【2】協力者と深まる溝と
私を助けてくれたヒースは、ヒルダが幼少の頃に誓約を結んだ守護竜らしい。
ヒルダはヒースが竜の姿になるために必要な宝玉を奪い、天空にある里へ帰れなくしたあげく、命をかけた誓約を結ばせているとのことだ。
ヒルダが死ねば、誓約によってヒースも死ぬ。
だから、ヒースはフェザーから私を守ってくれたみたいだ。
嫌々ではあっても、ヒースは私を守らざるを得ない……そういうことらしい。
暗殺者だけでなく、屋敷の中にも敵がいっぱいいるこの状況。
ヒースが仲間になってくれたら、心強いなと私は考えた。
宝玉をエサに、積極的に守ってくれるよう交渉してみよう。
そう考えたのだけれど……私はその重要な宝玉を売ってしまっていた。
いやだって! ヒルダさんの贅沢品を売るときに、宝石商のおじさんがいい値段つけてくれたんだもの!
そんな大切なものだって、知らなかったんだよ!
慌てて買い戻せば、ヒースが私の目の前に現れた。
どうやら、この宝玉……偽物だったみたいだ。
それでいて、ヒースは今まで姿を見せなかったものの、ずっと側で私の行動を見張っていたらしい。
加えて彼には、私の感情が手に取るように伝わっているとのこと。
ヒルダがピンチのときに、守護竜の彼がすぐにわかるように。
そのためにかけられた魔法が、私がヒルダではないということを……彼に教えてしまったようだ。
竜族という種族である彼は、空間を操れる。
この世界と繋がっているけれど、少しズレた場所――空間に身を潜め、私のことを観察していた彼は、私がヒルダではないと確信していた。
前世では胸が控えめだった私は、ベッドの上で飛び跳ねて、ヒルダの大きな胸が揺れる様を楽しんだり。鏡の前で胸を強調するポーズを取っては、一人悶えて……密かに楽しんでいたのだ。
加えて、独り暮らしをしていたときのくせで、歩き回りながら『乙女ゲーム』とか『死亡フラグ』とか独り言をしまくっていた。
それを見られてしまっては、言い逃れできない。
観念した私は、ヒースに事情を全て話すことにした。
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「記憶喪失にしては変だと思ってたんだ。自分の胸を揉んでニヤニヤするヒルダなんて、おかしすぎるからな。それに、意味不明な独り言が多すぎる」
納得した様子のヒースに、穴があったら入りたくなる。
誰かに見られているって知ってたら、あんな行動もしなかったし、独り言だってしなかったよ!
「まぁとにかくだ。あんたがヒルダ自身でないなら、交渉の余地があるな」
ヒースが笑いかけてくる。
この五年の間に、アベルが私を殺す。
その未来を阻止するため、積極的に守ってやるとヒースは約束してくれた。
代わりに五年経ったら、ヒースに宝玉を返却し、誓約から解放するという約束を結ぶ。
誓約の解き方も、ヒルダがどこに宝玉を隠したのかも――私は知らない。
それでもいいのかと尋ねれば、俺が一緒に方法を探してやるとヒースは言ってくれる。
思いの外、親切だ。
「俺の名前はイクシス。あんたの本当の名前は?」
「私はメイコ。ヒースっていうのが名前じゃなかったんだ?」
お互いに自己紹介しあう。
ヒースというのはヒルダが勝手に付けた名前で、彼の本名はイクシスというようだ。
「取りあえず明日からは、俺が側にいてやる。そしたらフェザーのやつも手は出してこないだろうしな」
「……ありがとうイクシス」
イクシスにお礼を言う。
フェザーが、あんなに怒った理由。
それは、私が『ギルバート』を知らないという態度を取ってしまったことだ。
ギルバートは、半年ほど前まで、屋敷に住んでいた少年だ。
フェザーとは親友で、八歳くらいの見た目をした、花街出身の犬の獣人だったらしい。
獣人は一定の年齢で成長が止まるのだけれど、恋をすると大人の姿になれるようになる。
ヒルダに恋をしてしまったギルバートは、大人になってしまって。
大人になった彼を、ヒルダは屋敷から追い出したとのことだ。
大人になったら用無しだなんて……ヒルダさんたら、どれだけショタコンなんだろうね?
