【31】ありがとうとさよならと
サキ達と別れて、ひとりになる。
ピオやクオ達のことは気になったけれど、もしあちらの世界へ行くのなら公園へ向かっては行けない気がした。
家に戻る。
慣れ親しんでいたアパートの部屋ではなく、母さんの再婚相手が建てた家にある、全く私好みじゃない部屋。
今、私はどこにいたいか。
そうやって自身に問いかける前に、最初から答えは出ていた。
――フェザーと一緒にいたい。
あの世界で、皆と一緒に暮らしていきたい。
今の私はヒルダじゃない。
朝倉メイコという、何の力もないただの人間だ。
あっちには本物のヒルダがいて、まぁ色々大変なこともあると思うけれど、皆がいればそれでいい。
困ったことがあれば、そのつど考えて前に進めばいいだけだ。そうやって、ヒルダだったときも過ごしてきた。
そう気づいたら、今まで何を迷ってうじうじしてたんだろうと思えてくる。
いつだって、行動あるのみだ。
あっちに持っていきたい最小限のものを買って、鞄に詰めた。
異世界に戻ったとして、すぐに屋敷にたどり着けるとは限らない。
換金できそうなものと、数日分の食べ物。
『黄昏の王冠』のファンブックと攻略本。
私が事故に遭ったその日に手に入れた、続編のゲームの攻略本も役に立ちそうだと考えて、わざわざ買ってリュックに詰めた。
本だとかさばるので、タブレットに異世界でも応用できそうな知識を選んで、ありったけ保存しておく。
あっちの世界に電気は通ってないけれど、光属性には電撃魔法がある。それをどうにか利用すれば、充電も可能になるだろうと見込んでのことだ。
オウガが帰ってくる前に、買い物だけは済ませておく。
何食わぬ顔でテレビを見ながら、普段通りを装った。
オウガはサキの悪戯に振り回されたと、疲れたように言う。
夕食に誘えば、ありがとなとそれを喜んでくれた。
「……なんか今日は、オレの好きなものばかりだな」
「オウガには色々世話になったからね」
感謝の気持ちを込めて、料理を作った。
私の命を救ってくれてたことや、心配してくれてたこと。
オウガには感謝すべきことがたくさんあった。
例えオウガが言ってくれなくたって、それでも嬉しいものは嬉しい。
まぁ、これからそんなオウガを出し抜く、罪滅ぼしもかねていたりするのだけれど。
退院してからずっと面倒を見てもらっていたから、これくらい怪しくはないはずだ。
食卓には義兄の大地以外、皆そろっていて、わきあいあいとした雰囲気だった。
「メイコの手料理なんて久しぶりね。懐かしい味がするわ」
にこにこと母さんは上機嫌だ。
朝倉家はお金持ちで、家政婦さんが普段は料理を作ってくれていた。
母さんはお世辞にも料理上手とは言えなかったから、昔から料理は私の担当だった。
「これ、おいしいねメイコちゃん」
「ありがとうございます」
義父が褒めてくれる。
どうにもぎこちなくなってしまうのは、昔からの名残だった。
もう義父と家族になって、五年以上が経つ。
でも未だにお父さんとは呼べてない。
二十歳で大人になったんだからと、このぎくしゃくした関係を壊すために、去年クリスマスパーティを私は企画していた。
その直前に事故に遭い、結局それは実現できなかったけれど。
「これもうまくできたんで、食べてみてください……お父さん」
皿をそちらによせて、ぼそっと小さく口にする。
かなり小さな声だったけれど、ちゃんと言えた。
目の前の義父に、ちゃんと声は届いたみたいで、大きく目を見開いていた。
「……ありがとう、メイコちゃん」
ぐしゃりと義父の顔が崩れる。
母や弟達二人が、嬉しそうに私を見ていて。
言えてよかったと心からそう思った。
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食事が終わった後。
見送りに玄関先まで行けば、オウガが頭を撫でてくる。
「何、オウガ。急にどうしたの?」
「いや? よく頑張ったな」
ふっとほほえむオウガの顔は優しい。
私が家族のことでどれだけ悩んでいたか、オウガはよく知っていた。
義父を、父さんと呼ぶ。
ただこのことにどれだけの勇気を使ったか、ちゃんとわかってくれているんだと思うと、胸が温かくなった。
「オウガのおかげだよ。ありがとうね」
いつもオウガは私の悩みを聞いてくれていた。
ただ黙って聞いてくれるだけで、心強くて。
それでどれだけ救われていたかは、わからない。
私が関係を踏み出したくても勇気が出せないでいたら、そっと背を押してくれて。
