【第8回】search/サーチ
『究極の客観視点が恐怖と感動を生む映画』
久しぶりのレビューです。
いやーすいません。自作の執筆にかまけていたらもう一ヶ月近く放置とか……ふげー!
でもでも、レビュー書くのも熱量いるんすよ(何の言い訳だ)。
アリータ:バトルエンジェルが来年に公開延期されちゃったし、すったもんだですよ。
ということで、新宿のTOHOシネマズで鑑賞してきましたので、軽くレビューを書きたいと思います。
【導入】
『クレイジー・リッチ!』がアメリカで爆発的ヒットを飛ばしている現在、その流れに乗るかのように公開された次のオール・アジア・メインキャスト映画は、モキュメンタリー手法且つSNSをふんだんに利用した、なんとも今の時代にピッタリな映画。それが『search/サーチ』です。
監督は、なんとこれが初長編作品という若干27歳のインド系アメリカ人、アニーシュ・チャガンティ。私とほとんど同年代の方で、それはつまり、子供のころからインターネットを身近に感じていた世代ということです。そういった背景を考えれば、27歳という年齢だからこそ撮れた作品と言えるでしょう。
ちなみにこの方、元Googleの社員さんらしく、Googleglassを使って短編映画を作製したことがあるみたい。
主演はジョン・チョー。スター・トレック・シリーズに出演していることでもおなじみ。その奥さん役を務めるのが、壇蜜に顔つきが似ているなと個人的に思うサラ・ソーン。娘のマーゴット役を演じるのがミシェル・ラー……うん、すまん。ジョン・チョー以外誰一人として知りませんw
でもまぁ、それが逆に良かったのかも。要するに、ほとんど無名に近い役者さんたちを配置することで、演者たちに自動的に『一般性』が付与された結果、モキュメンタリーとしての強度を十分に確保していると考えれば、なるほどオール・アジアキャスティングもありかなと思えましたね。
【あらすじ】
透き通るような青空+どこまでも広がる緑の草原=WindowsXPのデスクトップ画面
キム一家のリビングに、その一台のパソコンがやってきたのは、娘のマーゴットが小学生に上がったばかりの頃だった。
父親・デイヴィットと母親・パメラは、愛する愛娘との日々を、その電子と量子の一つの完成形である箱型の装置に詰め込んでいった。
それは、どこにでも転がっている普通の日常――マーゴットがピアノを練習している風景、パメラとマーゴットが一緒に夕飯を作っている風景、ピアノの発表会の風景、難病に罹って闘病生活を送るパメラの風景。
そして、パメラが亡くなった風景。
それから三年後――母を喪失したキム一家の家庭は、ご近所から見ても『うまくいっている』とは言い難かった。娘に配慮してパメラの話題をほとんど口に出そうとしないデイヴィットは、年頃の娘との距離感に悩んでいた。
パメラが生きていた頃のホームビデオで二人は画面の中にいたはずが、今ではスマホやFaceTimeといったSNSツールという名の壁越しでしか触れ合おうとしない生活が続いている。
そんなある日のこと。マーゴットは生物テストの勉強合宿のために、友人たちの家に泊まることをFaceTimeで父に伝える。「行ってきます」の一言も言わず、しかも話を途中で切り上げて勉強会に戻ってしまう娘に、何も言えないデイヴィット。
まぁいつも通りに帰ってくるだろう……親の心配などよそに気ままに振る舞う娘に不満がないわけではなかったが、むやみに怒ったところでどうしようもない。
楽観視を気取るデイヴィットだったが、翌日の朝起きてみると、深夜に娘からFaceTimeで連絡があったことを知る。
スマホでかけ直して見るが、娘は出ようとしない。それどころか、帰宅したら残飯まみれのごみ箱を片付けるよう前日の夜に強く注意したはずが、それすらやっていない。
いったい何度注意したら分かるんだ……娘に対する苛立ちを抱えながらその日の仕事をこなし、家に戻る。だが夜になってもマーゴットは自宅に戻っていなかった。連絡を取ろうとしたところで、彼ははたと思い出す。
そういえば今日はピアノの練習の日だったか。
……そうだそうだ。うっかりしていた。学校から直接、ピアノ教室に向かったんだろう。
でも、念のためゴミ箱の件はきちっと注意してやらないとな。
ピアノ教室に電話をかけるデイヴィット。しかし、電話に出たピアノ教師は、不審げな声色で予想外のことを伝える。
『マーゴットさんでしたら、半年前に辞められましたが? 娘さんから何もお聞きになっていないんですか?』
……馬鹿な。そんなはずない。だって毎月の月謝を娘に渡して……
娘とのチャット履歴を追うデイヴィット。たしかに娘は月謝を受け取っている。半年前に辞めてからもずっと。じゃあ、この月謝を娘は何に使っているんだ?
