【第95回】★首
『首なんかどうだっていいんだ!』
◼️導入
北野武の映画を要約するなら「とにかく怖い」の一言に尽きる。彼はホラーのジャンル監督じゃない。それなのに彼の作る映画は怖い。わけても、彼の描く暴力シーンは、とにかく怖い。
「カッコいい暴力」を撮った作品ならいくらでもある。「派手な暴力」を撮った作品も、いくらでもある。しかし、こと「怖い暴力」という点に限って言えば、私は実写邦画の世界において北野武の右に出る映画作家はいないと感じている。私がそれを強く実感したのは、今から十年ほど前。大学生の頃にDVDで鑑賞した『ソナチネ』による影響が大きい。
思えばあの映画は、私の未熟な(いまでも未熟だけど)映画の鑑賞姿勢を大きく変えた偉大な一作だった。台詞ではなく構図で物語を語る展開。無駄のないカットの連発。真夏の沖縄を舞台にしているにも関わらず、冷たい触感を与えてくる画面の温度。むせかえるほどの濃密な死臭。そして、まるで漫才におけるツッコミを極点まで先鋭化させたかの如く、画面の外から襲い掛かってくる暴力――『ソナチネ』は北野映画の最高傑作との呼び声高いのも頷ける会心の一作であるのと同時、邦画における「暴力映画」の極北に位置していると私は思う。これに恐怖するなと言う方が無理だ。
北野映画の暴力は、いつだって私の予想の斜め上から降ってくる。こちらが先の展開を予想する、そのギリギリ、一歩手前に思考の足が踏み込んだタイミングで、凄まじい爆発力で襲い掛かってくる。この『ソナチネ』に出逢って以降、私はいまでもアクション映画やスリラー映画を観ている途中で、長回しのシーンや静かなシーンが連続して続くと「おいこれ画面の外からいきなり暴力描写割り込んでこないよな?」とビクビクするという有様だ。『ソナチネ』は傑作中の傑作であり、同時に私にとっての一番のトラウマ映画でもある。そして、本作『首』においても、その「画面の外からいきなり襲い掛かってくる暴力描写」は健在であると私はみた。
◼️あらすじ
群雄割拠の戦国時代。尾張の「大うつけもの」で知られる織田信長は、京への上洛を目指して着々とその勢力図を広げるなかで、上杉軍、武田軍、毛利軍、京の寺社勢力――四方八方を敵軍に囲まれながら血みどろの争いを繰り広げていた……その最中に事件は起きる。
1578年の秋。寵臣・荒木村重の突然の謀反。反乱は1年3か月という期間にまで及んだが、戦局好転の目途は立たず、織田家臣団の猛攻に次第に押されていく村重。有岡城にて孤軍奮闘する彼の首は、だがしかし尾張の狂王の御前に差し出されることはなかった。有岡城の落城後、村重は忽然とその行方を晦ましたのである。
信長は安土城の天守閣に主だった家臣らを集め、国言葉で憤りをぶつける。怒りの収まらない狂王は、羽柴秀吉、明智光秀、丹羽長秀、滝川一益ら重臣を前に、村重捕縛のための餌をちらつかせるのであった。
「働きしでぇで、跡目を選んだるに――俺のために死ぬ気で働け」
こうして、荒木村重の謀反に始まる一連の騒動は「織田信長の跡目争奪戦」に成り代わる。“最も天下に近い狂王”の玉座に目をつけた秀吉は、弟の秀長や子飼いの軍師・黒田官兵衛らと共に、信長と光秀を陥れ、天下を我が物にせんと暗躍を始める……
◼️レビュー
KADOKAWAの騒動に巻き込まれて“お蔵入り”になりかけていた状態から一転、2023年の年の瀬に公開された北野武第19回監督作品『首』――本作が何について描いた映画なのかと聞かれたら、私ははっきりとこう答える。これは「死に対する眼差し」を描いた映画であると。この映画は、主要キャラクターから脇役に至るまでが、この人権も倫理も紙屑同然と化した「すぐ身近に“死”が存在する世界」すなわち「戦国時代」を生きる中で各々がどのように「死」を捉えているかを、どのように「死」から逃れようとしているか、あるいはどのように「死」を遠ざけ、あるいは向かい合っているかを、その、ほとんど意図的に仕組まれたであろう複雑な編集とカットのリズムの中で多層的に描いた作品であると言える。
①織田信長
