夜を駆ける騎士
『ダンジョン』
魔物の王、魔王により各地に配置された上級の魔物の住処である。
ダンジョンは発見すること自体が困難とされ、いつ襲撃されるかという恐怖が人々を支配している。
そのダンジョンと呼ばれるとある洞窟の最奥――。
浮遊する火の玉が明かりを灯しているが、それ以外には光のない暗闇の中。
そんな暗闇の中でも、存在感を放つほどの派手な装飾のされた椅子に、漆黒の鎧を纏った首なし騎士が腰掛けている。
首なし騎士は、洞窟の中を彷徨う白い布を被ったような姿の小さな魔物にこっちへ来いとばかりに手招きする。
それに応じた魔物は、棚から一冊の古びた手帳を取り出し、首なし騎士の元へ運ぶ。
表紙や裏表紙が変色するほど年期が入っているその手帳をゆっくりと開くと、びっしりと人名が記されたページが続く。
首なし騎士が数ページめくり白紙のページに辿り着くと、見えない誰かが書いているかのように文字が記されていく。
「ノア・アンテリカ」
首なし騎士は記された名前を静かに読み上げた。
◇
「毎度ありー! ティアちゃんいつもありがとうねー!」
逆立った髪が特徴的な中年男性バンが、大きな声を響かせ、少女に小さな紙袋を手渡す。
それを受け取った赤毛を小さく2つに結った小柄な14歳の少女、ティア・アンテリカはお辞儀をした。
「こちらこそありがとう。ここの薬は良く効くって評判だから」
「おうよ! うちの塗り薬はちょっとの傷ならすぐ治るぞ!」
バンは胸を張って自信に満ち溢れた笑顔で答えたあと、何かに気付く。
彼の視線の先、少し離れたところで大きな麻袋を重そうに運ぶ少年だ。
バンはにんまりと笑い少年に向かって大声で叫ぶ、
「おい! アレン! 愛しのティアちゃん来てるぞー!」
その少年、バンの息子であるアレンは14歳の歳相応の背丈に整った顔立ちの茶髪の少年だ。
彼は赤面しながら大声で叫び返す。
「うっせえええ! 何てこと叫んでんだ! バカ親父いいい! バーカバーカ!」
その反応をみて、バンがアレンに向かって指を差しながら大笑いしている。
その親子のやりとりに、周囲の人々やティアは思わず微笑む。
「アイツ、見ての通り反抗期だ。ティアちゃんみたいに素直な子にならないもんかね」
ニヤニヤ笑いながら話すバンだったが、突然真剣な表情に変わるとティアを見つめる。
「お父さん、まだ治りそうにないか?」
「えぇ……。おかげさまで傷は塞がってきているけど今も寝床でずっとうなされてる」
「気の毒に……。隣町で魔物に出くわすとはなぁ」
その言葉を聞き、思わず俯く。
ティアの父。ノア・アンテリカは薬草などの様々な素材の採集家であった。
しかし、2週間前に1人で隣町の森に入った際に、魔物に襲われ、大きな傷を負わされたという。
幸い魔物からは逃げ切ることに成功したノアは、命からがら帰還し、応急処置を施され一命を取りとめた。
「ほら心配すんなって! 俺の薬を信用しろ!」
「うん。おじさん本当にありがとう。父さんが待ってるからもう行くね」
ティアはバンに背を向け、紙袋を抱え、父の待つ家に向かい走り出した。
走り出してすぐ、2人の女性の世間話がティアの耳に入る。
「またデュラハンが現れたって噂聞いた?」
「聞いた聞いた。それで1人暮らしのお婆さんが亡くなったのよね」
「そうそう。その人の家を出るところを目撃した人がいたんだって」
「まぁここはまだマシじゃない? 魔物に壊滅させられた街もあるってくらいだし」
「怖いわねー。魔物なんていなくなればいいのに」
『デュラハン』
各地に点在する上級の魔物の1体である。
馬に乗った首のない騎士の姿をしていて、目撃した者は死の呪いをかけられる言われている。
実際にこの街では、デュラハンの目撃情報が何件もあり、被害者も出ているという。
――隣町だからデュラハンではないだろうけど、父さんは魔物に襲われたと言っていた。