しかも、ギルバートはヒルダに恋をして大人になったというのに。
酷いにもほどがある。
これは、完全にヒルダが悪い。
ギルバートが屋敷から追い出されたことに、フェザーは激怒した。
当時、ヒルダに反抗的な態度を取り、かなり厳しいお仕置きをされたのだと……執事のクロードからは聞いている。
これ、溝を埋めるって可能なんだろうか……。
イクシスという心強い味方はできたけれど、前途多難な状況に溜息を吐きたくなった。
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「おはよう、今日もいい天気ね!」
声をかけた私に注がれるフェザーの一暼は、今日も冷たい。
絶対零度って、きっとこういうことをいうんだろうな!
そう思うくらいには、冷ややかだ。
左足の枷を引きずりながら、フェザーは足早に去っていってしまう。
ギルバートの一件から、関係はますます悪化するばかりだ。
それでも、懲りずに声をかけるのは、意地のようなものだった。
「お嬢様、ギルバートに関する調査書が届きました」
けど、やっぱりムシは応えるなぁ……。
その場に突っ立っていたら、クロードがやってきて書類を手渡してきた。
護衛として控えていたイクシスと一緒に、書類を眺める。
そこには、ギルバートが獣人の国にいるという旨が書かれていた。
獣人が一人でこの国を出るためには、主人の書いた渡航証明書や登録証が必要不可欠だ。
ヒルダがギルバートを獣人の国へ自ら送り出したとしか思えない証拠が、調査書には記載されていた。
どうやらヒルダは……執事であるクロードにも内緒で、ギルバートを獣人の国へ送り返していたらしい。
ヒルダは、ギルバートをその辺に捨てたわけじゃない。
さっそくフェザーに教えてあげなきゃ!
そう思ったけれど……私の言葉なんて、フェザーは聞いてくれない気がした。
なら、獣人の国へ行って、直接ギルバートの元気な姿を、フェザーに見てもらえばいいんじゃないかな?
自分の目で確かめれば、フェザーも安心できるだろうし。
ついでに、フェザーの親にも会ってこよう。
フェザーを返していい親なのか、見極めておかなくちゃ。
フェザーの故郷である鳥族の国は、獣人の国の近くにある。
実は、フェザー……鳥族の国を治める、誇り高き鷹の王族らしい。
つまりは王子様。
そんなフェザーがどうしてここにいるのかは、本人が教えてくれないので謎に包まれている。
思いつきは、とてもいい案に思えた。
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「クロード、早速獣人の国にいく用意はできるかしら。フェザーを直接ギルバートに会わせてあげたいの」
「お嬢様、獣人の国へは往復で一ヶ月ほどかかりますが」
思いついたことを口にすれば、クロードが困った顔になる。
さすがに一ヶ月は長い。
そんなに長期で屋敷を留守にすると、少年達が心配だし……領主の代理も立てなくちゃいけない。
クロードが屋敷に残ってくれるなら、まだ安心して任せられるのだけれど、そうもいかなかった。
ヒルダは、自分の執事であるクロードにも、一方的な誓約をかけていた。
クロードは誓約により、一定の距離以上、ヒルダから離れることができない。
ちなみに距離の範囲は違うけれど、守護竜のイクシスにも同じ距離の制限があった。
自分の元から逃げることができないように、ということなんだろう。
つまり、私が獣人の国に行くなら、イクシスもクロードも一緒ということだ。
そうなると、領主代行はヒルダの夫の弟に頼まなくてはいけなくなる。
正直……あまり頼みごとをしたくない相手だ。
私が前世の記憶を取り戻すまで、この領地は彼が運営していた。
嫁いですぐに年老いた夫が亡くなり、領地運営を面倒くさがったヒルダが、彼に全権を譲り渡してしまっていたのだ。
彼の領主っぷりはというと、最悪の一言だ。