本作の中盤~後半に至るまで、物語の中心に居座り、その絶対的な存在力を発揮する彼に、まずは焦点を当てたい。演じる加瀬亮のキレッキレな尾張弁の怒涛の迫力が、オープニングシークエンス終了直後の観客の耳を、魔訶不思議な世界へ誘うのは確定と見て良いだろう。まさに光秀が口にするところの「お国言葉によるお叱り、肝が冷えます」といったところだ。極めて聴き取りづらい、それこそ異世界の言語にすら一瞬聞こえてしまうほどの強い訛り口調が特徴の本作の織田信長。彼は、クスリをキメたヤクザの組長の如く、織田家臣団を感情の荒ぶるままに怒鳴りつけ、危険な遊びに付き合わせて弄び、恐怖と暴力で支配する。そんな彼の傍若無人な振る舞いを「座興で命を弄ぶとは……」と呆れ口調で諫めようとした光秀に対し、逆ギレにも近い態度で信長はこう口にする。「たわけ! 人間生まれたときから、すべて遊びだわ!」と。
この台詞は、本作『首』における信長のキャラクター性を特徴的に示している台詞であるのと同時、もうひとつの可能性を示唆してくる。それは、じつは彼は理性の蒸発した真の狂人ではなく、戦国時代という「死の予兆に満ち溢れた世界」から己の精神を守るために、もはや「開き直り」に近い態度を取るしかなかった「凡庸な人物」という可能性である。
織田信長と言えば、家督継承を巡る戦いの中で実弟の織田信行を殺し、浅井・朝倉連合との戦いの中で義理の弟(浅井長政)を死に追いやり、さらには(創作との話もあるが)最愛の女性であったと後世に伝えられる生駒吉乃すら失うという悲劇に見舞われている。その一方では、今川、武田、上杉、浅井・朝倉連合、三好三人衆などの戦国武将たちと、血みどろの合戦を繰り広げていた。織田信長を語らずして戦国時代は語れないとはよく言ったもので、まるで戦国時代そのものを体現したかのような、常に己の周りに「死臭」を漂わせている人物。自分の行いが新たな火種を呼び、その火種がまわりまわって戦という炎に変わって自身に襲い掛かってくる。そうした人生を送ってきたであろう信長に残された道は、この地獄のような世界を前に「開き直る」という立場を選択するということ。それがアクションとして表れたのが、光秀や村重に対する過度な暴力描写ではなかったか。
私がこのように考えたのは、本作における信長が、その暴力的な行動の裏で、とても凡庸な人間としても描かれているからだ。劇中における彼は、重臣たちに跡目相続をちらつかせながら、本心では織田信忠宛ての書状にも書かれているように、実の息子に家督を譲ろうとしていたことが分かる。要するにこれは「世襲」である。この事実を秀吉・秀長・官兵衛が知った際に、官兵衛は「あの男も、ただの傾奇者(表面上、変わった行動を取るだけの人)だったということですよ」と吐き捨て、秀吉を通じてこの話を秘密裏に聞かされた光秀は「この世の者ではない魔王と信じてこれまで仕えてきましたが、しょせんは人の子だったか!」と信長を切り捨てている。この発言は、魔王=この世のしがらみに囚われない人物、武家社会の因習に囚われない人物だと思っていたのに、結局のところは世俗まみれの凡人だったんじゃあないかという、光秀の失望感を伝えてくる。
これまで織田信長という人物は、戦国時代という混迷の世に生まれながら、先見性と革新的な精神性を持った人物として描かれる傾向が強かった。しかし本作『首』における彼は、跡目相続において「世襲」という従来的な手法に固執している。こうした革新的な精神性からは遠くかけはなれた凡庸な人物が戦国時代を生き抜くには、常に開き直った態度を取り、凡人であるがゆえに抱きがちな臆病さや恐怖心を無理矢理にでも押し込めて、逆に恐怖と暴力を奮うことで家臣たちを抑え込み、のし上がっていくしかなかったのではないか。その心の奥底に本当は「臆病さ」を飼う織田信長。彼の持つ臆病さ、すなわち「心の弱さ」が他人に向けられるアクションとして画面上に表現された際に、それは過激な暴力として、我々の目に映り込むのだ。
そんな「凡庸な」信長の「心の弱さ」の一端が垣間見えるシーンというのが、本能寺において家康の到着を待つ間、幸若舞の「敦盛」を鑑賞しているシーンである。このときに信長は口にする。「この世の人間、ぜんぶ血祭りにあげたる。そんで最後に自分の首を切ったら、きれいさっぱりするだろうな」と。もはや開き直りを通り越してヤケクソに近い発言だが、私はこの時に信長が見せる、どこか寂しげなまなざしに注目したい。本当に狂った人間なら『敦盛』を鑑賞しても、あんなに寂しげな目はしないはずである。
