーが怪物ならフランケンシュタイン博士は誰か。これはもうパーシーそのものです。


怪物が愛を欲しているのに、その内面にある純粋さや知性に目を背けて『醜いから』という上っ面な理由だけで怪物を遠ざけるばかりか、『一番苦しんでいるのはこの私なのだ』とかのたまっちゃう、自己中心的な考えのフランケンシュタイン博士は、まさに身勝手な理論を振りかざすパーシーそのものです。


そして吸血鬼は、これはもうバイロンです。


私の考えすぎ? いえいえそんなことありませんよ。


だってこの映画に出てくるバイロンって、もう本当にどっからどうみてもゴシックホラーの世界から跳び出してきたような風貌をしているのですから。


赤を基調とした上等な服に身を包み、少し青ざめた表情に妖しさを振りまく仕草。パーシーの唇に平気でキッスしちゃうような、ちょっとインパクト強すぎるキャラです。


その一挙手一投足の全てが吸血鬼を意識しているのは明らかです。あれで牙が生えていたら完全に吸血鬼ですよ。トム・スターリッジの演技がとても光ってるんですよねココが。こんな奴と関わり合いたくないよー!と思わず叫んでしまうくらいの名演技です。


吸血鬼ってのは、実に『男性的』なキャラクターです。


吸血鬼の牙は男根そのものであり、女の柔肌に突き立てた際に流れる血は破瓜の血を意味しています。多くの作品で吸血鬼に血を吸われた女性が恍惚とした表情を浮かべるのはそのためです。


で、まさにバイロンはそんな処女を食い荒らす吸血鬼めいたとんでもない男なわけですけど、彼はただのキワモノではありません。


バイロンは早い段階からメアリーが類まれな創作の才能の持ち主であることを見抜き、「君が書いた小説を読んでみたい」とお世辞抜きで言っています。


怪物の知性を同じ怪物である吸血鬼が見出す。なんともクルものがあります。


さて、小説版の『フランケンシュタイン』では、結局のところ博士と怪物は最後まで分かり合うことなく、物語は結末を迎えます。


しかしこの映画では、そこでまたちょっと違った展開になっているんですね。


パーシーは『フランケンシュタイン』の草稿を読み、そこで彼は初めて、メアリーがどれだけの深い孤独と哀しみに心を蝕まれていたかを理解するわけです。


男が女を直接的に理解するのではなく、『創作者』というレンズを間に挟む事で相手を理解するってのが、この作品のもう一つ白眉な点です。


だからこそ最後のキスシーンが、とても美しいものに仕上がっている。上手い脚本だなぁと、しみじみ感じます。


その他にも、光と影を使った演出が上手いことなんの。駆け落ちを決意したメアリーが自室のベッドに腰かけて、そこだけ影がかかっているんですが、メアリーの視線の先にある窓からは暖かい光が漏れている。実に美しいカットです。


2018年のラストを締めくくるのに相応しい傑作です。


また、この映画は創作活動に悩める方々にもお勧めします。


本当は一つの作品をつくるのに、ここまで自己を冷静に客観的に見つめなきゃならんのだなと、創作者としての正しい心構えを教えられたような気がします。

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