【22】魔王様とのご対面
竜の里に着いたのはいいものの、イクシスがあてにしていたお兄さんは、残念ながらいなかった。
「朝まではいると思ったんだが……夜のうちに里を出てしまったみたいだな。しかも行き先が異世界だから、追いかけることもできない」
しくじったとイクシスは悔しそうだ。
「仕方ない……父さんを頼るしかないか」
「お父さんって、怖い人なの?」
気が乗らないと言ったイクシスの態度に尋ねれば、まぁなとそれを認めた。
「怖いっていうよりは、恐ろしいというか。うちの父さん、元魔王なんだ。いっとくが比喩とかそういうのじゃないからな。千年以上も前に、地上の人間達を支配していた魔王……それが父さんなんだ」
魔王っていうと、ゲームとかでよく出てくる悪の親玉みたいなアレだろうか。
父親の職業としてパイロット以上に信じがたいものがきて、つい変な目でイクシスを見てしまう。
イクシスの話によれば、昔地上は魔族っていう種族に支配されていたらしい。
自分が竜だと知らないまま魔族に育てられたイクシスの父親は、魔王として人間達と戦っていたようだ。
「まぁ、最終的に魔族を滅ぼしたのも父さんなんだけどな……」
父親の規模が大きすぎる武勇伝を、イクシスが語っていく。
気に入らない相手をぶちのめした話や、竜を軽んじた国を一瞬にして壊滅させた話。教育と称して、幼い時に凶悪な魔物の住む森に放置された体験談。
神妙なその語り口は尊敬以上に、畏れの気持ちが強い。
逆らっちゃいけない人なんだなというのがひしひしと伝わってくる。
体長は三メートルくらいで体つきがよく、大きな口を爪や牙をもった、恐ろしい外見の化け物じみた人なのかもしれない。
話を聞いているうちに、私の頭の中でイクシスのお父さんが凄いことになっていた。
「本当は里に来た直後に、父さんに挨拶するべきだったんだが……できれば会わずに帰りたくて、後回しにしたからな……きっと怒っているだろうと思う」
イクシスは胃を痛そうに抑えて、怯えた声でそんなことを言う。
「二人には言ってなかったが、俺は三十年近く家に帰ってなかったんだ。まぁ家出みたいなものだと思ってくれたらいい。だから、顔が合わせ辛いんだよ……」
「なるほど、だからイクシスの家族は涙を流して再会を喜んでいたんだな」
屋敷に帰ってきたイクシスへの歓迎は、大げさなくらいに熱かった。
なるほどなとフェザーが頷き、気の乗らない様子でイクシスが一つの扉の前で立ち止まった。
「……これから父さんと話をするから、二人は黙って後ろにいてくれ。説得に失敗した場合は、最悪……この里から出られなくなると思う」
「ちょっとイクシス……脅かすのはやめてよ!」
まるで崖から飛び降りるかのような、決死の表情だ。
やっぱやめて屋敷に帰ろう。
私がそう提案する前に……イクシスは扉を叩いてしまった。
「入れ」
返ってきたのは、まるで少年のような声。
黒を基調とした中華っぽい部屋にいたのは、八歳くらいの男の子だった。
顔立ちはイクシスとそっくりで、羊のような角は黒の宝石のよう。
羽も尻尾も服も黒く、瞳だけが赤かった。
「久しいなイクシス」
「お久しぶりです……父さん」
イクシスが膝を折り、少年と視線を合わせる。
「えっ? お父さんって、この子が!? どう見ても八歳くらいだよね!?」
思わず声を上げれば、少年がこちらに目をむけた。
「イクシスの父親でニコル・エルトーゴだ。この姿は仮のものでしかない。お前はイクシスの花嫁候補か?」
「いえ違います。彼女はメイコで、俺が守護する契約を結んでいる相手です。実は彼女のことで父さんに力を貸してもらいたくて、里に戻ってきました」
ニコルの言葉に、私ではなくイクシスが応える。
里に帰らなかった間のことを、イクシスはニコルに説明しはじめた。
「つまり、イクシスが元々守護する契約を結んでいた女の体に、別の魂が入り、その魂を本来の体に戻してやりたいということか」
「はい、そういうことです」
命をかけた誓約をヒルダに無理矢理結ばされたことは伏せ、話し終えればニコルは考え込む。
とりあえず座れと椅子を勧められて、席に着く。
何をどうやったのか、ニコルがパチンと指をはじけば、人数分のお茶とお菓子がテーブルに用意された。
「イクシス、お前の目的はどちらだ」
「どちら……とはどういう意味ですか?」
「メイコを元の体に戻すのが望みなのか、それともメイコを返して後、ヒルダという女がその体に戻ってくることを狙っているのか。それをオレは聞きたい」
探るような視線を、ニコルがイクシスに向ける。
「メイコは本来、この世界や俺とは関わりのない人間です。守護竜を必要とするくらいにヒルダは命を狙われている。そんな危険にいつまでもメイコを付き合わせたくはありません。それに……」
一旦、イクシスは言葉を切る。
「誰だって故郷に帰れるのなら、帰りたいと……思うはずですから」
「……お前がそれをいうのか」
妙な沈黙が流れる。
ニコルの声には責めるような響きがあった。
イクシスが長年里に帰らなかったことを、怒っているんだろう。
「ニコルさん、違うんです。イクシスが今まで帰れなかったのは、この体の本来の持ち主であるヒルダが、ちょっとした悪戯で宝玉を隠してしまったせいなんです。それで竜になれず、里に帰ることができなくて……」