マーゴットに対する不信感を強めるデイヴィットは、FaceTimeで弟のピーターに相談する。デイヴィットとマーゴットの親子関係が上手くいっていないことを知るピーターは『思春期の女の子にはよくある話だ。親にナイショでフラッと遠出するなんてことはね』としか言わない。そんなに心配なら、マーゴットの友人に連絡を取ってみたら?と助言するが、世の中の父親の大多数がそうであるように、デイヴィットは娘の交友関係をほとんど知らなかった。
だが、パメラが生きていた頃に使っていたパソコンを再起動させ、そこにファイリングされていたマーゴットと幼馴染の男子を見つける。電話をかけると、出てきたのは母親。話によると、マーゴットは息子たちとキャンプに出掛けたという。
学校をサボってキャンプに行ったばかりか、ピアノの件も内緒にされていたことでデイヴィットの怒りが爆発する。チャットで長文の説教メールを打とうとするが、娘との仲がこれ以上こじれることを恐れて、全て消去してしまう。
その直後、マーゴットと一緒にキャンプに行っていたはずの幼馴染の男の子から連絡があった。
「マーゴットを誘ったのは事実ですけど、彼女、結局来なかったんですよ」
……じゃあ、いま娘はどこにいるんだ?
まさか、失踪したのか?
ことここに至って事態の深刻さを自覚したデイヴィットは警察に相談。応対したのはローズマリー・ヴィックという名の中年女性刑事だった。ヴィックは娘さんとの交友記録を探るようデイヴィットに協力を求める。
苦労して娘のFacebookを見つけたデイヴィットは、そこで自分には決して見せなかった娘の『孤独な一面』を知ることになる。学校では友達が一人もおらず、一人の世界に閉じこもる彼女は周囲から浮いた存在だった。SNS上の交友記録を追っても、友人たちから帰ってくる言葉はどれも同じだった。
『マーゴットとはそんなに仲良くなかったから、彼女のことはよく知らない』
自分は娘がどれだけ寂しい想いをしていたか、まるで理解できていなかったと後悔するデイヴィット。そんな彼を、一人息子を育てるヴィックは子育ての大変さに理解を示しつつ「あなたが悪いんじゃない」と慰める。
その後も娘のSNSを探っていたデイヴィットは、YouCastという動画配信サービスを娘が好んで使っていたことを知る。そこで彼女は、一人のユーザーと親しくしていた。フィッシュ&チップスと名乗るそのユーザーは「闘病中の母親の世話」をしているらしく、それがマーゴットの共感を呼んだらしかった。
この「フィッシュ&チップス」というユーザーが、娘の失踪に関わっているのではと訝しむデイヴィット。だがすでにヴィックはそのユーザーの事情聴取を終えており、マーゴットの失踪前後は仕事中だったという裏付けが取れていため、捜査線上からは外れているという。
捜査が振り出しに戻り、落胆を隠せないデイヴィット。
だがめげずにYouCastの配信動画を精査しているうちに、彼は一つの事実に気づく。
動画内で彼女が『お気に入りの場所』だと言っている、ある風景。彼女が使っている別のSNSサービスTumblrにも、その風景が映っていたことを思い出すデイヴィット。
Googleマップで調べて判明したその場所の名は、バルボッサ湖。そこは、自宅からたったの五分程度しか離れていない、まわりを深い森に囲まれた静かな湖畔だった。
急ぎ車でバルボッサ湖に向かったデイヴィットだったが、湖畔のそばで、娘が大事にしていたキーホルダーを偶然にも発見してしまう。
薄暗い森に佇む一人娘……忌むべき何かがあったとしか思えない、出来すぎた最悪の展開。この身が八つ裂きにされんばかりの残酷な結末を想像せずにはいられず、最悪の事態を嫌でも想定してしまうデイヴィット。
そんな彼の予想は的中してしまう。
警察が、バルボッサ湖の底からマーゴットが運転していたと思しき、一台の車を引き揚げたのだ。
だが車の運転席にも、トランクにも、マーゴットの姿はなかった。
果たして、マーゴットはどこに消え、そしてなぜ失踪したのか。
デイヴィットは、はたして真相を掴むことができるのか。
【レビュー】
全編PC画面で展開されることをウリとするこの作品ですが、その技法がめちゃくちゃ新しいかといったら実はそうでもありません。と言いますのは、すでに2014年に『アンフレンデッド』という、全編PC画面で繰り広げられるホラー映画が製作されているからです。ちなみに、アンフレンデッドの監督を務めたティムール・ベクマンベトフは、本作においても製作というかたちで関わっています。
