【20】見え始めた可能性
「ん……?」
見慣れない天井に、少し潮を含む風。
ぼーっとする頭のまま上半身を起こせば、大人姿のフェザーがベッドに頭だけ乗っけて寝ていた。
目元は赤い。まるで泣きはらしたみたいだ。
堅めの髪を撫でれば、微かに身じろぎはしたけれど起きる気配はない。
大人姿のフェザーだけれど、寝ているときの顔は幼くて、私が知るフェザーとそう変わりなく見えるから不思議だ。
私はフェザーに会いたくて、水の国まできた。
触れるたびに、心が満たされていく。
こんなことで、幸せな気分になれる自分が不思議でしかたない。
しかしどうして、フェザーがここで寝ているのか。
急に激痛に襲われて倒れたはずなのに、私の体には傷一つ見当たらない。
今は痛くもなんともなくて、一体何だったんだろうと考えていたら、勢いよくドアが開いた。
「メイコ、目が覚めたのか!」
「うん。大丈夫だよ。ごめんね心配かけて」
伝わってくる感情の動きで、私が起きたことを察知したんだろう。
イクシスが慌てた様子でかけこんできた。
「……ん」
床に膝をついて、上半身をベッドにもたれかけて寝ていたフェザーが、ゆっくりと顔をあげる。
イクシスの声で起きてしまったみたいだ。
「あっ、フェザーおはよう」
「っ、主!」
「わわっ、フェザー!?」
声をかければ、フェザーが私を包み隠すように抱きしめてくる。
「……よかっ、た。もう目覚めないのかと思った。心配させないでくれ、主」
不安を伝えてくる腕は震えていて、加減を知らないかのように力がこもっていた。
私の体をくるむ翼が温かくて、高めの体温が伝わってくる。
「うん……ごめんね」
こんなにも心配してくれたんだと思えば、そんな場合じゃないのに嬉しい。
フェザーには、私がいないとダメなんだ。
そう思える瞬間は、たまらない優越感で。
どこか少し、ほの暗い気持ちが混ざっている。
――時が経てば、フェザーの気持ちも変わるんじゃないかな。
それを恐れて、フェザーを信じ切れない。
想いを受け取らないくせに、変わらないことを確認しては嬉しくなる。
その胸に顔をよせれば、耳元でとくとくと心臓の音がして、フェザーの香りがした。
「どうしてもフェザーに会いたくて、ここまできたの。たった一ヶ月なのに、フェザーの姿が見えないのが寂しかった。こっそり姿を見るだけのつもりだったのに、迷惑かけてごめんなさい」
「迷惑なんて思うわけがないだろう! 主、我は幸せだ!」
素直に言えば、嬉しいと全身でフェザーは伝えてくる。
こういう反応が返ってくるとわかっていて、言葉にする私はズルい。
フェザーが離れていかないように、甘やかそうとしている自覚はあった。
自分がそういう姑息なことをするような奴だって、今まで知らなかった。
まっすぐで真っ白なフェザーといると、私の卑怯で汚いところが浮き彫りになっていくような気がする。
それでも手放せる気がしなくて、ぎゅっと抱きしめる手に力を込めた。
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「……それで、何があったんだ。直前に恐怖と、強い痛みの感情が伝わってきた」
「突然、全身が痛くなったの。このままじゃ死んじゃうんじゃないかってくらいに痛くて、頭が真っ白になった。それで、気づいたらベッドにいたのよ」
椅子に座ったイクシスが、私を問い詰めてくる。
「医者によれば体に異常はないらしい。魔法による呪いなら、呪術印が体のどこかにあるはずなんだがそれもない。倒れた原因が自分でわかるか?」
「それはよくわからないけど、私のために前世の義兄さんが泣いてる声がした。痛みのほうは、全身を打ち付けて、血が抜けてく感じというか……」
「前世で死んだときの記憶を思い出したってことか?」
「違うと思う。事故のとき私の側にいたのは義兄じゃなくて、同僚のオウガだったしね。それに義兄さんは、私の為にあそこまで取り乱したりしない」
答えながら、頭の中を整理していく。
あのとき、うっすらと白くなる視界の中で、私の顔を見下ろしながら泣いている義兄の顔が見えた。背後に見えたのは工事中のビル。
夢というにはあまりにリアルで、そもそもこんな夢を見る理由がわからない。
「……もしかして、メイコの体は生きてるんじゃないのか? 体と魂は繋がっているものだ。元の体に起こったことをメイコの魂が感知したと考えれば、説明がつく」
「それは私も考えたんだけど……あの事故で私の体が助かったとは思えないんだよね。大きなトラックが凄い勢いで突っこんできて、即死だった」
ふりむけば目の前にトラックがいた。
死ぬ前に何かを思い返すどころか、痛みを感じる暇もなかった。
生きてる望みを持つのが、バカらしいくらいの大きな事故。
だからこそ私は、この世界でやっていくことをすぐに受け入れられていた。
「けど、それ以外に倒れた理由が思い当たらないだろ。意味もなく前世の夢を見て、激痛に襲われるなんてありえない」
「まぁそうなんだけど……でもあの事故で私の体が生きてるなんて、やっぱり信じられないんだよね」