去年の冬、家族でクリスマスパーティを開いたらいいじゃないかと言ったのも、オウガだった。
「はい、これ。オウガにクリスマスプレゼント。本当は去年渡すつもりでいたんだけどね」
「マフラー……? オレに?」
用意していたものを差し出せば、オウガが戸惑った顔をした。
「オウガのおかげで、一歩踏み出せたからそのお礼にって作ってたんだ。どこかにあるはずだって部屋を探したら、ちゃんと残ってたみたい」
深い青の色をしたマフラーは、体格の大きいオウガに合わせて長めにしておいた。
「これ、メイコが作ったのか……?」
「うん。縫い物や編み物は得意だし、それにオウガってば、まだ私が高校一年の時にあげたボロマフラー使ってたでしょ?」
オウガは寒さに強いのか、あまり厚着をしない。
さすがに見かねて自分のマフラーをあげたら、それを気に入って使い続けていた。
色あせてるし、いつかプレゼントしてあげたいなと思っていたのだ。
「……」
オウガはそれを手にして、固まってしまった。
気に入ってくれるんじゃないかと思ったのに、あまり好みじゃない色だったんだろうか。
「やっぱり赤がよかった? オウガの瞳の色に合わせて、深みのある青を選んでみたんだけど」
「いや……プレゼントを貰えるなんて思ってなかったから……驚いた。わざわざ、オレのことを考えて……作ってくれたんだな」
噛みしめるように、一言一言オウガは口にする。
どうやら感動していたようだ。
「大げさだなぁ。ほら、外は寒いだろうし、巻いてあげる」
くるっと巻き付けてあげれば、オウガはマフラーの感触を確かめるように首をすくめる。
それからふっと顔をほころばせた。
「……温かい」
「そっか、よかった」
嬉しそうなその様子に、こっちまで嬉しくなってくる。
「こんな手間のかかったプレゼント、生まれて初めてもらった。しかも、オレのためだけに作ってくれたなんて、嬉しくてどうにかなりそうだ。一生大切にする」
「本当オウガってば大げさな」
「それくらい嬉しかったんだ。なぁ、メイコ。オレの嫁になってくれないか? このマフラー以上に、大事にするから」
「はいはい、ありがとね」
「それは、いいってことか?」
「全く物好きだよねオウガは……」
戸籍上は同じ年ということになっているが、オウガの実年齢は怪しいものがある。
十五で出会ったとき、すでにオウガは倍の三十近くに見えた。
私が二十歳になって、見た目の年齢差は縮まったとはいえ、私にとってオウガは年の離れた一番の親友といったところだ。
毎度毎度、こんなふうにからかってくるオウガとのやりとりは、お決まりの挨拶のようになっていた。
「何でそう、オレの気持ちを本気にしてくれないんだ……」
「そんなことより、そろそろバス出ちゃうよ? ほら行った行った!」
不満げなオウガの背を押す。
パタンとドアを閉めてから、自分の部屋へと向かった。
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私が急に姿を消せば、両親は不安がることだろう。
それを見込んで手紙を書く。
何もかも包み隠さず書いたけれど、信じてくれるかはわからない。
林太郎やサキに後はよろしくと、投げるような形になったのは申し訳ないなと思う。
オウガにも手紙を書いた。
ごめんねと、ありがとうを込めて。
例え異世界へ行ったって、親友だと思っていると書いておいた。
それをポストに投函する。
数日後、家に配達されるはずだ。
今日はもう寝るなんて言って部屋にこもり、深夜前にそっと家を抜け出す。
誰にも会うことなく玄関を出て、家の門を閉めたところで肩をちょんちょんとつつかれた。
「こんばんわ、メイコさん」
月明かりの下、声をかけてきたのは義兄の大地だ。
ここのところ曇っていた顔が嘘のように、すっきりとした笑顔を浮かべていた。
「こんな肝心なときに、一番やっかいな奴に出くわしたなって顔ですね。そう警戒しなくても大丈夫ですよ。メイコさんのお手伝いをしようと、ここで待ってたんです」
爽やかな声で大地が言う。
「……手伝いって何のこと?」
「異世界に行くんでしょう? ぼくがお手伝いします」
「もしかして……サキから事情を聞いたんだ?」
義兄の大地は、私やサキ、それとオウガと同学年だった。
オウガとは友達で、高校を卒業して後も連絡を取り合っていたけれど、サキとは顔見知り程度の仲だったはずだ。
「サキさんから今の状況は確かに聞きました。でも、思い出したんです」
「何を」
「ぼくがかつて、ジミーだったこと」
少し困ったような笑い顔で、大地はそう口にした。