『敦盛』とは、平家物語のあらましのひとつ、一の谷の合戦において若くしてその命を散らした平敦盛の悲劇を謡った演目である。この演目は信長だけではなく、当時多くの戦国武将に愛されたという。なぜ戦国武将たちが『敦盛』に惹かれたか。それは『平家物語』全体のテーマであり、そして『敦盛』にも込められている、この世の無情さ・儚さといったものに、どこか共感を覚えたからだろう。人権も道徳も紙屑と化した群雄割拠の世界。そういう世界で天下統一という椅子取りゲームに参加するのを余儀なくされる戦国武将たち。そうした己の人生、ひいては、その人生の終着点である「死」から、自分たちは決して逃れることはできないのだという厳然たる事実を、信長をはじめとした多くの戦国武将が『敦盛』に感じ取っていたからではないだろうか。その諦めにも近い寂しさが、あの信長のまなざしに籠っていると私は感じた。
よく「厳しくて辛い人生」をゲームになぞらえて「無理ゲー」と称する人がネットにはいるが、それに例えるなら、戦国時代に生きるほとんどすべての武将や足軽たちは、己の意志に関わらず、この「無理ゲー」に挑まざるを得ない宿命を背負っていることになる。その中で、本作における信長は己の死臭漂う人生を「無理ゲー」だと半ば自覚したうえで、そのゲームをどうにか攻略しようと前向きに意気込むのではなく、また漫然と無気力に過ごすのでもなく、心の弱さや凡庸な本性を悟られまいと、ほとんど開き直りに近い過度に暴力的な行動をとることで、身近に迫りくる死を遠ざけ、人生という名の無理ゲーを「やり過ごそう」としたようにも見える。
映画の序盤において、信長は多くの重臣たちに頭を垂れさせ、「たわけども! 俺が浪速を無事に出るまでお供せい!」と口にして多くの家臣を引き連れていたが、焼け落ちる本能寺で彼の傍にいたのは森蘭丸と弥助の二人だけであり、しかもそのうちの一人に殺されてしまうという始末。目の前にせまり来る死に対して開き直り、暴力で死を遠ざけようとした信長。しかし遠ざかっていくのは死ではなく、むしろ家臣たちの方だったというのは、自業自得という言葉で済ますのは惜しい、やるせなさを感じさせるのだ。
②荒木村重
この人物がどのように「死」と向き合い、また乗り越えようとしていたか、あるいは遠ざけようとしていたかを推し量るのは、比較的わかりやすい。明智光秀との間にはっきりとした肉体関係、すなわちベッドシーンが描写されていることからもわかるように、この男の光秀を想う気持ちには並々ならぬ情念が込められている。なにせ、甲州攻めか四国攻めの大将にしてほしいと信長に直訴した結果、怒りを買って切腹を強要された際には、周囲の目があるにもかかわらず「十兵衛―!」と光秀の通称を叫びながら、短刀を腹に突き刺そうとする有様である。本作における荒木村重は、そうした「光秀に対する強い想い」を光秀自身にくどくど語ったり、あるいは「信長に対する恨みつらみ」を、これまたくどくど光秀に語るといった、非常に器量の小さな人物として描かれている。
村重は光秀に対する「絆」の力で、自らに迫る死をどうにかやり過ごそうとしていた。光秀が説得のために有岡城へやってきた時も、彼は合戦中であるにも関わらず「お前が初めて俺を抱いた日のことを覚えているか……?」などと急にロマンチズムな言葉を口にし、挙句の果てには光秀にブチュチュンパを仕掛けようとして、これを拒絶される。このシーンは光秀のツッコミのタイミングがいかにも「お笑い」的な間で描写されているため、ちょっとしたギャグシーンにも見える。だが、これはギャグシーンであるのと同時に、村重という人物がどういう人物であるかを……すなわち「命のやり取りをしている場に、恋愛事を持ち込んでくるような、公私混同を平然と行う身の程知らずな人物」として描写している。