「……余計なことをいうな、メイコ」
これは私というか、ヒルダさんのせいだ。
それでイクシスが責められるのはお門違いな気がしてそういえば、イクシスが苦い顔になる。
「ヒルダがイクシスを守護竜にしたのは、何年前の話だ」
「八歳の時と聞いてますから……十二年前で」
「イクシスが里に帰らなくなったのは、その二倍以上も前の話だ」
答える私に、鋭い視線をニコルが向けてくる。
射すくめられて思わず体が強張った。
「こいつは異空間の部屋に引きこもり、長い眠りについた。それをされると探し出すことは困難だ。竜の体は死ねば里に帰る。それを望まない、後ろめたい気持ちを持つ竜が取る、自殺と同じような行為だ!」
声を荒げたニコルの体から、ピリピリとしたオーラがほとばしる。
イクシスのその怒りを何も言わずに受け入れていた。
つまりは……それが真実ということなんだろう。
守護竜に無理矢理されたとき、イクシスは異空間にある自分の部屋で寝ていたと言っていた。
軽く捉えていたけれど……それはかなりの大事だったらしい。
イクシスがそういうことをするなんて……意外だった。
何か辛いことでもあって、そんなことをしたんだろうか。
そんなことを考えていたら、ニコルはふっと力を抜いて椅子に座り直した。
「……まぁいい。何がきっかけであれ、お前がまたこうやってオレの元に戻ってきたんだ。それくらいの願いは聞いてやる」
「本当ですか、父さん!」
「あぁ。お前がオーガストや兄弟以外のことでオレに頼み事なんて、珍しいからな」
イクシスがありがとうございますと、イクシスが頭をさげる。
しかしそちらには目を向けず、ニコルは品定めでもするかのように、私へと視線を向けていて……ぞくりと肌が粟立った。
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私の体が本当に存在するかどうか、その場でニコルが調べてくれることになった。
目を閉じていろと言われて、素直に従う。
ニコルが呪文を唱えれば、次の瞬間には浮遊感が体を包み、ヒルダの体が自分の下にあった。
『わぁぁ!』
バランスがとれなくて、宙で一回転する。
ふわふわと私は浮いていて、体が透き通っていた。
これが幽体離脱というやつか……。
変な感じはするけれど、まるで夢の中にいるようにふわふわとする。
『ん? 何コレ?』
頭の上から糸状の何かが出ていることに気づく。
毛糸のような質感のそれは、ニコルの部屋の壁まで続いていた。
「それはお前と体の繋がりだ。さっきの呪文で視覚的に見えるようにしておいた。それがあるということは、お前はまだ死んでないということだ」
体に光りを帯びたニコルが、私を見上げながらそんなことを言う。
「よかったな、主!」
「フェザー、メイコはそっちじゃなくてこっちだ」
霊体の姿を見たり、触れたりする魔法をニコルやイクシスは使ってるんだろう。
私の姿が見えていないフェザーが見当違いな方向へ話しかけ、イクシスが突っ込んでいた。
「糸に触れて、その先へ意識を集中させろ。体が今どこにあって、どんな状態か少し分かるはずだ」
ニコルの指示に従い、糸に触れる。
それでいてどこかに引っ張られるような感覚がある。真下にある体じゃなくて、もっとどこか遠く。
自分の体がその先にあるのだと、はっきり感じ取ることができた。
目を閉じて、その繋がりを追うように意識を集中させる。
耳に聞こえるのは、ピッ、ピッ、という規則正しい機械の音。
薬のような香り。真新しいシーツの肌触りと……近くに誰かの気配。
右手を誰かが握っていて、そこから温かな体温が伝わってくる。
この大きくてゴツゴツとした手は、多分同僚のオウガじゃないかと思った。
『私の体……生きてる。病院にいるみたい』
「そうか。そのまま意識を集中させておけ。お前の繋がりに介入して、場所を特定する」
ゆっくりと目を開いて呟けば、ニコルがまた呪文を唱え出す。
まるで風になびく煙のように、糸がニコルの方へたぐり寄せられた。
「ほぉ……これは……」
一度目を見開いてから、何やら楽しそうにニコルが目を細める。
「どうかしたんですか、父さん」
不思議そうなイクシスに、くくっと笑いながらニコルが指を弾く。
「大したことじゃない。多少覚えのある異世界で、近くに知り合いがいただけだ」
まるで掃除機に吸われるかのような勢いで、私はヒルダの体に引き込まれた。
「強運というか、奇妙な縁というべきか。そこなら座標もばっちりわかっているし、魂を無事に送り届けてやれる。お前の体には別の魂が入れられているようだから、交換という形にすればこっちの体も無駄にならないだろう」
不気味なほど上機嫌な様子で、ニコルがそんな提案をしてくる。
一体何があったんだというほどの変わりようだ。
「あちらの肉体と魂は、大分弱っているようだ。放っておけば明日には死に至る。弱った体に健康な魂を、弱った魂を健康な体に交換することで、どちらも救うことができるはずだ。手遅れにならないタイミングでわかってよかったな」
すぐに元の体に戻してやろう。
そう言ってニコルは笑った。




