追憶(後編)
二十年前――。
シャノンはダンジョンの侵入に成功し、デュラハンの下へたどり着いた。
シャノンが扉を叩き壊すと、目の前に広がる光景は生活感の感じられない広々とした空間であった。
ダンジョンの道中と同様、闇を照らすのは浮遊する火の玉の魔物のみ。
暗さに目の慣れてきたシャノンでさえも、広い部屋の奥で豪華な装飾のされた椅子に座る漆黒の騎士の存在に気付くのが遅れてしまう。
闇に紛れる騎士の名はデュラハン――。
紛れもなくシャノンの追い求めた仇敵だ。
――気圧されるな。あの時の私ではない!
今の彼は復讐者。
眼前の敵に震え上がっていた恋人を殺された夜とは違う。
湧き上がる殺意が恐怖を勝っていくのをシャノンは感じていた。
殺意を向けられながらも、戦う準備をすることもなく座り続けるデュラハン。
――どこまで人間を舐めてるんだこいつは!
怒りとともにこれは好機であると判断したシャノン。
「おおおおおおおおッ!」
シャノンは雄叫びをあげながら、一目散にデュラハンに迫っていく。
その姿を見ても尚、動こうとしないデュラハン。
シャノンは両手で握ったウォーハンマーで、鎧を纏ったデュラハンの胴体を横殴りしようとする。
「無様に! 惨めに! 死んで詫びろ!」
――数分後、ダンジョン内には悲痛な叫びが響き渡ったのだった。
◇
シャノンは意識を取り戻すと、調査をしていたはずの森に戻っていた。
身体には多少の傷こそ残っているものの異常はない。
――私は何をして……そうだ! デュラハン! デュラハンはどこだ!?
デュラハンと戦っていたはずの自分が、何故森の中にいるのか理解が追いつかない。
シャノンは立ち尽くして記憶を辿っていると、断片的ではあるが、いくつかの場面を思い起こす。
何度デュラハンに立ち向かおうとも軽くあしらわれ、人間を潰すことなど造作もないとばかりに顔を片手で掴まれていた光景。
そして、デュラハンの前にひれ伏した自分の姿。
シャノンは自分が負けたのだと気付いてしまう。
乾いた笑いを漏らして、天を仰ぐ。
「あんな奴に復讐しようなんて考えが間違ってたんだ……」
戦闘の記憶は全て残っていない。だが、感覚が覚えている。
自らの牙であった復讐心を粉々に砕かれた感覚を――。
◇
シャノンがダンジョンに侵入してから20年。
彼はある少女と出会った。
「君、名前は?」
「ティア。ティア・アンテリカ」
ティアと名乗った赤髪の少女の赤い目は、目線は合っていてもシャノンを見ていなかった。
誰かに憎しみを抱き、その者にだけ向ける殺意を秘めた目。
シャノンは知っている。
復讐者の目だ――。
話を聞くと、ティアもまた、デュラハンに父を殺されたという。
――あの目……あの殺意を持ったままでは、彼女はまともな人生を送れない。
――彼女もその復讐心を折られるべきなんだ。
デュラハンはダンジョンに攻め入ったシャノンの命を奪うようなことはしなかった。
そのこともあり、シャノンは残酷な行為だと思いつつも、少女も自身と同じ体験をするべきだと考えた。
そして、ティアにダンジョンやデュラハンについて知りうる情報を提供した。
話の最中、人間を喰らう魔物の話やデュラハンと自身の力の差を語り彼女の心を揺さぶったシャノン。
――これで彼女が復讐を諦めるのならばそれでいい。時間はかかるかもしれないがきっといつか忘れられる。
だが、ティアはシャノンの予想していた通りには動かなかった。
「策がないなら新しく考える! 力がないなら力をつける! 勝つ自信がないなら自信をつける!」
シャノンは、ティアの言葉は虚勢ではないと確信した。
そして、彼女は20年前の自分とは違うと――。
ティアはその翌日もシャノンの下へ訪れると、あらゆるパターンを想定したダンジョン及びデュラハンへの対策を書き出してきた。
――目的のためにどこまでも考え続けられるタフな精神力。そして執念。この子は常軌を逸している。
――この子の復讐の先が見てみたい。
ただの好奇心ではある。
シャノンは復讐を通してデュラハンへの復讐心を失った。
だが、ティアは失うのではなく、何か大きな物を得るのではないか。そんな思いが彼の中で生まれたのだった。
その後の出来事だった。
とある民家で殺人が起こった。被害者は暴行され、家内は酷く荒らされていた。
ティアはデュラハンがこの事件の犯人であると断定し激昂した。
そして、彼女は今すぐにでもダンジョンへ向かうと言う。
それを止めようとするシャノンに、彼女は言い放った。
「あなたは何も感じないの!? あいつが憎いでしょう!?」
その時、シャノンは気付いてしまった。
デュラハンだから仕方ないと思っている自分。
恋人を殺した相手に復讐したいと思う心どころか、怒りも感じなくなってしまっている自分。
そして、復讐から解放してくれたデュラハンに感謝さえしてしまっている自分に――。
――復讐をやめて普通の人間に戻っていたつもりだった。だけど、こんな感情まともじゃない!