このシーンの後、村重が登場する場面のほとんどで、村重は光秀に対する「恋心」や信長に対する「恨みつらみ」や「嫉妬心」を、常に会話の中で引き合いに出す。おそらく彼は、信長に謀反を働いて殺されることよりも、光秀が自分を捨てるような状況を一番恐れていたのではなかったか。そして、そんな「恋愛第一主義」な彼の姿勢は、最後まで変わらない。強く信頼していた光秀の手で亡き者にされる寸前、村重は「俺のことを愛していたんじゃないのか」と激しく狼狽し、挙句の果てには斎藤利三と光秀の肉体関係を疑うことしかしない。「本当にお前は戦国武将なのか?」と突っ込みたくなるほど「武」の欠片も感じない人物である村重は、言ってしまえば「恋愛脳」なわけである。彼は、光秀との間に横たわる肉体関係という「熱しやすく、そして冷めやすい」関係性だけを頼りに、自らに迫りくる死を回避しようとしていた。
その悲劇的な結末を考えるに、おそらく北野監督は「絆」や「愛」を「この世を生きるための糧となるエネルギー」すなわち「前進する力・縦の力」ではなく、「この世に自身を繋ぎ止めるエネルギー」すなわち「留まろうとする力・横の力」として捉えているのかもしれない。なるほどたしかに、人間は「生きる」という欲望の下に文明を発展させてきたのであって「愛する」ために文明を発展させてきたわけではない。そういえば『HANA-BI』には北野武と岸本加世子演じる夫婦を横の構図で捉えたショットが多かったように思う。あの二人もまた、どこにも行けない、ただこの世に留まるしかない寂しさを抱えた夫婦だった。
③徳川家康
はっきり言って、私は本作における彼の「死」に対する向き合い方が、一番残酷で容赦のない、ひどく恐ろしいものに感じた。というのは、家康は常に「身代わり」を使って死を遠ざけているからだ。柴田理恵演じる「くのいち」に寝首を刈かれそうになった時、身代わりとなってこれに対処したのは服部半蔵だった。武田軍との合戦の際にも、本陣に身代わりを置いて自身は安全なところに隠れていたし、本能寺の変の後に京から脱出するために伊賀越えを為そうとした際にも、たくさんの身代わりを使って明智軍を欺いた。
極めつけは、信長が荒木村重謀反の黒幕を家康だと思い込んで、光秀に命令して家康を宴会の場で毒殺しようとしたシーンである。この時、家康は異名通りの「タヌキ」っぷりを見せつけ、毒入りの鯛の蒸し焼きを口に運ぶフリをしてその場を逃れ、そして(家康の本意ではなかったが)彼の身代わりのようなかたちで鯛に口をつけた料理番が死んでしまっている。
本来、自分が受けるはずの「痛み」を、他者に強要させるという手法で、家康は自らの身に降りかかるはずの「死」を遠ざけ、回避するのに成功する。劇中では描かれていないが、後に300年続く平和な江戸時代の礎を築き上げる徳川家康を「他人に犠牲を半ば強要する人物」のように描いたところに、北野武の考える「平和論」が垣間見えてきそうである。
④明智光秀
彼は本作において、我々が一般的にイメージする「武将」として描かれている。序盤における彼は農民上がりの秀吉や、合戦の最中における村重とのやりとりを見ても、常に武人として振る舞おうとしている。そしてその武人としての姿勢は、物語の中盤過ぎ、焼け落ちた本能寺から信長の首を探し出そうとするとき「信長の首がなければ武人の面目が立たん!」と部下に発破をかける描写からも分かるように、決して最後まで揺らぐことはなかった。
しかし、では武人として常に真っ直ぐ生真面目に戦国時代を生き抜こうとした武将なのかと聞かれると、本作『首』では、明智光秀をそのように描いてはいない。本作における光秀は、見ようによってはしたたかさを備えている。事実、捕らえた村重を亀山城へ連れてきた際には、信長が着用している南蛮風の陣羽織に似た代物をどこからか調達し、それを村重に着させたうえで「信長ー!覚悟ー!」と叫んで斬りかかろうとする。これは、明らかに村重を織田信長に見立てた上での擬似的な反抗行為すなわち謀反である。
そんな彼は、普段から信長から「説教坊主」と罵声を浴びせられるほど、ことあるごとに信長に意見する。なぜあんなにも平気で意見できるのか。そこにはもちろん、主君の間違いを正そうとする武人としてのあるべき姿を全うしようという姿も見てとれるが、信長が光秀に対して恋慕の情を抱いている事実を光秀自身がそれとなく知っていたうえで、信長の感情を逆手に取った行動という「ひねくれた」見方も出来るはずである。