権力を振りかざし、困窮してる領民から、訳のわからない理由でさらに税を取り立る。
領民から金を搾り取って、自分の懐を潤すことしか考えてない。
私が税金を下げたときも、領民に甘い顔してどうするんだと怒鳴り込んできた。
「折角、ギルバートの足取りが掴めたのに……これじゃ行けないわね」
「そんなに行きたいなら、獣人の国へ三日で行く方法があるぞ」
諦めるしかないのかと思った私に、イクシスが囁いてきた。
「本当!? どうやって!?」
「空間を繋いで竜の姿で飛べばいける。竜族はそうやって世界を旅してる」
食いつけば、イクシスがそんなことを言う。
「イクシスは竜の姿になれないんだから、無理じゃないの」
期待して損した。
竜族のイクシスは、宝玉がないと竜の姿になれない。
それでいて宝玉は、ヒルダが自分の異空間に隠してしまっている可能性が高いという話しを、イクシス本人から聞いていた。
本来空間を操ったり、異空間を作り出す能力は竜族と限られた一族にしか使えない。
ヒルダの種族であるエルフ族にさえ、その力は本来ない。
しかし、ヒルダは異端で……空間を操ることができたらしい。
幼いヒルダは、その力を使い、イクシスの作り出した異空間に侵入。
一方的な誓約で縛って、守護竜にしてしまったとのことだ。
イクシスによれば、個人が作り出した異空間に許可なく入ることはできず、これは本来ありえないことらしい。
色々とヒルダは、規格外だったようだ。
「宝玉がなくても、変身できるかもしれない方法があるんだ。ヒルダが宝玉を隠したのが、本当に自分で作り出した異空間ならの話だけどな。試してみるか?」
「可能性があるなら試したい! どんな方法なの?」
「簡単なことだ。キスするだけでいい」
期待をこめてイクシスを見つめれば、さらりとそんなことを言われた。
「……キス? 誰と誰が?」
「俺とお前がだ」
「なんで」
「普段移動に使う共有空間と違って、個人での異空間は作り出した本人と密接に関わってる。宝玉はエネルギーの固まりみたいなものだ。その力が異空間からヒルダ自身にも流れてる可能性がある」
そのエネルギーを一番手軽に受け渡す方法が――キスなのだと、イクシスは真顔で言い放った。
「まぁとりあえずは試してみようぜ?」
私の顎に手をかけたイクシスへ、クロードがすかさずムチを振るう。
しかし、それはイクシスに当たることなく、宙を切った。
「っ! 何するんだ危ないだろ!」
「危ないのはあなたのほうです。お嬢様に口づけを乞うなんて身の程知らずな不埒者が。近づいてはダメですよ、お嬢様」
「こっちは親切で提案してやってんのに……!」
クロードとイクシスの間に、険悪な雰囲気が漂う。
「落ち着いてよ二人とも! イクシス、キス以外に竜になる方法はないの?」
「魔力やエネルギーの譲渡は、一番キスが効率的なんだ。後は体を交えるとか、血を与えるとかいうのもあるが、論外だろ」
尋ねれば、イクシスがむっとした顔のまま答える。
たしかにその中では、一番キスがまともに思えるけれど……なぜそんな方法しか存在しないのかと、ツッコミを入れたい気持ちでいっぱいだ。
「そもそも私は、獣人の国へ行くということ自体反対です。フェザーとギルバートを引き合わせるだけでいいのなら、ギルバートをこちらへ呼び寄せればいいだけの話でしょう」
クロードの言うことはもっともだ。
けれど私には、フェザーの親に会うという、もう一つの目的があった。
反対するだろうから……口にはださないけれど。
キスには抵抗があるけど、それで獣人の国にいけるなら……試す価値はある。
でもこの様子だと、クロードがそれを許さないだろう。
フェザーの親を見極めるのは一旦保留にして、クロードの案に従おうと判断する。
「獣人の国に行くのはあきらめて、ギルバートをここに呼ぶことにするわ。クロード、お願いできるかしら」
「はい、わかりました。お嬢様」
