Blood Tear
デュラハンの不意をつき、ついに復讐を遂げたティア。
だが、一つの命を踏みにじった彼女が抱いた感情は複雑で言い表すことが出来ないものだった。
血の海と化したダンジョンの前。
ティアは、ただ呆然と倒れたデュラハンを見つめていた。
――まだ生きてるかも……トドメ……刺さないと……。
フラフラとした足取りでデュラハンに近づくティア。
デュラハンは動く気配もない。
息があるのか確認しようとするが、ティアの目にあるものが映る。
表紙が血まみれになった手帳だ。
血の赤で染まってしまっているが、かなり年期の入っているものだということがはっきりと分かる。
「手帳……そうだ。これを見て時間が惜しいと言っていたはず……」
何か情報が手に入るかもしれないと思い、ティアは手帳を拾い上げる。
表紙に書いてある字はほとんど読めなくなってしまっているが、中身にはまだ血が染み込んではいないようだ。
「……人の名前がひたすら書いてある。何なの?」
ページをいくら捲っても記されているのは、日付と人名のみであった。
「この人……去年亡くなった近所のお婆さんだ」
見知った名前に反応するティア。
「この人も……この人も……皆、亡くなったこの街の人の名前!?」
日付を正確には覚えていないものの、ティアは人名と共に記された日付が命日に合致していると理解する。
ティアは驚愕すると同時に一つの可能性を考える。
――殺害する人間を書き連ねていたわけね。
そして、忘れるはずもない日付の書かれたページにたどり着いた――。
ノア・アンテリカ。ティアの父の名前だ。
「やっぱり……こいつは殺すべきだったんだ……!」
手帳を持つ手には力が入り、唇を噛み締めるティア。
彼女のデュラハンを殺したことに対する僅かな罪悪感は完全に消えた。
ティアは無言で血の海に落とした短剣を拾い上げて、デュラハンを見下ろす。
「あんたのッ! あんたのせいで父さんはッ! 何で殺したの!? 答えろ!」
息絶えたデュラハンの鎧の隙間に何度も突き刺される短剣。
デュラハンはピクリとも動かないが、その身体からは血しぶきが舞う。
ティアは涙を流しながら闇雲にデュラハンを刺し続けるが、短剣が鋼鉄の鎧に当たり、後ろに弾かれる。
「何で……何でなの……!」
鎧の胴に頭を乗せ、泣き喚くティア。
頬をつたう涙は、顔中に浴びた返り血と混じりながら地面にポタポタと落ちていく。
怒りをぶつける対象がいなくなり、やり場のない気持ちが収めることが出来ない。
「デュ、デュラハン様―!?」
ティアが叫び声のする方を振り向くと、そこには白い布を被った魔物ダンジョンゴーストが呆然としていた。
魔物の眼前に広がる光景は、血の海の中にいる先程追い出したはずの1人の少女と、屍となった主であるデュラハン。
ダンジョンゴーストは驚きと悲しみが混じった声を上げながら主の元へ駆け寄る。
「あなたが……デュラハン様を……?」
「えぇ……。私が殺した」
ダンジョンゴーストは涙を拭うと、ティアを見つめる。
「私が、憎い?」
「…………」
「あなたも私に復讐すればいい。ダンジョンの中にいた魔物なら私くらい楽に殺せるでしょう」
「いつかこうなるとは思っていましたので……」
ダンジョンゴーストから出たのは、ティアの予想とは違う言葉だった。
「デュラハン様は復讐の念を抱いた人間を招いては、その心を砕いていましたので。態々敵をダンジョンに入れる必要もないのに……」
「……何を、言ってるの? 私達のためとでも言いたいわけ?」
ティアは目を見開いて問う。
ダンジョンゴーストは俯きながら語る。
「僕達には人間の心は分かりませんので……。やっぱり間違っていたのかもしれませんね」
小さな手でデュラハンの死体に抱き着くようにするダンジョンゴースト。
自分が殺した者の死を悲しむ姿を見て、ティアは複雑な気持ちになる。
「あ、あれ……ない……デュラハン様の手帳は……?」
「手帳? この殺害リストがそんなに大事なの?」
ティアは自分の拾った手帳をダンジョンゴーストに見せびらかし軽蔑したような目で見つめる。
――こいつも魔物。デュラハンと同じように殺害を繰り返す気か。
「殺害……リスト?」
「違うとは言わせない。中身は見させてもらったわ」
「それは死の予言の手帳なので! デュラハン様の大事なものなのでっ!」
手帳を取り返そうと必死にティアに飛びつくダンジョンゴースト。
しかし、怪我を負い、疲労もしているティアでも簡単に躱せてしまう。
――死の予言?