本作における信長は、光秀に対してサディスティックな愛情を抱いており、家康暗殺に失敗した光秀を勢いのあまり南蛮坊主の手で殺させようとするシーンが劇中に存在する。この時、信長は光秀に刃を向ける南蛮坊主からは目を外し、明後日の方向を口惜しそうな目で眺めている。ここは構図の妙もあり、信長が光秀に対して強い感情を抱いていることを印象づけるシーンである。
そんな、信長から強い感情を向けられている光秀が、心変わりを見せたシーンが二つある。ひとつは、前述した「しょせんは人の子だったか!」と、これまで仕えていた主人を見限るような発言を口にしたシーン。そしてもうひとつのシーンが、荒木村重に「いまお前が兵を本能寺に向ければ、天下は俺らに」という二つのシーンである。
「これは天命だと思うか?」という発言からも分かるように、本作における光秀は信長への謀反を起こすという行動を、葛藤の末に自らの意志で起こしたのではなく、「天からの意志」がそうさせようとしているからそうした、という風に映る。
このことから推察されるのは、光秀という人物は、裏切りと謀略に満ちた戦国時代という「死に満ちた世界」で生きているという事実を、すでに受け入れているということ。偶然と必然に関わらず、そこで起こるあらゆる事象を呑み込んでいる、すなわち「死」を受け入れているということである。焼け落ちる本能寺において光秀の裏切りに激しい憤りを見せる信長や、用済みとして捨てられることに涙した村重のような「みっともなさ」を、光秀は最期まで見せようとはしない。自身の首を狙いに来た茂助に「欲しけりゃくれてやる」と、まるでゴール・D・ロジャーのようなセリフを吐きながら、自身の手で首を切ろうとする勇ましさを見せる。この映画で最も「武士」らしく振る舞っていたのは、間違いなく光秀だろう。
⑤羽柴秀吉とビートたけし
そして、外せないのがやはり、ビートたけし演じる羽柴秀吉である。老境にすでに入っているビートたけしが、羽柴時代の秀吉を演じる。この構図は非常に違和感を覚えるが、北野武クラスの映画ともなると、配役に違和感を覚えるということは同時に、それが意図的に仕組まれたことを意味している。
言うまでもなく、ビートたけしは浅草の下町芸人から芸能生活をスタートさせて、芸能界の天下人になったのは周知の事実である。それどころか、映画監督としてはヨーロッパ、特にフランスを中心に絶大な評価を得て、2005年にはフランスの映画批評雑誌『カイエ・デュ・シネマ』の創刊600号記念号の特別編集長を務めている。ちなみに、過去に記念号の特別編集長を務めているのは、ジャン・リュック・ゴダール、ヴィム・ヴェンダース、マーチン・スコセッシといった蒼々たる映画監督たちである。さらに、2010年にはフランス芸術文化勲章では最高位に値するコマンドゥール賞、2016年には同じフランスからレジオン・ドヌール賞を受賞している。
浅草の下町芸人から出発して「世界のキタノ」と呼ばれるようになったビートたけし。
水飲み百姓から天下人に成り上がって摂政の座に就いた羽柴秀吉。
経歴という観点だけに絞れば、何百年という時代を隔てて両者の人生は驚くほどにリンクしている。その関係性は興味深いが、両者には決定的な違いがある。そして、その違いこそが、本作『首』における『ビートたけし版:羽柴秀吉』の立場を明確に物語っている。
その違いとは「権力に寄っているか否か」ということである。
芸能の世界でも映画の世界でも大成功を収め、文化人としてのキャリアを確固たるものにしたたけしは、客観的に言えば権力側の人間である。しかしながら、たけしはそれでもお茶の間から離れようとしない。彼がニュース番組のコメンテーターとして登板すれば、その持ち前の毒舌でおもしろおかしく世相を切り、バラエティに出てはカツラを被ってピコピコハンマーを手に好き放題に暴れまわる。ドッキリにだって喜んで応じる。ゲーム『龍が如く6』では声優にもチャレンジしている。そうした屈託のなさが、今でも多くの国民の支持を集めている理由として挙げられる。
