【25】日常に埋もれていくもの
オウガが出て行った後、ずっと我慢していたトイレに行く。
看護婦さんが尿瓶を持ってきてくれたけど、それは断固として拒否して、慣れない車いすに乗ってどうにか事を終えた。
「あの怪我でこんなにすぐに動けるなんて……物凄い回復力ですね。そういう血筋なのかしら」
看護婦さんが少し納得いかないというように、首を傾げながらそんなことを言う。
「血筋ってどういうことです?」
「ご兄弟もみんな入院していらっしゃるでしょう? 三人とも怪我が酷かったのに、普通じゃありえない速度で回復してるんですよ」
医者もびっくりしているんだということを聞かされたけれど、そんな実感はあまりなかった。
部屋まで看護婦さんに送ってもらい、義兄のベッドの側に車いすを寄せてもらう。
義兄の大地は、私と同じ年。
高校生のときに、大地の父親と私の母さんが再婚したことで兄弟になった。
顔だけは、それより前から知っていた。
今の義父は父さんの親友で、その息子の大地に、私が初めて会ったのは父さんの葬式の時だ。
大地は爽やかで優しげな雰囲気の少年で、いかにも女の子にもてそうだなという印象だった。
「泣きたいときに泣いたほうがいいと思うよ」
母さんや弟達が泣く中、泣くのをこらえていた私に、大地はそんなことを言った。
「……あんたに関係ないでしょ」
「うん、そうなんだけど。ぼく、物凄く君のことが気になるんだ。こんなに誰かが気になることは初めてで……どこかで会ったことない?」
葬式の最中に何を言ってるんだこいつはと思った。
ナンパなら余所でやりなさいよと、大地に思いっきりビンタをかましてやったことを今でも覚えている。
父さんが亡くなって後、義父は色々私達家族に優しくしてくれた。
ただ、思春期だった私は、母さんに近づく男が気にくわなかったし、大地が義兄になるなんてごめんだった。
大地は私と同じ高校に入学してきて、私にまとわりついてきた。
最初はナンパ好きの軽い奴だとばかり思っていた。
けれど、周りの評判はよく、悪い噂の一つもない。
成績優秀で文武両道、性格もよく、どこのパーフェクト超人だというような義兄だった。
いっそ完璧すぎて、人間味がないと感じるほどだ。
大地に大きな怪我はないみたいだった。
ただ、ずっと目を覚まさないらしい。
あちらの世界でヒルダの体が痛くなったとき、こっちの私の側にいたのはおそらく大地だ。
――どうして、ぼくなんかを庇ったりしたんですか!
あれは確かに大地の声だった。
けど同時に、私の気のせいだったんじゃないかとも思う。
大地は私から言わせると……薄っぺらい奴だった。
どこか達観しているというか、周りの反応に対して、正しい行動をとるロボットみたいというか。
いつも穏やかな笑みを浮かべて、感情的になるところを見たことがない。
耳に残るような、あの切羽詰まった声を大地が出したのかと思うと……どうしてもピンとこなかった。
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「ん……」
「あっ、姉ちゃん起きた! オウガ兄ちゃん、姉ちゃん起きたよ!」
「病室で騒ぐな。ちゃんと見えてる」
オウガを待ってじっとしている間に、寝てしまっていたらしい。
目覚めたらオウガと弟の林太郎が私をのぞき込んでいた。
「林太郎、怪我したってきいたけど大丈夫なの?」
「俺は平気だよ……姉ちゃん、久しぶり……」
瞳をうるうるとさせて、林太郎がそんなことを言ってくる。
「うん、久しぶり。会いたかった……」
泣きじゃくりはじめた林太郎の頭を撫でながら、不思議な気分になる。
記憶喪失だった私が、記憶を取り戻した。
そういうことになっているから、林太郎達からしても、今の私に会うのは一年ぶりということになる。
「ところで林太郎、私がいな……記憶をなくしている間に何があったの? 何でこんな怪我をしてるの?」
「我が姉が記憶を喪失して後……時空の歪みより、異世界から刺客が送られてきた。この俺にとっては取るに足らない敵だったからな。華麗に容易く倒してやったんだが……それが奴らを本気にさせてしまったらしい。あいつらを甘く見過ぎたな」
人が真剣に聞いているというのに、林太郎ときたらいつもの妄想全開でそんなことをいう。
私の代わりに、オウガが林太郎の頭をはたいた。
「痛いよオウガ兄ちゃん! 何すんのさ!」
「お前は黙ってろ。メイコ、林太郎に聞くだけ無駄だ。階段から落ちたことも林太郎にかかれば、名誉の負傷に早変わりだ」
「俺嘘なんて言ってないよ! この怪我だってヒル」
「あーわかったから。とりあえず、メイコには安静が必要だから、騒がしくするのは禁止だ。頼まれてたミュージックプレイヤー持ってきてやったから、それでも聞いて大人しくしてろ」
林太郎の口をふさいで、オウガが半ば強引にベッドへ戻す。
ざっとカーテンで私と林太郎の間を仕切ってしまった。
「まったくあいつときたら……」
「ふふっ」
呆れたように言うオウガに、つい笑いが漏れた。
一年前はよく見ていた、慣れたやりとり。
それを見ていたら、帰ってきたんだなって思えた。
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記憶喪失になっている間に、一人暮らしをしていた私のアパートは解約されてしまっていた。
実家のほうの部屋に、今の私は住んでいるらしい。
退院後に部屋へ行けば、私の趣味とは全く違う空間が広がっていた。
薄いクリーム色の壁紙に、全体的に白い家具。
小物類がいちいち可愛らしく、乙女チックというか……とてもガーリーな部屋だった。
クローゼットの中にはズボンが一着もなく、ひらっひらのふりふりとしたワンピースばかり。
私の体に入っていた魂は、女の子らしい女の子だったのかもしれないと、そんなことを思う。
ちなみに会社は辞めたわけじゃなくて、療養扱いになっていた。
これなら復帰して、戻ることもできそうだ。
「……」
ベッドにぼふっと寝転がる。
平和な日常。
私が体験してきた日々が、まるで夢だったみたいだ。
「夢なんかじゃ……ないよね……?」
一人呟いても、答えてくれる者なんていない。
ここにはフェザーも、私の感情を読めるイクシスもいなかった。
折角帰ってきたのに、寂しさを感じているのはおかしい。
それはわかっている。
けど、足りないと強く思う。
思い浮かぶのは、あの世界であった人々の顔ばかりだ。
夢じゃないという証拠がほしいのに、何もない。
蛍光灯の明かりに手をかざしながら、この手の甲にフェザーのような紋章があればよかったのにと、そんなことを思う。
――大切なのはどこにいたいかではなく、誰といたいかだろう。
以前フェザーが言った言葉。
それが、胸に響く。
元の世界だろうと、異世界だろうと。
私は――フェザーと一緒にいたかった。
その想いだけが浮かび上がるように、はっきりとわかる。
離れて、手元に何もなくなったからこそ、自分の望みがよりくっきりと見えた。
――早く会いにきてよ、フェザー。
魔法も何もないこの世界では、あの世界での出来事がまるでおとぎ話のようで。
培われてきた常識が、皆の存在を否定しようと働くのを感じる。
魔法なんてない。
獣人も、竜もここにはいない。
全ては私の想像の世界で、夢。
そんなふうに思いたくはないのに……皆の存在が、この日常にかき消されてしまいそうで。
――怖くて、しかたなかった。