確かにイクシスの言うとおりだけれど、あれで助かったなら奇跡だ。
だから、自然と返事は曖昧なものになる。
「確かめてみればいい。ヒルダの体から一旦出て魂だけになれば、体との繋がりが強く分かるはずだ。一瞬だけなら、ヒルダが戻ってくる心配もないだろうしな」
準備は必要だけれど、調べることなら簡単にできるとイクシスが言う。
「それで、もしも元の体が生きてるなら……」
そこで一旦イクシスは言葉を切った。
何かを迷うように私を見つめる視線が揺れて、苦しげな色がよぎる。
いつにないその表情。
黙り込んでしまったイクシスに、不安になった。
「イクシス……?」
声を掛ければ、イクシスは我に返ったようにはっと目を見開く。
「悪いぼーっとしてた。それで、だな……」
歯切れ悪くそう言って、イクシスは目をそらすと小さく息を吐いた。
それから仕切り直すように、口を開く。
「……もしもメイコの体が生きてるなら、そこに返してやることができる。繋がりを辿って場所を特定することさえできれば……後はどうにかなるんだ」
私が死んでいるということが前提だったから、今まで出てこなかった案。
行き先さえ分かれば、イクシスでも空間を飛び越えて異世界へ行くことは可能だという。
「ただ俺だけだと帰りが不安だからな。空間を操るのが得意な父さんか兄のオーガストに頼めば、どうにかいけると思う。元の体があるのなら……儲けものだろ。屋敷に帰ったら試してみようぜ」
イクシスは立ち上がって背を向けると、空間を裂いた。
「そうと決まれば、屋敷に戻るぞ。フェザー、後のことはよろしく言っといてくれ」
そう言ったイクシスの肩を、フェザーが掴む。
「我も一緒に戻る。準備をしてくるから少し待っててくれ」
「滞在期間はあと二週間あるはずだ。終わったら迎えにくる。メイコに元の体があるって決まったわけじゃないし、もしもそうだったとしても、フェザーが屋敷に戻るまではメイコも待ってると思うぜ?」
「……とにかく待っててくれ」
フェザーが部屋を出ていくと、イクシスは椅子に座りなおした。
雰囲気がピリピリとしていて、今日の朝に治ったはずの不機嫌がすっかり元通りだ。
「ごめん、イクシス」
「なんで謝るんだ? 倒れたことなら別に怒ってない。驚きはしたけどな」
「いやでも……なんか怒ってるし」
まるで床に打ち付けるような動作で尻尾が動いている。
それに声だって低いし、眉間に皺も寄っていた。
「……俺自身に苛立って、失望してるだけだ。メイコのせいじゃない。最近の俺が変なのはメイコだって知ってるだろ。だから、気にするな」
「何か悩みがあるなら言ってよ。私じゃどうにもできないことかもしれないけど、イクシスが困ってるなら力になるから」
そう言われても気になるものは気になる。
心配になってそういえば、イクシスは黙り込んでしまった。
じっとその言葉を待つ。
「……メイコが元の世界に戻れるなら、俺には協力する義務がある。けどさっき、俺はそれを躊躇ったんだ。俺が教えなければ、メイコはその方法に気づくこともないし、このままここにいる。そんなことを思った自分に……物凄く腹が立ってる」
ゆっくりとはき出すように、イクシスは呟いた。
「なんだよ、何で驚いた顔してる」
「いや、イクシスがそこまで寂しがってくれるなんて思わなかったから。しんみりするようなタイプにも見えなかったし」
素直な感想を口にすれば、イクシスは不本意そうな顔をする。
「……俺だって意外に思ってるんだ。自分でも予想以上に、メイコのことを気に入ってたらしい。これがバカな子ほどかわいいってやつなのかもな」
「バカって酷くない!?」
「手のかかるって言い換えてもいいが、意味は結局一緒だろ」
ふっとイクシスは笑う。
ようやくいつもの調子に戻ったらしい。
「俺ですらこれだ。フェザーの奴はもっと寂しがるだろうな」
「いやでも、元の体があるって決まったわけじゃないし」
「なんだ。まるで帰りたくないみたいな言い方だな。もしかしたら生き返れるかもしれないって言ってるのに、嬉しくないのか?」
「嬉しいとかそれ以前に、やっぱり生きてるっていうのが有り得ないと思うんだよね」
この世界に馬車はあっても、自動車は存在しない。
暴走した大型トラックに轢かれたと言っても、イクシスにはピンとこないんだろう。
「そういうのは置いといてだ。元の生活に戻れるとしたら……戻りたいだろ?」
「まぁ……そうだね」
平和な日常。
命を狙われることなんてなくて、仕事をして休日はゲームをしたり、友達と遊ぶ。
たまには実家に戻って弟達とテレビを見たり、母さんと料理を作って過ごす。
何もない日々が、こんなにも大切だったと失ってから気づいた。
もしも、あの日々が帰ってくるのなら、それに越したことはないと思う。
ここに来た当初の私だったら、心の底から喜んだはずだ。
無意識に、そんなことを思った自分にはっとする。
その言い方はまるで……今の私が、元の世界に戻りたくないと思っているみたいだ。
かちゃりとドアの開く音がして、フェザーが入ってくる。
元の世界に戻るということは――フェザーに会えなくなるということを意味していた。