20年間気付きもしなかった自分の変化。
シャノンはその事実に言葉を失った。
――やはりティアに復讐をさせるべきではないのかもしれない。
そう思った頃にはもう遅く、ティアの姿は見えなくなっていた。
◇
シャノンはいなくなったティアの捜索を、友人のバンとその息子アレンに手伝ってもらうことにした。
ダンジョンへ向かったことを知っているにも関わらずそれを伝えずに。
そしてシャノンは、他の場所を探すと2人に伝えて、別行動をするふりをしていたのだ。
ティアの復讐を止めないという約束を交わしたシャノンにとって、ダンジョンへ行こうとするティアを連れ戻す行為は、彼女への裏切りであったからだ。
結局、ティアはダンジョンのある森の前で倒れているところを発見されて、バンの家で休んでいるという。
彼女は意識を失っていたため詳しい事情を知ることは出来ず、シャノンは落ち着くことが出来ない。
――ティアは、ダンジョンに入ってしまったのだろうか……。怪我はしていないみたいだったが。
――くそっ! やはり約束なんか無視して彼女を止めるべきだったんだ!
その時、シャノンの家のドアが開く。
考え事をしていたシャノンは、突然の来客に驚く。
ドアを開けたのは、ハァハァと息を切らして汗まみれのティアだった。
「ティア……無事だったか!」
安否を心配していたティアが目の前に現れたことに安堵するシャノン。
「私、ダンジョンにたどり着くことは出来なかったみたい……」
「そうか。ダンジョンで何かされたんじゃないかと心配したよ」
ティアは、もじもじと何か言いづらそうにしている。
その様子を見て、シャノンは怪訝そうな顔をする。
「あのっ! シャノンさん、昨日はごめんなさい」
ティアから出た言葉は謝罪であった。
「何を、謝ってるんだ?」
「だって、私、ムキになってダンジョンに飛び出して行っちゃったから……」
「それは君の復讐を止めないって約束だっただろう」
「昨日の私じゃ、復讐なんて果たせなかった……せっかく協力してくれたのに、あなたの厚意を無駄にするところだった……」
シャノンは、複雑な気持ちであった。
彼は、ティアの復讐を止めたいと思い始めているからだ。
自分の気持ちを伝えるべきか迷ったが、意を決して話を切り出す。
「ティア。昨日デュラハンが憎くないのか? と私に聞いただろう?」
「え、えぇ」
「私は、デュラハンを憎めないんだ……復讐を諦めるどころか、あいつが誰を殺そうがしょうがないって!」
「しょうが……ない?」
「それどころかあいつに復讐心を折られて感謝してしまっていた!」
ティアは、シャノンの気持ちを理解出来ず、キョトンとした表情で見ている。
「奴と戦って怒りという感情すら失ってしまったのかもしれない……」
「ま、待って? だから私にも復讐をやめろとでも言うの!?」
「君は復讐すべきではない。持っていて当たり前の感情を失うんだぞ」
「……もしかして、あなたが協力してくれたのは、私の復讐心が折られることを望んでいたってこと?」
ティアが復讐をしたいという話を聞いた時の感情を言い当てられたシャノンは黙り込んでしまう。
――ほんとに、鋭いな。この子は。
「私がデュラハンに勝つことに賭けたんでしょう!」
ティアの言葉に、ハッとするシャノン。
この少女の復讐の先を見たい――ティアを見て抱いた気持ちを思い出す。
「君ならこの復讐で何か大きな物を得るような気がしたんだ……だが……」
「賭けたなら最後まで見届けてよ! 私はデュラハンを討って未来を勝ち取る!」
「無理だよ。奴に勝つなんて」
「大丈夫。私は、強い!」
力強く見つめるティアの目は、相変わらず復讐しか見ていない。
その瞳は底知れない闇のようだ。
だが、シャノンは僅かにその先に光を見た。
ただの復讐ではない。この少女は、闇の中から光を取り戻そうと戦っているのだ。
――もし、ティアが復讐を失敗したら私は後悔するだろう。だが……。
「……私と一緒では許さない。必ず君の未来を見せろ」
「約束する」
嘘偽りのない確かな自信と、気迫に満ちたティアの顔を見て、シャノンは頷く。
こうして2人の決意は固まった。