ティアの中に疑問が浮かび上がる。
「これはデュラハンが死の呪いをかけた人間のリストじゃないの!?」
「デュラハン様にそんな力はありませんので! 返してください!」
「じゃあ何で父さんは死んだのよ! いい加減なこと言わないでよ!」
激昂するティアに臆して、ダンジョンゴーストは一旦手帳の奪還を諦めて語りだす。
「それはこの街に住む死の未来が確定した人間の名前を記す手帳ですので。デュラハン様はその運命には抗えないと言っていましたので……」
「う、嘘……! で、でもあいつが態々私達の家へ訪れる理由がないじゃない! どうせ殺しに来たんでしょ!?」
「デュラハン様はよく言っていましたので……。死の予言には抗えない。私に出来るのはトムライだけだと」
――トムライ? そういえばあいつ死ぬ前に……。
『ト……ム……ア……ィ……』
ティアにはあの時何を言っているのかも分からなかったが、デュラハンが苦しみながら必死に絞り出した最後の言葉だ。
「……弔い」
「僕は知らなかったのですが、人間の風習だとか」
「ははは……何あいつ。馬鹿じゃないの」
ティアは、突然笑いだすとデュラハンの死体に向かって叫ぶ。
彼女は気付いてしまった。デュラハンの真意を――。
「何が弔いよ! 何も言わずに花だけ置いてきやがって!」
「え……?」
「私をダンジョンに招き入れたことだって! 何が復讐心を砕くよ!」
デュラハンが民家に現れ、花を置いていくのは、死の予言がされた人間を弔いたかっただけだった――。
そして、それが誤解を生んでしまい、復讐を目論む人間が現れた――。
対してデュラハンが人間にとった行動は、その復讐心を折り、復讐を忘れてこれから普通に生きる道を与えること――。
「あんたッ! どんだけ不器用なのよ! 馬鹿よ! 大馬鹿! それでこのザマ! 惨めすぎでしょ!」
ティアは泣き崩れると、小さく呟く。
「いや、馬鹿なのも惨めなのも私だ…………」
ダンジョンゴーストが心配そうにティアに近づく。
ティアは涙を乱暴に拭い、ダンジョンゴーストに力強い視線を向ける。
「……あんたの言うこと全部信じたわけじゃないから」
「……はい」
「私はデュラハンを殺したことを後悔もしないし謝らない」
ティアは立ち上がると手に持った血まみれの手帳を開く。
「でも、自分で確かめる。私のしたことが間違っていたのかどうか」
最新のページには今日の日付と死を予言された人名が書かれている。
「デュラハンは弱いから、この手帳に記された死の運命から逃げたんだ」
ティアはデュラハンの死体から血塗られたマントを剥ぎ取り、それを羽織る。
「でも、私は強い。私ならこの力を弔うためには使わない。救える命を探すために使う」
「え、どういうこと……ですので?」
困惑するダンジョンゴーストに背を向けるティア。
「この手帳。私が預かるから」
赤い少女は夜空を見上げる。
その瞳にはまだ一面の闇しか見えていない。だが、その中に輝く星を探すように――。