権力者の側に立つ資格を持ちながら、意気揚々と道化として振る舞える度胸。それを可能にしているのは、「芸人:ビートたけし」と「文化人:北野武」という二つの仮面を、たけし自身が意図的に使い分けているためであるという考えは、あながち的外れではないだろう。史実における羽柴秀吉が「足軽の子供:日吉丸」から立身出世を果たした末に「天下人:豊臣秀吉」という新たな仮面を死ぬまで手放さなかったこととは対照的である。
では、たけしは「芸人」としての仮面と「文化人」としての仮面、どちらを選択したうえで本作『首』の撮影に臨んだか。それは、この映画全編にわたって繰り出される、おフランスな格式高さの対極にある、どこかチープな演出の数々(安っぽいトランジションスライド、フォントによる状況説明、バカげたワイヤーアクション)と、エンディングクレジットに表示される「たけし」がどちらの「たけし」であるかを見れば、一目瞭然である。
以上のことを総合すると、本作『首』における羽柴秀吉というキャラクターは、虎視眈々と信長の後釜を狙いつつも、そのマインドは「芸人:ビートたけし」、すなわち治安の悪い足立区で過ごした子供時代や、浅草の下町で売れない時期を過ごした若手時代に培った精神性、例えるなら「小市民的な精神」を宿したキャラクターとして映る。「小市民的な精神」とは、戦国時代に照らし合わせるなら「農民の精神」である。そういう人物が、いかにして戦国時代に吹き荒れる「死」に対処していたかは、劇中に散らばるギャグシーンに垣間見ることが出来ると思う。
本作における羽柴秀吉は、ことあるごとに部下たちに「死んでこい」「突っ込め」と口にする。「おまえ、どうせ死ぬけどな」と、あっけらかんとした口調で草の者として雇った曾呂利新左衛門をからかうのを皮切りに、重臣である蜂須賀小六や宇喜田忠家にも同様の発言を口にし、山崎の合戦においては実弟の秀長に対しても「おまえちょっと行って死んで来い」と口にする。これは、当該人物に無理難題を強要しているパワハラチックな描写にも見えるが、私はこう考える。ここで秀吉がやっていることは、人物そのものよりも、自分たちを取り巻いている戦国時代という死の状況に対するツッコミであり、つまり「死をイジって笑いに変える」という芸人的手法によって「死」そのものと明確な線引きを試みているのではないか。そしてそれは、映画を最後まで観ている限りうまくいっていると私は感じる。
この「死をイジって笑いに変える」ことで「死」と明確な線引きをするという構図がはっきりと出ているのが、物語の後半。備中高松城の城主・清水宗治の切腹を秀吉らが見届けるシーンにある。毛利元就の三男・小早川隆景の家臣であるこの清水宗治が、和睦の条件のために腹を切るという逸話は、現代においては「武士道の美談」として語られがちである。だが本作では六平直政演じるヤクザ坊主な安国寺恵瓊の「あっかんべー」に始まり、清水宗治を演じる荒川良々の絶妙な、しなっとした表情に始まり、明らかに「美談」として語られてきた「清水宗治の切腹」を茶化している。
ここで私が注目したのは、清水宗治が切腹しようとするシーンと、その様子を見届ける秀吉・秀長・官兵衛が茶化すシーンを、単純なカットバックの連続で繋いでいることである。北野武にしてはやけにシンプルな、ともすれば退屈なカットバックの連続であるが、二つの場面(切腹の場面と、それを見届ける者たちの場面)を交互に映していくことで、両者の距離感が観客の目では捉えきることのできない演出となり、結果として両シーンの間に明確な「線引き」が為されているという感覚を植え付けている。このことは、先に述べた「死をイジって笑いに変える」ことで「死」と明確な線引きをするという秀吉の手法、ならびに「ビートたけし」の視点を見事に導入することに成功している、地味ながらも職人的な技法を感じさせるワンシーンである。