――でも、デュラハンもわざわざダンジョンから出てきて罪のない人間を殺害しているんだ。
「許せない」
ティアは立ち止まると、ぼそっと呟き、唇を噛み締める。
俯いたまま数秒。様々な感情が湧いてきたが、噛み締めた唇から僅かに血の味がしてティアは我に変えった。
彼女は、湧き上がった感情を全て忘れようとするかのように首を大きく横に振ると、再び走り出す。
魔物に襲われ、衰弱している父の前では、暗い表情を絶対見せたくないという気持ちが、彼女の感情をコントロールさせていた。
しばらく走ると、少し古びた木造建築の家に辿り着いた。
ティアとノアの家だ。
――よし、元気な顔を見せよう。
もう一度気持ちを落ち着かせ、扉を開く。
中には短い赤髪に中肉中背の男性、ノアがうなされながら寝床で横になっている姿が見える。
「……父さん、ただいま!」
「ティア、おかえり」
弱々しくも優しい声でノアが微笑んだ。
◇
その晩、2人は食事を終え、ティアが食器を片付けている。
ノアは傷が痛み2週間の間ほとんど寝床から離れることが出来ていない。
そのため、ティアが彼の看病や全ての家事を担っている。
ノアは、食器を片付ける彼女の背中を寝床から上半身を起こした状態で、心配そうに眺める。
その視線に気付いたのか、片付けを終えたティアは振り返り微笑みかける。
「父さん、薬塗るから背中出してっ」
無言で小さく頷き、ノアはシャツをめくる。
目に映ったのは、鋭利な爪で切り裂かれた深く赤黒い傷跡。
薬を塗り始めると、触れた瞬間にノアが痛みで苦しみ悶える。
痛々しい傷跡や、痛みに苦しむ姿に思わず目を逸らすティア。
ノアは背中を向けていながらも、その様子に気付く。
「悪いな、ティア」
「何謝ってるの父さん! 私は何も……!」
「あんまり無理するな。って父さんが言える立場じゃないな」
「怪我人は休むのが仕事! 私に全部任せて」
塗り薬を塗り終え、ゆっくりノアを寝かす。
ティアはぐったりと椅子に腰をかけ、額の汗を拭う。
弱っていく父の姿を見ることによる精神への疲労は相当なものだった。
――しっかりしろ私! 父さんの方が比べ物にならないほど辛いんだから。
ティアは心の中で自分に活を入れた。
◇
ノアは眠りにつき、家の中は静寂包まれている。
――だが、突然その静寂は破られる。尋常ではない速さで近づく馬蹄の音がティアの耳に入った。
その音が止むと今度は誰かが歩く音が聞こえ、数秒のうちに止まった。
ティアは、扉の前に誰かが立ち止まっていると確信する。
――こんな時間に誰?
不吉な気配を感じながらも、恐る恐る扉に手をかける。
「……っ!?」
ティアは驚嘆した。そして畏怖した。
漆黒の鎧を纏った首のない異形の騎士。
言い伝えでしか聞いたことはない。だが、間違いないと確信した。
――デュラハン!?
恐怖で身体は膠着し、助けを呼ぼうにも声も出てこない。
デュラハンは何も言わず、苦しそうに横たわるノアに向けて指をさした。
身震いの止まらない状態のティアは、デュラハンが指さす方向に振り向く。
――デュラハンを目撃した者は死の呪いをかけられる。
俯きながら、デュラハンの言い伝えを思い出す。
最悪の状況を考えれば考えるほど息が荒くなり、涙がこみ上げる。
――嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
混乱し膝から崩れ落ちるティア。
そこで気付く。視線の先には目の前にいるはずのデュラハンの足が見えない。
バッと顔を上げると、やはりデュラハンの姿はなくなっていた。
姿は見えないが、大きな馬蹄の音だけが夜の街に響いている。デュラハンは馬に乗り、去っていったのだろう。
それからしばらく、ティアは崩れ落ちたまま動くことも出来なかった――。
そして、デュラハンの現れたその夜――。
ノアの容態は突然悪化し、彼は息絶えたのだった――。
初日につき、本日は2話も投稿されますので是非。