『アンフレンデッド』も『search/サーチ』も、ジャンルとしては『モキュメンタリー』に分類されます。モキュメンタリーとは、映画というフレームの中で繰り広げられる『疑似的なドキュメンタリー』のことであり、リアルタイム感を演出することにより、フィクションにノンフィクション性を与えることを主眼においたジャンルです。
モキュメンタリーの名前を広く知らしめたのは、何と言っても『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』でしょう。その後も『REC』や『パラノーマル・アクティビティ』や『ダイアリー・オブ・ザデッド』など、特にホラー分野で多く使われている傾向があります。
これはあくまで個人的な感想なんですけど、わたし、実はもうモキュメンタリーには飽き飽きしていたんです。
と言いますのは、やってることがどの映画でも同じじゃないかと。
なぜモキュメンタリーという手法でホラーが数多く撮られてきたかというと、一言でいうと相性が抜群なんですね。映画の中のカメラという、一枚フィルターを噛ませた状態で観客の目線を極限的に客観視させることで、そこで起こる不可解な現象や恐ろしい出来事を無意識下に強く観察させるというやり方が、恐怖を煽るシチュエーションにマッチしているんです。
でもそれは、あくまでも技術論・演出論としては優れているけれど、そこにあぐらを掻いてストーリー性がいまいちなものが最近多いなと感じていたんです。『REC』は終わり方も含めて私は気に入っているんですけど、『パラノーマル・アクティビティ』は、あれはホラーじゃないと個人的に感じます。
これらのことを鑑みると、この『search/サーチ』という作品は、いまや陳腐な方法論になりかけていたモキュメンタリーを復活させた傑作だと思います。その鍵となっているのが、映画の売り文句の一つである『全編PC画面』というテクニックなんです。しかも、テクニックの上にあぐらを掻いているんじゃなく、ちゃんとストーリーの展開にマッチしているのがイイ。なるほど、この映画で伝えたいことを描くには、確かにこういうやり方じゃないとだめだなと思い知らされるんです。
この映画には実に多くのSNSツールが登場します。日本でも(そして私を含めた自作の宣伝に忙しい一部のなろうユーザーを始めとした)多くの人が利用しているツイッターやyoutube。リア充のためのSNSであるFacebook、FaceTime。インスタグラムにタンブラー。日本では馴染みの薄いYouCastなど……これらのSNSツールは今や情報化社会を渡っていく上でなくてはならないもの……なんて大それた文句をつける必要もないくらい、当たり前なくらいに若者文化の一角を形成しています。
それでですよ。
全編がPC画面だから、当然色んな操作を画面上で行うわけですが、その台詞の欠如したただの情報上の処理動作が、キャラクターの心情をとても分かり易く描写するのに一役買っているんです。
最初から驚きです。お母さんのパメラが入院してしまった後、マーゴットはネットのカレンダーに母親の退院予定日を記入するんですが、それが一週間ずれて、二週間ずれて……そして最終的にその予定表は、ゴミ箱に放り込まれて、カレンダーもシャットダウンされてしまうんです。この間、ずっとマーゴットの台詞もなければ表情すらも見せないんですが、たったこれだけで「ああ、お母さんは死んじゃったのね」と観客にそれとなく伝え、予定表をドラッグしてゴミ箱に運ぶマウスポインタの動きだけで、マーゴットの悲しみに暮れる心情が把握できてしまうんです。
ちなみに、このシーンでもう私の涙腺は決壊寸前でした。歳をとると涙腺が緩くなって恥ずかしいですね。でもそれだけ、観客側の想像力を刺激してくるんです。
現場画像を拡大・縮小する動作。
ウインドウを閉じようとして、何か違和感に気づいて動きを止めるマウスポインタ。
チャット中に、こちらが発言しようとしたら相手の方が先にメッセージを寄こしてきて、その数秒の間にまた違う言い回しで応えるタイピング描写。
顔も映らず声も出ず、しかしそのネット上の動きだけで、娘の身を心から案じるデイヴィットの気持ちがよく伝わってくるんです。
映画の中にカメラを配置して観客をより客観的な視座に置くモキュメンタリー手法。この映画は、そんな使い古された映画的技法をIT的なエッセンスで更新した映画と言えるかもしれません。
