『世界を渡れ』とベルは鳴る
からんからんとベルが鳴り、木製のドアはギィと音を立てて開く。
「いらっしゃい、リィトゥサ魔法店へようこそ」
出迎えたのは桃色の髪と紫色の眠たそうな目をした若い少女、名をリィト。ぶかぶかの寝間着姿でカウンターに立つ姿は、寝起きの子供と見まごうほど幼い。しかし、若い見た目とは裏腹に、都市の一角に古今東西の魔法具を扱う店の店主でもある。
ごちゃごちゃと物が陳列されたこの店で、今日も訪れる客に目配せをしながら、読書にふけっている。
「よぉ店主、随分暇そうじゃねぇか。不況の煽りでも受けたのか?」
「いいや、昨日も今日も平常運転さ。それとも、もしそうだったなら『おお可哀想に』と売り上げに貢献でもしてくれたかい?」
「お生憎。ここの所、作業場に閑古鳥が住み着いちまったらしい。おかげで今じゃ無一文だ。今日はそんな俺に日銭をくれる場所を探しに来たのさ」
メガネを外し、リィトは客人を見やった。
ぼさぼさの茶髪、蓄えられた無精ひげ、オイルに汚れたブーツと分厚い手袋。その姿を見て彼女は、客人が物を買いに来たのでは無いことを察した。
「成る程、『売りたい』方の客人か。ウィン、出ておいで」
リィトの声に応え、彼女の背後から現れたのは、若緑の髪をした少女だ。手のひらサイズの小さな体でふわふわと飛びながら、リィトの指示を待っている。
「ちょっと商談をしてくるから、店番を頼んだよ」
リィトの言葉に対し、少女はこくこくとうなづいて、カウンターのテーブルにちょこんと座った。
「さて、こちらへどうぞ。キミの商品を出すのに、店先じゃあいけないだろう」
そう言って、リィトはカウンターの奥にある扉へその男を案内する。
「そこのイスにかけてくれ、茶でも飲みながら商談しよう」
リィトは棚からカップを取り出そうとする。しかし、客の男はそれを止めた。
「いや、いい。あんたに作品を買い取ってもらった後、すぐに工房に戻る予定でな。話は手早く済ませたいんだ」
「へぇ、まるで私がキミの作品を買うのが当然のように言ってくれるね……いいだろう、見せてくれ」
男が出したのは、複雑な模様の刻み込まれた小型のベルだ。模様はベルの裏側にもびっしりと刻まれており、淡い光を放っている。リィトは椅子に座り、ベルを手に取って様々な角度から眺めた。
「道具を媒体にした魔法術式か、随分と出鱈目に書かれているようにも見えるけれど……この道具では一体何が出来るんだい?」
「異世界旅行……と言えば、あんたは笑うか?」
「……詳しく聞いてから答えよう」
両者の表情は真剣になる。少しの沈黙の後、男の方が口を開いた。
「まずは仮定の話だ。この世界には今、この瞬間に『選ばれなかった』時の流れが存在するとしよう。たとえば、今日俺がここを訪れなかった世界、今日はこの店が閉まっていた世界、今日はあんたが体調を崩していた世界……キリがねぇからこんくらいにしとくか。
その中でもとびきりの特例がある。世界の理そのものが違うって世界だ。この世界じゃ魔力が主なエネルギーだろ?火やら水やらをおこしたり、超人になりゃ国さえ滅ぼせちまうが、たとえば魔力がない世界があったら?その世界は一体どうやって豊かな生活をしていると思う?
どんなエネルギーを使っている、何にエネルギーを貯めて使う、どんな用途に使用する、どうやってエネルギーを発生させる……。
噂で聞いてるぜ、あんたは半ば趣味で魔法具をかき集めて研究しつつ、この店をやってるってな。そんなアンタにとっては興味が尽きないんじゃあないか?」
「……確かに、キミの言う通りだね。もし実在するなら、それはそれは素晴らしいことだ。この店を引き払ってだってその世界に行く方法を模索するさ。
しかし、キミの作った魔法具で行けると言われても、私としてはイメージがつかない。こことは作りの異なる世界が存在すると言われても、現実味がない。……キミは、一体どうやって異世界の存在を証明してくれる?」
リィトのその言葉に男はニヤリと笑い、リィトが持っているベルを手に取って、応接室から店内に繋がるドアへと歩く。
「実演販売ってやつだ。このベルが設置された建物全体は一つの空間として扱われ、異世界へと移動するように術式を組んである。ただし、このベルは扉に取り付けて、初めて効果を発揮できる。今回はこの店全体を一つの空間として扱わせてもらうぜ」
そのまま入り口まで歩くと、扉にベルを取り付け始めた。リィトはカウンターまで歩くと、真剣な表情でその様子を眺める。
「さて、これでよし……と。それじゃ、始めるぜ」
「……念のために聞いておくが、実際にその魔法具を試したことはあるのかい?」
「いいや、これが初めての起動だ。なぁに、心配するな。『理論上は』上手くいくはずだからな」
「なっ!? ちょっと待——————————」
「さぁて行くぜ」
男がベルを弾くと、甲高い音でカランカランとベルが鳴る。それと同時に地面が揺れ、リィトは思わずしりもちをついた。
……こうして、リィトゥサ魔法店の異世界旅行は始まる。