【19】水の国と小舟と
「うわぁ……ここが水の国!」
イクシスの連れてきてくれたウンディーアは、海の上にある大きな島だった。
街の中には水路が流れ、そこには小舟が行き交っている。
中心部に行くにつれて高くなっていくのに、船はすいすいと上へ移動していくのが見える。どうやら上る水流と下る水流の水路があるみたいだ。
昨日の夕方6時に屋敷を出て、ついたのは早朝。
空間を通ってきたから三十分くらいに感じていたのだけれど……肌寒さと朝特有の澄んだ空気に、時間がちゃんと経過していることがわかる。
白く靄がかかった景色の中に、頭を出しているのは鮮やかな色彩の家々。
海の香りがして、少しわくわくするものを感じていてたら、イクシスが小舟を借りてくれた。
「シアード商会はこの一番上の屋敷だ。飛んで行ってもいいんだが、折角だし乗りたいだろ?」
「うん! でも……イクシスが漕ぐの? 船頭さんにお願いしたほうがいいんじゃない?」
周りの小舟には、制服を着た船頭さんが乗っていた。
舟の端に立って長いオールを漕ぎ、歌を歌いながら観光客に街を案内している。
この国の名物でもあって、花形の職業だ。
まだフェザーに会う時間にしては早すぎるし、どうせならそれを楽しみたかった。
「この時間に先頭付きの舟に乗るには、事前予約が必要だ。それに、前にこの国に滞在してたって言っただろ。そのときは船頭の仕事をしてたんだ。だから免許もちゃんと持ってる」
「えっ!? イクシスが!?」
「なんだよ、そんなに驚くことないだろ」
「いやだって、船頭さんって歌うよね? イクシスが歌いながらにこやかに案内してるところが想像できないんだけど……」
失礼な奴だなといいながら、イクシスがオールをこぎ始める。
確かにその手つきは手慣れていて、危なげはなかった。
「歌もちゃんと歌える。必須だからな。この小舟を漕いでみたくて、船頭をしてたんだ。まぁ歌だけはどうにも恥ずかしくて、あまり好きじゃなかったけどな」
ヒルダによって守護竜にされる前は、いろんな場所でいろんな仕事をしていたらしい。
船頭の他にも城の護衛や、大工等もやったことがあるとのことだった。
「ねぇねぇ、イクシス。歌ってみてよ! 聞きたい!」
「……恥ずかしいから嫌だ」
わくわくしながらそういえば、イクシスは断ってくる。
どうやら照れくさいらしい。
「お願いイクシス! せっかく船に乗ってるんだから、ねっ?」
「……ちょっとだけだからな」
頼み込めば折れてくれて、イクシスがこほんと咳払いする。
「遙か昔のそのまた昔。この国には海賊が……」
伸びやかな声で、イクシスが語り出す。
このウンディーアの歴史を交えた歌を紡ぎながら、まるで一つの劇であるかのように街を案内していく。
正直、イクシスを舐めていた。
歌って案内しているときのイクシスは、いつものむすっとした顔じゃない。
声がとてもよく響くから、聞いていて心地よく、すんなりと説明が頭に入ってくる。
夢中になっていたら、いつの間にか目的地に到着していた。
「……とまぁ、こんな感じだ。これでまんぞくだろ」
「うん! イクシス凄く上手いのね! 格好よかった!」
素直な感想を口にすれば、そうかと言いながらイクシスがふいっと横を向く。
今日のイクシスは目立たないよう人の姿をしていたけれど、尻尾があったなら揺れていたと思う。照れているのが丸わかりの赤い顔だった。
「何だか得した気分。ありがとね、イクシス!」
「フェザーに会う前に、元気になったみたいだな。メイコのそういう顔、久々に見た気がする」
「そうだったっけ?」
「そうだ」
小舟から下りて、イクシスが手をとってくれる。
ぴょんと飛び降りれば、靴の底が石畳を鳴らした。
「やっぱりお前の感情が俺に影響してたんだな。今は悪くない気分だ」
ふっとイクシスが笑う。
イクシスこそ、そういう顔は久しぶりな気がした。
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事前に連絡をしていたわけではないのだけれど、シアード商会の屋敷に行けば快く中に入れてくれた。
豪華ではあるのだけど役所のような雰囲気で、こんな朝早くからいろんな人たちがせわしく行きかっている。
あと二週間すれば帰ってくるというのに、わざわざ会いにきただなんて恥ずかしい。
なので、こっそり様子を見るだけでいいとフェザーがいる場所をきけば、案内係のお姉さんが教えてくれた。
商人の息子であるセスタは、この時間から起きているらしい。
早朝に目を覚まして漁に行くか、もしくは剣の稽古をしているとのことだった。
案内された場所へ行けば、セスタとフェザー、その兄のヴィーの姿があった。
ヴィーに教わりながら、フェザーも剣を振るっている。
その姿を確認しただけで、ほっと肩の力が抜けた気がした。
「……そろそろ行こうか、イクシス」
「本当に声をかけなくていいのか?」
「うん。顔が見れただけで満足したか……ら?」
イクシスに答えたところで、妙な違和感が体を襲った。
「……っ!」
急に体が引きちぎられるように痛くなって、その場に膝をつく。
「どうした! メイコ!」
イクシスが叫んで、フェザー達がこっちを振り向いたけれど、それどころじゃなかった。
イクシスやフェザーが必死な顔をしてるけど、何を言ってるのか理解できない。
痛くて痛くて、それだけに感覚が支配される。
まるで体から血液が抜かれていくようで、頭の中をよぎるのは恐怖だ。
自分の体を抱きしめてるはずなのに、そこに体があるのかも曖昧に思えて、ただただ怯える。
――どうして、ぼくなんかを庇ったりしたんですか!
ぎゅっと目を閉じれば、泣いている男の声が聞こえた。
誰かが自分を責めている。悲しんでいるその声が、頭に響く。
聞き覚えがあるけれど、思い出せない。
――お別れって、何を言ってるんです。そんなの……。
悲痛な声は、震えていて。
こちらまで苦しくなりそうなほどに、切羽詰まっている。
――ぼくは、あなたのものでしょう? なのに、どうして。
その声はクセがなく、柔らかで、優等生すぎて頭に残りにくい声をしていた。
男の声が遠のく。
体の痛みから解放されて、何もかもが白い色に溶けていく。
あぁ、そうだ。この声は義兄の……。
そんなことを少し思ったところで。
とうとう私の意識は、襲い来る波にのまれて途切れてしまった。