『純粋に』カメラが映し出すもの……つまりパソコンや監視映像、ネットニュースが報じられる画面だけをただただ延々と見せ続け、デイヴィットの表情は極力見せない。この映像的手法が、それまでのモキュメンタリー方式で撮影された映画と一線を画しているんですね。
従来のモキュメンタリーチックなサスペンスやホラーだと、演者のリアクションがひとつのフックになる必要性が出てくるので、どうしてもカメラが演者の顔を映そうと「わざとらしい」動きをしてしまいます。そこで、わたしみたいなひねくれものはちょっと醒めちゃうわけです。モキュメンタリーという体でやっているのに、ところどころでフィクション性が顔を覗かせているようで。
ただ、前述したように、本作品は徹底してカメラだけが映し出すPC画面やネットニュースの画面だけで物語を進めていくので、そこに究極とも言っていい『客観性』が生まれ、観客を物理的に遠く突き放しつつも、こちら側がより冷静に、そして色々な想いを巡らせてマーゴットの行方を追おうという「姿勢」を作ってくれるよう、配慮した作品になっているんですね。
それともう一つこの映画の素晴らしい所は……まぁ、もう2015年あたりの映像作品からこれは多く見られる傾向なので、なにもこの映画に限った事ではないんですが、SNSを「ただのツール」として扱っていることですね。どういうことかというと、SNSを使って、それで良い結果がもたらされるか、あるいは悪い結果に見舞われるかは、あくまで使い手次第によるものだというスタンスってことです。
去年放映された中学生の恋愛を描いた傑作アニメ『月がきれい』でも、SNSは学生たちにとって欠かせないツールとして登場します。茜ちゃんと小太郎君は学校では恥ずかしがって喋れないけど、SNS上だと顔が見えないから、自分の素直な気持ちを吐き出せる。それで少しずつ互いの距離を詰めていくというあの造りは、それまで「SNSは現代の悪しき文化」とかのたまっていたバカマスコミをぶちのめす快作でございました。
ただ、SNSは何も良い点ばかりじゃない。ネタバレになってしまうので詳しくは言えませんが、マーゴットがSNSに手を出さなければ、今回のようなトラブルは起こらなかったわけですが、しかしSNSがあるからこそ、デイヴィットはマーゴットの内に秘めた哀しみを知ることができた。SNSを公平なスタンスで描くってのが、もうスタンダードなわけです。SNSを悪しきツールとして扱う事自体が、もう時代遅れなんだなと、改めて思い知らされましたね。
最後に一つ、この映画の優れた点は、前述した『究極の客観視点』によって描かれる『恐怖』にあります。
もうね、怖いんですよ。マーゴットの失踪。それに関連する新事実が一つ一つ明らかになっていくにつれ、「あれ!おまえさっきあの画像に映っていたよね!?なんで!?」とか「え!?なんでそこにその服が落ちてんの!?」とか「このチャットのやりとり……ええ、ヤバくね?」とか、クリック音だけが鳴り響く画面の向こうで、一つずつ謎が明らかになっていくにつれ、言葉を発さずパソコン画面をいじるデイヴィットの代わりに、観客は心の中で突っ込み、そこで恐怖するんです。
その恐怖を演出するための伏線の貼り方とその回収が、これがまた実に見事なんですよ。
ところどころ「なんかこれ変だな」と感じたり、「息子が部屋に入ってきただけなのになんでそんな怒るの?」とか……ああ、これ以上はネタバレになるので言えません。とにかく最高のスリラー映画であり、またSNSだからこそ描ける家族の絆を、この映画は内包しています。
それとそれと、もう一つ。
この映画は全編通して真面目なお話なんですが、唯一笑えるシーンがあります。たぶんニコ生とかストリーミング配信とかやっていたり、観ていた人なら、きっと笑います。ちなみに劇場では爆笑が沸き起こっていました。私も笑いました。
ラストがちょっとご都合主義かなとも感じますが、でも作劇上の面白さを優先した結果、ああいうラストにしたと思いますので、別にそこはどうでもいい。
とにかく、この映画は今の時代だからこそ撮れた映画。とくに10~30代の若者や、SNSを普段から使っている人なら見て損はない、というか見るべき映画です。素晴らしい映画です。
逆に、SNSに忌避感を覚えてしまっていたり、SNSの仕組みが良く分からない人には、お勧めできません。