では、なぜ北野武は清水宗治の切腹を茶化したか。それはおそらく、過去の北野作品に強く見ることのできた「死に対する猛烈な嫌悪感」が関係している。そもそも「死」なるものは言うまでもなく、その本質はグロテスク極まるものであり、多くの人が「いま死にたいか?」と訊かれたら「死にたくない」と答えるくらいには、目を覆いたくなる「惨劇」として捉えられている。そんな惨たらしくて誰もが避けたいと願う「死」を、封建社会における道徳的価値観の下で「儀礼」という器に注ぎ、儀式的な段階を踏ませることで「死」に対する恐怖心を脱臭させようとする、そうした「切腹」という儀式に、強い懐疑心を覚えているからではないだろうか。
⑥なぜ「寄り」なのか
こうして振り返ってみると、むごい最期を遂げた者もいるが、本作における戦国武将たちはそれぞれのやり方で「戦国時代」という「死に満ちた世界」で生きるために「死」をそれぞれの視点から捉えようとしていることが伺える。こうした「死」を捉える視点に説得力を持たせるには、当然ながら死の舞台、すなわち合戦シーンをより残虐に撮影しなければならないという作劇上の必然性が生じており、本作ではそこに「合戦を寄りで映す」という手法を選択している。個人的には、この選択はかなりうまくハマっていると感じる。
なぜなら合戦を引きで撮影すると、「合戦」という状況の一側面にすぎないはずの「雄大さ」が強調されてしまうからだ。合戦を大きなスケールで捉える引きの絵は、実際にそこで行われている、個人同士あるいは小規模集団同士の残虐さ、ひいては「合戦」が宿す「死の臭い」を脱臭する効果を引き出しかねない。そうあってはならないと北野監督は考えたからこそ、あえて「合戦」を寄りの絵で撮ろうとしたのではないだろうか。
⑦「死」を捉えられない人々
そんな合戦にはじまる「死の世界」たる戦国時代を象徴するアイテムとして、刀や鎧や兜ではなく、「でんでん太鼓」を登場させているのがこの映画の特徴である。このでんでん太鼓はもともと、京都の六条河原で処刑される荒木一族の女児が手にしていたものだ。それは茂助の子供の手に渡り、秀吉軍の行軍に加わらんとした茂助が持ち出し、最後にはお守りとして新左衛門の手にわたる。見事に全員が無惨な最期を遂げてしまっている。そのなかでも特に、このでんでん太鼓を手にする期間が劇中でいちばん長かった人物、すなわち死の世界に肩まで浸かった人物のことを最後に話したい。
難波茂助。秀吉と同じ百姓の出身であり、秀吉のように立身出世を果たして一角の人物になりたいと意気込んでいるこの人物は「合戦」や「闇討ち」といった、死の危険と隣り合わせの状況に最初は激しく怯えているにも関わらず、やがては「死」という状況そのものに鈍感になっていく。
秀吉軍が毛利軍の奇襲を受けた際には、茂助は陣笠を被ってその場に尻餅をつき、ただただ怯えるしかなかった。ところが映画の後半。再び毛利軍と相対した時の茂助は、味方の侍大将が矢に倒れたのを間近で目撃しても恐怖を抱かず、それどころか味方の侍大将の首を落として首級を挙げる真似事をやってのけている。この一連の流れからわかるのは、明らかに「死がそこまで迫っている事実に鈍感なまま、死に飲み込まれていく人間」すなわち「"死"の可能性を内包した日常生活を送っているにも関わらず、そうした事実に気づかずに漫然とした日常に肩まで浸かっている」現代人の姿として、茂助を描いているということである。
死ぬのを怖がっていた人間が、名誉欲や金銭欲のために無茶をやらかして、どんどん死に近づいていく。さながら高額報酬欲しさに闇バイトにうっかり手を出してしまった人間の成れの果てだ。『ソナチネ』における印象的なセリフ「あんまり死ぬの怖がってるとな、死にたくなるんだよ」を思い出させるキャラクター造形である。
⑧まとめ
本作『首』はこれまでの北野武作品の中でも、娯楽に振り切った痛快愉快な一作であり、ともすれば戦国時代にも関わらずバリバリ現代語をしゃべりまくる武将たちの姿がコメディにも映る作品である。だが、その一方では『ソナチネ』や『HANA-BI』、『BROTHER』に『アウトレイジ』でも描かれていた「"死"という状況に飲み込まれた人間の悲喜こもごも」を、バイオレンスでリアリティのある戦国時代のリズムに載せて描いた渾身の一作であることに、疑いの余地はない。