頼めば、クロードが蕩けんばかりの笑みを浮かべ、請け負う。
「……勝手にしろ」
一方のイクシスは苛立った様子で、その場から飛び去ってしまった。
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折角提案してくれたのに、イクシスには悪いことしちゃったかな……。
朝の書類整理を終えた後、執務室から自室に戻る。
出るときに閉めたはずなのに、窓が開いていた。
閉め忘れてたのかなと、窓に近づけば――ふいにゾクリと悪寒がして。
私の背に、鋭い爪を振り下ろそうとしているフェザーの姿が、窓ガラスに映った。
「きゃっ!」
とっさに飛び退けば、フェザーの一撃が窓ガラスに当たる。
派手な音を立てて、床に破片が散らばった。
「フェ、フェザー!?」
フェザーはそのまま二撃目、三撃目の攻撃を加えようとしてくる。
攻撃に容赦がなく、そして早い。
手当たり次第のものを投げ、どうにか紙一重で避けてはいたけれど、違和感を覚えた。
フェザーは、歩く速度があまり速くなかった。
なぜなら、飛べないように足枷が付けられているからだ。
けれど、その足枷が……外されていた。
前の主人から、ヒルダがフェザーを買い取ったときから、その足枷はついていた。
外してあげたかったのだけれど鍵が見当たらず、特注のその品は無理やり壊すことも不可能だったはずだ。
枷を作った職人を探し出し、鍵を注文して……ようやく手に入れて。
でも、枷を外したらフェザーがどこかに行ってしまう気がして、とりあえず小箱にしまってあった。
誰かが鍵を盗んで、フェザーの足枷を外してしまったんだろう。
「イクシス!」
大声で護衛であるイクシスの名前を呼ぶ。
けれど、来てくれる気配はない。
「イクシス!!」
何度その名前を呼んでも、私の守護竜は姿を現さなかった。
――なんでイクシスきてくれないの!?
防ぎきれなかったフェザーの爪が、私の服や肌を切り裂く。
じわじわと追い詰められていくのがわかった。
とりあえず、廊下に出よう!
そんな私の考えは見透かされているみたいで、ドアに近づくたび、邪魔されてしまう。
かなり叫んでいるけれど、廊下や庭の護衛には聞こえないのだろうか。
窓ガラスが割れた時点で、騒ぎに気づいてもいいはずだ。
こんなときに頼れるのは……やっぱりイクシスだけだ。
なのにどうして、叫んでも無視するのかな。
焦る頭で考えて……さっき怒らせてしまったことを思い出す。
とうとう私は、壁際に追いこまれてしまった。
「見捨てられたというのは、どうやら本当らしいな。信頼してた相手に裏切られる気持ちが、少しはわかったか? ギルバートは、これ以上の絶望を味わったんだ」
暗い喜びに満ちた瞳を、フェザーが私に向ける。
獲物を嬲るのを楽しむかのようだ。
このままじゃダメだ――殺されちゃう。
例え遠くにいたって、私の感情はイクシスに伝わっているはずだ。
なのに、なんでイクシスは来てくれないのか。
あの言い合いで、愛想を尽かされてしまったんだろうか。
誰かに頼らなくちゃ、身を守れない自分が嫌だ。
それでいて、イクシスが来てくれないことが悲しい。
付き合いは短いけれど、約束は守ってくれる竜だと思っていた。
「死ね」
フェザーが私の心臓めがけて、尖った爪を突き立てる。
「おい、フェザー何してやがる!」
間一髪、その手を止めたのはイクシスだった。
そのままフェザーの腕をねじり上げ、床に押さえこむ。
「遅れて悪かった。もう大丈夫だ」
イクシスの言葉に、私はその場で崩れるように座り込んだ。
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★本編との違い(本編【7】~【14】あたり)
◆本編ではイクシスにファーストキスを奪われてしまっているが、今回は未遂で終わっている。
★6/23 文章を修正しました。内容に変更はありません。